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1980年代 アーカイブ

2007年06月14日

「E.T.」 ~映画に見る夢~        
スティーブン・スピルバーグ監督

E.T.」(1982)

監督: スティーブン・スピルバーグ
製作: スティーブン・スピルバーグ/キャスリーン・ケネディ
脚本: メリッサ・マシスン
撮影: アレン・ダヴィオー
特撮: ILM
特殊効果: カルロ・ランバルディ
音楽: ジョン・ウィリアムズ
 
出演:
ディー・ウォーレス / メアリー
ヘンリー・トーマス / エリオット
ロバート・マクノートン / マイケル
ドリュー・バリモア / ガーティー
ピーター・コヨーテ / キーズ
K・C・マーテル / グレッグ
ショーン・フライ / スティーヴ
トム・ハウエル タイラー
エリカ・エレニアック / エリオットの同級生


【おはなし】

アメリカの郊外に一人の宇宙人(E.T.)が取り残される。少年と出会い、友達となり、やがて宇宙へ帰って行く。

【コメントー映画に見る夢ー】

家族で見に行った。
スピルバーグの新作だということで、両親が映画館に連れて行ってくれたのだ。
劇場は立ち見も出るほどの盛況だった。
公開されたのは82年の冬。僕は小学1年生だった。

E.T.に出会う少年エリオットには、兄と妹がいる。
たまたまうちも姉と兄と僕の三人兄弟だったので親近感を持った。
特にドリュー・バリモア演じる末の妹には、同じ末っ子として他人とは思えぬ身近さを感じた。
とかく上の兄弟たちは、末っ子を子供扱いする。散々ないがしろにしておいて、都合のいい時にだけ命令を下してくる。

映画の途中から僕は真ん中のエリオットのつもりで見ることに切り換えた。
兄の視点になった途端、自由を手に入れたような心地になった。
自分を中心に世界が回っているようだ。兄の優越感を存分に満喫していた。

ところが、映画が進むにつれエリオットには様々な困難が降りかかってくる。
兄というのも楽な稼業ではなかった。率先して冒険する者には、大きなリスクがつきまとう。
しまいには死ぬか生きるかの瀬戸際にまで追い詰められてしまった。
こんなことなら末っ子のままおとなしくしておけばよかった。今更撤回するのも許されない。
僕はE.T.とエリオットと運命を共にする他なかった。

その頃の日本の映画界は大不況の時代に突入しようとしていた。
庶民の娯楽であったはずの映画はいよいよ斜陽の局面を迎え、観客動員は年々下降の一途を辿っていた。
バブルの崩壊に向けて、世の中は胡散臭い空気に満ちていたかもしれない。
日航機の「逆噴射」墜落やホテルニュージャパンの火災はこの年である。
そんな折りに、「E.T.」は大ヒットを記録した。
世の中のことなど微塵も知らない僕であったが、
異様な熱気と白けた空気が混ざったこの映画館で、忘れ難い体験をした。

一度死んだかに思えたE.T.が息を吹きかえしたところから物語は急速に展開する。
少年達は大人の手からE.T.を奪還し脱出した。
彼らの乗る自転車は疾風のように街を滑走する。
先頭を走るのはE.T.を荷籠に乗せた我らがエリオット。
しかし大人も黙ってはいない。車で先回りをし、銃を手に道を完全に封鎖してしまった。
後方からは追っ手、前方には道を塞ぐ車、絶体絶命の土壇場。
不意に!
E.T.の超能力が作用した。少年達の自転車がフワリと浮いて、空高くへと舞い上がる。
大人たちは口を開けてただ見送る。
テーマ曲がこの奇跡を盛り上げる。

期せずして、客席から歓声があがり拍手が起こった。つられて拍手が連鎖した。
映画の魔法に劇場が揺れた。
「わ、わ、わ」
僕は言い知れぬ歓喜を味わった。どっと沸いた拍手で客席とスクリーンとが一緒くたになり、まるで夢の中だった。
当世の憂さを忘れ、客席の誰もがエリオットと同化していたに違いない。

危機を乗り越えた後は、別れが訪れる。
宇宙船が停泊する森。少年たちとE.T.の最後の別れの場面に、僕は胸を詰まらせた。
E.T.との思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

スピルバーグの恐るべき映画手腕は、感動の場面で本当に観客を感動させるところにあるのではないだろうか。
実をいうとE.T.との交流に、走馬灯のように思いだすほどたくさんのエピソードがあるわけではない。
簡潔で分かりやすく、テーマの凝縮されたシーンが続くため、濃い時間を体験したかのような錯覚に陥るのだ。
2002年に公開された 『E.T. 20周年記念特別版』を見たとき、あまりのストーリテリングのうまさに舌を巻いてしまった。

1年生の僕は、大満足の体で映画館を後にした。外はもう暗かった。
家族で映画を見た後はよく「娘娘(ニャンニャン)」という中華料理店に入った。
床が油でベトベトの通路を抜け二階に上がるとテーブル席があった。
うまくて、べらぼうに安かった。
まだあのお店はあるのだろうか。

今しがた観た映画の感想でも語り合えばいいものを、我々兄弟は肉の争奪戦に躍起となり、いつしかE.T.のことは忘れてしまった。



2007年06月18日

「ターミネーター」 ~コンピュータの電源~
ジェームズ・キャメロン監督

ターミネーター」(1984

監督: ジェームズ・キャメロン
製作: ゲイル・アン・ハード
製作総指揮: ジョン・デイリー/デレク・ギブソン
脚本: ジェームズ・キャメロン/ゲイル・アン・ハード
撮影: アダム・グリーンバーグ
特撮: スタン・ウィンストン
編集: マーク・ゴールドブラット
音楽: ブラッド・フィーデル
 
出演:
アーノルド・シュワルツェネッガー / ターミネーター
マイケル・ビーン / カイル・リース
リンダ・ハミルトン / サラ・コナー
ポール・ウィンフィールド / エド・トラクスラー警部補
ランス・ヘンリクセン / ブコヴィッチ
アール・ボーエン / ドクター・シルバーマン
ベス・モッタ ジンジャー
リック・ロソヴィッチ / マット
ディック・ミラー / 銃器屋の主人
ビル・パクストン / パンク
ブライアン・トンプソン / パンク


【おはなし】

サラ・コナーを抹殺するため、未来からとても強い殺人マシンが送られてきた。

【コメントーコンピュータの電源ー】

親戚宅で見る映画というのがある。
お盆や法事など、どこの家庭でも親類宅へ行くことがあるだろう。

父方の祖父母のおうちに行くと、日曜洋画劇場は決まって「ターミネーター」だった。
正確に回数を述べるならば、「二度、ターミネーターだったことがある」だけなのだが、
印象としてはおじいちゃんち→ターミネーターである。

小学生だった僕(8288)にとって一番の楽しみは二階の叔父の部屋に忍び込むことだった。
兄に続いて部屋に入ると、まずテレビが目に入った。
壁には近未来のような絵の横文字のポスター。
天井には飛行機の模型やイルカの人形が吊してあった。
奥にはベッドがあり、棚にはLPレコードと書籍が並んでいた。
叔父はグラフィックデザインの仕事をしていた。

兄は真っ先にテレビのところへかじりついた。
勝手に電源を入れるとおそるおそるキーボードに触れた。
テレビとばかり思い込んでいたそれは、パソコンだった。
前回来たとき、兄は叔父に簡単な操作を習っていたらしい。
何をどうしたのか知らないが、ゲームの画面が立ち上がった。
バウンドする球体を撃つだけのゲームだったが、PC誌を手本に叔父が自分で作ったと聞き僕は心から感銘を受けた。
自分でゲームが作れるだなんて、当時の我々にとってこれ以上のショックはなかった。
パソコンさえあれば、ゲーム生活の未来は拓ける!欲しい!
あくまでゲームの範疇でパソコンを欲するあたりが愚かしいが、まさか現在のようなパソコン時代が到来するとは、知るよしもなかったのだ。

