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1940年代 アーカイブ

2007年06月19日

「長屋紳士録」 ~お婆ちゃんは怖い~
小津安二郎監督

長屋紳士録」(1947

監督: 小津安二郎
製作: 久保光三
脚本: 池田忠雄/小津安二郎
撮影: 厚田雄春
美術: 浜田辰雄
衣裳: 斎藤耐三
編集: 杉原よ志
音楽: 斎藤一郎
 
出演:
飯田蝶子 / おたね
青木富廣 / 幸平
小沢栄太郎 / 父親
吉川満子 / きく女
河村黎吉 / 為吉
三村秀子 / ゆき子
笠智衆 / 田代
坂本武 / 喜八
高松栄子 / とめ
長船フジヨ / しげ子
河賀祐一 / 平ちゃん
谷よしの / おかみさん
殿山泰司 / 写真師
西村青児 / 柏屋


【おはなし】

長屋に暮らすおたねは、一人の戦争孤児を引き取ることになる。

【コメントーお婆ちゃんは怖いー】

寝転がって見始めた。
中学三年生(90年)のときだった。
父は新聞を広げ、祖母は繕いものをし、母は台所、兄はまだ帰宅していなかった。

映画というお高級なお文化のお陰様で、受験期にも関わらず僕は大手を振ってテレビの前に寝転がることができた。
両親は何も言わなかったが、内心苦々しく思っていたかもしれない。
BS2の衛星映画劇場は、当時僕の定番だった。
長屋紳士録」は静かに始まった。

戦後まもなくの東京下町の長屋が舞台。
そこへ一人の少年が連れられてくるところから始まる。
笠智衆が若い。
拾ってきた少年を笠智衆は向かいに住むおたねに押し付ける。
可哀そうだ、ほっとけない、とかなんとか言いながら自分で世話をする気はない。

飯田蝶子演じる主人公おたねが登場したとき、思わず僕は起き上がってしまった。
あまりにも、お婆ちゃん然としていて、感動したからだ。
この、しかめ面!ふてぶてしい態度はお見事!

うちは両親が共働きだったため、幼少期は祖母と一緒の布団で寝ていた。
祖母は常にぶすっとした表情をしていて、小言をたくさん言った。
怒っているわけではない。そういう性分なのだ。

祖母は背後で繕いものをしているが、試しに振り向いて見れば案の定ハの字眉毛のしかめ面である。

一晩だけ、と言い残し半ば無理矢理に少年を置いて行く笠智衆。
黙って立っている少年を、おたねは鬼の形相で睨みつける。
「めっ!」
と威嚇され、少年は俯いてしまう。

これぞ、明治生まれのお婆ちゃん像。ちょっとこわいのだ。
日露戦争からこっち、山あり谷あり曲がりくねった人生を歩んできた女性を、飯田蝶子は完璧に体現する。
冒頭の短いやり取りを見ただけで、僕は安心した。
責任をもって最後まで楽しませると、飯田蝶子が確約してくれたように感じたからだ。
ずっと飯田蝶子を見ていればいいのだ。

この時点で、長屋の連中にとって子供は邪魔な「モノ」でしかない。
おたねは早いところこの厄病神を追い出したい。
この辺のさじ加減がいい。
小津監督の喜劇には、強烈な厳しさが伴うから面白い。
シニカルでブラックユーモアに溢れている。
そこに余分なエグみが出ないところがまた素晴らしい。
苦い思いをしながら生きているよなあ、と微笑みかけてくる感じである。

僕が笑いながら見ていると、後ろで新聞紙をたたむ音がした。

翌朝、少年はオネショをしてしまう。
馬みたいなしょんべんをたれやがった、とおたねは怒る。
おたねの命令で、少年は外に干した布団をうちわで扇ぐ。
片手をポケットに入れて、自分のたれたお小水を扇ぐ少年の姿が、目に焼き付いている。
おかしいし、どこか切ないし、なぜか温まるものも感じる。
こういった印象的な画が、最後までずっと続く。

緻密に計算されているに違いない一つ一つのカットが、丁寧に過不足なく積み上げられていく。
順序を追って、折り目正しく物語が語られ、登場人物がそこに生きているかのように出入りし、ごく自然な流れの中で、おたねは少年に情を移して行く。
二人の距離は狭まり、やがて離れがたいものへと変わって行く。

