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2007年06月 に書いたもの

2007年06月13日

「用心棒」 ~映画は最高!~      
黒澤明監督

用心棒」(1961

監督: 黒澤明
製作: 田中友幸/菊島隆三
脚本: 黒澤明/菊島隆三
撮影: 宮川一夫
美術: 村木与四郎
音楽: 佐藤勝
照明: 石井長四郎

出演:
三船敏郎
仲代達矢
東野英治郎
司葉子
山田五十鈴
加東大介
河津清三郎
志村喬


【おはなし】

とある宿場町では対立するやくざの抗争が続いている。そこへ一人の素浪人がやって来て、全てを片づけて去って行く。

【コメントー映画は最高!ー】

当時、僕は中学生だった。
1990年かそこらだったと思う。
一人で映画館にも出かけるようになり、どうやら映画には「監督」という役職があるらしいと、ようやく気がついた頃。

「おい、お前用心棒は観たんか?」
父親が不意に質問してきた。
僕は父親に勧められるがままに、ビデオを借りてきたのだった。

中学生の僕にとって映画とはハリウッド映画のことだった。
用心棒」は日本映画であり、白黒映画である。ましてや時代劇でもある。
どれを取っても未知の世界であり、また興味もなかった。

映画の冒頭、一人の男(三船)の背中が現れた。大きな背中だった。
男は首筋をぽりぽり掻いてから、歩き出した。やれやれ、といった風情だ。
今まで聞いたことのないような音楽が、ゴンチャタカッポ♪ゴンチャタカッポ♪と耳に響いてくる。
な、なんだこれは!
未だかつて味わったことのない愉快な映画体験が僕の気分を弾ませる。
歩く男とゴンチャタカッポ♪これだけで心躍るとはどういうことだ。

男はやがて分かれ道に辿り着く。おもむろに一本の枝を拾い、天に目がけて放り投げた。
枝が落下し指し示した道へと彼はゆっくり歩き出す。
彼はきっと無頼だ!世間とは一線を画した男なんだ!わーい!

映画が始まって数分しか経っていないはずだが、僕は夢中になっていた。
息が詰まりそうだった。

男は宿場町にやってくる。人気がない。
不穏な雰囲気の中、一匹の犬が通りの向こうから駆けて来た。
犬はどうやら人間の手首をくわえている。

僕は映画冒頭に興奮し過ぎた自分を少々恥じていた。
古い日本の映画に何をびびっているのだ。きっと粗があるはずだ。
全神経を集中し、画面に近づいてくる手首を凝視した。
作り物然とした手首を期待していた僕は。
…度肝を抜かれた。
残念ながら本物の手首にしか見えなかった。

エンドマークが出るまで、僕はこの映画に完全に身を委ねた。
我を忘れた。
徹頭徹尾、おもしろかった。娯楽の真髄を見た思いがした。
アイデアや工夫に満ちていた。旺盛なサービス精神に圧倒された。
今まで見てきたものや読んできたものの好きな要素の、全てがここにはあった。
これが見たかった。

帰宅した父親に僕は質問した
「この三十郎って人物は誰が考えたん?」
「ええ?オリジナルやろう」
「誰の?」
「黒澤の」

映画監督、黒澤明。認識しました。
世界に名だたる巨匠であると、後に知った。
当時黒澤はまだご存命だった。
彼はもう堕ちた虚像として扱われていた。
背の高いサングラスの老人。
僕はこれ以後しばらくは、黒澤を基準に映画を見ていた気がする。
黒澤より上か下かで判断していた。
世界のクロサワだかなんだか知らないが、僕の黒澤だった。

この映画の三船敏郎の殺陣は凄まじい。
人として生まれて来たからには、この映画の三船の殺陣を見ておいて損はないと思う。
ああ、「用心棒」をまだ観たことのない人達がうらやましい。
僕はもう二度とあの感動を得ることはできないのだから。

父親は得意満面だった。
「おもしろかったやろ?」
「うん。最高やった!」
僕は映画の最高を確かに実感した。


2007年06月14日

「E.T.」 ~映画に見る夢~        
スティーブン・スピルバーグ監督

E.T.」(1982)

監督: スティーブン・スピルバーグ
製作: スティーブン・スピルバーグ/キャスリーン・ケネディ
脚本: メリッサ・マシスン
撮影: アレン・ダヴィオー
特撮: ILM
特殊効果: カルロ・ランバルディ
音楽: ジョン・ウィリアムズ
 
出演:
ディー・ウォーレス / メアリー
ヘンリー・トーマス / エリオット
ロバート・マクノートン / マイケル
ドリュー・バリモア / ガーティー
ピーター・コヨーテ / キーズ
K・C・マーテル / グレッグ
ショーン・フライ / スティーヴ
トム・ハウエル タイラー
エリカ・エレニアック / エリオットの同級生


【おはなし】

アメリカの郊外に一人の宇宙人(E.T.)が取り残される。少年と出会い、友達となり、やがて宇宙へ帰って行く。

【コメントー映画に見る夢ー】

家族で見に行った。
スピルバーグの新作だということで、両親が映画館に連れて行ってくれたのだ。
劇場は立ち見も出るほどの盛況だった。
公開されたのは82年の冬。僕は小学1年生だった。

E.T.に出会う少年エリオットには、兄と妹がいる。
たまたまうちも姉と兄と僕の三人兄弟だったので親近感を持った。
特にドリュー・バリモア演じる末の妹には、同じ末っ子として他人とは思えぬ身近さを感じた。
とかく上の兄弟たちは、末っ子を子供扱いする。散々ないがしろにしておいて、都合のいい時にだけ命令を下してくる。

映画の途中から僕は真ん中のエリオットのつもりで見ることに切り換えた。
兄の視点になった途端、自由を手に入れたような心地になった。
自分を中心に世界が回っているようだ。兄の優越感を存分に満喫していた。

ところが、映画が進むにつれエリオットには様々な困難が降りかかってくる。
兄というのも楽な稼業ではなかった。率先して冒険する者には、大きなリスクがつきまとう。
しまいには死ぬか生きるかの瀬戸際にまで追い詰められてしまった。
こんなことなら末っ子のままおとなしくしておけばよかった。今更撤回するのも許されない。
僕はE.T.とエリオットと運命を共にする他なかった。

その頃の日本の映画界は大不況の時代に突入しようとしていた。
庶民の娯楽であったはずの映画はいよいよ斜陽の局面を迎え、観客動員は年々下降の一途を辿っていた。
バブルの崩壊に向けて、世の中は胡散臭い空気に満ちていたかもしれない。
日航機の「逆噴射」墜落やホテルニュージャパンの火災はこの年である。
そんな折りに、「E.T.」は大ヒットを記録した。
世の中のことなど微塵も知らない僕であったが、
異様な熱気と白けた空気が混ざったこの映画館で、忘れ難い体験をした。

一度死んだかに思えたE.T.が息を吹きかえしたところから物語は急速に展開する。
少年達は大人の手からE.T.を奪還し脱出した。
彼らの乗る自転車は疾風のように街を滑走する。
先頭を走るのはE.T.を荷籠に乗せた我らがエリオット。
しかし大人も黙ってはいない。車で先回りをし、銃を手に道を完全に封鎖してしまった。
後方からは追っ手、前方には道を塞ぐ車、絶体絶命の土壇場。
不意に!
E.T.の超能力が作用した。少年達の自転車がフワリと浮いて、空高くへと舞い上がる。
大人たちは口を開けてただ見送る。
テーマ曲がこの奇跡を盛り上げる。

期せずして、客席から歓声があがり拍手が起こった。つられて拍手が連鎖した。
映画の魔法に劇場が揺れた。
「わ、わ、わ」
僕は言い知れぬ歓喜を味わった。どっと沸いた拍手で客席とスクリーンとが一緒くたになり、まるで夢の中だった。
当世の憂さを忘れ、客席の誰もがエリオットと同化していたに違いない。

危機を乗り越えた後は、別れが訪れる。
宇宙船が停泊する森。少年たちとE.T.の最後の別れの場面に、僕は胸を詰まらせた。
E.T.との思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

スピルバーグの恐るべき映画手腕は、感動の場面で本当に観客を感動させるところにあるのではないだろうか。
実をいうとE.T.との交流に、走馬灯のように思いだすほどたくさんのエピソードがあるわけではない。
簡潔で分かりやすく、テーマの凝縮されたシーンが続くため、濃い時間を体験したかのような錯覚に陥るのだ。
2002年に公開された 『E.T. 20周年記念特別版』を見たとき、あまりのストーリテリングのうまさに舌を巻いてしまった。

1年生の僕は、大満足の体で映画館を後にした。外はもう暗かった。
家族で映画を見た後はよく「娘娘(ニャンニャン)」という中華料理店に入った。
床が油でベトベトの通路を抜け二階に上がるとテーブル席があった。
うまくて、べらぼうに安かった。
まだあのお店はあるのだろうか。

