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1950年代 アーカイブ

2007年06月15日

「大人は判ってくれない」 ~回転する思春期~
フランソワ・トリュフォー監督

大人は判ってくれない」(1959

監督: フランソワ・トリュフォー
製作: フランソワ・トリュフォー
脚本: フランソワ・トリュフォー/マルセル・ムーシー
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ジャン・コンスタンタン
 
出演:
ジャン・ピエール・レオ
クレール・モーリエ
アルベール・レミー
ジャン・クロード・ブリアリ
ギイ・ドゥコンブル


【おはなし】

舞台はパリ。問題児扱いされる少年アントワーヌ・ドワネルは少年院に入れられ、やがて脱走する。

【コメントー回転する思春期ー】

1994年頃、高校生の僕はぐずっていた。
受験がいやでいやで仕方がなかった。
受験なんて下らない審査はやめろ。俺の人間を見れば合格に決まってるだろう。
そんなことを本気で考えていた。
つまり勉強が苦手だったのだ。
人間を見て選ぶ受験なんてものがあったなら、寧ろ合格は遠のいたろうに。

NHK衛星第二放送の衛星映画劇場は、
黒澤明が選んだ100本の映画を順次放映するという企画の最中だった。
これをビデオで録画しつつ見るのが日課となっていた。
受験一色の学校生活から逃れるように、僕は毎日映画を見た。
夜は祖母しかうちにいなかったので、ゆっくり一人で鑑賞できた。

「大人は判ってくれない」という随分直球なタイトルにいささか鼻白んだが、まぁ黒澤が勧めるのだから見ておこうという態度で居間のテレビの前に座った。

おや?と思った。
何か違った。
普通の映画とはどこか違う。
台詞の感じも、ストーリーも、カメラワークも、今まで見たことのないものだった。
生々しい。ヒリヒリする。なのに笑える。

遊び心に溢れた演出は、いちいち僕を魅了した。

主人公アントワーヌ・ドワネル少年は母親の浮気を目撃する。くさくさして学校をサボる。金持ちの友人宅に泊まる。担任の教師に母が死んだから学校を休んだと告げる。当然嘘はバレてこっぴどく叱られる。
終始そんな調子で、彼は学校からも家庭からも疎まれてしまう。

ドワネルは友人と二人で学校をサボって遊園地に行く。
大きな筒状の乗り物があった。
巨大円筒の中に入り、壁に背中をつけて準備が整うと、
やがて乗り物は円の中心を軸に回転し始める。
ぐんぐん回転速度は上がり、遠心力によってドワネルの身体は筒の内壁に押さえつけられる。
更に速度が増すと、ドワネルは床から足を離し壁に張り付いたまま浮いてしまった。
身体を少しずつずらし、とうとうドワネルは逆さまになる。
彼は笑顔だった。
この遠心力を楽しむだけの奇妙な乗り物によって、彼は地面から解放された。
更に身体をずらし、元の位置まで戻ってきた頃、円筒の回転は徐々に緩くなった。
少年が遊園地で乗り物に乗っているだけのシーンが、とても面白く、また切なく胸を衝いた。

ドワネルは黙々と走る。
黙々と遊ぶ。
いたずらもするがお手伝いもする。
そして、文豪バルザックをこよなく愛している。

映画を見ながら、僕の感情は激しく起伏していた。
ドワネルの全ての行動が痛々しく目に映った。
これほどまでに、子供について的確なものはないと思った。
ほとんどの場合、映画に出てくる子供は大人から見た子供像だ。
この映画は、子供の言い分に耳を貸すでもなく、大人の肩を持つわけでもなく、ただその模様が的確に描かれるだけだ。

それでいて、この生き生きとした感じはなんだ?
ディテールの積み重ねと小ネタの応酬。
人物の細やかな描写。
溢れるユーモア。
僕にはこの映画の呼吸がピタっと相性に合った。