そういえば、先ほどから台所の方からの物音がしなくなっていた。
振り返ってみると、両親と祖母が、画面に見入っていた。
物語の後半は、家族の四人で笑って、四人で目がしらを熱くした。
何も好んで「家族泣き笑い」をしたかったわけではない。
ただ、この映画があまりにもよく出来ているのだ。誰をも吸引してしまう。
一人で見ようが、千人で見ようが、家族で見ようが関係ない。
この映画はすべての人に、語りかけてくる。

しかめ面のおたねが、少年を愛するようになる過程は、それほど魅力的だった。

小津監督の残した作品は百本近くある。
どれから見たらよいのか決めかねたのだとしたら、ぜひ「長屋紳士録」を。
上映時間が72分。短く感じない。長くも感じない。時間は忘れる。
本当におもしろい映画。

「あーあ。うち泣いたよ」
祖母は鼻をすすった。
お婆ちゃん子である自分が、お婆ちゃんと一緒に、お婆ちゃんが登場する映画を見て、お婆ちゃんが目を赤くしている様に気付いた。
なんだか恥ずかしくなってしまって、「勉強勉強」と呟きながら慌てて二階へ逃げた。

2007年08月19日

「私を野球につれてって」~おまけ野球で楽しもう~
バスビー・バークレイ監督

私を野球につれてって」(1949年

監督: バスビー・バークレイ
製作: アーサー・フリード
脚本: ハリー・テュージェンド/ジョージ・ウェルズ
撮影: ジョージ・フォルシー
作詞: ロジャー・イーデンス
作曲: ベティ・コムデン/アドルフ・グリーン

出演:
フランク・シナトラ
ジーン・ケリー
エスター・ウィリアムズ
ベティ・ギャレット
エドワード・アーノルド
ジュールス・マンシン
ブラックバーン・ツインズ
サリー・フォレスト


【おはなし】

大リーグ、ウルフズの新任球団社長は女性だった。
主要選手のジーン・ケリーは素人に任せられるかと息巻くが、彼女が美人だったので困惑。
野球の場面はほとんどなし。ラブコメディ・ミュージカル。


【コメントーおまけ野球で楽しもうー】

先日、友人と連れ立って野球観戦に行って来た。
西武ライオンズオリックスバッファローズ戦。
グッドウィルドームは、かつての西武球場。
西武線の駅名は未だに「西武球場前駅」のままなのが、昨今のプロ野球事情を窺わせる。
友人の一人が新座市民の割引でチケットを買ってくれていた。
内野自由席が1枚2000円。

球場では、一塁側か三塁側かに入場することになる。
西武側かオリックス側かの選択なのだが、特別どちらのファンでもない我々は、空いているであろうオリックスの三塁側のチケットを取っていた。
オリックスバッファローズは目下最下位争いに奮闘中。
案の定空席だらけだったので、客席に持参の食べ物を広げて陣取った。
手ぶらで行っても、球場にはケンタッキーやラーメン、そば、カツカレー、抹茶フロート、様々な店舗がずらりと並んでいるから、食べ物や飲み物には事欠かない。
僕は、冷やしラーメンなるものを買って食べた。
客席ではビールやサワーの売り子があちこちにいる。
このピクニック気分、お祭り気分にこそ球場観戦の楽しさがある。
おまけにうまい野球まで見れるのだから贅沢だ。

映画「私を野球につれてって」でも、野球はほんの設定に過ぎないおまけみたいなものだ。
映画冒頭からして、ジーン・ケリーフランク・シナトラが舞台で歌い踊っている。
大リーグ、ウルフズの主力メンバーでありながら、二人はオフシーズンの間、ショーの舞台に立っているのだ。
シーズン開幕直前に帰って来た二人をチームメイトは歓迎する。
そこへ、苦々しい顔をしてやって来た監督が球団オーナーが替ってしまったことを告げる。

そういったストーリーは、この映画ではそれほど重要ではない。
全編に渡って楽しい歌とダンスが披露され、特にジーン・ケリーのタップダンスをたっぷりと堪能できる。
ミュージカル界のマーロン・ブランドとは本人の弁らしいが、ダイナミックな踊りは大変魅力的だ。