いつの間にか帰宅していた叔父が、部屋のドアを開けた。
パソコンの前にいるだけで緊張気味だった僕は、思わず逃げ出そうとしてしまった。
叔父は画面をのぞき込み
「やり方、わかる?」
と聞いた。
兄は「はい」と応えた。
「もうすぐ飯やけ」
と言い残し叔父は階下に降りて行った。

夕飯の後、テレビには誰が見るともなく「ターミネーター」が流れていた。
僕は現在に至るまで、日本語吹替えのテレビ版でしかこの作品を観たことがない。

皆の話が盛り上がってきた頃合いを見計らって、僕はテレビの前に座った。
この映画はどの場面から見てもついて行ける。
とにかくターミネーターがサラ・コナーを襲ってくるだけの映画だからだ。
映画の設定を知ったのは数年後、やはり日曜洋画劇場で全編通して視聴したときだ。

特撮は見応えがあった。
殺人マシンは、自ら腕の内側を切開し修理をする。
腕は本物の人間なのに、皮膚の下はマシンの金属が骨の役割を果たしている。
特撮そのものの出来以上に、本気だぜという作り手の誠意が伝わってくる点に良さがあったのだと思う。
少なくとも僕にはショッキングな映像だった。

決して死なないターミネーターは、マシンであるがゆえにプログラミング通りに活動する。
機能が停止する瞬間まで、ひた向きにサラを追う。
皮膚が焼き剥がれ、マシン剥き出しの姿になってなおサラを追う。
健気ですらある。

二階にある叔父のパソコンと、このターミネーターがどちらもコンピュータであるということに、僕は全く気付いていたなかった。
未来は人間対コンピュータの戦争が起こっているという設定の映画である。
80年代半ば、コンピュータに対する希望と戒めの両方が、祖父宅にも内在していたということだろうか。
いや、別にそれほどに大層なことではないのだろうが、つまりそういう時代だったということだ。

息もつかせぬアクションシーンの連続に、気づけば兄も画面にくぎ付けになっていた。
一体どうすればターミネーターは倒せるのだろうか。
クライマックスは近い。
サラは殺されるのか、ターミネーターを止めることはできるのか。
いずれにしても決着がつかなければならない。

「はい、帰るよー」
と、ここで帰宅の時間になる。
いつもそうだ。
日帰りなのだ。
まさか、こんなタイミングで帰れるわけがない。
食い下がっていると姉がバチンとテレビの電源を切った。

ターミネーターはうちの姉によって消された。

まだうちにはビデオがなかった。
いずれまたテレビでやるだろう、と諦めるしかなかった。
そして実際、また何度もテレビ放映された。



2007年06月20日

「座頭市」 ~白目を剥いて生きる~  
勝新太郎監督

座頭市」(1989

監督: 勝新太郎
製作: 勝新太郎/塚本ジューン・アダムス
製作プロデューサー: 塚本潔/真田正典
原作: 子母沢寛
脚本: 勝新太郎/中村努/市山達巳/中岡京平
撮影: 長沼六男
美術: 梅田千代夫
編集: 谷口登司夫
音楽: 渡辺敬之
照明: 熊谷秀夫
録音: 堀内戦治
助監督: 南野梅雄
 
出演:
勝新太郎 / 市
樋口可南子 / おはん
陣内孝則 / 関八州
内田裕也 / 赤兵衛
奥村雄大 / 五石衛門
緒形拳 / 浪人
草野とよ実 / おうめ
片岡鶴太郎 / 正義の男
安岡力也 / 用心棒
三木のり平
川谷拓三
蟹江敬三
ジョー山中


【おはなし】

流浪の座頭市は、とある宿場町でやくざの抗争に巻き込まれる。一人でみんな斬る。去る。
途中、一人の浪人(緒形拳)と仲良くなり、女親分(樋口可南子)と濡れ場を演じ、少女を助け、全編通じて大活躍する。

【コメントー白目を剥いて生きるー】

ヒーローの条件とは何だろうか。
強く、優しく、正義感に溢れ、私利私欲を度外視し、皆のために振舞う者、だろうか。
よくよく考えてみると、僕にとってのヒーローの必須条件は「モノマネしたくなる者」である気がする。
遠山の金さんのモノマネをしたことはないが、座頭市のモノマネは未だにすることがある。
盲目の按摩。逆手に構える仕込み杖。白目を剥いて辺りの様子を窺うは、不気味の一言につきる。
ついついマネしたくなる。

座頭市はダーティーヒーローである。
きれいに悪者を裁くようなことはできない。何しろ彼自身が悪者でもあるからだ。
世の中の醜い部分が集合した場所に、何の因果か引き寄せられ、人を斬らねばならぬ業を背負ったヒーローである。
勝新太郎の当たり役で、30本近くの映画の他テレビシリーズにもなった。

勝新太郎は最も好きな俳優だ。
姿、顔、声、台詞回し、表情、身のこなし、仕草、どれをとっても一級品。
荒々しい男の役が多いが、剛健と並列して愛嬌が滲み出るところがいい。
そんな彼の魅力が余すところなく発揮されているのが、本人が監督も務めたこの89年版の「座頭市」である。
俳優だけでなく、映画監督としても一級であることが伺える。
本作は勝新の監督としての遺作であり、座頭市最後の作品となった。

大学1年生のとき(95年)、この作品に出会った。
勝新の名前も座頭市も聞いたことはあったが、ちゃんと鑑賞したことがなかった。
ビデオ屋に通っていると、何も借りるものが思いつかずブラブラといたずらに時間だけが過ぎて行くことがある。
その日、なんの気なしに座頭市を手に取った。
パッケージの写真を見る限り期待はできそうになかった。
80年代の時代劇の時代錯誤的な空虚さがぷーんと臭ってきた。

ところが。
ところがどっこいである。
この映画は真っ当に映画であった。
画面の厚みが並の時代劇ではない。
美術、衣装、小道具、ロケ地、エキストラの動き、そういった細部が充実している。
時代劇で一番難しいのは、見た目の作り込みだと思う。
作り込みの浅いものはすぐにバレてしまう。
もはや映画の黄金期は遠の昔に過ぎている。
かつての日本映画は、美術の作り込みに大変なお金と技術を注ぎ込んでいた。
89年は映画界斜陽の真っ只中。
これだけの画面が作れたのは奇跡かもしれない。

そこへ、存在感の塊のような勝新太郎が現れる。
還暦を前にした勝の座頭市は、若い頃の座頭市よりも座頭市らしく思える。
白髪まじりの頭、ぎっとりと脂ぎった不精髭の顔面。
猫背にガニ股。しゃがれた声。
このいぶし銀のような味わい。
文句なしに汚くて、気持ち悪い。

ここで早合点してはいけない。
座頭市というキャラクターは、底抜けに優しい人物であるということを強調しておきたい。
謙虚で礼儀正しい男なのである。横柄なところが一つもない。
初めて見た座頭市に、僕は今まで勝手に抱いていた印象を訂正させられた。
「先に抜いたのは、お前さんの方だぜ」
座頭市の台詞にある通り、彼は自分から先に斬りかかるようなことはしないのである。

そんな彼がひとたび刀を抜くと、べらぼうに強い。
唖然とするほど動きが速い。
独楽のように回転し、敵をなぎ倒す。
座頭市の殺陣はダンスのように美しい。
これを盲目で演じきるとは…。
映画史上、もっとも殺陣のうまい俳優だと断言してもいい。
これが最高峰。
勝新太郎、次いで三船敏郎。
僕の中でこのツートップは3位以下を周回遅れで引き離している。