今しがた観た映画の感想でも語り合えばいいものを、我々兄弟は肉の争奪戦に躍起となり、いつしかE.T.のことは忘れてしまった。



2007年06月15日

「大人は判ってくれない」 ~回転する思春期~
フランソワ・トリュフォー監督

大人は判ってくれない」(1959

監督: フランソワ・トリュフォー
製作: フランソワ・トリュフォー
脚本: フランソワ・トリュフォー/マルセル・ムーシー
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ジャン・コンスタンタン
 
出演:
ジャン・ピエール・レオ
クレール・モーリエ
アルベール・レミー
ジャン・クロード・ブリアリ
ギイ・ドゥコンブル


【おはなし】

舞台はパリ。問題児扱いされる少年アントワーヌ・ドワネルは少年院に入れられ、やがて脱走する。

【コメントー回転する思春期ー】

1994年頃、高校生の僕はぐずっていた。
受験がいやでいやで仕方がなかった。
受験なんて下らない審査はやめろ。俺の人間を見れば合格に決まってるだろう。
そんなことを本気で考えていた。
つまり勉強が苦手だったのだ。
人間を見て選ぶ受験なんてものがあったなら、寧ろ合格は遠のいたろうに。

NHK衛星第二放送の衛星映画劇場は、
黒澤明が選んだ100本の映画を順次放映するという企画の最中だった。
これをビデオで録画しつつ見るのが日課となっていた。
受験一色の学校生活から逃れるように、僕は毎日映画を見た。
夜は祖母しかうちにいなかったので、ゆっくり一人で鑑賞できた。

「大人は判ってくれない」という随分直球なタイトルにいささか鼻白んだが、まぁ黒澤が勧めるのだから見ておこうという態度で居間のテレビの前に座った。

おや?と思った。
何か違った。
普通の映画とはどこか違う。
台詞の感じも、ストーリーも、カメラワークも、今まで見たことのないものだった。
生々しい。ヒリヒリする。なのに笑える。

遊び心に溢れた演出は、いちいち僕を魅了した。

主人公アントワーヌ・ドワネル少年は母親の浮気を目撃する。くさくさして学校をサボる。金持ちの友人宅に泊まる。担任の教師に母が死んだから学校を休んだと告げる。当然嘘はバレてこっぴどく叱られる。
終始そんな調子で、彼は学校からも家庭からも疎まれてしまう。

ドワネルは友人と二人で学校をサボって遊園地に行く。
大きな筒状の乗り物があった。
巨大円筒の中に入り、壁に背中をつけて準備が整うと、
やがて乗り物は円の中心を軸に回転し始める。
ぐんぐん回転速度は上がり、遠心力によってドワネルの身体は筒の内壁に押さえつけられる。
更に速度が増すと、ドワネルは床から足を離し壁に張り付いたまま浮いてしまった。
身体を少しずつずらし、とうとうドワネルは逆さまになる。
彼は笑顔だった。
この遠心力を楽しむだけの奇妙な乗り物によって、彼は地面から解放された。
更に身体をずらし、元の位置まで戻ってきた頃、円筒の回転は徐々に緩くなった。
少年が遊園地で乗り物に乗っているだけのシーンが、とても面白く、また切なく胸を衝いた。

ドワネルは黙々と走る。
黙々と遊ぶ。
いたずらもするがお手伝いもする。
そして、文豪バルザックをこよなく愛している。

映画を見ながら、僕の感情は激しく起伏していた。
ドワネルの全ての行動が痛々しく目に映った。
これほどまでに、子供について的確なものはないと思った。
ほとんどの場合、映画に出てくる子供は大人から見た子供像だ。
この映画は、子供の言い分に耳を貸すでもなく、大人の肩を持つわけでもなく、ただその模様が的確に描かれるだけだ。

それでいて、この生き生きとした感じはなんだ?
ディテールの積み重ねと小ネタの応酬。
人物の細やかな描写。
溢れるユーモア。
僕にはこの映画の呼吸がピタっと相性に合った。

祖母が居間に入ろうと戸を開けたが、僕が振り返るとそのまま戸を閉め、奥の部屋へ引っ込んだ。
他のどの映画を見ているときでも構わない、居間を行ったり来たりしてもらっていい。
なんだったら裸でブラウン管の前に立ちはだかっていただいてもいい。
ただ今日だけは。今日だけは、ひとりで、集中して最後まで見させてくれ。
振り返った際そんな表情をしてしまっていたかもしれない。

鬱屈した気分と歯がゆい思春期の焦りは、
ドワネルのものなのか、自分の問題なのか。
僕はじっと彼の行く末を見守った。

窃盗したことから少年院に送られたドワネルは、脱走を試みる。
映画の終盤、逃げたドワネルの走る姿が延々と映し出される。
走って走って、たどり着いたのは海だった。
「海に辿り着いた!」ことで映画は終わる。
ただ海に着いただけのドワネルの顔のアップで終わる。
衝撃のラスト。
僕はしばし、呆然としていた。

後に知ったのだが、
これが世に言う「ヌーヴェルバーグ」だった。
過去の映画に対する憧憬と敬意。そして今までにない映画の模索。
過激な温故知新。
50年代の終わりからたくさんの映画監督がフランスに登場した。
その監督たちと映画群を総称してヌーヴェルバーグと呼ぶ。
トリュフォーは弱冠27歳にして、この初監督作でカンヌ映画祭の喝采を浴びた。
ジャン・リュック・ゴダールと並んでヌーヴェルバーグの中心人物として今日でもファンは多い。
84年にこの世を去ってしまうまで22本の長編映画を監督した。

90年代前半になって、ヌーヴェルバーグ(新しい波)が日本の一高校生の所まで打ち寄せてきた。
遅ればせながら、驚嘆と喜びを持って受けとめた。

残念なことに、翌日から、僕の勉強をする手は完全に止まってしまった。



2007年06月17日

「3-4×10月」 ~映画館の白昼夢~  
北野武監督

3-4×10月」(1990

監督: 北野武
製作: 奥山和由
プロデューサー: 鍋島壽夫/森昌行/吉田多喜男
脚本: 北野武
撮影: 柳島克己
特殊効果: 納富貴久男/唐沢裕一/今関謙一/伊木昭夫
美術: 佐々木修
衣裳: 川崎健二/久保田かおる
編集: 谷口登司夫
音響効果: 帆苅幸雄
助監督: 吉川威史/八木潤一郎/辻裕之/渡辺武
 
出演:
小野昌彦(柳ユーレイ) / 雅樹
ビートたけし / 上原
石田ゆり子 / サヤカ
井口薫仁(ガタルカナル・タカ) / 隆志
飯塚実(ダンカン) / 和男
布施絵里 / 美貴
芹沢名人 / マコト
秋山見学者 / スタンドの店員
豊川悦司 / 沖縄連合組長
鶴田忍 / スタンドの店長
小沢仁志 / 金井
花井直孝 / バイク少年
橘家二三蔵 / 釣人
井川比佐志 / 大友組組長
ベンガル / 武藤
ジョニー大倉 / 南坂
渡嘉敷勝男 / 玉城


【おはなし】

ヤクザに痛めつけられたマスターの仇を討つべく、男は沖縄で銃を入手してくる。

【コメントー映画館の白昼夢ー】

1990年
その日は月曜日だった。
友人二人と、僕は映画館にいた。
前日に体育祭(※)があったため、振り替え休日でその日は平日休校になっていた。

客席には僕たち三人しかいなかった。
やがて上映時間となり館内は暗くなった。

その10日前。
友人が映画を観に行かないかと誘ってきた。
「生協で映画の券が安く買えるんよ。一緒行かん?」
演目はなんだろう。こちらが尋ねる前に友人は言った。
「たけしの映画なんやけど行かん?」

たけし。
当時の僕にとって「たけし」ほど甘美な響きを持つ単語はなかった。
ファンである姉の影響を受け、たけしのテレビは勿論、「ビートたけしのオールナイトニッポン」というラジオ番組も欠かさず聴いていた。
テレビよりラジオの方がたけしを身近に感じることができた。
たけしは度々ラジオを欠勤した。
代わってパーソナリティを勤めるたけし軍団の言によると、現在新作映画の撮影中だという。
撮影現場で誰も台本を持っていない、と弟子のガダルカナル・タカは撮影裏話を続ける。
その場その場で、シーンを作りながら撮影を進めているのだそうだ。

あのたけしが監督をし、しかも今回はたけし軍団が多数出演しているのである。
僕の期待は一通りではなかった。
ところが予告編の始まった映画館には、いくら見回しても我々三人しか客はいなかった。
友人と顔を見合わせてクスクスと笑った。

貸切の状態でいよいよ本編は始まった。

暗闇の中に男の顔がぼんやりと浮かんでいる。
男は用を済ませ、外へ出る。彼はトイレの中にいたのだ。
一転してまぶしい日射しがスクリーン一杯に広がる。
河原の球場で草野球をしているたけし軍団たち。

白い砂埃と晴天。
気だるい休日のお昼どき。
広い空間に打球音が吸い込まれる。
ぽっかりとした日常。
僕は当時野球部だったため、この雰囲気を知っている。
試合の緊張感とは裏腹に、まるでそこに自分が存在しないかのような感覚。
スーッと映画の空気が染み込んできた。

