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2010年代 アーカイブ

2011年01月24日

「ソーシャル・ネットワーク」~ネットとの対峙~
デヴィッド・フィンチャー監督


ソーシャル・ネットワーク」(2011年

監督:デヴィッド・フィンチャー
原作:ベン・メズリック
脚本:アーロン・ソーキン
撮影:ジェフ・クローネンウェス
プロダクションデザイン:ドナルド・グレアム・バート
音楽:トレント・レズナー / アッティカス・ロス

出演:
ジェシー・アイゼンバーグ
アンドリュー・ガーフィールド
ジャスティン・ティンバーレイク
アーミー・ハマー
マックス・ミンゲラ
ブレンダ・ソング
ルーニー・マーラ

【あらすじ】
ソーシャル・ネットワーキング・サービス「フェイスブック」の創設者マーク・ザッカーバーグが、いかにしてこのサイトを立ち上げ巨大なものへと成長させたか、また周囲の人物達とどうかかわってきたかが訴訟も含め描かれます。


【コメント -ネットとの対峙-】
事件でした。
ネットにまつわる事件は、いつも前触れもなく突然に襲いかかってきます。
まさかそれがよりによって「ソーシャル・ネットワーク」を観た日に起こるとは。

ところで、ミクシィツイッターなどに完全に乗り遅れている僕ですが、今年に入ってからネットで映画の席を確保することを覚えました。
前日に映画館のサイトを開けば、見たい映画の上映時間から席の位置まで事前に決めることができ、当日は自動発券機で予約番号を記入すればビーっとチケットが出てきます。
便利なものを、便利だからという理由で敬遠してしまい、あえて自分を時代遅れのエリアに置いて無頼派をきどるのも、少々問題ありですね。
初めてネット予約できたときは大層嬉しかったのです。

ネット予約をする契機となったのは正月の映画鑑賞会でした。
映画仲間と言いましょうか、男ばかりのメンバーですが、たまに集まって映画を見て、後でご飯を食べながら感想を述べ合うという、実に地味な活動をたまに行っています。
暮れにメンバーからメールがポンと来て、見ると1月2日の「トロン=レガシー」を3Dで、しかも日本語吹替で見に行くとの通達で、正月は混む可能性があるから事前にネット予約せよとの指示がありました。
実は以前に話題作を見に行って、予定の回が満席、次の回までお茶して時間を潰す事態となったことがあります。
やってみると簡単に席を確保でき、当日も時間の無駄なく鑑賞に入ることができました。
以来、一人で観る時もネットで予約するようになりました。

その日も「ソーシャル・ネットワーク」初日、話題作で混雑が予想されたため事前予約せよとの通達で鑑賞会の開催が決まりました。
集まったのは三人、各々が席を予約しており余裕の集合でした。
俺達がこんなことをできる時代が来るなんてと、僕と同様今年になってから予約を覚えた一人も嬉しそうにチケットを発券しました。

建物の上階に劇場のあるシネコンで、エレベーターで昇って、エスカレーターで更に昇って、さて入る前にトイレでもといったときに、その彼がにこにこしながら「明日だった」と唐突に言います。
「明日の席、取っちゃった」
何かこう、よくないことが起こったようだと、彼の笑顔から逆におそろしいものを感じたのですが、事実彼は予約の際に日付を間違えて席を確保してしまっていたのです。
見せてくれたチケットには確かに明日の同じ時刻の回の印字があり、明日ってことはつまり今日ではないということです。
思わず「じゃあ、明日だ」くらいのことしか言えず、三人で茫然となり、僕ともう一人も急いで自分のチケットを確認し「今日」であることに安堵し、いや、じゃあ彼はどうするんだと顔を見合わせるしかありません。
立ち見ででも見せてもらえないだろうかと僕は提案し、で明日のこの席は破棄してもらえば済むわけだから、と言いながらも絶望的な気分になって声が小さくなりましたが、彼も一応劇場のスタッフに確認に行って、しかし粘りもせずすぐに引き返してきて両手でバツマークを作りました。
いいよ帰るよ楽しんできてと、下りエスカレーターに乗る彼を、残った二人は為すすべもなく見送って、「ソーシャルネットワークかあ」と意味もなく冗談交じりに言ってみたのでした。
ここで年齢を言ってみれば、三人ともが三十代なのです。なんと切ないシチュエイションか。


映画が始まっても、しばらくは先ほどの事件の余韻が残っていて、多少座り心地の悪い思いをしましたが、やがて致し方ないことだと少々冷酷に割り切って映画に集中しました。

フェイスブックというソーシャルネットワーキングサービスは、ハーバード大学のとある学生が作ったもので、2004年にリリースされて以来またたく間に世界中に広まった怪物サイトです。
これの創設者マーク・ザッカーバーグの素っ気無い性格が、おかしくもあり、ちょっと怖くもあるという、サクセスストーリーのヒーローにしては人間味を欠いていて掴みどころが無い、といったところです。

ほとんどのこういった映画では、組織が大きくなる(権力が増大する)につれ、だんだんと非人間的な行動をとるようになる主人公のもとを、無名時代からの友人達が離れて行く様子が描かれます。
もしくは状況の変化に従ってこれまでの仲間たちを徐々に退けてしまう主人公が描かれるものです。
あんなにいい奴たっだのにすっかり変わっちまって、という展開です。
そして主人公は、非道によって得た名声と引きかえに大事なものを失っってしまったことに気づき慟哭するという、ある種のお決まりのパターンがあります。

この映画も大体はそういうことなのですが、ちょっと変わっているのは、マーク・ザッカーバーグが最初から不愉快な男として描かれていることです。
フェイスブックを作る前と、世界に5億人のユーザーを持ち得た後に、彼の中に大した変化が見受けられない点がこの映画の肝かも知れません。

徹頭徹尾人情味を欠いた主人公が、サイトを巨大化させるにあたって淡々と行動を起こし、外野の横槍をものともせず、勝ち得た億万長者の地位も大して嬉しくないし、悲しくもない、そういう映画でした。
右往左往するのは主人公の周辺で、彼は至ってマイペースに生きています。

無表情にノートパソコンに向かってキーを打つ姿は、何を考えているのか分からない冷めきった若者像として見ることもできるのですが、この風景は現在ではあまりにも至る所で日常化しているため、今の観客にはそれほどのモンスターには見えないかもしれません。
この不愉快な主人公は、しかし普通の人なのです。
このことは、映画の平板な印象を生んでいます。
物語はあえて物語らしく描かれず、全ての出来事が平板で空虚に見えます。
まさしく空虚が当たり前となった現代を描いたのだ、という映画だったのでしょうか。


映画を観終わって、この空虚に対して僕はまた先ほどのネット予約のことに思いを馳せてしまいました。
後になって考えてみれば、この日は三人ともチケットを破り捨てて飲み屋に繰り出すこともできたはずでした。
ネット予約の失敗を酒の肴に(僕は下戸ですが)、クダを巻いてやれば良かったのです。
融通がきかないネット予約に対して、いくらでも融通のつく我々は、その時間とお金を無駄に浪費すれば良かったのです。

反省というほどのことでもありませんが、ちょっと後悔も味わって、生き馬の目を抜くネット業界でスターダムにのし上がった若き天才のことをぼんやり考えながら、帰宅の途につきました。


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