犯罪者であり障害者であり、乞食でありやくざである座頭市。
世の悪と醜と敗を一点に背負って、スタンスは常に弱者の味方である。
心にやましいものを一つや二つ、誰しも抱えているものだろうが、僕はこの座頭市、いっつぁんには悩みを打ち明けたいのだ。
彼なら、僕の話を聞いてくれるかもしれない。
「へへへ…。そんなこと…、気に病むこたぁござんせんよ…」
いっつぁんならそう言ってくれるのではなかろうか。

89年という年は、ある種の転換期であったようだ。
天皇崩御に始まり、美空ひばり手塚治虫が亡くなった。
ベルリンの壁が崩壊し、バブル景気がこの年を境にに急降下する。
ついでに挙げるなら、消費税が施行されたのも、天安門事件があったのも89年である。

映画界も例外ではない。
観客動員はますます減少し、ほとんど瀕死の状態であった。
不穏な空気は否応なしに人々を取り囲んでいたに違いない。
そんな中、勝新太郎は一人の映画人として本物を目指したのではなかったろうか。
本物の映画を本気で作って、まやかしだらけの世の中を斬ってやりたい。
そういう気迫がこの映画からはビシビシと伝わってくる。

単なる勧善懲悪ものの時代劇ではない。
様々な登場人物が入り乱れ、それぞれの思惑で生きている。
物語は脱線し傍流が本流になり、本流が傍流になり、とりとめがない。
普通のものを期待してはいけない。そこは笑い飛ばしたい。
見るべきは勝新太郎の演技と、力強い演出である。
アクションシーンには日本映画の歴史と勝の経験がギュッと凝縮されている。
アイデア満載、面白さ爆発。支離滅裂、義理人情。

大学生だった僕は、この映画を観終わって少し泣きそうになった。
勝新太郎という人に感動を覚えた。
洗面所に駆け込み、自分の白目を鏡に映してみた。
白目を剥くと、鏡は見えないということに今さら気がついた。



2007年06月26日

「となりのトトロ」 ~親が薦める宮崎アニメ~
宮崎駿監督

となりのトトロ」(1988

監督: 宮崎駿
製作: 徳間康快
プロデューサー: 原徹
企画: 山下辰巳/尾形英夫
原作: 宮崎駿
脚本: 宮崎駿
撮影: 白井久男/スタジオコスモス
特殊効果: 谷藤薫児
美術: 男鹿和雄
編集: 瀬山武司
作詞: 中川季枝子 「さんぽ」
音楽: 久石譲
歌: 井上あずみ
作・編曲: 久石譲
仕上: 保田道世
制作: スタジオジブリ
 
声の出演:
日高のり子 / サツキ
坂本千夏 / メイ
糸井重里 / とうさん
島本須美 / かあさん
北林谷栄 / ばあちゃん
高木均 / トトロ
丸山裕子 / カンタの母
鷲尾真知子 / 先生
鈴木れい子 / 本家のばあちゃん
広瀬正志 / カンタの父
雨笠利幸 / カンタ
千葉繁 / 草刈り男


【おはなし】

田舎に引っ越してきた親子三人。子供たちはトトロに出会う。

【コメントー親が薦める宮崎アニメー】

アニメが有害であるという信仰は、僕が小学生の頃(82年88年)はまだ根強く残っていた。
親たちは子供にアニメを見せたがらなかった。
その裏には、活字絶対論があったように思う。

活字、つまり本こそ有益である。本を読めば頭が良くなる。
対する漫画は無益である。頭が腐る。
アニメは漫画と似たようなもんだろう。よってアニメは下らない。有毒とみなす。
そういった乱暴な方程式がまかり通っていた気がする。

本当は、有害な書物もあるし、有益な漫画やアニメもある。
そんなことは親たちも知っていたかもしれない。
ただ、当時の僕も含め子供というのは、その中でも有害とされるものばかりを好む傾向にある。
糞尿やエロや肛門やバカげた暴力行為が、皆大好きである。
いや、皆とは言い過ぎかもしれないが、少なくとも僕は嬉々としてそれらに傾倒した。

そこへ持って来てファミコンの登場である。
運動不足、視力の低下、情操教育への悪影響。
こうなってくると、ものの良し悪しを選別する暇はない。
漫画、アニメ、ゲームは一様に排斥対象となっていた。

そんな厳しい状況下に、宮崎駿・高畑勲アニメは健闘していた。
テレビアニメ「世界名作劇場」は、親としても頭から否定するには躊躇があったろう。
世界の名作とは、活字の名著のことである。アニメとはいえ、まともな内容だと言える。

間隙をついて宮崎アニメは劇場版アニメを連発し、その人気を不動のものとしたのが「となりのトトロ」と「火垂るの墓」の二本立てだった。

僕はどちらの作品もテレビ放映になってから鑑賞した。
金曜ロードショーで「となりのトトロ」を見ていると、ご飯を頬張りながら父親がポツリと呟いた。
「こいつらのアニメは、絵がきれいやな」
後になって考えてみると、この一言こそ父親が宮崎アニメに屈伏した瞬間だったのだ。
原作が童話や小説である点、絵がきれいである点。
この二点は親たちがディズニーアニメを奨励する際に用いる言葉である。
既に中学生になっていた僕は、父親の発言を無視したまま、トトロに没頭する。

「となりのトトロ」に描かれる風には、臨場感があった。
田畑や木々の間を駆け巡る風は、かつて確かに僕が体験したものに相違なかった。
夏の夕刻、生暖かい強風を全身に受けながら、一人ゆっくりと帰路についたことを思い出す。

トトロは幼い者にしか見えない。
まず妹のメイが発見し、次いで姉のサツキがバス停で出会う。
小6のサツキですら、かろうじて拝謁を許されたくらいだから、中学生の僕には到底彼らは見えまい。
そう思うだけでしんみりした気分になった。

この映画を見て、自分がどんどん子供から遠ざかっていることを深く認識した。
うまく大人になれるだろうかと不安に思った。

父親は夕飯を食べ終わると、二階の自分の部屋に引っ込んだ。
あまりトトロには興味を示さなかった。
ただ単にやり残した仕事があっただけかもしれない。

自分が親になったとき、果たしてアニメを認めるだろうか。
漫画を読めと言えるだろうか。
仕事があるからといって、途中まで見た映画を切り上げられるだろうか。

映画は終わり、水野晴夫が解説を述べていたので僕はテレビを消した。
今晩はまた特に、夜が静かに感じた。

「となりのトットロ、トットーロ♪」
唐突に、四つ上の姉が奇妙な振り付けで踊りながら居間に入ってきた。
少し不安が溶けた。


2007年06月27日

「なまいきシャルロット」 ~盗まれた口元~
クロード・ミレール監督

なまいきシャルロット」(1985/公開1989

監督: クロード・ミレール
脚本: クロード・ミレール /リュック・ベロー/ベルナール・ストラ/ アニー・ミレール
撮影: ドミニク・シャピュイ
音楽: アラン・ジョミイ
 
出演:
シャルロット・ゲンズブール
ジャン・クロード・ブリアリ
ベルナデット・ラフォン
ジャン・フィリップ・エコフェ


【おはなし】

13歳のシャルロットは、天才少女ピアニストのクララに憧れる。

【コメントー盗まれた口元ー】

ファション誌の表紙などで、アヒルのような口をした女性モデルを見かけたことはないだろうか。
唇を薄くすぼめ、アヒルのクチバシのように少し突き出す表情。
雑誌モデルに限らず、女の子の「可愛いらしい表情」の一つとして、もはや市民権を得ているのではないかと思う。
あの口元を発明したのが、他ならぬ僕だということを世間の誰も知らない。

