« 2007年11月 | メイン | 2008年03月 »

2007年12月 に書いたもの

2007年12月07日

「宝塚映画祭」映像コンクール
「ブルーカラーウーマン」レポート第三部

「宝塚映画祭・映像コンクール」レポート
第三部


07年11月3日土曜日、第8回宝塚映画祭映像コンクールの開催日は文化の日でした。
晴天に恵まれ、きっと各地の文化祭は盛況に進行したことでしょう。

全ての入選作の上映が終了し、審査員の審議も決着がつき、いよいよ表彰式となりました。
入選者がスクリーンの前に並び立ち、各賞の発表です。


実はこの発表までには、いろいろとモタついた進行がありました。
前に並んだはいいがどうやらまだ各賞は決まっていないということになり、今の心境を一人づつコメントし、ひとまず入選の賞状を全員に渡し、いや、その賞状がまだできあがっていない、などなど、司会進行の高橋さんは場をつなぐためにマイクを持ってあれやこれや、ご本人がエキストラ出演した映画の話などをご披露され、大変な活躍でした。

ボランティアを含む少人数の実行委員でこの映像コンクールは運営されており、高橋さんはほとんどお一人で切り盛りしているような按配でした。
大変気さくな方で、この映像コンクールで最も目立って、最も働いて、最も面白い方でした。
映画が好きだという情熱で、こういったイベントを開催されているのだと思います。頭が下がります。
彼は審査員ではありませんが、入選作の選考には加わっておられ、僕の作品は三度ご覧になって入選を決めて下さったとか。
一度見ただけではよく分からなかったのだそうで、
「すいません。ありがとうございます」
と、僕は喫煙所で雑談の際にお詫び申し上げました。


ようやく審査員が会場に戻ってきて、表彰式の始まり。
「宝塚OB会賞」には、松本佳乃監督の「守桜の薫り」が選ばれました。
映像のひらめきをたっぷりと盛り込んだ作品。
風景や小道具を色彩に気を配りながら描写していました。
盲目の女性とチェロを弾く点字補助員との淡い恋模様が、大胆な映像と詩のようなナレーションで綴られます。
映像素材の豊富さに、感心させられました。

「すみれ座賞」には、藤岡佳司監督の「理想の朝」。
ビッグイシューを売るおじさん達を追ったドキュメンタリーです。
(このレポート第一部に感想を書きました)

副賞として広辞苑が渡され、会場から拍手が起こりました。
広辞苑はまだ「拍手」を受けるだけの権威があったんですね。
なんだかうれしかったです。

そしてアニメ部門のグランプリは、東泰子監督の「bar ONE」。
クレイアニメの今や王道とも言えるグロテスクファンタジー(そんなジャンルはありませんが)。
ちょっと不気味なキャラクターたちが出演する小話でした。
キャラクターたちの声が、擬音と言いますか擬声といいますか、適当な音を口で言って字幕で会話を成り立たせるという手法で、この声がなかなか面白かったです。
それと、水彩絵具を溶いたような、おどろおどろしいあの背景は一体どうやっているのか、大変気になりました。
東監督は今回の会場の近くにお住いだそうで、翌日の入賞者の紹介の際にもご一緒させていただいたのですが、どうも聞きそびれてしまいました。

ついに、今回の映像コンクール、グランプリの発表。
審査員長ははっきりと述べました。
「今回はグランプリの該当者はありません」
続けて
「準グランプリが二作品あります」
ということで、僕の作品の「ブルーカラーウーマン」の名前が呼ばれました。

もう一つの準グランプリは、多賀裕見監督の「回り道」という作品でした。
中学生のカップルが翌日の受験を控え、現実逃避の家出をし、電車に乗って海まで行くも結局は帰宅するという物語。
中学生二人の好演が光りました。
なかなかあのような自然な演技を導き出すのは難しいことだと思います。
一緒に会場入りした僕の友人も「あの女の子かわいかったー」と言っていました。
映画で登場人物が魅力的に見えるのは、必ずしも容姿の問題だけでは収まりません。
ストーリーと演出と演技と、いくつもの要素が重なり合って美しかったり可愛かったり、面白かったりするのだと思います。
中学生にとっての重大な事件を、極めて優しい視点で撮りあげた作品でした。


