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2008年03月 に書いたもの

2008年03月18日

「シザーハンズ」~世界一哀しき男~
ティム・バートン監督

シザー・ハンズ」(1990年

監督: ティム・バートン
製作: デニーズ・ディ・ノヴィ / ティム・バートン
製作総指揮: リチャード・ハシモ
原案: ティム・バートン / キャロライン・トンプソン
脚本: キャロライン・トンプソン
撮影: ステファン・チャプスキー
特殊メイク: スタン・ウィンストン
編集: リチャード・ハルシー / コリーン・ハルシー
音楽: ダニー・エルフマン

出演:
ジョニー・デップ
ウィノナ・ライダー
ダイアン・ウィースト ペグ
アンソニー・マイケル・ホール
キャシー・ベイカー
アラン・アーキン
ロバート・オリヴェリ
ヴィンセント・プライス
エレン・グリーン
ビフ・イェーガー
ジョン・デヴィッドソン

【おはなし】

とある発明家が作った人造人間エドワードは両手がハサミ。
街に出てきた彼は、世間の人気者になり、そして一人の娘に恋をする。
ところが、そうは言っても彼は人造人間。
哀しき運命を持つ彼は、永遠に孤独であった。


【コメントー世界一哀しき男ー】

世界で最も爪の長い男は「世界びっくり大賞」に出演していた。
「世界びっくり大賞」とは、世界一長身の男、全身体毛におおわれた男、この世で最もウエストがくびれた女、そういった人たちが次々に登場する見世物小屋のようなテレビ番組のことで、小学生の頃(82年88年)に頻繁に放送されていた。

およそ人間離れした肉体を持つ彼らを、愛川欣也が陽気な司会進行で紹介してゆく。
「でけー!」「ちいせー!」「気持ちわりー!」と小学生の僕は興奮してはいたのだが、と同時に、今思い起こせば、彼らのことをそのように指差して騒いでもいいものだろうかという後ろめたさも感じていたと思う。
少々の居心地悪さに始末をつけるため、司会のキンキンの無神経なフランクさ加減に「それは失礼やろうに」などと悪態をついていた気がする。

多少の逡巡がありつつも、僕はこの番組が大好きであった。
なんだかんだ言っても彼らはこの番組と契約を交わし、それなりの報酬を貰って、言わば全て承知の上で衆人の好奇の眼差しを浴びているのだと、最早割り切って一人の視聴者として没頭するようにしていた。
何しろ、世界一大きな乳房を持つ女が登場したりもするのだから、見逃すわけにはいかない。


さて、とある回に登場した、世界で最も爪の長い男は、インドだったか南米だったか、どこか遠い国からやってきた痩せたおじさんだった。
生まれてこのかた一度も爪を切らずにここまで来たのだという。
80cmはあったろうか。
爪はまるで受話器のコードのようにクルクル巻きになっていた。
重量に耐えるためか根元は分厚く、手は動かせないため胸の辺りで固定されたままだった。

彼はあまり喋らず、俯き気味に立っていた。
驚嘆に沸く周囲の歓声にじっと堪えているような、そんな印象だった。


映画「シザーハンズ」の日本での公開は91年
当時高校生だった僕は、映画館へ一人で見に行った。

映画の舞台となる町の外観が目に焼きついている。
パステルカラーのカラフルな彩りで家々が軒を連ね、その真ん中を細長い道路が貫いている。
まるでボードゲームの盤上のようなこの町の端には小高い丘があり、てっぺんには怪しげな屋敷がぽつりと建っている。
こういった美術のイメージはティム・バートン監督の得意とするところで、物語を語る以前にまず美術によって「これは映画ですけんね」という宣言をされてしまうのである。
そうだ、これは虚構だ!と当時の僕は息を呑んで目前に広がる情景を満喫した。

丘の屋敷に住む博士は、フランケンシュタインよろしく人造人間の制作に勤しんでいた。
一人の人造人間をついに完成させんとした、その時、彼は心臓の発作で倒れてしまう。
残された人造人間エドワード(ジョニー・デップ)は、あと少し、手首から先を取り付けてもらえさえすれば完全体にたどり着けたものを、なんと彼の両手は仮に取り付けられていたハサミのままだったのである。

たまたまセールスウーマンのおばちゃんがこの屋敷を訪れ、彼を不憫に思い町へと連れ帰ったところから、映画は本題に入って行く。
両手がハサミの彼が、町の人気者になる前半部分は実に楽しい。
一切ものを言わないこの人造人間は、ハサミを駆使した「切り刻み芸」でなんとか人々とのコミュニケーションをとるのである。

セールスウーマンの娘であるキム(ウィノナ・ライダー)に恋をしたエドワードは、しかしその気持ちを彼女に伝えることができない。
触れようとしても、ハサミがキムを傷つけてしまう。
やがて、ハサミの凶暴を告発する声があがり、エドワードは町中の嫌われ者へと転落して行く。

僕はこの映画を青春映画として見ていた。
想いとは裏腹に周囲を傷つけてしまうのは、反抗期のそれと重なった。
周囲の理解が得られないもどかしさが、ジョニー・デップの無表情な佇まいから溢れかえり、思わずこぶしを握り締めた。
そう、この映画でジョニー・デップのことを知った。
彼の存在には、かぐわしきファンタジーの薫りがある。
陰気であることの美しさを初めて味わった。

映画はいよいよ切ない局面に至り、正に物語が語られる体で悲しい結末を迎える。
充実のアメリカンファンタジーを満喫し僕は帰路についた。

この映画をうちの母親は既に鑑賞済みだった。
母はエドワードについて僕の見解とは違う捉え方をしていた。
彼は弱者、障害者、異端なのだと。
彼らとどう付き合って行くかという我々の課題を提示していたと言う。
甘く切ない反抗期の心の揺れ動きを見た僕にしてみれば、あまりに唐突な異論だった。


世界びっくり大賞に出演した世界で最も爪の長い男は、なんと番組内で爪を切ることになった。
何十年をかかけて熟成された彼のアイデンティティとも言うべきその長い爪を、日本の一テレビショーの中で切り落とすというのは、一体どういう了見なのだろうか。
彼はほとんど喋らない。
だが段取りでは爪を切ることになっているのだ。
ニッパーでざくざくと、分厚い爪が一本一本切り落とされた。
小学生の僕には、なぜそんなことに至ったのか全く理解ができなかった。
ここまで爪を伸ばすことに何の意味がないとしても、しかしそれを切ることはもっと意味のないことではないだろうか。
仮に彼自身が切りたいと申し出ていたとして、それが本意ではなかったことは、彼が流し始めた涙を見れば容易に想像がついた。
さすがの僕も、びっくり大賞のことを擁護できない心地に包まれていた。

なるほど、シザーハンズには、一人の異端者の悲劇が描かれてあったかもしれない。
爪を切ってみたところで、彼の腕は爪を切る前と同じように胸元で固まったまま動かせないでいるのだった。
長年使ってなかった腕は、すぐには言うことをきかないのだろう。
番組のエンディングで居並ぶびっくり人間の中で、彼は手を振れないまま突っ立っていた。
まさか彼が人造人間だったということではないのだろうが、所在なげに佇む姿はエドワードのそれと変わらぬ儚さで、僕の脳裏に薄く張り付いている。


2008年03月

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