中学三年生(90年)の時、深夜テレビで「なまいきシャルロット」が放映された。
深夜にフランス映画をやるということは、エッチシーンがあるに違いない。
そんな思惑で、家族が寝静まったのを見届けてから、僕は居間に降り立った。

この映画にエロスは出てこない。すぐに気付いたが、テレビを切る気にはならなかった。
はしたない目論見を忘れるほど、シャルロット・ゲンズブールの思春期ぶりが僕を魅了したのだ。

お金持ちの娘であるクララと出会ってからというもの、シャルロットは妹分のルルが邪魔に思えて仕方ない。

綺麗な服を着たクララが羨ましい。
そちらの世界に仲間入りしたいが、どう見ても自分は小汚い田舎娘である。
気付けばチビ眼鏡のルルが引っ付いて離れない。一緒にしないでよと、つい邪険に扱ってしまう。
優越感と劣等感の間でシャルロットは苦悶する。

女優シャルロット・ゲンズブールの父親はセルジュ・ゲンズブール。母親はジェーン・バーキン
フレンチ芸能界のサラブレットにふさわしく、初出演の映画で主演。それも役名が本名。
そんな経緯を知らずとも、僕にはシャルロットが煌めいて見えた。
瑞々しいとはこのことだ。

名場面は、芝生のランチでシャルロットが癇癪を起こすシーン。
何が悪いわけでもない。
怒りと恥ずかしさと情けなさと自信と不安と。
わだかまった思いがついに爆発し母親代わりの家政婦とおチビ眼鏡ルルに当たる。
食べ物をひっくり返し、大声でわめく。
重要なのはその直後。
落ち着きを取り戻したシャルロットが、木陰に座り家政婦にもたれかかっている。
緊張状態でひと暴れしたものだから、じっとり汗をかき、髪の毛が額に張り付く。

分かる。僕にも似たような経験がある。
せっかく家族でお出掛けしたのに、ダダをこねまわして、一人で汗だくになってしまうのだ。
あんなにうまくふてくされた演技ができるものだろうか。
シャルロットという名前が、その後しばらく頭から離れなかった。

不機嫌な少女。
悩ましい表情。
そのポイントは口元にあると僕は思った。
唇が薄く、少し突き出した形。
シャルロット・ゲンズブールの口は生まれつきそうなっているらしい。
鏡で練習し、僕はその表情を会得した。

学校で、度々アヒル口をやってみた。
勿論それがフランスの女優を見本にしているとは口が裂けても言えない。
会話の途中に、パッとやる程度のものだった。

ある日、クラスの友人がそれをやっているのを見かけた。
紛れもない、僕の模倣だ。彼がシャルロットを知るはずがない。
一瞬ドキリとしたが、そのまま指摘もしなかった。
彼の表情があまりにも気持ち悪かったのだ。
もしや自分が思ってるほど、いい案配にはなっていないのかもしれない。
あれはシャルロットがやって初めて成立するものに違いない。
以来、僕はアヒル口を卒業した。

その友人から、どこをどう伝わって現在のようなアヒル人口の増加に至ったのか詳細は知らない。
だが。
まず最初に、少なくとも日本で、あの表情を生活の中に取り入れたのは、おそらく僕だ。
信じて欲しい。
うちの兄が、午後の紅茶を午後ティーと呼んだのは自分が最初だと言い張ってきかない件に関しては、認めなくて構わないので。


2007年07月09日

「星の王子ニューヨークへ行く」 ~忘れ難きあの笑顔~
ジョン・ランディス監督

星の王子ニューヨークへ行く」(1988

監督: ジョン・ランディス
製作: マーク・リップスキー/レスリー・バルツバーク
製作総指揮: ジョージ・フォルシー・Jr
原案: エディ・マーフィ
脚本: デヴィッド・シェフィールド/バリー・W・ブラウスタイン
撮影: ウディ・オーメンズ
特殊メイク: リック・ベイカー
編集: ジョージ・フォルシー・Jr/マルコム・キャンベル
音楽: ナイル・ロジャース

出演:
エディ・マーフィ / アーキム王子
アーセニオ・ホール / セミ
シャーリー・ヘドリー / リサ・マクドウォール
ジェームズ・アール・ジョーンズ / ザムンダ国王
ジョン・エイモス / クレオ・マクドウォール
マッジ・シンクレア
ポール・ベイツ
アリソン・ディーン
エリック・ラ・サール
ルウイー・アンダーソン
カルヴィン・ロックハート
サミュエル・l・ジャクソン
キューバ・グッディング・JR
ヴァネッサ・ベル
フランキー・フェイソン
ドン・アメチー
ラルフ・ベラミー


【おはなし】

とあるアフリカの国の王子が、花嫁探しにニューヨークへやってきた。

【コメントー忘れ難きあの笑顔ー】

当時、エディ・マーフィの人気は大変なものだった。
ビバリーヒルズ・コップ84年)」と「48時間82年)」はシリーズ化されるヒット作。
テレビ放映も頻繁にあり、僕らにとっては初めて身近に感じた黒人俳優だった。

ポリスアカデミー84年)」の声帯模写をやる人と区別がつかなかったのは過去のこと。
「星の王子ニューヨークへ行く」は、エディ・マーフィ主演の、待ちに待った新作。
中学一年生(88年)だった僕は勇んで映画館へ出かけた。

一国のプリンス(あるいはプリンセス)が、下々の住む世界へ足を踏み入れるという設定は、物語の定番でもある。
王子と乞食77年)」「ローマの休日53年)」など名作も多い。
この作品も、安定した物語の進行で最後まで楽しく、気持ちのいい作品に仕上がっていた。

エディ・マーフィには、お喋りで陽気で軽い奴というイメージがあったので、大金持ちという役どころに最初違和感があった。
エディは、きっと少し偉くなったんだ!

コメディの質がこれまでと違った。
王子、エディ・マーフィの振る舞いが、世間とずれているところに笑いのポイントは置かれる。
道端で物乞いをしているホームレスに、札束をどさっと置いて行く場面がある。
あくまで平然とし、悠長な態度がおかしさを誘う。
今までにない彼の表情だった。

親の決めた結婚を拒否し、ニューヨークまで花嫁を探しに来た王子。
王子に仕える従者(アーセニオ・ホール)は、同じく身分を隠してエディを傍で見守る。
二人の関係は主従のそれではなく、仲の良い先輩後輩といった雰囲気である。
そして、むしろこの従者セミに本来のエディ的役割が与えられているような気がした。
エディ、本当に少し偉くなったんだな!

ニューヨークで出会った一人の女性に、王子はアタックする。
そこへ、父親である国王が許婚との結婚しか認めないつもりで乗り込んでくる。
うまく行きかけた二人の恋は、俄然雲行きがあやしくなってくる。
この辺りのラブロマンスのくだりも、なかなかどうして、エディ・マーフィ、堅実にやっている。
コメディアンの延長線上にいた今までの作品からすると、飛躍的に俳優としての安定感を見せている。
僕は、うれしく感じると同時に、ちょっぴり残念な気分にもなった。

ディテールをほじくったギャグも満載で大笑いし、大団円を迎えるラストシーンでは心弾み、映画はとてもおもしろかった。
そして、エディは少し偉くなった。
満足感と、一抹の寂寥感を胸に、僕は映画館を出た。
エディ、ありがとう。

僕の不安に反して、エディ・マーフィが偉くなったのは、しかし、これが最後だった。
多くのコメディアン出身俳優がシリアス路線に乗り換える中、彼は現在に至るまでその流れに乗ることはない。
あくまでバカバカしいコメディの線を踏もうとしている。
せっかく僕の不満に応えてくれたエディだったのに、何故か「星の王子~」以降は、彼の作品を見に行かなくなってしまった。
ごめん、エディ。

彼の最新出演作はCGアニメ「シュレック3」でのロバさん、ドンキー役である。
あっぱれ!