一方、若きフランク・シナトラは、映画の中で瘠せ過ぎをネタにされるほどにほっそりとしている。
兄貴分のジーン・ケリーから頭をはたかれたりもする、純朴で可愛らしい役どころだ。
後年、イタリアンマフィアとの黒い関係が噂された俳優歌手だが、ここではその面影は全くない。

新任の球団オーナーはエスター・ウィリアムズ演じる若い美人女性だった。
この女優さんは元々競泳の選手で、この映画でも特に意味もなくプールで泳ぎながら唄う場面が挿入される。
美人オーナーにゾッコンのシナトラであったが、オーナーはなんだかジーン・ケリーとどうにかなりそうな気配。
恋の三角関係も至極あっさりと描かれる。
この映画に「葛藤」など無用。
楽しいアメリカの、楽しい国技にまつわる、軽いタッチのミュージカルコメディである。
気軽に見て、笑顔で映画館を出るような作品。

そう言えば、先日の野球観戦でも、思わず笑顔になる場面を目撃した。
三列前に座っていた、高校生くらいの男の子が売り子を呼んだ。
こちらも十代だろうか、売り子の女の子が彼の隣りの階段に腰掛け、背中のタンクからビールを注ぎ始めた。
野球部であろう、日焼けした坊主頭の彼は、しきりに彼女に話しかけている。
二人が会話をするのは、ビールが注ぎ終わるまでの間だけなのだろう。
満々とビールの入った紙コップを受け取った彼は、おもむろに鞄から小箱を取り出した。
小箱は包装されており、リボンも付いている。
プレゼントの体裁をしたその小箱は、女の子に手渡された。

試合は両投手の好投で、7回まで両チーム無得点の展開。
息詰まる投手戦をよそに、売り子の彼女が去ったあと、彼はしばらく天井を見上げていた。
よく見ると彼の周辺には二杯のビールが手付かずのまま置かれていた。
三杯目にしてようやくプレゼントを渡せたということだろうか。
どちらが勝つかまだ決着のつかないうちに、彼は三杯のビールをちゃんと片付けて、球場を去って行った。
今日の試合は、彼の中ではゲームセットだったわけだ。
また次の試合で、もしかしたら勝利をあげられるかもしれない。

素晴らしき、球場の恋。
西武ライオンズ西口投手の150勝達成が決まり、花火が上がった。
屋根付き球場なので、花火の煙が雲のように天井付近に充満したのがおかしかった。
おまけにプロ選手の野球まで見ることができた。
また、球場に足を運ぼうと思う。
TAKE ME OUT TO THE BALL GAME!


2007年09月04日

「イースター・パレード」~美技、内股~ 
チャールズ・ウォルターズ監督

イースター・パレード」(1948年

監督: チャールズ・ウォルターズ
製作: アーサー・フリード
原作: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット
脚本: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット/シドニー・シェルダン
撮影: ハリー・ストラドリング
音楽: ジョニー・グリーン/アーヴィング・バーリン/ロジャー・イーデンス

出演:
フレッド・アステア
ジュディ・ガーランド
ピーター・ローフォード
アン・ミラー
ジュールス・マンシン


【おはなし】
フレッド・アステア演じるダンスの名手は、新たなパートナーに酒場のしがない踊り子を選ぶ。
素人同然の女の子に磨きをかけているうちに、アステア自身も新たな魅力を獲得していく。
パートナーの関係を超え、二人は愛し合うように、なる?なるのか?


【コメントー美技、内股ー】

僕は中学生の時(88年91年)に、内股をガニ股に矯正した。
と、威張って書くようなことではないのだが。

小学生の頃までは、どちらかと言えば内股だった。
写真に映ると、まるでクワガタのアゴのように特に膝から下が内に向いてしまっていることがあり、当時の僕にしてみればそれなりに悩みの種であった。
中学生になり野球部の先輩と一緒に帰宅しつつ、僕は彼の大胆なガニ股に目を奪われた。
ガニ股の方がやはり格好いいのではないかと、憧れを持った。

その頃から、両足のつま先が外を向くように意識して歩いた。
今思えばである。内股であったことよりO脚(オーきゃく)であったことの方が、僕の脚をクワガタ然とさせていたのではなかったか。
結果、O脚のガニ股が完成するのであった。

