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「レスラー」~リングに散った男がいた~
ダーレン・アロノフスキー監督

レスラー」(2009年

監督: ダーレン・アロノフスキー
製作: スコット・フランクリン / ダーレン・アロノフスキー
製作総指揮: ヴァンサン・マルヴァル / アニエス・メントレ / ジェニファー・ロス
脚本: ロバート・シーゲル
撮影: マリス・アルベルチ
プロダクションデザイン: ティム・グライムス
衣装デザイン: エイミー・ウェストコット
編集: アンドリュー・ワイスブラム
音楽: クリント・マンセル
音楽監修: ジム・ブラック / ゲイブ・ヒルファー
主題歌: ブルース・スプリングスティーン

出演:
ミッキー・ローク
マリサ・トメイ
エヴァン・レイチェル・ウッド
マーク・マーゴリス
トッド・バリー
ワス・スティーヴンス
ジュダ・フリードランダー
アーネスト・ミラー
ディラン・サマーズ


【あらすじ】
80年代スタープレイヤーだったプロレスラー、ランディは今ではすっかり落ちぶれて、バイトをしながら地方興行に精を出す日々。孤独の募る貧しい生活と、ボロボロに衰え行く肉体に怯え、もう何年も会っていない娘を訪ねてみる。彼は、人生をやり直すことができるのだろうか。


【コメント-リングに散った男がいた-】

プロレスラー三沢光晴の死をインターネットのニュースで知ったとき、すでに深夜を過ぎていたが、僕は二人の友人にすぐさまメールを打った。
彼らは中学時代の友人で、当時一緒にプロレス観戦をした仲間である。
プロレス興行は、一つの旅芝居劇団のようなもので、例えば僕の住んでいた福岡県北九州市という小さな一地方都市にもバスに乗ってやって来てくれるのである。
普段物産展などの催事が行われている西日本総合展示場には、中央に四角いリングが置かれ、それを囲むようにパイプ椅子がずらりと並べられている。
プロレスはリングと客席を作るスペースさえあれば、どこででも開催できる実にたくましいスポーツなのである(とある女子プロレス団体は駐車場で興行してました)。

プロレス団体を劇団になぞらえるならば、レスラーは役者(芸人)とみることができるだろう。
プロレスラーは肉体を駆使した芸で、笑いと興奮をふんだんに盛り込んだショーステージを作り上げる。
ヒロイズムも勧善懲悪も、もしかすると哀愁さえも、彼らは裸で演じきる。
僕は、プロレスが大好きだった。

最も熱くプロレスを観戦していたその頃、既にプロレス人気は落ち目となっていて、ジャイアント馬場が主宰する全日本プロレスはテレビ放映を深夜に追いやられていた。
夜更かしをして見る全日本プロレスでは、ジャンボ鶴田天龍源一郎スタン・ハンセンらが中心となって戦いを繰り広げ、若手の筆頭に三沢光晴がいた。
それまでタイガーマスクとして闘っていた三沢は、とある試合で衝撃のマスク投げ捨てを敢行し、その後団体を牽引するトップの座へとのし上がって行く。

プロレスの人気が落ちた背景には、「リアリズム」の問題があったように思う。
ある時期から、プロレスの約束事を観客が信じられなくなったのである。
「本気で闘ってない」「敵が攻撃するのを待っている」「どうせ血のりでしょ」そういった揶揄に呼応して、新進の格闘技団体は、蹴ったり殴ったり関節を締め上げたり、ノックアウト形式のものを採用し、いかにリングで闘う格闘技が過激で危険で、要はリアルであるかを強調した。

これは何もプロレスに限ったことではなく、80年代頃までかろうじて信じられていたものが90年代以降まるでうそ臭く見えてしまう現象は、どんな分野にもあったと思う。
バブル経済がはじけて、ベルリンの壁が崩れ、昭和天皇崩御が重なった89年、事件を並べて無理矢理この年を端境期とするつもりはないが、この頃からゆっくりとしかし確実に世の中は変わって行ったと思う。
テレビをよく見た僕が実感したほんの一例を挙げるならば、例えば「やらせ」という言葉の登場で、良くも悪くもあらゆるテレビ的演出にリアリティが求められるようになった。
放映されている内容が本当であるかどうかに視聴者は過敏な反応を引きこすようになり、それは現在にも続いているように思う。
また、テレビに女性の裸(正確には乳首ですが)がほとんど登場しなくなったのもこの頃からで、ある意味では至極真っ当なことだと思う一方で、メディアの持つ虚構性が失われているのではないかともちょっと感じてしまう(テレビで見るお色気はきっと虚構でした)。