2007年07月14日

「この子の七つのお祝いに」 ~どうすれば岸田は許してくれるのか~
増村保造監督

この子の七つのお祝いに」(1982年

監督: 増村保造
製作: 角川春樹
原作: 斎藤澪
脚本: 松木ひろし/増村保造
撮影: 小林節雄
音楽: 大野雄二

出演:根津甚八 / 岩下志麻 / 杉浦直樹 / 芦田伸介 / 岸田今日子

【おはなし】
とある殺人事件の真相を追っていたルポライターが死んだ。
これを同一犯の連続殺人と見た根津甚八が真犯人に迫る。

【コメントーどうすれば岸田は許してくれるのかー】

岸田今日子は狂っていた。
震える発声、薄く微笑んだ大きな口。そしてあの眼。
怨念の化身となった岸田今日子は、逃げた夫への憎悪を幼い娘に英才教育する。

小学生だった僕(82年88年)は、この映画の岸田今日子が怖くて怖くて仕方なかった。
度々テレビ放映され、その度に姉と兄と三人で、カッチコチに固まって鑑賞した。

暗い部屋の中に岸田が座っている。
アルバムをめくって、自分の若き日の姿を幼い娘に見せてる。
穏やかな口調で、ゆっくりと過去を懐かしんでいる。
娘はおとなしく写真を見ている。
貧しいながらも母子のささやかなる楽しみなのかもしれない。
すると突如、岸田の顔色が豹変する。
そこに置いてあった針を取り出し、一枚の写真に写る男の顔をめがけてカッカッカッカッカッと突く。
写真はこれまでにも何度も顔を突かれていたのだろう、どんな顔をした男なのか分からぬほどにそこだけ破れている。
岸田は、また先ほどと同じ様子に戻り、微笑みながら何事もなかったかのようにページを繰る。

僕はこの場面で、ぞぞぞぞわーと背筋が冷えた。
針の突き方が尋常ではない。
ツンツンではなく、小刻みにカッカッカッと連射するのだ。
巨匠増村保造監督の演出もさることながら、岸田の演技はその要望を大きく超えたものだったのではなかろうか。
こんなもの、子供が見てはいけない。

昨今の日本映画界では、「リング98年)」の映画化を契機に、ジャパニーズホラーと銘打って数々の恐怖映画が制作された。
この一連の作品は、大雑把に言うならば「脱・横溝正史」という側面があったような気がする。
それまで日本のホラーは金田一耕助一色であったと言って過言ではない。
ところが、横溝正史が小説に書くような、村や田舎や洋館などは時代とともに少なくなってきた。
きっと現代における恐怖があるに違いない、と作り手が模索したこの10年ではなかったろうか。

しかし、そうは言っても、日本人の遺伝子に刷り込まれた横溝的シチュエーションの恐怖は、簡単に洗い落せるものではないようで、金田一シリーズは未だにリメイクされ、映画に漫画に活躍が衰える様子もない。

「この子の七つのお祝いに」が怖い理由は、岸田のほかにもう一つある。
この映画が横溝原作ではないということだ。
正直に告白すると、このブログを書くまで、てっきり横溝ものとばかり思い込んでいた。
設定や構成は、ほとんど模倣だ。
だが考えてみると金田一が出てこない。

そう、金田一が出てこないから怖いのだ。
金田一のキャラクターは、恐ろしい出来事の中で一服の清涼剤となる。
つまり、横溝作品にはあるユーモアが「この子~」には著しく欠如しているのだ。
ひたすらに残酷で怖い。

豆腐に針を刺す岸田の場面は忘れられない。
何かブツブツ言いながら、無数の針を豆腐に刺す。
恨み辛みを述べながら、一本ずつスッスッと刺す。
豆腐に針を刺すのは、針供養である。
その行為自体が怖いはずはない。
だが、物語の流れに乗って岸田が演じると、何と不気味に見えることか。
狂気が丸出しなのではなく、正常な行為に交じって垣間見えるところが素晴らしい。
素晴らしく怖い。
小学生の僕が針供養など知るはずもなく、ただおばちゃんが豆腐に何かやらかしている、その見た目だけで充分に身がすくんだ。

僕たち兄弟は、この映画を見終わると一人で二階へ上がれなくなった。
一列に並んで階段を昇り、全ての部屋の蛍光灯を順番につけて、ようやく解散し各自布団を敷く。

後の映画やテレビドラマでも怪異な岸田今日子は見られたが、大抵の場合はコミカルな要素を含み、彼女自身が自分をパロディ化して演じている感があった。
もちろんそれもいいのだが、鬼気迫る本当に怖い岸田今日子を見たいならこの映画に尽きる。



2007年07月21日

「カリフォルニア・ドールス」~必殺技を持つ女たち~
ロバート・アルドリッチ監督

カリフォルニア・ドールス」(1981

監督: ロバート・アルドリッチ
製作: ウィリアム・アルドリッチ
脚本: メル・フローマン
撮影: ジョセフ・バイロック
音楽: フランク・デ・ヴォール

出演:
ピーター・フォーク
ヴィッキー・フレデリック
ローレン・ランドン
バート・ヤング
トレイシー・リード
リチャード・ジャッケル
ミミ萩原
ブリンク・スティーヴンス
クライド草津


【おはなし】

女子プロレスの全米巡業は過酷である。
それをタッグを組む二人の女子プロレスラーと、マネージャーであるピーター・フォーク刑事コロンボの人)のたった三人で、それも車移動でやってるのだから困難は尽きない。


【コメントー必殺技を持つ女たちー】

80年代半ば、女子プロレスのクラッシュギャルズの人気は大変なものだった。
ライオネル飛鳥長与千種のタッグチームで、レコードをリリースするなどプロレスの枠を超え活躍していた。
小学生だった僕(82年88年)も、よくテレビで観戦した。
クラッシュギャルズに対抗するはダンプ松本ブル中野極悪同盟
この二組の対戦はいつも姉と楽しみにしていた。
勢い余って姉は僕に技をかけては悦に入っていた。

僕にとって女子プロレスと言えばクラッシュギャルズ。
そして04年頃にビデオで借りて見た、このカリフォルニア・ドールズ(※)もまた、心に残る女子プロレスラーである。

華々しい女子プロレスのチャンピオンを目指して、カリフォルニア・ドールズは奮闘する。
マネージャーと三人で、ポンコツ車に乗って地方巡業を繰り返す。
日本人タッグチーム、ミミ萩原&ジャンボ堀との闘いの後、彼女らの必殺技、回転海老固め
をドールズも覚えるようにとマネージャーは命令する。
ピーター・フォーク演じるこのマネージャーは、血の気の多い男。
ドールズ二人を怒鳴りつけもするが、彼女たちを売るためには興業主に楯突いたりもする。
この人物が全編に渡って映画を引っ張る。
彼のおかげで出世もするが、彼のせいで何度も危機が訪れる。

ドールズの闘いっぷりはプロレスそのもの。
女優が演じているとは思えぬ迫力である。
セクシー且つ豪快。
サバサバしていて愛嬌のある二人。
マネージャーと激しい口論をしつつ、また同じ車に乗って移動する。
騙されてファイトマネーを貰えなかったり、いい試合が組めなかったりで、三人のどさ回りは苦難を極める。

