【コメントー世界映画の良識ー】
公開の翌年、01年にレンタルビデオで鑑賞した。
その頃僕は悶々としていた。
大学を中退して以来、アルバイトを転々とし、さて自分はどこに向かおうとしているのか、さっぱり分からず、苛立っていた。
そんな時にこの作品にめぐり逢った。
あの時、この映画を観れて良かったと、心から思っている。
ヤンヤンの叔父の結婚式から、この映画は始まる。
叔父の元恋人が現れ、華やかな結婚式の場は一瞬にして修羅場と化す。
さらに、同じ日。
ヤンヤンの祖母が倒れて意識不明となってしまう。
導入から穏やかならぬ事態が連発するが、映画はちっともバタバタしていない。
落ち着いたタッチは、その様子を黙って見守るようにと僕に語っているようだった。
ヤンヤンの父親は、納得していなかった。
会社の方針はどうも利己的に過ぎる。
もっと先を見据えて、人としてあるべき態度で経営を行うべきだ。
日本から来たゲームプログラマー大田(イッセー尾形)と静かで熱い意気投合を果たす。
そんな折、学生時代の恋人と偶然に再会する。
あの時彼は、彼女から逃げることで関係を自然消滅させていたのだった。
その落としまえを、今になってとらなければならないのだろうか。
だが、甘い記憶とともに、もう一度会う約束をしてしまう。
ヤンヤンの母親は、涙が止まらなかった。
幸福なはずの家庭と、充実しているはずの仕事を、いつしか負担に感じていたのだろうか。
ナーバスになり感情を抑えることができなくなっていた。
友人の勧めで新興宗教に助けを求めた。藁にもすがる思いだった。
そんな妻を、夫は咎めようとはしなかった。
全てを受け入れようとした。
だがもしかすると、彼女にかけるべき言葉が何も見つからないでいるだけなのかもしれなかった。
ヤンヤンの姉は、嫉妬していた。
気になる彼は友人の恋人だった。
想いを伝えるなどということは考えにも及ばなかった。
二人が睦まじく歩いているのを遠くから眺めるばかりだった。
ところがある日、唐突に彼が告白をしてきた。
あの子とは別れたと言う。
うれしさと驚きと後ろめたさとで、動揺した。
でも、お互いに好き同士ならば、一体なんの問題があろうか。
まさかこの後、恐ろしい犯罪が起こるとも知らずに、彼女は彼とお付き合いをしたいと思った。
ヤンヤンの祖母は、意識不明のままだった。
自宅のベッドで横になったまま彼女は動かなかった。
母親の発案で家族は毎晩、ベッドの脇でお婆ちゃんに語りかけた。
もしかしたら意識の奥に届くかもしれない。
一人一人、日替わりで話しかけた。
いつしかそれは、彼らにとっての懺悔の部屋となっていった。
そんな中、ヤンヤンは奔放に日々を過ごしていた。
学校でイタズラをやらかし、先生に怒られた。
可愛いあの子にちょっかいを出してみた。
お父さんにもらったカメラで、人の後姿ばかりを撮ってみた。
「だって、背中は自分で見えないでしょ?」と飄々としたものだ。
ある嵐の日、ヤンヤンはプールサイドにいた。
あの子は泳ぎが得意だ。
僕はカナヅチなんかじゃない。
男の子の意地が、彼をプールの中へと飛び込ませた。
登場人物の抱えるそれぞれの葛藤が、こうも身近に迫ってくる映画も少ない。
僕は、この映画を思い出すだけでボワーッと胸の奥が熱くなるのを感じる。
どのエピソードもドスンと響いてくる。
修正の難しくなった個々の問題がいよいよひずみを帯びてきて、言い知れぬ緊張感で映画が染まる。
物事は簡単に進んでくれない。
皆もがいていて、みっともないエゴを出しては反省する。
悲しき人間の営みを、エドワード・ヤンは肯定の眼差しで描写する。
決して見捨てない。懐の深さがある。
切ないドラマの展開、奇跡のクライマックスを経て、ヤンヤンが作文を読み上げるラストシーンに、僕は落涙を禁じえなかった。
何故映画を撮るのか、と質問されたエドワード・ヤンは「多くを語らなくて済むから」と答えた。
説明を省き、状況を観察するかのごとくシーンを捉える。
一歩引いた視点は、冷静で優しい。
この映画の、イッセー尾形扮する日本人プログラマーとヤンヤンの父親との交流は、きっと誰もが羨ましくなる仲である。
イッセーが飛び入りでピアノを弾くのを、バーのカウンターで眺めるヤンヤンの父。
伊豆のホテルのロビー、また居酒屋で会う二人の光景は、既に仕事の関係を超えた信頼し合う大人の同志の姿に見える。
インタビューで監督は二人の関係を「ソウルメイト」と呼んでいた。
ソウウルメイトかあ…。
映画を観終わったとき、僕はままならぬ自分の現状を誰かのせいにしていたのではないかと、思いあたった。
大したことはできずとも、少なくとも友人は大事にしようと思った。
[おわりに…]
このブログを書き始めてまだそれほど日は経っていません。
「ヤンヤン 夏の想い出」は、ずっと先にとっておこうと思っていました。
今より文章がうまく書けるようになってから、それから力を込めて書こうと。
これほどの傑作を扱うには、失礼のないように気をつけたかったのです。
一人でも多くの人に、この作品を紹介したい。
実際、僕のような者にそんな力はないのですが、この場で紹介する限りは、自分なりに最善を尽くしたいと考えていたのです。
エドワード・ヤンという監督が亡くなったことは、僕にとって大きな損失でした。
きっと世界にとっても多大な損失であったと、信じて疑いません。