祖母が居間に入ろうと戸を開けたが、僕が振り返るとそのまま戸を閉め、奥の部屋へ引っ込んだ。
他のどの映画を見ているときでも構わない、居間を行ったり来たりしてもらっていい。
なんだったら裸でブラウン管の前に立ちはだかっていただいてもいい。
ただ今日だけは。今日だけは、ひとりで、集中して最後まで見させてくれ。
振り返った際そんな表情をしてしまっていたかもしれない。

鬱屈した気分と歯がゆい思春期の焦りは、
ドワネルのものなのか、自分の問題なのか。
僕はじっと彼の行く末を見守った。

窃盗したことから少年院に送られたドワネルは、脱走を試みる。
映画の終盤、逃げたドワネルの走る姿が延々と映し出される。
走って走って、たどり着いたのは海だった。
「海に辿り着いた!」ことで映画は終わる。
ただ海に着いただけのドワネルの顔のアップで終わる。
衝撃のラスト。
僕はしばし、呆然としていた。

後に知ったのだが、
これが世に言う「ヌーヴェルバーグ」だった。
過去の映画に対する憧憬と敬意。そして今までにない映画の模索。
過激な温故知新。
50年代の終わりからたくさんの映画監督がフランスに登場した。
その監督たちと映画群を総称してヌーヴェルバーグと呼ぶ。
トリュフォーは弱冠27歳にして、この初監督作でカンヌ映画祭の喝采を浴びた。
ジャン・リュック・ゴダールと並んでヌーヴェルバーグの中心人物として今日でもファンは多い。
84年にこの世を去ってしまうまで22本の長編映画を監督した。

90年代前半になって、ヌーヴェルバーグ(新しい波)が日本の一高校生の所まで打ち寄せてきた。
遅ればせながら、驚嘆と喜びを持って受けとめた。

残念なことに、翌日から、僕の勉強をする手は完全に止まってしまった。



2007年07月10日

「十二人の怒れる男」 ~未成年ノットギルティ~
シドニー・ルメット監督

十二人の怒れる男」(1957

監督: シドニー・ルメット
製作: レジナルド・ローズ/ヘンリー・フォンダ
脚本: レジナルド・ローズ
撮影: ボリス・カウフマン
音楽: ケニヨン・ホプキンス

出演:
ヘンリー・フォンダ / 陪審員8番
リー・J・コッブ / 陪審員3番
エド・ベグリー / 陪審員10番
マーティン・バルサム / 陪審員1番
E・G・マーシャル / 陪審員4番
ジャック・クラグマン / 陪審員5番
ジョン・フィードラー / 陪審員2番
ジョージ・ヴォスコヴェック / 陪審員11番
ロバート・ウェッバー / 陪審員12番
エドワード・ビンズ / 陪審員6番
ジョセフ・スィーニー / 陪審員9番
ジャック・ウォーデン / 陪審員7番


【おはなし】

とある少年犯罪の裁判で、12人の陪審員たちは、彼が有罪か無罪かを議論する。

【コメントー未成年ノットギルティー】

うちの母親は当時スナックを経営していた。
スナックのママというやつだ。
僕の住んでいた小さな港町は見事に寂れていたが、それでも商店街から脇道に入るとスナックが軒を連ねていた。

スナックのママは、お客さんからご馳走になることが多々ある。
その日もお寿司屋にお誘いを受けていた母だったが、急遽お客さんに仕事が入り、とった予約に穴を空けるところだった。
「あんた行かんかね?」
中学高校の頃、僕はこういった経緯でお寿司などをお相伴にあずかることがあった。
夫婦が営む、カウンター席のみの小振りなお寿司屋さんに入った。
母は小声で
「お客さんが代金払ってくれるけね」
と言った。
この場にいないそのお客さんに僕は両手を合わせ、後は遠慮会釈もなしに注文をした。
その頃食べた、ヒラメのエンガワアジのうまさが未だに忘れられない。

斜め前のカウンターに一人で寿司をつまんでいる小肥りの中年男がいた。
僕は店に入った時すでに気が付いていた。
彼がマスターに熱く語っているのは、どうやら小林正樹監督の「人間の條件5961年)」についてだ。