表彰式後には懇親会があり、入選監督と審査員、コンクールの実行委員の方々が同室で乾杯しました。
ここで僕は、審査員の方々から作品について直接、賛否の両論を頂戴しました。
僕の作品を随分と気に入り、強く推してくださったという方と、全くこの映画はダメだということを頑として譲らなかったという方と、ご両人のご意見をたっぷりと拝聴させていただきました。
僕の作品に賞を与えるか否かの議論が、審査を長引かせた原因の一つだったのだそうです。
ご意見をくれたのが白髪の男性で、こういった世代の映画に通じた方々に作品を見てもらえ、また本気で作品についての批評をいただけるのは、貴重な体験であったと思います。

映画を見るとき(演劇でも音楽でもなんでも)、観客は自分の人生と映画経験と、云わばその全ての感覚で作品を受け止めるのだと思います。
誰しも「映画とはこういうものだ」と、知らず知らずの内にある種の基準を持っていて、それから外れるとつまらなくなり、そこへフィットするか、あるいはその想像を超える斬新なものに出会うと面白く感じるものだと思います。
好き嫌いや、観た時の状態(体調や気分や社会的状況など)は、大きく作品評価に関わってきますが、しかし、それでも世の中には傑作と呼ぶにふさわしい多くの者を虜にする映画が確固として存在しています。

懇親会で僕はメッタメタの酷評も受けましたが、しかし彼の仰ることは実によく理解できるのです。
何を言ってやがんでぃ分からず屋め!と粋がってみても、「そう解釈されても致し方ない・・・」「そこは手抜かりがあった・・・」という反省の念は否応なしに襲いかかってきます。力不足なのです。
つまり傑作には程遠い。
褒めて下さった方からは、一生分のお褒めの言葉をいただきました。褒められ過ぎて、こちらが作品の問題点を指摘したくなるほどでした。

自主映画というのは、観るに値しないものだと僕は思っています。
劇場用映画が1800円以内で見れるのなら、何も好んで貧しき自主映画を鑑賞する必然はありません。
残念ながら大抵の自主作品は稚拙でずさんで、つまらないものですし。
そういった現実を踏まえた上で、僕はこれからも自主制作を続けたいと思っています。
なにしろ映画作りは…、楽しいのです。
きっと、面白い自主映画を撮ることは不可能ではないと、どこかで希望を捨てずにいるのです。


表彰式が終わり会場の外に出ると姉が「おめでとう」と言ってくれました。
友人は握手をしてくれました。
賞が獲得できて良かったと、その時思いました。


今回の宝塚映画祭映像コンクールは重要な体験でした。
僕のことを全く知らない方々から準のグランプリという評価をいただけたことは、大変な励みになりました。
より一層の精進を誓って飛行機で帰宅したのでした。


「ブルーカラーウーマン」の1シーンです。



2007年12月18日

「トッツィー」~化粧の内側の本音~   
シドニー・ポラック監督

トッツィー」(1982年

監督: シドニー・ポラック
製作: シドニー・ポラック/ディック・リチャーズ
原案: ラリー・ゲルバート/ドン・マクガイア
脚本: ラリー・ゲルバート/マレー・シスガル
撮影: オーウェン・ロイズマン
編集: フレドリック・スタインカンプ/ウィリアム・スタインカンプ
作詞: アラン・バーグマン/マリリン・バーグマン
音楽: デイヴ・グルーシン

出演:
ダスティン・ホフマン
ジェシカ・ラング
テリー・ガー
ダブニー・コールマン
チャールズ・ダーニング
ビル・マーレイ
シドニー・ポラック
ジョージ・ゲインズ
ジーナ・デイヴィス
ドリス・ベラック


【おはなし】

売れない俳優ドーシー(ダスティン・ホフマン)は、女装してテレビドラマのオーディションに合格する。
女として撮影現場で振舞い、視聴者の人気を得るが、共演者の女性に恋をしてしまう。


【コメントー化粧の内側の本音ー】

一度だけ化粧をしたことがある。
95年、二十歳の頃のこと。友人の女性がおもしろ半分に僕の顔に化粧を施した。
顔へ塗装する違和感に、目をつむったままウズウズしていた。
その友人は一々笑いながら作業を続ける。
一体どんな顔になるのか、見たいような、見たくないような。
一通りのメイクが終了し、最後に手鏡を渡された。