便所から戻ってきた男(柳ユーレイ)に監督(タカ)は言う
「お前よう、野球しにきたのかクソしにきたのか、どっちなんだよ」
「すいません」

この最初の台詞から映画が終わるまで、僕たち三人は終始笑いっぱなしだった。

この映画には、実におかしな出来事がぎっしりと詰まっている。
おかしな出来事がポーカーフェイスでサクサク描かれる。
僕たちにはその一々が面白く、クスクス笑ったり、大声で笑ったり、大変な騒ぎだった。
観客三人という事態も、映画館であんなに笑ったのも初めての体験だった。その後も二度とない。
映画の途中で僕は前の座席の背もたれに両足を放り出した。つられて友人二人も僕に倣った。
誰に叱られるわけでもない。ふと今日が休日だというのを思い出し、うれしくて仕方なかった。

撮影自体が成り行きで進行したように、映画の物語も成り行きで展開する。
野球をし、バイクに乗り、彼女ができ、ヤクザに脅され、沖縄に行き、武器を入手し、最後はドカン。
起承転結のアウトラインは保っているものの、各場面に描かれるのは即興のコントであり、登場人物たちの思いつきの行動である。
自由な気風があった。
映画というものが、こういうことでも成立しうることに驚いた。
このいびつな映画を観たことで、逆に「普通の映画」の存在を認識できた。

テレビでたけしはよく喋る。
だが、映画の登場人物たちの台詞は極端に少なかった。
僕はこの映画でバカみたいに笑ったが、必ずしもお笑い芸人たけしの延長線上に主眼を置いて笑っていたわけではない。
期待していたタレントたけしの映画はそこにはなかったと言っていい。
あくまで映画表現の斬新なアプローチが僕を刺激したのだ。

当初は気づかなかったが、この映画には音楽がない。
音楽がない上に、台詞が少ない。
ということは、スクリーンに映し出される画だけで語っていることになる。
映画が誕生したとき、台詞は存在しなかった。
サイレント映画で十分に観客へ届く表現が可能だったのだ。
もしかすると「3-4×10月」(※)には、現代映画が忘れてしまった映画の本質があるのかもしれない。
説明が増えるほど、映画の映画たる部分は薄れる。
説明なしに観客が自力で「驚き」を発見したとき、映画の感動は作用するのではなかろうか。

そういう意味では、この映画は多くの人にお勧めしたい。
テレビを筆頭に広告や映画でも、説明過剰の向きは当時より拍車がかかっている気がする。
残念ながら公開当時はたけしファンにすら無視されていた作品だが、これは不世出の映画だと思う。
一見の価値はあると思う。

まだ柔らかい頭を持っていた中学生の僕たちは、率直にスクリーンを見上げていたに違いない。
映画文法も映画理論もない。映画とはこうあるべきだという基準も持ち合わせていない。
それこそ成り行きにまかせて、この映画を楽しんだ。

上映が終了し、客席が明るくなった。
僕たちは顔を見合わせてもう一度笑った。
映画館を出たところで、また笑った。
その後、ボーリングに行って、ここでも笑いっぱなし。
翌日学校で、昨日のうちの一人が僕のところへやって来た。
「プログラム見た?」
「いや、まだちゃんと読んどらん」
「たけしの役のことが書いてあったよ」
「なんて?」
「人を殺すと女とやりたくなるホモ。ってよ」
僕たちはまたまた大笑いした。

もしかすると、僕らはただ単に笑い上戸でアホな中学生に過ぎなかったのかもしれない。

※運動会のことを中学では体育祭と呼んでいました。
※「3-4×10月」は「さんたいよんえっくすじゅうがつ」と読みます。3-4×とは野球のスコアボードの表記です。



2007年06月18日

「ターミネーター」 ~コンピュータの電源~
ジェームズ・キャメロン監督

ターミネーター」(1984

監督: ジェームズ・キャメロン
製作: ゲイル・アン・ハード
製作総指揮: ジョン・デイリー/デレク・ギブソン
脚本: ジェームズ・キャメロン/ゲイル・アン・ハード
撮影: アダム・グリーンバーグ
特撮: スタン・ウィンストン
編集: マーク・ゴールドブラット
音楽: ブラッド・フィーデル
 
出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー / ターミネーター
マイケル・ビーン / カイル・リース
リンダ・ハミルトン / サラ・コナー
ポール・ウィンフィールド / エド・トラクスラー警部補
ランス・ヘンリクセン / ブコヴィッチ
アール・ボーエン / ドクター・シルバーマン
ベス・モッタ ジンジャー
リック・ロソヴィッチ / マット
ディック・ミラー / 銃器屋の主人
ビル・パクストン / パンク
ブライアン・トンプソン / パンク


【おはなし】

サラ・コナーを抹殺するため、未来からとても強い殺人マシンが送られてきた。

【コメントーコンピュータの電源ー】

親戚宅で見る映画というのがある。
お盆や法事など、どこの家庭でも親類宅へ行くことがあるだろう。

父方の祖父母のおうちに行くと、日曜洋画劇場は決まって「ターミネーター」だった。
正確に回数を述べるならば、「二度、ターミネーターだったことがある」だけなのだが、
印象としてはおじいちゃんち→ターミネーターである。

小学生だった僕(8288)にとって一番の楽しみは二階の叔父の部屋に忍び込むことだった。
兄に続いて部屋に入ると、まずテレビが目に入った。
壁には近未来のような絵の横文字のポスター。
天井には飛行機の模型やイルカの人形が吊してあった。
奥にはベッドがあり、棚にはLPレコードと書籍が並んでいた。
叔父はグラフィックデザインの仕事をしていた。

兄は真っ先にテレビのところへかじりついた。
勝手に電源を入れるとおそるおそるキーボードに触れた。
テレビとばかり思い込んでいたそれは、パソコンだった。
前回来たとき、兄は叔父に簡単な操作を習っていたらしい。
何をどうしたのか知らないが、ゲームの画面が立ち上がった。
バウンドする球体を撃つだけのゲームだったが、PC誌を手本に叔父が自分で作ったと聞き僕は心から感銘を受けた。
自分でゲームが作れるだなんて、当時の我々にとってこれ以上のショックはなかった。
パソコンさえあれば、ゲーム生活の未来は拓ける!欲しい!
あくまでゲームの範疇でパソコンを欲するあたりが愚かしいが、まさか現在のようなパソコン時代が到来するとは、知るよしもなかったのだ。

いつの間にか帰宅していた叔父が、部屋のドアを開けた。
パソコンの前にいるだけで緊張気味だった僕は、思わず逃げ出そうとしてしまった。
叔父は画面をのぞき込み
「やり方、わかる?」
と聞いた。
兄は「はい」と応えた。
「もうすぐ飯やけ」
と言い残し叔父は階下に降りて行った。

夕飯の後、テレビには誰が見るともなく「ターミネーター」が流れていた。
僕は現在に至るまで、日本語吹替えのテレビ版でしかこの作品を観たことがない。

皆の話が盛り上がってきた頃合いを見計らって、僕はテレビの前に座った。
この映画はどの場面から見てもついて行ける。
とにかくターミネーターがサラ・コナーを襲ってくるだけの映画だからだ。
映画の設定を知ったのは数年後、やはり日曜洋画劇場で全編通して視聴したときだ。

特撮は見応えがあった。
殺人マシンは、自ら腕の内側を切開し修理をする。
腕は本物の人間なのに、皮膚の下はマシンの金属が骨の役割を果たしている。
特撮そのものの出来以上に、本気だぜという作り手の誠意が伝わってくる点に良さがあったのだと思う。
少なくとも僕にはショッキングな映像だった。

決して死なないターミネーターは、マシンであるがゆえにプログラミング通りに活動する。
機能が停止する瞬間まで、ひた向きにサラを追う。
皮膚が焼き剥がれ、マシン剥き出しの姿になってなおサラを追う。
健気ですらある。

二階にある叔父のパソコンと、このターミネーターがどちらもコンピュータであるということに、僕は全く気付いていたなかった。
未来は人間対コンピュータの戦争が起こっているという設定の映画である。
80年代半ば、コンピュータに対する希望と戒めの両方が、祖父宅にも内在していたということだろうか。
いや、別にそれほどに大層なことではないのだろうが、つまりそういう時代だったということだ。

息もつかせぬアクションシーンの連続に、気づけば兄も画面にくぎ付けになっていた。
一体どうすればターミネーターは倒せるのだろうか。
クライマックスは近い。
サラは殺されるのか、ターミネーターを止めることはできるのか。
いずれにしても決着がつかなければならない。

「はい、帰るよー」
と、ここで帰宅の時間になる。
いつもそうだ。
日帰りなのだ。
まさか、こんなタイミングで帰れるわけがない。
食い下がっていると姉がバチンとテレビの電源を切った。