母親がようやく気付き挨拶をした。
彼はすぐ近所のビデオ屋の店主だった。
他にもう一軒ビデオ屋はあったが、品揃えからいって僕は断然小肥り派だった。
店主が映画好きであることは、ビデオのラインナップからすぐに読み取れた。

彼はこちらを見てニコリと会釈したが、またマスターとの話しに戻った。
僕は一瞬ドキリとした。
ビデオ屋で彼と会話を交すことはない。
未成年である僕がアダルトビデオをレンタルしまくっていることを、彼は黙って見逃してくれていた。
ルキーノ・ヴィスコンティとエロビデオをセットで借りたりする僕を、彼は黙認していた。
まさかこの場で、その件を暴露されることはないだろうが、僕は下を向いてネギトロ巻を頬張った。

母親が彼にお奨めの映画を聞いた際に「十二人の怒れる男」のタイトルが挙がった。
12人の陪審員が討論するだけの映画だと聞き、興味が湧いた。
玉子を注文しつつ、近々借りに行こうと思った。

冒頭は裁判所。
裁判が審議に入り、陪審員たちが奥の部屋へ引っ込むところから映画は始まる。
容疑者である少年の命乞いするような視線が印象的だ。

一室のテーブルについて、12人はまずそれぞれの考えを確認する。
順番に有罪か無罪かを述べていくのだが、誰もかれもが「ギルティ(有罪)」と表明する。
満場一致で有罪に決まるかと思えたとき、ヘンリー・フォンダが唯一
「ノットギルティ」と言う。
騒然となる他の陪審員たち。
全員が有罪か無罪かで一致しない限り、陪審員の結論としては提出できない。
誰の目にも明らかなこの有罪を、果たしてヘンリー・フォンダはどうやって反論していくのか。

ヘンリー・フォンダの知的な物腰には惚れ惚れとしてしまう。
すっきりと背筋を伸ばし、有罪に息巻く他の陪審員たちを確実に説得していく。
裁判での証言をつぶさに検証しながら、有罪の盲点を突いていく。
一人、また一人と、無罪に票を入れる者が出てくる。
その過程がスリリングでおもしろい。
思わず前のめりになって中学生(88年90年)の僕はヘンリー・フォンダを応援する。

一室のみで展開されるドラマは、ともすると退屈な映画になってしまう。
舞台で好評を博した作品が映画化となり失敗するケースは多々ある。
密室からカメラが出ないとなると、背景が退屈になってしまうのは大きなリスクだ。
しかし、この映画ではそこを利点とし、息詰まる空気がドラマの熱気とともに伝わってくるようにできている。

後に知ったのだが、この映画の中で流れる時間経過は、現実の時間経過と変わらないらしい。
つまり、編集で途中を省くことをしていない。
沈黙があれば、沈黙の間だだけ、カメラが沈黙を捉える。
もはや観客は、陪審員の一員としてそこに居座っているのと同じ状況である。
このストイックな描写に、僕は完全に惹きつけられた。

12人のそれぞれの考え方、過去、家庭の状況などが、じわじわと明らかになっていく。
いよいよ有罪が少数派になるまで様子は変わった。
しかし、頑ななまでに有罪を通そうとする者もいる。
ここへ来て、冒頭の少年の表情が効いてくる。
彼は有罪なのか。しかし無罪だったとしたら・・・。

何しろよくできたシナリオである。
最後の最後まで堪能した。
こういうものをもっと見たいと思った。

翌日。
感想を述べるつもりで、僕はビデオ屋に返却に行った。
ところが小肥りの店長は不在でバイトの兄ちゃんが店番をしていた。
いつも通りに無言で返却し、せっかくなのでアダルトビデオを借りて帰った。

※脚本家三谷幸喜はこの映画をパロディ化しました。「12人の優しい日本人」についての記事は→こちら(07年7月18日の記事です)


2007年08月18日

「ケイン号の叛乱」~風化寸前、モラルの壁~
エドワード・ドミトリク監督

ケイン号の叛乱」(1954年

監督: エドワード・ドミトリク
製作: スタンリー・クレイマー
原作: ハーマン・ウォーク
脚本: スタンリー・ロバーツ
撮影: フランツ・プラナー
音楽: マックス・スタイナー