鏡を覗く瞬間、僕の脳裏に恐怖感が閃いた。
この手鏡を覗いたとき、僕はどんな気分になるのだろう。
気持ち悪いと思うのだろうか、気持ちが良いと思うのだろうか。
もし万が一にも「キレイ…」などと感じてしまったら、僕はどうすればいいのだろうか。
自らの感情をコントロールできない領域に、よもや彷徨い込んでしまわないだろうか。

小学校の時の阿蘇山見学、活火山の火口を覗いた時と差もない心境で、僕は手鏡におそるおそる顔を近づけた。
目に入ってきた人物は、紛れもない自分であるのだが、どこか他人のようにも見えた。
鏡の中の自分は笑っていた。
数秒見つめ合い、ぱっと眼を逸らしてしまった。
これ以上は正視できなかった。
恥ずかしいのとは違う、何か禁断の匂いがした。
化粧ごっこなど、冗談でも応じるんじゃなかったと後悔した。

化粧とは、正に変身のことだと思った。
外見が変身すること以上に、内面の変身に劇的な効果を生むものだと思った。
僕は、鏡に映ったあの自分の顔を忘れない。
何故か笑っていたのです。
自嘲的で、まるで僕のことを見透かしたような目つき。
いや、全く、驚いた。
裏側から自分を見つめるような、そんな体験だった。
ただ単に、お化粧しただけのことなんですけども。

映画「トッツィー」はよくできたコメディである。
ダスティン・ホフマン演ずるマイケル・ドーシーは売れない俳優。
病院もの昼ドラマで婦長さん役のオーディションがあり、彼は女の振りをして見事合格を勝ち取ってしまう。
役を得るために女性に扮したのだが、婦長役の人気が沸騰してしまい後戻りのできない状態に陥いる。
そんな折に、共演する女優(ジェシカ・ラング)に恋をしてしまう。
俳優生命を維持するには女性のままでいなくてはならないが、彼女に告白するには男に戻らなくてはならない。
逆に彼女から恋の相談を持ちかけられたり、彼女の父親に言い寄られたりと、女性であるがゆえの面倒臭い災難は次々に襲ってくる。

この映画は、小学生の頃(82年88年)にテレビ放映で何度も観た。
ダスティン・ホフマンの「卒業1967年)」も「クレイマー・クレイマー1979年)」も「真夜中のカーボーイ1969年)」も見る前だったので、てっきりコメディアン寄りの人だとばかり思っていた。
すぐアル・パチーノと区別がつかなくなるので、「マフィアがパチーノ、コメディアンがホフマン」と覚えていた。
そして日本語吹替は、小松政夫が担当していた。
小松政夫の「女声」が印象にあったので、先日DVDで見直すにあたってダスティン・ホフマンの声が馴染めるのだろうかと懸念していたのだが、これが驚くほど違和感がなかった。
少々わざとらしいくらいの女声で、ダスティン・ホフマンはよくやっていた。
小松政夫がよくやっていたとも言える。

改めて見直して思ったのは、ダスティン・ホフマンの相手役のジェシカ・ラングがやけに可愛いということ。
80年代70年代の映画を見直すと、出てくる俳優にいちいち「…若い」と呟くことになる。
ジェシカ・ラングが「可愛い」という事態が、かつてあったのだ。
実にチャーミングで、この映画のゲテモノ感は彼女の存在によって完全に払拭されている。

女性の立場から世の中を見つめたドーシーは、男性の身勝手を随所で足蹴にする。
翻って、男性に戻ったときのプレイボーイなドーシーは、身勝手に女性に接している。
あまり自己反省や、深刻なフェミニズムに傾かないところが、この映画のコメディを維持している。
あくまでラブ・コメディである。
化粧によって、別な人物になり変わる。
「変身」がモチーフの映画的面白さを堪能できる作品である。

いや、傍から見る分には面白かったが、僕は自分が化粧をしたことにタダならぬ意味を感じていた。
笑えない「意味」の奥には、世のほとんどの女性が毎日化粧をしていることへの驚きが含まれていたと思う。
毎日変身してから他人と接するとは、皆様大した俳優だなあと感嘆せざるを得ない。
僕はもうへどもどするばかりで、すぐに洗い流してしまった。


2007年12月28日

「オレの心は負けてない 在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい」~笑いは神の道~
安海龍監督

オレの心は負けてない 在日朝鮮人「慰安婦」宋神道のたたかい」(2007年)