ターミネーターはうちの姉によって消された。

まだうちにはビデオがなかった。
いずれまたテレビでやるだろう、と諦めるしかなかった。
そして実際、また何度もテレビ放映された。



2007年06月19日

「長屋紳士録」 ~お婆ちゃんは怖い~
小津安二郎監督

長屋紳士録」(1947

監督: 小津安二郎
製作: 久保光三
脚本: 池田忠雄/小津安二郎
撮影: 厚田雄春
美術: 浜田辰雄
衣裳: 斎藤耐三
編集: 杉原よ志
音楽: 斎藤一郎
 
出演:
飯田蝶子 / おたね
青木富廣 / 幸平
小沢栄太郎 / 父親
吉川満子 / きく女
河村黎吉 / 為吉
三村秀子 / ゆき子
笠智衆 / 田代
坂本武 / 喜八
高松栄子 / とめ
長船フジヨ / しげ子
河賀祐一 / 平ちゃん
谷よしの / おかみさん
殿山泰司 / 写真師
西村青児 / 柏屋


【おはなし】

長屋に暮らすおたねは、一人の戦争孤児を引き取ることになる。

【コメントーお婆ちゃんは怖いー】

寝転がって見始めた。
中学三年生(90年)のときだった。
父は新聞を広げ、祖母は繕いものをし、母は台所、兄はまだ帰宅していなかった。

映画というお高級なお文化のお陰様で、受験期にも関わらず僕は大手を振ってテレビの前に寝転がることができた。
両親は何も言わなかったが、内心苦々しく思っていたかもしれない。
BS2の衛星映画劇場は、当時僕の定番だった。
長屋紳士録」は静かに始まった。

戦後まもなくの東京下町の長屋が舞台。
そこへ一人の少年が連れられてくるところから始まる。
笠智衆が若い。
拾ってきた少年を笠智衆は向かいに住むおたねに押し付ける。
可哀そうだ、ほっとけない、とかなんとか言いながら自分で世話をする気はない。

飯田蝶子演じる主人公おたねが登場したとき、思わず僕は起き上がってしまった。
あまりにも、お婆ちゃん然としていて、感動したからだ。
この、しかめ面!ふてぶてしい態度はお見事!

うちは両親が共働きだったため、幼少期は祖母と一緒の布団で寝ていた。
祖母は常にぶすっとした表情をしていて、小言をたくさん言った。
怒っているわけではない。そういう性分なのだ。

祖母は背後で繕いものをしているが、試しに振り向いて見れば案の定ハの字眉毛のしかめ面である。

一晩だけ、と言い残し半ば無理矢理に少年を置いて行く笠智衆。
黙って立っている少年を、おたねは鬼の形相で睨みつける。
「めっ!」
と威嚇され、少年は俯いてしまう。

これぞ、明治生まれのお婆ちゃん像。ちょっとこわいのだ。
日露戦争からこっち、山あり谷あり曲がりくねった人生を歩んできた女性を、飯田蝶子は完璧に体現する。
冒頭の短いやり取りを見ただけで、僕は安心した。
責任をもって最後まで楽しませると、飯田蝶子が確約してくれたように感じたからだ。
ずっと飯田蝶子を見ていればいいのだ。

この時点で、長屋の連中にとって子供は邪魔な「モノ」でしかない。
おたねは早いところこの厄病神を追い出したい。
この辺のさじ加減がいい。
小津監督の喜劇には、強烈な厳しさが伴うから面白い。
シニカルでブラックユーモアに溢れている。
そこに余分なエグみが出ないところがまた素晴らしい。
苦い思いをしながら生きているよなあ、と微笑みかけてくる感じである。

僕が笑いながら見ていると、後ろで新聞紙をたたむ音がした。

翌朝、少年はオネショをしてしまう。
馬みたいなしょんべんをたれやがった、とおたねは怒る。
おたねの命令で、少年は外に干した布団をうちわで扇ぐ。
片手をポケットに入れて、自分のたれたお小水を扇ぐ少年の姿が、目に焼き付いている。
おかしいし、どこか切ないし、なぜか温まるものも感じる。
こういった印象的な画が、最後までずっと続く。

緻密に計算されているに違いない一つ一つのカットが、丁寧に過不足なく積み上げられていく。
順序を追って、折り目正しく物語が語られ、登場人物がそこに生きているかのように出入りし、ごく自然な流れの中で、おたねは少年に情を移して行く。
二人の距離は狭まり、やがて離れがたいものへと変わって行く。

そういえば、先ほどから台所の方からの物音がしなくなっていた。
振り返ってみると、両親と祖母が、画面に見入っていた。
物語の後半は、家族の四人で笑って、四人で目がしらを熱くした。
何も好んで「家族泣き笑い」をしたかったわけではない。
ただ、この映画があまりにもよく出来ているのだ。誰をも吸引してしまう。
一人で見ようが、千人で見ようが、家族で見ようが関係ない。
この映画はすべての人に、語りかけてくる。

しかめ面のおたねが、少年を愛するようになる過程は、それほど魅力的だった。

小津監督の残した作品は百本近くある。
どれから見たらよいのか決めかねたのだとしたら、ぜひ「長屋紳士録」を。
上映時間が72分。短く感じない。長くも感じない。時間は忘れる。
本当におもしろい映画。

「あーあ。うち泣いたよ」
祖母は鼻をすすった。
お婆ちゃん子である自分が、お婆ちゃんと一緒に、お婆ちゃんが登場する映画を見て、お婆ちゃんが目を赤くしている様に気付いた。
なんだか恥ずかしくなってしまって、「勉強勉強」と呟きながら慌てて二階へ逃げた。

2007年06月20日

「座頭市」 ~白目を剥いて生きる~  
勝新太郎監督

座頭市」(1989

監督: 勝新太郎
製作: 勝新太郎/塚本ジューン・アダムス
製作プロデューサー: 塚本潔/真田正典
原作: 子母沢寛
脚本: 勝新太郎/中村努/市山達巳/中岡京平
撮影: 長沼六男
美術: 梅田千代夫
編集: 谷口登司夫
音楽: 渡辺敬之
照明: 熊谷秀夫
録音: 堀内戦治
助監督: 南野梅雄
 
出演:
勝新太郎 / 市
樋口可南子 / おはん
陣内孝則 / 関八州
内田裕也 / 赤兵衛
奥村雄大 / 五石衛門
緒形拳 / 浪人
草野とよ実 / おうめ
片岡鶴太郎 / 正義の男
安岡力也 / 用心棒
三木のり平
川谷拓三
蟹江敬三
ジョー山中


【おはなし】

流浪の座頭市は、とある宿場町でやくざの抗争に巻き込まれる。一人でみんな斬る。去る。
途中、一人の浪人(緒形拳)と仲良くなり、女親分(樋口可南子)と濡れ場を演じ、少女を助け、全編通じて大活躍する。

【コメントー白目を剥いて生きるー】

ヒーローの条件とは何だろうか。
強く、優しく、正義感に溢れ、私利私欲を度外視し、皆のために振舞う者、だろうか。
よくよく考えてみると、僕にとってのヒーローの必須条件は「モノマネしたくなる者」である気がする。
遠山の金さんのモノマネをしたことはないが、座頭市のモノマネは未だにすることがある。
盲目の按摩。逆手に構える仕込み杖。白目を剥いて辺りの様子を窺うは、不気味の一言につきる。
ついついマネしたくなる。

座頭市はダーティーヒーローである。
きれいに悪者を裁くようなことはできない。何しろ彼自身が悪者でもあるからだ。
世の中の醜い部分が集合した場所に、何の因果か引き寄せられ、人を斬らねばならぬ業を背負ったヒーローである。
勝新太郎の当たり役で、30本近くの映画の他テレビシリーズにもなった。

勝新太郎は最も好きな俳優だ。
姿、顔、声、台詞回し、表情、身のこなし、仕草、どれをとっても一級品。
荒々しい男の役が多いが、剛健と並列して愛嬌が滲み出るところがいい。
そんな彼の魅力が余すところなく発揮されているのが、本人が監督も務めたこの89年版の「座頭市」である。
俳優だけでなく、映画監督としても一級であることが伺える。
本作は勝新の監督としての遺作であり、座頭市最後の作品となった。

大学1年生のとき(95年)、この作品に出会った。
勝新の名前も座頭市も聞いたことはあったが、ちゃんと鑑賞したことがなかった。
ビデオ屋に通っていると、何も借りるものが思いつかずブラブラといたずらに時間だけが過ぎて行くことがある。
その日、なんの気なしに座頭市を手に取った。
パッケージの写真を見る限り期待はできそうになかった。
80年代の時代劇の時代錯誤的な空虚さがぷーんと臭ってきた。

ところが。
ところがどっこいである。
この映画は真っ当に映画であった。
画面の厚みが並の時代劇ではない。
美術、衣装、小道具、ロケ地、エキストラの動き、そういった細部が充実している。
時代劇で一番難しいのは、見た目の作り込みだと思う。
作り込みの浅いものはすぐにバレてしまう。
もはや映画の黄金期は遠の昔に過ぎている。
かつての日本映画は、美術の作り込みに大変なお金と技術を注ぎ込んでいた。
89年は映画界斜陽の真っ只中。
これだけの画面が作れたのは奇跡かもしれない。

そこへ、存在感の塊のような勝新太郎が現れる。
還暦を前にした勝の座頭市は、若い頃の座頭市よりも座頭市らしく思える。
白髪まじりの頭、ぎっとりと脂ぎった不精髭の顔面。
猫背にガニ股。しゃがれた声。
このいぶし銀のような味わい。
文句なしに汚くて、気持ち悪い。