奮闘もの映画のクライマックスによくあるのがライブのステージやスポーツの試合などで、ここで登場人物の抱えるドラマは凝縮され、それまでに培ってきたものが披露される。
観客は主人公の晴れ姿を固唾を飲んで見守る。
この映画でも、宿敵タイガーズとのベルトを賭けた一戦がクライマックスに用意されている。
そういう点では王道の筋ではあるが、しかし、並みの映画とは何かが違う。
この臨場感、リアリティ、気分の高揚は一体なんだろう。
まるで本当に観戦しているかのような心地にさせられた。

この感覚は何もクライマックスの闘いに限ったことではない。
どのシーンにもカラッと乾いた現実味が感じられるのだ。
奮闘もの映画は、ほとんどの場合「感動」の展開になる。
とうとうステージに立てた!という達成感や勝利の喜びに酔いしれるのがお決まりである。
得てして「感動」は、あざとさを伴い、見ていてお腹が一杯になる。

アルドリッチ監督は、そこをさらりと描く。
余計な情緒を映画に持たせない。
闘いは闘いとして描き、出来事は出来事として描く。

たとえば…。
ドールズは試合でレオタード姿である。
少しエッチだななどと思って見ていたら、映画中盤で泥んこプロレスをやっている。
まともな試合が組めなくて、ほとんど見世物の興行をやるはめになったのだ。
泥の中で闘うドールズは、おっぱい丸出しである。
おっぱい登場を殊更に大事として扱うことはない。
それはそれとして、シーンはどんどん進む。

もう一つ…。
マネージャーとレスラーの関係だとは言っても男女である。
三人だけでの長旅を続けていれば、それなりに恋心も芽生えたりするのだろうか・・・。
などと考えていると、次の場面ではマネージャーとドールズの一人がヤッてしまった翌朝である。
なにー!
前触れもほとんどない。
そうなることもあるさとばかりに、シーンはどんどん進む。

なぜだろう、無理にドラマチックな映画にしない突き放したような視点が、返って興奮を喚起する。
タイガーズとの試合を観戦していた僕は、クラッシュギャルズを応援していた時と同じ僕になっていた。
感動は用意されたものではなく、成行きによって自然に生まれてくる。
カリフォルニア・ドールズがタイガーズに回転海老固めを決めた時には、僕は期せずして拳を振り上げてしまった。

笑えて、興奮できて、ちょっとエロくもあって、感動が下手に湿っぽくなくて、スポーツ奮闘映画はこうあれ!という見本のような作品。
ただ、残念なことにDVD化されておりません(そんな作品ばかり取り上げてしまいすいません)。
是非ともお近くのビデオ屋さんにお訊ねしてみて下さい。

※ビデオパッケージの表記は「ドールス」なのですが、「ドールズ」とされている文面も少なくないため、両方ちゃんぽんでこの記事は書かせていただきました。


2007年07月31日

「バタリアン」~ゾンビのごとく~     
ダン・オバノン監督

バタリアン」(1986年公開)

監督: ダン・オバノン
製作: トム・フォックス
原案: ジョン・ルッソ/ルディ・リッチ/ラッセル・ストライナー
脚本: ダン・オバノン
撮影: ジュールス・ブレンナー
音楽: マット・クリフォード

出演:
クルー・ギャラガー
ジェームズ・カレン
ドン・カルファ
トム・マシューズ
ビヴァリー・ランドルフ
ジョン・フィルビン
リネア・クイグリー
ジュエル・シェパード


【おはなし】

アメリカ、ロサンゼルスのとある研究所にある謎のタンク。
詰まっていたガスが噴き出すと、死んでしまった生物が蘇ってしまった。
このゾンビは人間を食べるだけでなく賢くもあり、手がつけられない。


【コメントーゾンビのごとくー】

80年代の終わりから90年代にかけて、「オバタリアン」という4コマ漫画を堀田かつひこが描いていた。
この漫画と直接関係があるのかどうか分からないが、一部の図々しい行動をとるおばさんのことを、「オバタリアン」と呼ぶマスメディアが登場した。
「オバタリアン」は89年流行語大賞に選出された。

およそ10年の時を経て、97年頃。
今度は、路上などにお尻を付けて座ってしまう一部の若い人々のことを「ジベタリアン」と呼称するメディアが出てきた。
菜食主義者、ベジタリアンをもじった言葉とも取れなくもないが、社会的なマナーに欠ける人物を指すことから言っても、オバタリアンから派生した語であると考える方が自然だ。

不思議なもので、言葉が誕生してから、その対象となる人やものが世間に増加することがある。
名前を与えられたことで、存在意義を持ってしまうのだろうか。
ジベタリアン増えたなー、と意識してしまうことで今まで目に入らなかったものが認識され、増加の印象を手伝っているのかもしれない。

さて、これらの語源をたどると「バタリアン」に行きつく。
おばさんとバタリアンをくっつけてオバタリアンは完成している。
さらに。
この映画の原題は「THE RETURN OF THE LIVING DEAD
映画史上初めてのゾンビ映画「ナイト・オブ・ザ・リビング・デッド」のパロディとして制作されたものだ。
それを、日本の配給会社がキャッチーなタイトルを考案し「バタリアン」と名付けた経緯がある。
battalionとは大軍、大隊といった意。
バタリアン本来の意味とは別に、日本人にはおかしみのある語感として浸透してしまったのが、その後の流行語路線を辿る結果を招いたのかもしれない。
つまりこの時点で既に、造語の作為があったのだ。
配給会社の狙いとしても、コメディ色の濃いスプラッターホラーを売り出すにあたって、それとなくバカバカしい題名が必要だったと思われる。

この映画は、僕が小学生の頃(82年88年)、頻繁にテレビ放映された。
コミカル調に念を押すかのように、登場するゾンビたちにはわざわざ名前が付いていた。
女性のゾンビ、「オバンバ」。
オバンバは上半身だけのゾンビでベッドに括り付けられてしまう。
しわくちゃで干からびていて気持ち悪いのだが、あんまり怖くはない。

「脳みそ…。脳みそ…」と呟きながら襲ってくるのは「タールマン」。
ぐらぐらと揺れながら不安定な歩行で近づいてくるが、これも大して怖くはない。
タールマンの歩き方が面白かったので、翌日からマネをして遊んだ。
「ノウミソ…」と言いながらふらふら近づき、同級生の頭に思いっきり噛みつく。
友人が「いて!」となったところで、大笑いするだけの遊び。
みんなタールマンをやりたがるものだから、噛まれる者が不足する。
仕方なくタールマン同士が相手の頭を狙い合う競技へと変わって行った。

「オバンバ」「タールマン」という呼び名は、テレビ放映の際、字幕でご丁寧に紹介されていた。
登場したとき「ジェームズ・ボンド(ショーン・コネリー)」と出るのと同様に、「オバンバ」と名前が出ていたのだ。
バタリアン、オバンバ、タールマン、これらのネーミングが、この映画の印象を支配していた。
ふと口にしたくなる言葉の面白さを上手に表現していると思う。
事実、愛らしいキャラクターネーミングに当時僕は虜になってしまった。

また、「バタリアン」はゾンビ映画としても優れた出来栄えだった。
それまでのゾンビと違うのは、彼らに知能があるという点。
家の外にはゾンビが溢れかえっている。
警察に電話をしたが、到着したパトカーが襲われてしまう。
ゾンビの一人がパトカーに近づき、無線を使って応援を呼ぶ。
次の餌を呼び出したというわけだ。

ゾンビは人間を襲い、襲われた人間はゾンビになる。
とめどなく繁殖を続ける。
ゾンビ現象のおもしろいところだ。
死ぬわけではない。
ゾンビに生まれ変わるところがミソである。

死への恐怖とも違う。
今ある自分が別のものになってしまう恐怖である。
人間でいるということは、言いかえるならば、正気であるということだと思う。
正気を持った者は、みるみる減っていく。
世間にゾンビは蔓延し、正気でいることの方が困難になってしまう。