出演:
ハンフリー・ボガート
ホセ・ファーラー
リー・マーヴィン
ヴァン・ジョンソン
ロバート・フランシス
E・G・マーシャル
メイ・ウィン
フレッド・マクマレイ
トム・テューリー
クロード・エイキンス


【おはなし】

新任の艦長は船員たちの堕落に厳しく接する。船員たちには不満が溜まる。
そんな折りに、軍艦ケイン号は嵐に巻き込まれてしまう。
帰還した後、艦長は艦長として適任者であったかどうかの軍法会議にかけられてしまう。


【コメントー風化寸前、モラルの壁ー】

横綱朝青龍の処罰を巡って、このところの相撲界は騒然としている。
75年生まれの僕にとって、横綱と聞いてまず頭に浮かぶのは千代の富士(現九重親方)である。
そして、横綱らしい横綱は貴乃花(現貴乃花親方)を最後に登場していないと思っている。
彼らは、驚異的な自己管理能力を持って、自分に厳しく、勝負に強い人間を貫いてくれた。

大相撲と甲子園、これは日本が痩せ我慢をしてでも守るべき、モラルの聖地だと信じてやまない。
時代がいくら移り変わっても、相撲と高校野球には面倒なシキタリをものともせぬ、超人たちが集う場所であって欲しい。
見本となる人物がいてくれるおかげで、我々庶民は襟を正すことができるのだ。
ただ強ければいい、というものでは断じてない。
彼らの存在は日本の、いや世界の、良心と良識を守る最後の砦だと思う。
いや、まったく身勝手にそう思っているだけなのだが。

サッカー日本代表やJリーグに対して、多くの人々が感じているであろうチャラチャラした印象は、良くも悪くも日本プロサッカー発足の際の「モラルは問わない」という風潮を未だにサッカー界が引き摺っているところからくるのだと思う。
勝っても負けても、日本代表の試合に、何かスッキリしないものを感得してしまうのは僕だけなのだろうか。
ワールドカップで日本代表が敗北した際に、プロ野球楽天イーグルスの監督野村克也が「茶髪だから負けたんだ」と言ったのは、あながち間違いでもないような気がしてしまう。
本当は、茶髪に染めようがアルマーニを着てようが試合でのプレーとはまた別の問題なのだろうが、野村監督の言う「茶髪」とは、それだけのことを指しているのではないと思う。
野球と人生の両輪を真剣に捉える野球道があるように、スポーツの道には美学や哲学といったものが必要だということなのではないだろうか。

いや、これはスポーツに限ったことではない。
職場でも学校でも家庭でも、遊びでも、芸能でも、芸術でも、集団における社会生活の中では、「もっと、ちゃんとやろうぜ」という心意気が、僕は必要だと思う。
必要だとは思うが、どうしても怠惰な方に流れて行ってしまう自分がいることも、残念ながら否定できない。

ケイン号の叛乱」は、とある戦艦の艦長と船員達の確執を描いている。
新任の艦長は規律に厳しく、船員はあまりにも融通の利かない彼に愛想を尽かす。
艦長の一連の行動は精神異常だというところまで発展し、軍事裁判にかけられてしまう。

この映画の前半に描かれる、船員たちの「少しくらい、いいじゃないか」という堕落や油断は、僕にとっても耳の痛い話題で、彼らの気持ちも分からないでもない。
だが、艦長の厳格な態度というのも僕は応援したい。
艦長を演じているのはハンフリー・ボガート
神経質にガミガミとやるのだが、全く船員たちが言うことを聞かない。
空回りしているリーダーの様子は見事だった。

この映画のよくできているところは、艦長が完璧な人格者というわけではないところだ。
必ずしもできた人物ではないし、リーダーとして的確な判断が下せる力量があるのかも疑問に思えるのだ。
見ているこちらも、艦長に信用がおけるのかグラついてしまう。
だが、それは本当に艦長だけに問題があるのだろうか。
船員たちに堕落が一切なかったとは言い切れはしないはずだ。
この辺りの匙加減が絶妙な構成で描かれる。