かつてアメリカにはフレッド・アステアというミュージカルスターがいた。
彼のダンスは華麗そのもの。
あまりに素晴らしい身のこなしに笑ってしまうほどだ。
ミュージカル映画「イースター・パレード」の冒頭で、アステアがおもちゃ屋の中で舞う場面がある。
めくるめく妙技の数々に、唖然とさせられる。

アステアが買おうとしたウサギのぬいぐるみを、少年が横取りしてしまった。
アステアは大小様々なドラムのおもちゃで遊んで見せ、少年の気を引き、最後はウサギのぬいぐるみを持って去る。
ドラムを鳴らすバチさばきの凄まじさは尋常ではない。
頭や脚やステッキを駆使してドラムと軽やかに戯れるが、もちろん歌いながら、曲に合わせて踊りながらのことである。
正月のかくし芸大会における堺正章と、本気でダンスをしている時の東山紀之を、それぞれ二乗し、足して2で割らないような感じとでも言おうか。
人間の動きを超越している。
この場面のためだけにでも見て損はないと思う。

そして、このアステアのダンスを、僕は「内股系」に系統してみたい。勝手に。
これに対し、当時のもう一人のミュージカルスター、ジーン・ケリーは「ガニ股系」に属する。
「内股系」は華麗、「ガニ股」系はエネルギッシュの傾向を持つ。

内股と言うと間抜けだが、これは賛辞である。
いかなるステップを踏むときも、頭の先、指先、つま先まで全身が美しいシルエットとなるよう形作られ、奇跡のバランス感覚で地上を跳ねる。
内股の力学は、パワーを無駄に外に放出しないイメージがある。
「内股系」には、先の東山紀之、あるいはマイケル・ジャクソンなどが分類される。
実際、彼らもアステアを手本にしているところがあるのではないかと思う。

このスタイルは相当に高い技術があってこそ成立するもののようで、昨今映画「Shall we ダンス?96年)」から派生したテレビ番組で多くの芸能人が社交ダンスを披露していたが、内股系に挑戦した方々は随分とお粗末な結果に落ち着いてしまっていたように思う。
まだ「ガニ股系」の方が、無難にごまかせる余地がある。
「ガニ股系」の魅力については、また後日ジーン・ケリーについて書く時に触れることにするが、例えばジェームス・ブラウンがこの系統に入るアーティストであることだけ付け加えておく。

刮目すべきこのアステアの内股ダンスは、「イースター・パレード」でたっぷりと堪能できる。
アステアは人気のあるショーダンサーの設定。
イースターの記念日(復活際)に、ダンスのパートナーと喧嘩別れしたアステアは、街の小さな酒場にいた踊り子を捉まえて「仕込んでやる」と言い放ち、自分のパートナーとして雇う。
前のパートナーに対する当てつけであり、彼自身破れかぶれになっての思いつきだった。
なかなか思うようには踊れない新パートナーの田舎娘だが、ある時ヴォードヴィルについては才能を発揮することが分かる。
深刻で奇麗なダンスではなく、愉快で朗らかな歌とステップ。
徐々に人気を集めて行くアステアと新人田舎娘。
このヴォードヴィルの場面は楽しい。
二人の恋の行方も同時進行で語られ、さて、あれから一年経つイースターパレードを二人はどう迎えるのだろうか。

この頃のミュージカル映画は、今のミュージカル映画とは本質的に異なる。
役者を全身が見える画面のサイズで撮っている。
そして一つのカットで、ある程度の長さの踊りをやって見せる。
つまり、映画の編集でのごまかしを排除しているのだ。
「一つのカット」とは、その画が始まって終わるまで、ひと続きの映像のことを指す。
画面がひと続きであるということは、ひと続きで演じているということになる。
その間は嘘がつけない。
編集の段階でいくらでも手を加えることができるのがミュージカル映画の醍醐味でもあるのだが(※)、ミュージカルそのものの面白さを味わうには、やはりそれなりの役者がちゃんと歌って踊れることが必須のようである。
この映画では、アステアのダンスがスローモーションになる場面がある。
正真正銘、彼のダンスが神業であるところを、じっくりとご覧あれとでも言っているようである。

内股系の美しさにもっと早く気付いていれば僕も矯正する必要なんてなかった、などという無用の後悔をしてみたりして。
とにかく、フレッド・アステア格好いい!

※ミュージカル映画の編集の醍醐味については「シカゴ」の記事で触れています。→こちら(07年7月15日の記事です)


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