つまり、プロレスのスリーカウント(相手を仰向けにして覆いかぶさり、3カウント肩を押さえれば勝ち)の、ワン!ツー!・・・返したー!の間合いに見る夢は、まるで朝もやが晴れるようにこの世から消えてしまったのである。
どう考えてもツーからスリーまでの時間が長い、あのバカバカしくも興奮を誘う瞬間を、もう感じることができない体になってしまったのである。
中学を卒業(90年卒)した辺りからプロレスへの興味が薄れていったのは紛れもない事実で、それは僕自身がリアリティの病に侵されていったことの証拠だったかもしれない。

そんな状況に対して、ちゃんと揺り戻しのような現象も起きていて、アメリカのプロレス団体WWEは、ショーの要素をより濃くして、リングで展開される全ては虚構の産物であると敢えて謳うことによって人気を復活した。
日本でもハッスルというプロレス団体は、様々なキャラクターを作り上げ楽しめるプロレスショーを力いっぱいに提供している。
しかし、以前のそれと決定的に違うのは、今の観客は「そのこと」を知っているという点である。
シナリオライターがいて、演出家がいて、演じているものがいて、それを分かっていて敢えて楽しむやり方なのである。
昨今の、キャラとか天然とか、空気を読むとか、そういった用語が日常会話に平気で飛び出し、本当と虚構との境目をやけに気にする風潮には、配慮が不可欠なのだろう。
これは作り物ですよと「本当のこと」を言って、初めて成立する仕組みなのだと思う。
今となっては信じ難いことだが、僕はジャイアント馬場ジャンピングネックブリーカードロップを心底素晴らしい技だと思っていたし、ルー・テーズ直伝のヘソで投げるバックドロップジャンボ鶴田が完璧にぶちかました時に、えも言われぬ快感を心底、それこそ心底、掛け値なしで堪能していたのである。
その違いが、多分時代の違いなのだと思う。

映画「レスラー」に登場するランディは、かつて人気を誇ったプロレスラーだったが、現在は実に侘しい生活を送っている。
虚構の中で生きて来た彼にとって、90年代以降の「リアル」な世の中は実に冷たいものとなっている。
プロレスだけの稼ぎではトレーラーハウスの家賃もろくすっぽ支払えず、スーパーでアルバイトをして生活を凌ぐ日々。
未だに現役ではいるものの、以前の人気のわずかな名残で地方興行に出場しているだけで、まるで華やかさは失ってしまっている。
そんな折に、心臓病で倒れてしまう。

ランディを演じたミッキー・ロークと言えば、かつてセクシー俳優の代表格で、彼の映画には濡れ場が付き物だった。
映画でありながら、わりとエッチな描写が多いことから、中高時代の僕は彼の主演作をよく借りて拝見していた。
殊更にアカデミー作品、芸術性の高い作品などと合わせて彼の映画をレジに出し、映画ですからと澄ました表情でレンタルしてくるのである。
拙い策を弄しながらも借りてきた甲斐はあって、「ナインハーフ(86年)」「蘭の女(90年)」など実にエロスでありました。
甘いマスクと言うのか、母性本能をくすぐる表情と言うのか、いやらしい顔をした不真面目なミッキー・ロークなど、僕にとっては俳優としての価値はほとんど無く、ただとにかくラブシーンとセットだからとの理由で彼を追っていたのを記憶している(今考えれば、それだけでも俳優として大変な価値があると思うのですが)
しかし、その後の彼はふっつりと映画でお目にかからなくなり、聞けば暴行事件だの逮捕だの、荒れた私生活の様子が時折耳に入ってくるだけの存在となっていた。

そんなキャリアを持ってして、ミッキー・ロークはこの役に挑み、肉体もレスラーそのものになりきって迫真の演技を披露する。
当時の面影はどこへやら、倍くらいの大きさになった身体とボコボコに変形した顔面に、見栄えのしない金髪のロング。
この作品は、近年のリアルに対する過敏をちゃんと意識して、今やれる限りの本当らしさをしっかり描こうとしていた。
そのためには主演がミッキー・ロークであることが重要だったと思う。
彼の栄光と挫折を肉体そのもので表現しつつ、更には目の前に迫る死や、孤独に対して、現在の彼がいかに応えて行くか、見所の一つは「あの時と今の違いを体感せよ」である。