不満が噴出し、トラブルになる。
リーダーは、それを鎮めるべく決断をしなくてはならない。
そして決断は新たな不満を招く。
一体、どうすれば人々は満足のいく集団生活を送れるのだろうか。

集団における秩序の乱れは、中学生当時(88年91年)この映画をNHK衛星放送で観賞した僕にも、身近な問題として感じられた。
体育の時間にサッカーがあった。
2チームに分かれて試合をするのだが、まずチーム分けから難しい。
うまい奴と下手な奴との配分に手を焼くし、いわゆる不良たちの意見が通るものだから、一方で不満を抱える者も出てくる。
次はポジション決めに面倒が起る。
僕と同じ考えの連中がディフェンス(守備陣)に集まり過ぎてしまうのだ。
ジャンケンで負けた者は、渋々オフェンス(攻撃陣)に回り、フォワード(点取り専門)の不良たちと一緒に攻め込まなくてはならない。
不良連中は、絶対に自分のミスを認めない人種なので、パスが通らなかったりシュートが入らなかったりすると八つ当たりをしてくる。
オフェンスに回ったって、どうせ味方の不良から我が身をディフェンスするはめになるのだ。
不良の強引な采配と、嫌々ながらそれについて行く僕やその周辺。
どっちもどっちだ。
こんな集団で気持良くスポーツができるわけがない。

実にニコニコと朝青龍は親善サッカーに興じていたが、動きを見ていてつくづく運動神経の良い人だと思った。
不良はなぜだか運動が得意なケースが多いのだ。
ぜひとも、立派な横綱になって欲しいと心から願うばかりだ。


2007年09月03日

「裏窓」~自分の部屋の窓の裏から~
アルフレッド・ヒッチコック監督

裏窓」(1954年

監督: アルフレッド・ヒッチコック
製作: アルフレッド・ヒッチコック
原作: コーネル・ウールリッチ
脚本: ジョン・マイケル・ヘイズ
撮影: ロバート・バークス
音楽: フランツ・ワックスマン

出演:
ジェームズ・スチュワート / ジェフ
グレース・ケリー / リザ
レイモンド・バー / ラース
セルマ・リッター / ステラ
ウェンデル・コーリイ / トーマス


【おはなし】
足を負傷して車椅子生活のジェフ(ジェームズ・スチュワート)は、とあるアパートで療養していた。


【コメントー自分の部屋の窓の裏からー】

僕はノゾキをしたことがある。
ノゾキは犯罪であり、実に卑劣で不愉快な、人として恥ずべき行為だという社会通念も承知の上で、中学当時の僕のノゾキについて、ここに告白してみる。

中学三年生になって(90年)、ようやく自分の部屋を与えられた。
姉が大学入学でうちを出て行き、一部屋空いたためだった。
高校受験に向けての準備は万端整った。
あれだけ欲していた「自分の部屋」に入り、しかし僕は向かいのアパートを覗いていた。

部屋の窓から首を出し右を向くと、50mほど先に市営のアパートがあった。
その2階に住む若夫婦(と思われる)の奥さん(と思われる)が、カーテン越しに着替えているのをたまたま見かけてしまったのだ。
着替えをしていたのか、ただ部屋を歩いていただけなのか、若奥さんだったのか、その旦那だったのか、実はほとんど未確認なのだが、僕の視神経は妄想をも実体化する勢いで「若い女性の着替えを見た」ことにしてしまっていた。
以来、夕飯を食べ終わると二階の自分の部屋に入り電気を消したまま、向かいのアパートを眺めていた。

いくら眺めていても、カーテンは閉まったまま。
その部屋の電気が灯ることも、あまりなかった。
それでも日課のように、僕はアパートを眺めていた。

僕の部屋の窓の正面には3階建てのビルが建っていた。
手を伸ばせばビルに触れることができるほどのお隣さん。
ビルの2階の窓があり、窓の上部には分厚いコンクリートのひさしがあった。
厚さ30cm奥行20cm、幅は窓と同じくらいで2mはあっただろうか。