そしてあれからまた10年の時が経った。
バタリアンはまだまだ死なない。
そろそろ「~タリアン」を使った言葉が世にはびこるのではなかろうか。
油断すると僕も使ってしまうのかもしれない。

田舎風居酒屋を好む中高年男性「炉ばたリアン」。
人見知りで無口な若者「口べたリアン」。
観光客の少ない温泉宿を好む「ひなびたリアン」。
な、なんだ。ろくなのが思いつかない。
造語って難しいですね。


2007年08月09日

「ぼくらの七日間戦争」~社会を捨てよう、七日間だけ~
菅原比呂志監督

ぼくらの七日間戦争」(1988年

監督: 菅原比呂志
製作: 角川春樹
プロデューサー: 青木勝彦
原作: 宗田理
脚本: 前田順之介/菅原比呂志
撮影: 河崎敏
美術: 小澤秀高
編集: 板垣恵一
音楽: 小室哲哉
音楽プロデューサー: 石川光

出演:
宮沢りえ / 中山ひとみ
五十嵐美穂 / 橋口純子
安孫子里香 / 堀場久美子
工藤正貴 / 相原徹
菊池健一郎 / 菊地英治
鍋島利匡 / 安永宏
田中基 / 柿沼直樹
大沢健 / 中尾和人
金浜政武 / 日比野朗
石川英明 / 天野健二
中野愼 / 宇野秀明
大地康雄
浅茅陽子
室田日出男
倉田保昭
佐野史郎
賀来千香子


【おはなし】

校則の厳しい学校を抜け出し、勉強を強制する家庭を捨て、子供たちは廃工場に籠城する。
大人たちとの攻防の末、子供たちは自由を手にすることができるのだろうか。


【コメントー社会を捨てよう、七日間だけー】

公開は88年
その後のテレビ放映で僕は見た。
映画の主人公たちと同様、僕も中学生だったので、彼らのレジスタンスには諸手を挙げて賛同した。

当時、非行や校則に関する話題は、しばしば世間を賑わせた。

非行などというものはいつの時代にもあるのだろうが、その頃はマスメディアが活発に採り上げていたので、社会問題としての認知があった。
80年代金八先生第2シリーズ積み木くずしスクールウォーズビーバップハイスクール尾崎豊などが人気を博した。
世相を反映したからドラマがヒットしたのか、ドラマがあったから世の非行文化が発達したのか定かではないが、ともかく校内暴力、シンナー、盗んだバイクで走り出すとかいったことは、僕の周辺でも見られた。

子供たちの非行に対抗すべく、大人たちは校則をもって反撃をした。
規律に縛ることで事態を鎮めようとしたのだが、返って子供たちの反発を招いた。
両者の対立に解決の糸口が見えぬまま、90年の校門圧死事件が起こったときには、「とうとうやってしまったか」という嘆息混じりの感慨も、世間にはあった気がする。

そんな中、僕はといえば非行になびくこともなく、校則に縛られることもなく、割りと伸び伸びと過ごしていたかもしれない。
普通に生活していれば校則にひっかかりはしないので、殊更にフリーダムを欲することもなかった。
つまり「ぼくらの七日間戦争」に描かれる子供たちの抵抗は、僕にだって反発心くらいはあるんだぜ、という欲求を満たしてくれたのだと思う。

映画では誇張された世界が描かれる。
理解のない大人の代表として教師たちが登場するものだから、僕も一緒になって「教師なんて最低だ!」と反抗気分を味わうことができたのだ。
そこまで校則に対しての恨みもないのだが、「オン・ザ・眉毛(※)」に憤ってみたりしたのだ。
当時は野球部に所属しており、僕は坊主頭だったのに。

それにしても、子供たちだけで暮らすだなんて、うらやましい。
ましてや。
この映画には宮沢りえが登場する。
本作が映画デビューとなるのだが、それはもう大変な美少女である。
子供たちだけで廃工場に立て籠もって、なおかつ宮沢りえがいる。
極楽浄土だ。

宮沢りえの演技は、この頃が最も上手だったように思える。
教室で他の生徒たちに啖呵を切る場面は立派だ。
途中から籠城に加わる女子の一人に過ぎないのだが、どうしたって映画は彼女を真ん中に持って来てしまう。
男子のリーダー争いなどもあるのだが、まあどっちだっていいじゃないか宮沢りえがいるんだから、と思えてしまうのだ。

教師役では、佐野史郎が光っていた。
冷徹非情な大人の権化として、子供たちを追い詰める。
こんなにムカっぱらの立つ奴はいない。
この役と、北野武監督の89年公開「その男、凶暴につき」での嫌味な署長役は抜群である。
どちらも端役だが、この二本で佐野史郎のことが好きになった。

籠城した子供たちは、大人たちの説得を振り切り断じて帰宅しない。登校もしない。
自炊をして生活する。
その敷地内に一人の浮浪者(室田日出男)がいた。
彼との交流が少し描かれるのだが、今にして思えば、社会の中で本当に自由を手にできるのは浮浪者だけだという皮肉だったのだろうか。
お金も食べ物もなく、保険も保証も身内も住む所もない浮浪者が真の自由人。
残念ながらそれができる度胸を持った者は、僕は勿論のこと、主人公の彼らの中にも一人としていなかっただろう。

子供たちはやがて大人となり、社会へと帰って行くのだ。
非行は青かった日々の思い出として過去に霞んでゆく。
80年代の非行児たちは今、親の立場になっているのかもしれない。
この映画は、今見ると恥ずかしい。
当時の自分の至らなさを痛感するのに絶大な効果を発揮する劇薬である。
楽しくもバカバカしい物語の進行。
偏った社会の描写。
武装して大人たちを排斥する痛快と幼稚。
なんだ、やっぱり子供だったんだなと、苦笑してしまうだろう。

そして僕の場合、はっきりとした切り替えもできないままにここまで来てしまった感が否めない。
子供のままでいることが美徳なのではないかと20代の半ばまでは思っていたほどだ。
反抗も非行もなかった代わりに、未だに反抗も非行もどこかで燻っている。
こういった大人の増加は危険である。
大人は満員電車でイライラしてはいけないのである。
成熟した大人は、冷静にものごとを判断し、行動すべきだ。
自分が特別な者であると信じた時代は、遠の昔に、あの宮沢りえがヌードになった頃に、過ぎ去ってしまっているのだと。
そう思う。

※「オン・ザ・眉毛」は前髪が眉毛にかかってはならないという校則のことです。映画では教師が生徒の前髪をハサミで切る場面がありました。


2007年08月14日

「グーニーズ」~冒険の入り口を探せ~  
リチャード・ドナー監督

グーニーズ」(1985年

監督: リチャード・ドナー
製作: リチャード・ドナー/ハーヴェイ・バーンハード
製作総指揮: スティーヴン・スピルバーグ/フランク・マーシャル/キャスリーン・ケネディ
原案: スティーヴン・スピルバーグ
脚本: クリス・コロンバス
撮影: ニック・マクリーン
特撮: ILM
音楽: デイヴ・グルーシン

出演:
ショーン・アスティン
ジョシュ・ブローリン
ジェフ・B・コーエン
コリー・フェルドマン
ケリー・グリーン
マーサ・プリンプトン
キー・ホイ・クァン
ジョン・マツザク
アン・ラムジー
ジョー・パントリアーノ
ロバート・ダヴィ