監督:安海龍
制作:在日の慰安婦裁判を支える会
プロデューサー:梁澄子
撮影:梁澄子 / 安海龍 / 朴正植
編集:田中藍子
効果編集:金徳奎
効果編集補助:李泰官 / 李ポミ
音楽:張在孝 / 孫晟勲
歌:朴保
ナレーション:渡辺美穂子

出演:
宋神道(ソン・シンド)
在日の慰安婦裁判を支える会


【内容】

16歳から数年間、従軍慰安婦を強要された過去を持つ在日朝鮮人宋神道(ソン・シンド)が、支える会の面々と共に国を相手取って裁判を起こした様子を追ったドキュメンタリー。
宋おばあちゃんの激烈なる個性に引っ張られ、周囲は困惑し、笑い、また感涙する。


【コメントー笑いは神の道ー】

世の中には、凄まじい魅力を持った人がいる。
彼らは市井に紛れ込んでおり、ある時は居酒屋の客かもしれないし、ある時は工事現場のとび職かもしれない。
彼らの面白さは周囲の関心を惹き付け、ちょっとした名物人間として各地に生息している。
彼らのことを、「在野に潜む国の宝」と僕は思っている。
僕はこの十数年間でアルバイトを転々としてきたが、ごくたまに、彼らと出会う機会があった。
宝に接触できた職場は当たりである。

また、在野から世間に登場する例もしばしば見られ、有名なところではタモリが挙げられる。
山下洋輔赤塚不二夫といった面々が彼を引っ張り出したことは有名である。
畑正憲(ムツゴロウさん)もまた、大きな分類では、世に出てきた宝の一人と言えるだろう。

最近だと、夜回り先生こと水谷修氏は、僕の心を鷲掴みにしている。
あの情感に満ちた講演をご覧になったことがおありでしょうか?
僕はテレビで拝見し、釘付けになってしまった。
豊かな表現力と、混じりけなしの真剣さ。
疑問を挟もうとする者がいたとして、その無垢なまでの眼差しに返り討ちにあってしまうことだろう。

そして、僕の知ったる全ての至宝たちから頭ひとつ抜けて、天才的に面白い人物がとあるドキュメンタリー映画に出演している。

先日、東京の東中野にある映画館、ポレポレ東中野のモーニングショーにて鑑賞した、「オレの心は負けてない」の宋神道(ソン・シンド)は、稀代のエンターテイナーだった。
主人公が映画そのものに勝っている様子を、久々に目の当たりにした(※)。
宋さんが映るだけで映画は勢いを増し、俄然おもしろくなる。
映画的技術や構成や音楽などが余計に思えてしまうほどに、宗さんの魅力は圧倒的だった。
宗神道の言動一つ一つに僕は大笑いをさせられ、また涙を禁じ得なかった。

さて、「従軍慰安婦」と聞くと大抵の人は構えてしまう。
戦争の傷痕、取り返しのつかない悲劇、目を背けたい事実、陰鬱、暗澹。
ましてや、国に対して謝罪請求をするとなると、誰しも肩に力が入ってしまうもの。
見ているこちらは、半ば緊張した態度でこの映画に臨んだ。

最初は支える会のメンバーも、それなりの気負いを持って宗さんに接していた様子が伺える。
ところが、当の宗神道はと言えば、ユーモアセンスに長けた東北弁のおばあちゃん。
支える会の面々を、マスコミを、聴衆を、笑わせる笑わせる。
由々しき事態の被害者当人が、こんなにも朗らかで、それでいて熱い人であることに、僕は全く度肝を抜かれた。
マシンガントークと呼ぶにふさわしい口調は、訛りが剥き出しの名調子。
立て板に水を流すがごとく、一体どこからこれだけのスピードで珠玉の言葉が溢れ出てくるのか、まったく感服させられた。