アパートを見ていても何も変化がないものだから、飽きてしまった僕はそのひさしの上に乗ってみた。
自分の部屋から身を乗り出し、腰ほどの高さにあるひさしに上り移った。
見上げると、自分の家とビルの狭間から夜空が見えた。
ひさしに腰掛けて、夜空を見たり、アパートを確認したり、はたまた自分の部屋を覗いたりした。
道路から見上げたら、丸見えの位置だった。
通行人に、僕は狂人に見えたろうが、幸いにも通報めいた事件は起こらなかった。
そもそも夜は人通りがほとんどない地域だった。

映画「裏窓」は、覗き見ることの面白さが、そのまま映画の面白さとなっている。
主人公は、こちらの建物から正面の建物を双眼鏡で覗き、窓によって切り抜かれた人々の悲喜こもごもを鑑賞する。
これは映画の本質に極めて近いような気がする。
映画とは「見る」ものである。
スクリーンのサイズに切りぬかれた登場人物の模様を覗き見する娯楽芸術。
巨匠ヒッチコック監督は、映画が最も得意とする表現法を強調し、自在に操り、見事なサスペンス映画を作ってしまった。

主人公のジェフ(ジェームズ・スチュワート)は、とある一室の夫婦に注目をした。
様子がどうもおかしいことから、夫が妻を殺害したのではないかと推理する。
それを暴くために、あの手この手でその夫に仕掛けをする。
ジェフの恋人リザをグレース・ケリーが超絶美人で演じている。
あれほどの美人がお見舞いに来てくれているのだから、何も事件に首を突っ込まなくたってもよさそうなものなのに。
リザを容疑者の部屋へ送り込んだりするのだ。

随所に挟まれる、コメディの調子。
事件の全容が明らかになるにつれ、高まる緊張。
身動きの取れない主人公ジェフに、最大の危機が訪れるクライマックス。
覗き見のアイデアから発展させ、紛うことなき映画の本道に辿りついた傑作。

中学時代に「裏窓」を見ていた僕は、この映画を免罪符に市営アパートを覗いていたところがあった。
何か事件があるやもしれぬ、という表向きで、着替えシーンを心待ちにしていた。
しかし、若奥さんの着替え姿は、結局それ以降一度も見ることはできなかった。
いつしか僕は、自分の部屋ばかりを覗いていた。
自分の生活空間を外から眺めると、まるで違うもののように感じられた。
敷かれた布団。片付かない机の上。散らばった本やマンガ。
あまりちゃんとした人間ではない様子が伺えた。
客観的に見ることで自分を見つめ直していた、というのは言い過ぎかもしれないが。

季節が秋に差し掛かり、あまりの肌寒さと、自分及び自分の部屋の汚さとに、ひさし観測は中止の運びとなった。


2007年09月23日

「生きる」~唯一無二の顔~       
黒澤明監督

生きる」(1952年

監督: 黒澤明
製作: 本木荘二郎
脚本: 黒澤明/橋本忍/小国英雄
撮影: 中井朝一
美術: 松山崇
編集: 岩下広一
音楽: 早坂文雄
演奏: キューバン・ボーイズ/P.C.L.スイングバント/P.C.L.オーケストラ
監督助手: 丸林久信/堀川弘通/広沢栄/田実泰良
記録: 野上照代
照明: 森茂

出演:
志村喬 / 渡辺勘治
日守新一 / 市民課課長・木村
田中春男 / 市民課課長・坂井
千秋実 / 市民課課長・野口
小田切みき / 小田切とよ
左卜全 / 市民課課長・小原
山田巳之助 / 市民課主任・斎藤
藤原釜足 / 市民課係長・大野
小堀誠 / 勘治の兄・渡辺喜一
金子信雄 / 勘治の息子・光男
中村伸郎 / 助役
渡辺篤 / 病院の患者
木村功 / 医師の助手
清水将夫 / 病院の医師
伊藤雄之助 / 小説家
浦辺粂子 / 喜一の妻・たつ
三好栄子 / 陳情のおかみA
本間文子 / 陳情のおかみB
菅井きん / 陳情のおかみC
宮口精二 / ヤクザの親分
加東大介 / ヤクザの子分
小川虎之助 / 公園課長