ここで早合点してはいけない。
座頭市というキャラクターは、底抜けに優しい人物であるということを強調しておきたい。
謙虚で礼儀正しい男なのである。横柄なところが一つもない。
初めて見た座頭市に、僕は今まで勝手に抱いていた印象を訂正させられた。
「先に抜いたのは、お前さんの方だぜ」
座頭市の台詞にある通り、彼は自分から先に斬りかかるようなことはしないのである。

そんな彼がひとたび刀を抜くと、べらぼうに強い。
唖然とするほど動きが速い。
独楽のように回転し、敵をなぎ倒す。
座頭市の殺陣はダンスのように美しい。
これを盲目で演じきるとは…。
映画史上、もっとも殺陣のうまい俳優だと断言してもいい。
これが最高峰。
勝新太郎、次いで三船敏郎。
僕の中でこのツートップは3位以下を周回遅れで引き離している。

犯罪者であり障害者であり、乞食でありやくざである座頭市。
世の悪と醜と敗を一点に背負って、スタンスは常に弱者の味方である。
心にやましいものを一つや二つ、誰しも抱えているものだろうが、僕はこの座頭市、いっつぁんには悩みを打ち明けたいのだ。
彼なら、僕の話を聞いてくれるかもしれない。
「へへへ…。そんなこと…、気に病むこたぁござんせんよ…」
いっつぁんならそう言ってくれるのではなかろうか。

89年という年は、ある種の転換期であったようだ。
天皇崩御に始まり、美空ひばり手塚治虫が亡くなった。
ベルリンの壁が崩壊し、バブル景気がこの年を境にに急降下する。
ついでに挙げるなら、消費税が施行されたのも、天安門事件があったのも89年である。

映画界も例外ではない。
観客動員はますます減少し、ほとんど瀕死の状態であった。
不穏な空気は否応なしに人々を取り囲んでいたに違いない。
そんな中、勝新太郎は一人の映画人として本物を目指したのではなかったろうか。
本物の映画を本気で作って、まやかしだらけの世の中を斬ってやりたい。
そういう気迫がこの映画からはビシビシと伝わってくる。

単なる勧善懲悪ものの時代劇ではない。
様々な登場人物が入り乱れ、それぞれの思惑で生きている。
物語は脱線し傍流が本流になり、本流が傍流になり、とりとめがない。
普通のものを期待してはいけない。そこは笑い飛ばしたい。
見るべきは勝新太郎の演技と、力強い演出である。
アクションシーンには日本映画の歴史と勝の経験がギュッと凝縮されている。
アイデア満載、面白さ爆発。支離滅裂、義理人情。

大学生だった僕は、この映画を観終わって少し泣きそうになった。
勝新太郎という人に感動を覚えた。
洗面所に駆け込み、自分の白目を鏡に映してみた。
白目を剥くと、鏡は見えないということに今さら気がついた。



2007年06月21日

「アラジン」 ~ひとつの願いも叶わない~
ジョン・マスカー監督

アラジン」(1993

監督: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ
製作: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ
脚本: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ/テッド・エリオット/テリー・ロッシオ
美術監督: ビル・ハーキンス
作詞: ティム・ライス
音楽: アラン・メンケン
主題歌: “A Whole New Worldピーボ・ブライソン/レジーナ・ベル 

声の出演:
スコット・ウェインガー / アラジン
リンダ・ラーキン / ジャスミン
ロビン・ウィリアムズ / ジーニー
ギルバート・ゴットフリード / イアーゴ
ジョナサン・フリーマン / ジャファー
フランク・ウェルカー / アブー
ダグラス・シール / サルタン
ブルース・アドラー / ペドラー


【おはなし】

貧しいアラジンはジャスミン姫と恋に落ちる。二人の恋を悪徳大臣ジャファーが邪魔をする。魔法のランプからは陽気な魔人も登場する。魔人は三つの願いをかなえてくれると言う。

【コメントーひとつの願いも叶わないー】

忘れもしない。
高校二年(93年)の夏。快晴の日曜日。
当時好きだった同じクラスの女子に告白するため、僕は隣駅駅前のスーパー脇で彼女が来るのを待っていた。
携帯電話のない当時は、相手のおうちに直接電話をかけなければならなかった。
運よく彼女が出たので、あたふたしつつもお昼一時に約束を取りつけた。
その子にしてみれば、用件が何であるかおよそ察しはついていただろう。
時間ピッタリに彼女は現れた。

「ああ、ごめんね急に」
「いや、別に大丈夫」

緊張のあまり次の言葉がなかなか出なかった。
「あー」とか「うー」とか「あのー」「そのー」ばかりで、一分くらいが経過した。
業を煮やした彼女は、
「私から言おうか?」
と切り出した。
その言い方からして、僕は結果を悟った。
私から好きと言おうか?ではなく、私からお断りを言ってあげましょうか?の文脈だった。
「あ、いや、ごめん。言います」
僕は促される形で、その子に告白の言葉を述べた。
「悪いんやけど、今好きな人がおるんよ」
と彼女は流暢に返答した。

「あ、そうなんや。なんかごめんね。じゃ。また」
と、僕は駅に向かった。
一度振り返って見たが、彼女はもう姿を消していた。
視界が狭くなったような心地だった。
やけに暑い日だった。
これで一生涯、彼女なんてできないんだと、ぼんやり考えた。
足早に改札を抜け、帰宅する方面とは逆の電車に乗り、僕は映画を見に行った。

見たい映画があったわけでもなかった。
そういえばディズニー映画を見たことがない。
「アラジン」に決めた。
普段は買わないジュースを自販機で買ってみた。
なぜ映画館のジュースは少し値段が高いのだろう。
カップにメロンソーダが注がれた。
鮮やか過ぎる緑が身体に悪そうだった。
飲むと思ったよりうまく感じた。
気づけば喉がカラカラに渇いていた。

「アラジン」は面白かった。
これがディズニーか。
さすがだった。
誰が見ても楽しめるエンターテイメントに仕上がっている。
先刻ふられた男子高校生でも楽しめる内容。

ストーリーは確実で小気味よい。
貧しい若者、お城を抜け出したお姫様、権力と金に目がない政治家、魔法のランプ、空飛ぶ絨毯。
おはなしの王道を駆け抜ける。

この頃からディズニーアニメはCGを導入し始めている。
「アラジン」にも随所にCGならではの表現が見られ、今後のアニメの可能性を感じさせた。
ただ、「白雪姫」や「ダンボ」に見られるような、柔らかい動きと奥深い色合いは、その後徐々に失せていってしまう。
どちらも素晴らしいアニメ技術なので、両立を維持して欲しいと僕は願う。

ロビン・ウィリアムズが声を担当したランプの魔人ジーニーは、所狭しとスクリーンの中を暴れまくった。
目まぐるしく変化する声色と機関銃のような早口に、僕は声をあげて笑った。
その場限りの即興的な声の芸において優れた才能を発揮する人だと思った。
アメリカ版みのもんただと思った。そんな言い草はロビン・ウィリアムズに失礼だろうか。
いや、みのもんたに失礼なのだろうか。判断がつかないが、とにかく僕にはそう思えた。

ふられた状況下で、よくぞここまで映画を楽しめたものだ。
「アラジン」に感謝しつつ、映画館を後にした。

翌日、僕は友人たちと定食屋に入った。
実は、この度の告白は我々にとってひとつのけじめだった。
自分ひとりでは告白ができないものだから、友人たち五人と同時にそれぞれの相手に想いを伝えようと企画したのだった。
イベントの勢いがあれば告白もできるのではないか。小心者の苦肉の策だった。

結果報告も兼ねてその定食屋に集まり、もしかうまくいった者はうな丼を注文する。
だめだった者は木の葉丼を注文する。木の葉丼とは、親子丼の鶏肉ナシのもの。椿の葉っぱだかが一枚乗っけてある。
六人中、五人が木の葉丼。一人だけがうな丼だった。

そんなことをしているから彼女ができないんだ、と当時の自分に言ってやりたい。


2007年06月22日

「アルカトラズからの脱出」 ~冷徹の美学~
ドン・シーゲル監督

アルカトラズからの脱出」(1979

監督: ドン・シーゲル
製作: ドン・シーゲル
製作総指揮: ロバート・デイリー
原作: J・キャンベル・ブルース
脚本: リチャード・タッグル
撮影: ブルース・サーティース
音楽: ジェリー・フィールディング
 
出演:
クリント・イーストウッド
パトリック・マクグーハン
ロバーツ・ブロッサム
ジャック・チボー
フレッド・ウォード
ポール・ベンジャミン
ラリー・ハンキン
ブルース・M・フィッシャー
フランク・ロンジオ
ダニー・グローヴァー


【おはなし】

クリント・イーストウッド演じる囚人が、アルカトラズ刑務所から脱獄する。
実話をもとに作られた映画。

【コメントー冷徹の美学ー】

あいつがいるだけで映画になる。
たまにそういう俳優がいる。
俳優の力が映画を霞ませてしまう現象。
映画に奴が出演しているのか、奴がいるから映画になってるのか判然としない。
日本人なら例えば高倉健勝新太郎
そしてアメリカ人からはクリント・イーストウッドをその筆頭に挙げたい。