時に辛辣に、時に涙を交えながら、最後は笑いをとりながら、彼女は訴えていた。
従軍慰安婦というものが実在したこと。
二度と戦争なんて起こしてはならないということ。

辛い過去について、神様におすがりしないの?と韓国人のおばさんに温かく言われたのに対し宗神道は猛然と反論する
「神様なんていないよ、そんなもん。いないいない!冗談じゃないよ。いない!」
そんなこと言わないで、と宗さんの手をとった彼女に対し、
「あんた、手冷たいね。血圧低いんだろ?」
と返す。
沸点に達した怒りと、相手を思いやる優しさを同時に発信すれば、周囲は笑わざるを得ない。
宗神道のサービス精神は、常に周りの人々を楽しませる。
それは第一審で敗訴した際にも発揮された。
判決の出た晩、とある和室で支える会のメンバーは控訴するか否かを、宗に問う。
悔しくて落ち込んだ支える会の面々に対し、こともなげに宗神道は言う。
「やったってしょうがないよ」
支える会は、この程度のことでへこたれてはならぬと、抜けた力を奮い起こして宗に控訴を勧める。
「どうせ、また負けるだろ」
宗はまるで諦めた態度を示す。
そうなると、支える会の彼女たちも黙ってはいない。
熱を込めて説得し、勝つまでやらなきゃならないと腰を浮かせる。
と、宗はメンバーの一人を指差す、
「お前、覚悟があんのか?お前には家庭も生活もあって、また裁判できるのか?」
「できる!」
「よし、わかった。それじゃやる!誰が止めたってやる!首が飛んでもやる!あはは!」
こんな具合で宗神道と支える会の面々は東京高裁に乗り込むことになるのである。

宗と出会ってからの15年余りを振り返り、支える会のメンバーは「最初はこの人と一緒にやることに不安があった」「なかなかこちらのことを信用してくれないのが大変だった」といったことを語っていた。
宗はこれまで並の人間には考えられないような過酷な境遇や人の裏切りと格闘してきており、簡単に他人を信じるのが難しかったのだろう、と支える会もこの映画のナレーションもそういうふうに述べていた。
僕はそうは思わなかった。
一見すると、叛骨で凝り固まった猜疑心の強い人物だが、それは相手を慮ってのことだったのではないだろうか。
いつだって人は人を裏切るものだし、大丈夫だと言ってもそうはならなかったりするものだし、宗神道が時折見せる諦観は、適当なことを言って周囲に迷惑をかけたくないという配慮だったと思う。
「(裁判に)勝ったって負けたって、どうなるもんでもない」「国も裁判所も大変だろうけど」という発言の奥には、ただ単に活動を起こして在日慰安婦への保証を認めさせるということではなく、皆で世界平和へ向かおうよという高い視点が感じられる。
マザー・テレサとはまた違ったアプローチで、彼女は平和や他人への優しさを訴えているに違いない。

宗の身体には刀痕がある。日本人の軍人に切りつけられた痕だそうだ。
また腕には「かね子」という慰安婦時代に刻まれた刺青が残っている。
終戦後軍人に誘われて日本へ渡ったが、プイと捨てられてしまう。
一切の荷物も身分を証明するものも持たぬ彼女は、電車から飛び降りて通行人に拾われる。
近所に同じく在日朝鮮人である男性がいるということで、一人暮らしの彼のおうちへ引取られ、煮炊きをして過ごすことになる。
彼が亡くなるまで、夫婦としてではなく恩人としての彼と生活をする。

これだけ聞くと、宗さんの数奇な人生を他人ごととして、過去のことして認識してしまいそうだが、彼女を見ればそんなことは思わない。
戦争は個人に多大なる被害を及ぼすということが分かる。
どこかの誰かにではなく、自分にである。
僕や、僕の家族や、友人が、徹底的に酷い目に遭うのが戦争であるのだと思う。

宗神道さんは、ある種の悟りを開いておられるのではないかと思うが、国や人種や性別など無関係に人として正しく優しく楽しく生きようという姿勢には、その差別を一身に浴びた当事者の彼女ならではの説得力を感じた。
「俺は稼いだ金をみんな飲んで使っちまったからな」と言い放つ顔には、平和を訴えども聖人君子などではないよ、という照れが浮かんでいた。
ほとんど芸人のそれである。
宋神道、神の道を僕も見習いたい。

80歳を超えた今も、元気でいらっしゃるようです。
一人暮らしを続け、飼犬の散歩をしている様子があった。
何しろ彼女は在野に潜む日本の、いや世界の至宝だ。
下手に表へ出すのは勿体ない。

しかし、もし機会があれば、是非講演を聞きに伺いたいと僕は切に願う。
語弊を恐れずに言ってしまうが、これほどのおもしろい人は滅多にいない。
本当に素晴らしかった。


※主人公が映画に勝ってしまうことについてはクリント・イーストウッドに触れた記事で書いてます→こちら(07年6月22日の記事です)



2007年12月

●前に書いた記事は2007年11月です。

●次に書いた記事は2008年03月です。

メインページへ戻る。