【おはなし】
余命幾ばくもないと診断された、とある役人が、死ぬまでに公園を作ろうと思い立つ。


【コメントー唯一無二の顔ー】

高校時代(92年95年)、演劇部に所属していた。
高校野球のように、高校演劇にも地方大会があり全国大会があった。
大会で勝ち残れるよう、日々練習に精を出していた。
演劇と言うからには、演技をしなくてはならない。
演技とはどういうものなのか、考える術すら持たない高校生が突然演じる立場になったとき、よすがとなるのは「学芸会の演技」と「演劇部の先輩の演技」と「テレビドラマの演技」である。
中学時代、黒澤明監督作に傾倒していた僕には、もう一つ「志村喬の演技」というのが頭にあった。

志村喬(しむらたかし)は黒澤作品の常連で、タラコ唇と大きな目が印象的な、魚のような顔をした俳優である。
作品によって全く異なる人物を演じているが、この「生きる」では癌を患った小役人を演じている。
退屈極まりない日々の仕事をこなし、ただただ日常を消化していたこの男は、自分が癌だと分かり絶望する。

志村喬の演技はこの映画で爆発している。
尋常ではない表情だ。
目を大きく見開き、眉毛は糸で引っ張ったように左右上方に押し上げられ、唇の端は左右下方に向って引きつっている。
顔面を凧と例えるなら、その骨組でピンと四方八方に突っ張っているような状態である。

更に、台詞回しも常軌を逸している。
短い単語を区切りつつ、かすれたような声で絞り出す。
そして一語一語は早口なのが特徴である。
「いや…しかし…その…私は…実に…その」
といった調子で、実際シナリオを読んでみると、上記のように書かれてある。
猫背で、まばたきをせず、俯き加減に一点を見つめて台詞を吐く。

90年代からの一時期、日本の俳優の中で「自然体」という種類の演技が流行したことがあった。
まるで、普段話しているかのように振舞う演技のことを指すのだと思うが、僕にとってはその演技の方がよっぽど不自然に見えた。
自然ですよー、という役者の自意識が鼻についてしまいどうも馴染めなかった。
自然を求めるあまりに、普段よりも声は小さくなり、普段よりもきょろきょろし、咳ばらいをしてみたり、鼻をすすったり、行き過ぎの傾向があった。

僕が好きなのは、例えばこの志村喬の演技である。
どこの世界を見ても、こんなふうに喋る者はいないだろう。
だが、この演技をやっている志村喬には余計な自意識が感じられない。
全身全霊を持って、役に成りきっている。
演技が臭い、とかいう次元でないことは確かだ。
この映画のテーマは重く、各シーンには人間の悲痛なあがきが描かれてある。
志村喬は真正面からこの役に挑み、映画「生きる」そのものの存在と同化している。

演劇部に入部早々、僕は6月の文化祭での上演作に出演することになった。
台本はプロの劇団が出版している既成のもの。
戦隊ヒーローものをパロディ化したような作品だった。
僕は悪の一団のリーダー役で、「生きる」の志村喬とはかけ離れた役柄だったのだが、ものは試しで例の演技を披露してみた。
演出担当の女子の先輩は、僕を指差して叱った。

「だめ、全然何言いよるんか分からん。変えて」
「あ、はい。すいません」

思うに、志村喬のこの演技は、他では応用できないものなのではないだろうか。
「生きる」という映画の中で、志村喬という俳優が用いた際にのみ有効な秘技であろう。
現に、他のどの映画を見ても誰もこのようなお芝居はやっていないし、志村本人ですら、生きる以外でここまでのことはやっていない。

この映画は、不朽の名作と言われることがある。
それは、ストーリーや演出もさることながら、世界にたった一つの志村喬の演技が見事に封印されているからだと思う。



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