イーストウッドが主演すると、駄作でも佳作にまで昇格する。そんな気がする。
どんなにつまらない台詞も、一応の価値を獲得する。そんな気がする。
気がするだけなのが申し訳ないが、実際そんな気がするのだから仕方ない。
彼の存在そのものが映画感を帯びている。その説得力たるや半端ではない。

「アルカトラズからの脱出」は、そんなイーストウッドが主演でありながら、尚且つ映画としても優れた作品である。イーストウッドと映画が拮抗する幸せな作品。
ドン・シーゲルは「ダーティハリー71年)」の監督でもあり、イーストウッドを大スターにした張本人である。

日曜洋画劇場のおしまいには、今後放映予定の作品ラインナップが紹介された。
「アルカトラズからの脱出」は80年代、日曜洋画劇場の常連だった。
この脱獄映画が大好きで、予告を見るだけでワクワクした。
再来週はアルカトラズだ!と小学生の僕(82年88年)は小踊りした。アルカトラズという語感からして堪らなかった。

孤島に建設されたアルカトラズ刑務所には重犯罪者が収監される。
絶対に脱獄不可能な鉄壁の護りは、もはや一個の砦と化している。
万にひとつ、建物から抜け出たとて、外は荒れ狂う大海である。どだい逃げ切れるはずはない。
そこへ放り込まれた一人の男、イーストウッドはIQ200の知能犯。

何の説明も不要だ。
イーストウッドは脱獄を試みるのだ。
食事のスプーンを牢屋に持ち帰り壁をカリリとやれば、ほんの少しだけ粉となって削れる。
看守のいない隙をついて、毎日地道に繰り返す。
溜った壁の粉は、休憩時間に庭を散歩しながらズボンの裾からこっそり捨て散らす。
ゆっくりと、しかし着実に脱獄への道を切り開く。その過程を逐一丁寧に見せて行く。
僕はイーストウッドの一挙手一投足に目を凝らす。

お葬式コントは、笑ってはいけないシチュエーションが返って笑いを誘うという原理だが、脱獄映画もまた、バレてはいけない設定が常に緊張を維持させて飽きさせない。
幾度も危うい場面が訪れるが、そこはイーストウッド、千両役者の機転で切り抜ける。

僕はイーストウッドの表情が好きだ。
常時眉間にシワを寄せている。
相手が誰であろうと、そのままギリリと睨みつける。
人と話すときも、飯を食うときも、穴を掘るときも、まるで呼吸が変わらない。
表情が無いと言って支障ないかと思う。
そしてこの無表情こそが彼の最大の魅力だと推測する。

イーストウッドにとっての演技とは、そこに存在することだと思う。
「居る」ことに集中している。
身振りや表情を作って、殊更に感情を強調するような演技は、イーストウッドの前では小手先の作為でしかない。
動かざること山のごとし。
無表情のまま、奥歯をくいしばるように台詞を絞り出せば、それだけで彼の憤怒が伝わってくる。

ハリウッドにおいて、今なお孤高の存在感で輝き続けていられるのは、キャリアの中からあみ出した無表情の美学を貫いているからではないだろうか。

イーストウッドはついに、脱獄を決行する。
それまでに仲間となった囚人たちと協力し、危機一髪の逃亡劇。
どうやら海へ繰り出したらしいが、果たして彼が生き伸びているのか、それはこの映画を見た者にも分からない。

小学生の僕はご満悦である。
見る度にハラハラし、ラストで万感の思いに達する。
ひたすらに格好いい。

この映画のおかげで、脱獄に憧れを抱いた。
脱獄するためにはまず、刑務所に入らなければならない。
そのために犯罪を犯すのもやぶさかでないさ!

だが、日本の刑務所を「塀の中の懲りない面々87年)」という映画で見て、どうも様子が違うぞと、ここにはどう考えてもイーストウッドはいないぞと、脱獄する夢は諦めることにした。


2007年06月25日

「UNloved」 ~女性からの贈りもの~ 
万田邦敏監督

UNloved」(2002

監督: 万田邦敏
プロデューサー: 仙頭武則
脚本: 万田珠実/万田邦敏
撮影: 芦澤明子
美術: 郡司英雄
編集: 掛須秀一
音楽: 川井憲次
音響効果: 今野康之
照明: 金沢正夫
整音: 松本能紀
装飾: 龍田哲児
録音: 細井正次
助監督: 西村和明
 
出演:
森口瑤子 / 影山光子
仲村トオル / 勝野英治
松岡俊介 / 下川弘
諏訪太朗 / レストランのオーナー
三條美紀 / 安西


【おはなし】

一人の女性と二人の男性による三角関係。

【コメントー女性からの贈りものー】

友人に誘われなければ見損ねていた。
そもそも、この映画が上映中であることすら知らなかった。
02年の春。
渋谷の映画館ユーロスペースで僕は思いがけない映画体験をする。

「UNloved」?
監督、万田邦敏
僕に予備知識がないのも仕方なかった。
この映画は万田監督の長編デビュー作だったのだ。
共同脚本は、監督の奥さん。これは重要な点。

90年代の半ばあたりから、日本映画に登場する女性はフワフワすることが多くなった。
言語は要領を得ず、口調は舌足らず。
首を傾げたような佇まいで、甚だしいケースでは白のワンピースといういでたちをしている。
映画だけでなく、あらゆるマスメディア、無論街中にも、この手合いの地に足のつかない女性たちは繁茂した。
彼女たちのフワフワ不可思議の人物像は本性から来ているものではない、ように僕には感じられる。
あくまで白痴的素振りをしているに過ぎない、のではないかと思うのだがどうだろう。

何故こんな事態に陥ったのかと考えてみると、その主因は男性中心社会にあるように思えてならない。
社会を牛耳る男性の中へ女性が食い込むには、ノータリンの振りで近付いて、先天的ノータリンである男性に「ういやつ!」と言わせる処世術が最も順当な手段なのかもしれない。
現に、男性の多い映画界において、彼らの好む女性像がフワフワパーであることが多く、必然として女性はそれを演じることになったのだろう。

しかし女性の中には、男性が好むからといって、そういう振る舞いをできない人達がいる。
やりたくてもできない人と、鼻っからやりたくもない人とがいる。

「UNloved」の主人公光子は、男性が決め込む枠の中へ入ることを、徹底して拒絶する女性である。
六畳間に一人暮らしする三十歳過ぎの光子は、役所勤めをしている。
上司に呼ばれ、資格を取ったらどうだと勧められるが、断る。
今のままで十分だと光子は言う。

「いえ、そういうことじゃなくて」
光子は度々この台詞を口にする。
周囲の男性は光子をシンプルな女性像におさめようとするが、彼女は自分のペースで生きることを断じて曲げない。
そんな時、男性は一様に「無理するなよ」と光子に言う。光子のそんな態度がとても信じられないのだ。
それに対し、
「いや。そういうことじゃなくて」
と、彼女は淡々と的確に否定するのだ。

内心僕は手をたたいて喜んだ。
映画でまともな女性が、やっと出てきたと思った。
光子が男性たちを一蹴する様は痛快ですらあった。

光子(森口瑤子)はお金持ちの実業家(仲村トオル)からの猛烈なアピールを受けるが、音楽をやっているフリーターの男(松岡俊介)の方に惹かれてしまう。
仲村トオルは納得がいかない。そして松岡俊介は、なぜ自分なのか理解に苦しむ。
三角関係の攻防を、鋭利な角度で突き刺すような台詞の連続で描写する。

特筆すべきは、万田監督の演出。
ほとんど棒読みに近いセリフ回しが、返って言葉の意義を深くさせる。
人物が向き合い、背中合わせになり、微妙な心理の陰影が浮かび上がる。
そして印象的な「手」のクローズアップが効果的に挿入される。
「手」とは人そのもので、人生そのものである。ように感じる。
緊張感の高いシーンが続き、ホラー映画かと見紛うほど。

映画の後半は、いよいよ激しい会話劇へ突入する。
当初、光子にエールを送っていた僕も、もはや彼女の暴走を止められないところまで来てしまった。
そんなにまでドグマを守るとなると、なかなか人には愛されない。
タイトルのUNlovedとは、アンラブド。「愛されざる者」の意。
僕は、登場人物の過剰さに感心しきりだった。
改善の余地が見えない渦に三人は飲み込まれ、あがく。
もはや滑稽にすら見える。

旦那さんや彼氏のいる方は、是非ご一緒にこの映画を観賞されることをお勧めする。
彼らがどういう反応を示すのか、見ものである。
今まで築いてきた女性への偶像が、音をたてて崩れるとき、男性はどんな顔をするだろうか。
そこそこの理解を持っているつもりだった僕も、映画が終わる頃には顔がひんまがってしまった。