心臓病で死にかけたランディは、試合に出ることを医者に止められてしまう。
一人のストリッパーに恋をすることと、久しく会っていない娘を訪ねることで、残りの人生を違ったものにしようと試みる彼であるが、しかしこれまで身勝手に生きてきたツケは、そう簡単に清算できるものだろうか。
決定的に時代に遅れてしまった彼は、最早ヒーローでもなんでもなく、ひたすらに切ない存在と化してしまっているのだった。

この映画を見ていて、僕はそれでいいのだと思った。
このブログのタイトルは「あの時、映画を見た」として、まるでかつてが素晴らしかったかのような素振りを見せているが、90年代以降を必ずしも否定する必要はないのだと、そういう心境の裏返しであることを、どうぞご理解下さい。
2000年代も充分楽しいはずだし、これから出会ういろいろなこと(人、もの、映画なんでも)にもわりと素直に期待している。
確かに能天気な部分は大幅削減されてしまったこの世ではあるけれども、しかしこんな状況だからこその楽しさも無いわけではないことを、最近少し分かってきた気もする。

映画「レスラー」のランディの決断は、一つの指針だったと思う。
情けなくて、大して格好良くもなく、周囲には矢張り迷惑をかけてしまったかもしれない、またぞろ失敗もやらかしてしまうだろう、でもできる範囲のことで最善を尽くそうと、頼むからそうさせてくれと、ランディはトップロープから必殺技を繰り出す。

この映画を見たのは三沢光晴が亡くなった後だっただけに、余計に胸に来るものがあった。
すなわち、プロレスラーは引退するかリングで死ぬか、その瞬間まで闘い続けるのだと改めて思った。

三沢がリングの上で倒れたことで、僕は反省をした。
すっかりプロレスを見なくなってからも、ずっと彼はリングに立ち続け、ひたすらにプロレスをやっていた。
肉体を駆使した芸事に嘘の介在する余地など、やっぱりなかったではないかと、今更ながら気が付いたのだけども、しかしまさかそんなひどい事故によって改めさせられるなんてあんまり悲しすぎる。

僕の中学時代を興奮で満たしてくれた三沢氏のご冥福を、心よりお祈りします。



ナインハーフがまさかの価格高騰です。
レア商品になってしまっているようです(2009/07現在)。



背後から相手の女性のほっぺあたりに
顔を持ってくるんですね。
お得意の形です。

コメント (2)

茶々丸:

今晩は吉田様。
中島敦がお好きとのメッセージ、読ませていただきました。
私も高校1年の現代国語の教科書に『山月記』が採り上げられていたので憶えています。若くして近代の文壇を駆け抜けた作家ですね。
 今も手元にある講談社文庫には『李陵』『弟子』『木乃伊』『名人伝』などの作品名が並んでいます。他にも『悟浄出世』『悟浄歎異』『光と風と夢』も読みました。
 何れも言葉からエッセンスだけを取り出すことによって成り立っている作品ですね。
 確か『山月記』と『名人伝』の2作品は野村万作さんと野村萬斎さんによって舞台化されていた記憶があります(以前NHKの教育テレビか何かで放送されたものを観た憶えがあります)。
 短編に拘ったのは恐らく同時代の芥川龍之介を意識していたのかもしれません。短い文章で人の心を掴む、この点は吉田さんも似ていらっしゃいますね。感性豊かなことは今の時代にあっては貴重な財産と思われます。また中島敦の作品を改めて読み直してみようと思いました。

ブログ筆者よしだ:

茶々丸さん

コメントありがとうございます。

中島敦の「名人伝」には衝撃を受けました。
こんなに面白い小説ならば、もうこればかりを読んで一生過ごせるのではないかと思ったほどです。
「木乃伊」や「山月記」「文字禍」など、寓話といいますか説話といいますか(「おはなし」でしょうか)、あの雰囲気もたまらなく好きです。

ちくま文庫で全集三巻を持っていたのですが、あまりにおもしろいので友人たちに順番に無理矢理貸し出しているうちに、全て紛失してしまいました。
「かめれおん日記」など実写版悟浄歎異の様相で、大変おもしろかったように記憶しています。
茶々丸さんにコメントをいただき、改めて読み返したい欲求に悶えています。
ありがとうございます。

そういえば野村萬斎さんは、世田谷パブリックシアターの芸術監督に就任した際、真っ先に中島敦の企画を打ち出したと聞いたことがあります。
きっとファンなんですね。

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●2009年07月29日 22:15に投稿された記事です。

●ひとつ前の投稿は「「恋しくて」~全力、恋する乙女~ハワード・ドゥイッチ監督」です。

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