※残念なことに、この映画はDVD化されていません。お近くのビデオ屋さんに、あるといいのですが・・・。


2007年06月26日

「となりのトトロ」 ~親が薦める宮崎アニメ~
宮崎駿監督

となりのトトロ」(1988

監督: 宮崎駿
製作: 徳間康快
プロデューサー: 原徹
企画: 山下辰巳/尾形英夫
原作: 宮崎駿
脚本: 宮崎駿
撮影: 白井久男/スタジオコスモス
特殊効果: 谷藤薫児
美術: 男鹿和雄
編集: 瀬山武司
作詞: 中川季枝子 「さんぽ」
音楽: 久石譲
歌: 井上あずみ
作・編曲: 久石譲
仕上: 保田道世
制作: スタジオジブリ
 
声の出演:
日高のり子 / サツキ
坂本千夏 / メイ
糸井重里 / とうさん
島本須美 / かあさん
北林谷栄 / ばあちゃん
高木均 / トトロ
丸山裕子 / カンタの母
鷲尾真知子 / 先生
鈴木れい子 / 本家のばあちゃん
広瀬正志 / カンタの父
雨笠利幸 / カンタ
千葉繁 / 草刈り男


【おはなし】

田舎に引っ越してきた親子三人。子供たちはトトロに出会う。

【コメントー親が薦める宮崎アニメー】

アニメが有害であるという信仰は、僕が小学生の頃(82年88年)はまだ根強く残っていた。
親たちは子供にアニメを見せたがらなかった。
その裏には、活字絶対論があったように思う。

活字、つまり本こそ有益である。本を読めば頭が良くなる。
対する漫画は無益である。頭が腐る。
アニメは漫画と似たようなもんだろう。よってアニメは下らない。有毒とみなす。
そういった乱暴な方程式がまかり通っていた気がする。

本当は、有害な書物もあるし、有益な漫画やアニメもある。
そんなことは親たちも知っていたかもしれない。
ただ、当時の僕も含め子供というのは、その中でも有害とされるものばかりを好む傾向にある。
糞尿やエロや肛門やバカげた暴力行為が、皆大好きである。
いや、皆とは言い過ぎかもしれないが、少なくとも僕は嬉々としてそれらに傾倒した。

そこへ持って来てファミコンの登場である。
運動不足、視力の低下、情操教育への悪影響。
こうなってくると、ものの良し悪しを選別する暇はない。
漫画、アニメ、ゲームは一様に排斥対象となっていた。

そんな厳しい状況下に、宮崎駿・高畑勲アニメは健闘していた。
テレビアニメ「世界名作劇場」は、親としても頭から否定するには躊躇があったろう。
世界の名作とは、活字の名著のことである。アニメとはいえ、まともな内容だと言える。

間隙をついて宮崎アニメは劇場版アニメを連発し、その人気を不動のものとしたのが「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の二本立てだった。

僕はどちらの作品もテレビ放映になってから鑑賞した。
金曜ロードショーで「となりのトトロ」を見ていると、ご飯を頬張りながら父親がポツリと呟いた。
「こいつらのアニメは、絵がきれいやな」
後になって考えてみると、この一言こそ父親が宮崎アニメに屈伏した瞬間だったのだ。
原作が童話や小説である点、絵がきれいである点。
この二点は親たちがディズニーアニメを奨励する際に用いる言葉である。
既に中学生になっていた僕は、父親の発言を無視したまま、トトロに没頭する。

「となりのトトロ」に描かれる風には、臨場感があった。
田畑や木々の間を駆け巡る風は、かつて確かに僕が体験したものに相違なかった。
夏の夕刻、生暖かい強風を全身に受けながら、一人ゆっくりと帰路についたことを思い出す。

トトロは幼い者にしか見えない。
まず妹のメイが発見し、次いで姉のサツキがバス停で出会う。
小6のサツキですら、かろうじて拝謁を許されたくらいだから、中学生の僕には到底彼らは見えまい。
そう思うだけでしんみりした気分になった。

この映画を見て、自分がどんどん子供から遠ざかっていることを深く認識した。
うまく大人になれるだろうかと不安に思った。

父親は夕飯を食べ終わると、二階の自分の部屋に引っ込んだ。
あまりトトロには興味を示さなかった。
ただ単にやり残した仕事があっただけかもしれない。

自分が親になったとき、果たしてアニメを認めるだろうか。
漫画を読めと言えるだろうか。
仕事があるからといって、途中まで見た映画を切り上げられるだろうか。

映画は終わり、水野晴夫が解説を述べていたので僕はテレビを消した。
今晩はまた特に、夜が静かに感じた。

「となりのトットロ、トットーロ♪」
唐突に、四つ上の姉が奇妙な振り付けで踊りながら居間に入ってきた。
少し不安が溶けた。


2007年06月27日

「なまいきシャルロット」 ~盗まれた口元~
クロード・ミレール監督

なまいきシャルロット」(1985/公開1989

監督: クロード・ミレール
脚本: クロード・ミレール /リュック・ベロー/ベルナール・ストラ/ アニー・ミレール
撮影: ドミニク・シャピュイ
音楽: アラン・ジョミイ
 
出演:
シャルロット・ゲンズブール
ジャン・クロード・ブリアリ
ベルナデット・ラフォン
ジャン・フィリップ・エコフェ


【おはなし】

13歳のシャルロットは、天才少女ピアニストのクララに憧れる。

【コメントー盗まれた口元ー】

ファション誌の表紙などで、アヒルのような口をした女性モデルを見かけたことはないだろうか。
唇を薄くすぼめ、アヒルのクチバシのように少し突き出す表情。
雑誌モデルに限らず、女の子の「可愛いらしい表情」の一つとして、もはや市民権を得ているのではないかと思う。
あの口元を発明したのが、他ならぬ僕だということを世間の誰も知らない。

中学三年生(90年)の時、深夜テレビで「なまいきシャルロット」が放映された。
深夜にフランス映画をやるということは、エッチシーンがあるに違いない。
そんな思惑で、家族が寝静まったのを見届けてから、僕は居間に降り立った。

この映画にエロスは出てこない。すぐに気付いたが、テレビを切る気にはならなかった。
はしたない目論見を忘れるほど、シャルロット・ゲンズブールの思春期ぶりが僕を魅了したのだ。

お金持ちの娘であるクララと出会ってからというもの、シャルロットは妹分のルルが邪魔に思えて仕方ない。

綺麗な服を着たクララが羨ましい。
そちらの世界に仲間入りしたいが、どう見ても自分は小汚い田舎娘である。
気付けばチビ眼鏡のルルが引っ付いて離れない。一緒にしないでよと、つい邪険に扱ってしまう。
優越感と劣等感の間でシャルロットは苦悶する。

女優シャルロット・ゲンズブールの父親はセルジュ・ゲンズブール。母親はジェーン・バーキン
フレンチ芸能界のサラブレットにふさわしく、初出演の映画で主演。それも役名が本名。
そんな経緯を知らずとも、僕にはシャルロットが煌めいて見えた。
瑞々しいとはこのことだ。

名場面は、芝生のランチでシャルロットが癇癪を起こすシーン。
何が悪いわけでもない。
怒りと恥ずかしさと情けなさと自信と不安と。
わだかまった思いがついに爆発し母親代わりの家政婦とおチビ眼鏡ルルに当たる。
食べ物をひっくり返し、大声でわめく。
重要なのはその直後。
落ち着きを取り戻したシャルロットが、木陰に座り家政婦にもたれかかっている。
緊張状態でひと暴れしたものだから、じっとり汗をかき、髪の毛が額に張り付く。

分かる。僕にも似たような経験がある。
せっかく家族でお出掛けしたのに、ダダをこねまわして、一人で汗だくになってしまうのだ。
あんなにうまくふてくされた演技ができるものだろうか。
シャルロットという名前が、その後しばらく頭から離れなかった。

不機嫌な少女。
悩ましい表情。
そのポイントは口元にあると僕は思った。
唇が薄く、少し突き出した形。
シャルロット・ゲンズブールの口は生まれつきそうなっているらしい。
鏡で練習し、僕はその表情を会得した。

学校で、度々アヒル口をやってみた。
勿論それがフランスの女優を見本にしているとは口が裂けても言えない。
会話の途中に、パッとやる程度のものだった。

ある日、クラスの友人がそれをやっているのを見かけた。
紛れもない、僕の模倣だ。彼がシャルロットを知るはずがない。
一瞬ドキリとしたが、そのまま指摘もしなかった。
彼の表情があまりにも気持ち悪かったのだ。
もしや自分が思ってるほど、いい案配にはなっていないのかもしれない。
あれはシャルロットがやって初めて成立するものに違いない。
以来、僕はアヒル口を卒業した。

その友人から、どこをどう伝わって現在のようなアヒル人口の増加に至ったのか詳細は知らない。
だが。
まず最初に、少なくとも日本で、あの表情を生活の中に取り入れたのは、おそらく僕だ。
信じて欲しい。
うちの兄が、午後の紅茶を午後ティーと呼んだのは自分が最初だと言い張ってきかない件に関しては、認めなくて構わないので。


2007年06月28日

「永遠と一日」 ~永遠に終わらない~ 
テオ・アンゲロプロス監督

永遠と一日」(1998/公開1999

監督: テオ・アンゲロプロス
製作: テオ・アンゲロプロス/エリック・ウーマン/ジョルジオ・シルヴァーニ/アメディオ・パガーニ
脚本: テオ・アンゲロプロス
撮影: ジョルゴス・アルヴァニティス/アンドレアス・シナノス
音楽: エレニ・カラインドロウ
 
出演:
ブルーノ・ガンツ
イザベル・ルノー
アキレアス・スケヴィス
デスピナ・ベベデリ
イリス・ハチャントニオ
ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ


【おはなし】

死期を悟った老作家が、病院へ向かおうとしていた。

【コメントー永遠に終わらないー】

ある時期から、映画館で眠ることに罪悪を感じなくなった。
お金と時間と人手をかけた極上の娯楽芸術を前に、クーと眠りに就くのは贅沢だとすら思えるようになった。
僕の場合、必ずしも映画がつまらなくて眠るわけではない。眠たいから眠るのである。
なので、たとえ映画がおもしろくても眠るときは眠ってしまう。

「永遠と一日」は、僕に映画館で眠ることを教えてくれた映画の一本である。

ギリシャの監督、テオ・アンゲロプロスは映画史に残る巨匠である。
70歳を過ぎた今も現役監督として健在である。
彼の映画は、一目見ただけで彼のものだと分かる。
そういう空気を持っている。

ところで。
映画には「長回し」という言葉がある。回す、とはカメラを回す、つまり撮影すること。
一つのカットを長く撮影することを「長回し」という。
カットとは、その画がはじまって、終わるまで。ひと続きの画のことを言う。
カットが一つ一つ連続して一本の映画となる。

アンゲロプロスは、その1カットがとても長いことで有名である。
長回しは、アンゲロプロスの代名詞と言っても過言ではない。
遠く豆粒ほどの大きさにしか見えない人物がテクテクこちらに歩いて来て、ようやく画面に迫ってきたところで「やあ」という台詞をはくだけ、などということを平気でやる。
豆粒がこちらに到着するまでに要する時間は5分か7分か分からないけれど、その間ずっと観客は待たされることになる。

普通の映画であれば、豆粒がこちらに向かっているのが確認できたところで、パッと次のカットに切りかわって、既に画面のそばにまで近づいているその人物が台詞を言うだろう。
編集で、間の時間は抜くことができるのだから。

しかし、アンゲロプロスはひと続きの時間を大事にする。
本当にそこに流れる時間を捉えようとする。
彼の映画に満ちる緊張感や、重厚な趣は、独特な時間経過の積み重ねによって生まれるのだろう。
豆粒大の人物がこちらに来るまで、観客はしっかりとその空気を堪能できるのだと解釈したい。

「永遠と一日」でも、相変わらず見事な長回し。
完璧な構図と画面構成。
一つのカットが一つのお芝居のように完成されていて、ここというタイミングで通行人が奥を歩いたりする。
老人の人生にまつわるテーマも、決してうるさくなく静かに語られ、僕の性に合っている。

一瞬たりとも無駄にしない映画美で迫ってくるこの作品で、公開当時(99年)僕は後半ほとんど眠ってしまった。
決してつまらなかったわけではない。むしろ興奮して見ていた。
だが、眠ってしまった。長回しの途中で。

目が覚めるとエンディング間近だった。
半分眠ってしまった僕であったが、この作品が傑作であることは分かった。
素晴らしい作品だったという充足感と、ひと眠りした爽快感で、僕は席を立った。

数ヶ月後。
「永遠と一日」が高田馬場早稲田松竹で上映されるというので、もちろん僕は駆け付けた。
いい作品だということは分かっている。通して観て、自分を納得させたいだけだ。
おにぎりを2つほど買って、お茶を買って、ガムを準備して万全の態勢で臨んだ。
そして後半眠ってしまった。
たぶん長回しをしている最中に。

それ以来、この作品を観賞する機会は持っていない。
大事な映画体験をビデオなどでごまかしたくないのだ。
眠って見れなかったという体験を堂々とアンゲロプロスに報告したい。
ふざけるな!と叱りつけられるだろうか。
僕は、本当にこの映画の凄さを、ちゃんと受け取ったのだがなぁ・・・。


2007年06月29日

「大日本人」 ~隙間にいるヒーロー~ 
松本人志監督

大日本人」(2007

監督: 松本人志
プロデューサー: 岡本昭彦
製作代表: 吉野伊佐男/大崎洋
製作総指揮: 白岩久弥
アソシエイトプロデューサー: 長澤佳也
企画: 松本人志
脚本: 松本人志/高須光聖
撮影: 山本英夫
美術: 林田裕至/愛甲悦子
デザイン: 天明屋尚 (大日本人刺青デザイン)
編集: 上野聡一
音楽: テイ・トウワ/川井憲次 (スーパージャスティス音楽)
vfx監督: 瀬下寛之
音響効果: 柴崎憲治
企画協力: 高須光聖/長谷川朝二/倉本美津留
照明: 小野晃
装飾: 茂木豊
造型デザイン: 百武朋
録音: 白取貢
助監督: 谷口正行

出演:
松本人志
竹内力
UA
神木隆之介
海原はるか
板尾創路
街田しおん


【おはなし】
廃れつつある日本の伝統を背負った大佐藤という男が、とあるドキュメンタリー番組で密着取材を受けている

【コメントー隙間にいるヒーローー】

90年代に青春期を過ごした僕にとって、ダウンタウンという芸人は重要である。
ダウンタウンや吉田戦車が、中高生の僕たちの先頭に立ち「面白い」はこっちだ!と引っ張っていた。

およそ十年をかけて、何をおもしろがるかという基準値をダウンタウンは示し、僕はそれを享受した。
そのことが果たして洗脳なのか意識改革なのか、いずれにしても、僕は率直に彼らの為すことを面白いと思った。

一方で、僕は映画を見ていた。
映画は文化的教育的な側面を持つという風潮があり、ダウンタウンの番組に眉をひそめる親たちも、映画を見ることには反対しなかった。

だが僕にとって、両者に差異はほとんど感じられなかった。
どちらも刺激的で、絶えず「もっと見たい」と欲していた。
ダウンタウンが下らないとも思わなかったし、映画が崇高だとも思わなかった。
その感覚は未だに僕の根っこにある。

「大日本人」は、スクリーンでコントをやるという、野心に満ちた快作であった。

コントと映画の境が一体どこにあるのかは、両方を好物とする僕にとって積年の疑問であった。
その回答の一つを松本人志は示すことに成功した。
この映画は、コント側からその境界線に近付こうとした初めての作品だったと思う。

大佐藤は、仮面ライダーウルトラマンと同種のヒーローである。
敵と闘っているときはともかく、普段彼らヒーローは何をして過ごしているのだろうか。
もしかしたら、街を歩いているかもしれないし、買い物をし、トイレに入るかもしれない。
この映画は、そういった「隙間」の時間帯にスポットを当てている。

僕はこの視点がたまらなく好きだ。
ドラマティックという言葉があるように、多くの映画では出来事が中心に描かれる。
重大な事件があって、取り巻く人々の葛藤が物語を進めていく。
しかし考えてみれば、重大な事件があった後、なお人生は続くのである。
次の重大事が来るまでの間、毎日、寝て食べて働いて、笑って怒って、泣くのだと思う。
むしろ隙間にこそ、人を人たらしめるものがあるのではないだろうか。
隙間にこそドラマが存在するのではないか。
僕はこの映画でヒーローの日常を目撃し、笑った。

映画を見ながら、僕はふと小学校三年(84年)の頃の出来事を思い出した。
学校が終われば走って帰宅し、ランドセルを玄関から放り投げ、そのまま遊びに出掛ける。
そんな日々を送っていたある日。
いつものように友人宅へ向かっていると、前方にハゲ頭の背の低い初老の男性が立ちはだかった。
友人宅へは、この細い抜け道を行くと近い。人もあまり通らない。
そのじいさんの視線を感じつつ、横を通り抜けようとした。
と、突然、彼は僕の右腕をつかみグイグイと引っ張りだした。
僕は声も出ず、引っ張られないように足を踏ん張った。
じじいはにやりと笑うと、手を放し
「おじさんは、スーパーマンなんだ」
と自分を指差した。
「ははは」
と僕はひきつった笑いを返し、走って友人宅へ逃げた。

当時の僕には彼がスーパーマンだとはとても思えなかった。
いや、実際違うだろう。
おかしなじいさんである以上の何者でもない。
だが今は、スーパーマンであってもいいじゃないかと思っている。
彼がそう言うのだから、きっとある部分ではスーパーマンなのだろう。
スーパーマンの日常を、僕はまったく知らないのだから。

大佐藤の日常が、日常であればあるほど、哀れなおかしみが増す。
世間に疎まれ、マスメディアに翻弄され、敵と闘う。
小学生の僕は、あの大佐藤とすれ違っても、まるで気付かなかったろう。

スクリーンでコントを仕掛ける工夫は随所に見られた。
スクリーンで見るべき作品であることは疑いようがない。
だが、これを「映画」と誰もが呼ぶようになるには、きっとまた十年の月日が必要だろう。
と思う。


2007年06月

●次に書いた記事は2007年07月です。

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