【おはなし】

主人公マイキーの家は、立ち退きを迫られていた。
少年たちは宝の地図を発見し、海賊の財宝を探しに冒険に出る。


【コメントー冒険の入り口を探せー】

小学生の頃(82年88年)、自宅の正面に小さな公園があった。
手狭な中に砂場とジャングルジムと鉄棒があった。
公園の端には溝があり、ゴムボールがよくそこへ転がり込んだ。
溝の中に残っていればラッキーなのだが、溝の終点はトンネルのように地面の下へ続いており、ここへ入るといくら手を伸ばしても届かない闇の中へとボールを紛失することになる。
幾度となく貴重なボールを失ってしまい、夏休みのある日、とうとううちの兄はトンネルの中に頭を突っ込んだ。
「入れそうや!」

兄の命令で懐中電灯を家から持って来た。
高さ40cm、横幅30cmほどのトンネルに足からゆっくり兄は侵入して行った。
中から兄が僕を呼んだ。
僕も同様にして足から入って行くと、足が地面につかない。
溝の終点から、1mほどの高さの段差になっていた。
身を反転し、肘で体重を支えおそるおそる足を着いた。

溝は乾いていたのに、この中は水がわずかに流れている。
暗くてひんやりしている。
蝉の声が遠く聞こえた。
兄が懐中電灯を点けると、丸く筒状の空洞トンネルが続き、先で左右に枝分かれしていた。
屈んで歩ける高さだった。
ボールが足もとにいくつも転がっていた。
さっき失くしたボールも、何か月も前に失くしたボールも落ちていた。
兄と僕は、少しずつ前進し枝分かれしたところまで到着した。
よく見ると壁面は苔だかヘドロだかでドロドロしていた。
右のトンネルも左のトンネルも先は長そうだったので、その日は一旦引き返した。

翌日から、この探検は僕たちの間で流行した。
友人たちがいれば怖さも半減し、随分と奥地にまで進めるようになった。
地上から光が射す小さな穴があったので、木の枝を突き刺してから引き返した。
溝を出て、先ほど地下で歩いていたはずの道順を辿って行った。
「この辺で左に曲がって…、たしか5mくらい進んで…」
公園をはずれた先の歩道にマンホールがあり、なんと蓋の穴から先ほどの枝が突き出ていた。
僕たちは歓喜に沸き返った。

映画「グーニーズ」では、海賊「片目のウィリー」が隠した財宝を求めて少年たちは探検をする。
海賊ウィリーが仕掛けた罠は今なお稼働し、次々に少年たちを襲う。
巨大岩が転がってきたり、剣山のような天井が下がってきたり。
その危機を少年たちがそれぞれの特性を生かしつつ乗り切る。

歯を矯正して、喘息の吸入器を手放せない主人公マイキー。
口が悪くてカッコつけマンのマウス。
食いしん坊でおデブのチャンク。
アジア系発明少年、データ。
この仲良し四人組は、自分たちのことをグーニーズと呼んでいる。
マイキーの兄ブランド、その彼女のアンディ、その友人のステファニィを巻き込んで、彼らの冒険は始まる。

冒険の舞台は少年たちが住む街の地下にある。
宝の地図に従って、海辺の灯台の地下へ下りてみると、壮大な冒険世界が広がっていた。
すぐ近くにある異世界。
うれしい設定だ。
もしかしたら、僕たちの町にもインディ・ジョーンズばりの冒険が潜んでいるのではないか。
この映画は公開当時家族で見に行ったが、その後数日間グーニーズの夢世界が忘れられず、落ち着かない日々を過ごした。

映画中盤、いくつかの危機を乗り越えて前進していた彼らの前に、太陽の光が差し込む。
地上へと続く井戸からの陽光だった。
膝まである水の底には、貨幣がたくさん散らばっていた。
井戸は街の中にあり、人々はコインを投げ入れては願い事をしていたのだ。
グーニーズが見上げると、街の若者三人がこっちを見下ろしている。
「おいお前ら、何やってるんだ?」「上がってこいよ」

海賊の財宝を探すなどという無茶な冒険を中断する機会が訪れたのだ。
冒険の異世界がふっと途切れ、観客の僕も我に返った瞬間だった。
正気になったことで、この冒険が決して夢なんかではないんだと自覚した心地になった。
これは遊びじゃないんだ。
我らがマイキーはより一層冒険への決意を強めるのだった。
なんとしてでも財宝を手に入れなければならない。
グーニーズとその仲間たちは、日常に住む若者たちの忠告を振り切って先を急ぐ。

僕はこの場面が好きだ。
普段の生活と紙一重のところにある大冒険が実感できた。
そう、溝から地下通路に侵入した僕たちの心意気は、グーニーズと同じだったはずだ。

僕はいい気になって、友人を順番に地下探検に招待していた。
その日も、友人一人を連れて「地上へのマンホール」をやってみせた。
案の定、友人は大喜びした。
将来的にはもっと奥まで行くつもりだと得意になって話した。
さて、冷たい麦茶でも飲もうと、その友人宅へお邪魔した際、友人の母親が眉間に皺を寄せた。
「あんたたち、臭い!どこ行って来たんね!」
自身の体を嗅いでみると、確かに臭いような気がする。
秘密の地下通路が下水道であったことを、その時初めて知った。

その数日後のことだった。
近所で少年が溝にはまり込む事件があった。
僕たちの溝とは別の場所だったのだが、同じ学校の上級生がボールを取ろうとして蓋のある溝に入り込み、抜け出せなくなったのだという。
走って現場に駆け付けると、救急車が出動しており、辺りには黒山の人だかりができていた。
溝の蓋をドリルで壊し、少年はようやく救出された。
自分で歩いて救急車に入って行ったところを見ると、幸い怪我はなかったようだ。

大人たちの行動は早かった。
既に噂になっていたのかもしれない。
夏休みが終わる頃には、我々の地下通路への入り口は太いパイプの柵で封鎖されてしまった。

映画「グーニーズ」には、少年期の冒険心がたっぷりと詰まっている。
数年前、DVDで20年ぶりに鑑賞し、作品のワクワク感は色褪せていないことを確認した。
きっとまだ、僕らは冒険に出られるだろう。
ただし、身体が大きくなっているため、狭い入り口を抜けることは相当に難しいかもしれない。


2007年08月22日

「暴走機関車」~黒い機関車と黒い本~ 
アンドレイ・コンチャロフスキー監督

暴走機関車」(1985年

監督: アンドレイ・コンチャロフスキー
製作: ヨーラン・グローバス/メナハム・ゴーラン
製作総指揮: ロバート・A・ゴールドストン/ヘンリー・ウェインスタイン/ロバート・ホイットモア
原案: 黒澤明/菊島隆三
脚本: ジョルジェ・ミリチェヴィク/ポール・ジンデル/エドワード・バンカー
撮影: アラン・ヒューム
音楽: トレヴァー・ジョーンズ

出演:
ジョン・ヴォイト
エリック・ロバーツ
レベッカ・デモーネイ
カイル・T・ヘフナー
ジョン・P・ライアン
T・K・カーター
ケネス・マクミラン
ステイシー・ピックレン
ウォルター・ワイアット
エドワード・バンカー
ダニー・トレホ


【おはなし】

二人の脱獄囚は追ってを振り切って貨物列車に乗り込んだ。
ところが機関車の運転手が心臓発作だかなんだか、ぶっ倒れて死んでしまう。
制御の利かなくなった機関車は、どんどんとスピードを上げて行く。


【コメントー黒い機関車と黒い本ー】

今、世間は夏休み。
電車に乗ると真っ黒に日焼けした小学生をよく見掛ける。
彼らが手に持っているノートは、どうやらスタンプラリーの冊子らしい。
JR東日本ではポケモンスタンプラリー2007を実施していたようだ(8月12日まで)。
親子で指定の駅を回っては、改札付近に設置されたスタンプを押しているのである。

たまの盆休みに大変だなぁと、お父さんに同情していたのだが、親子揃ってピカチュウの紙製サンバイザーを被っていたりもしていたので、わりと大人たちも楽しんでいたのかもしれない。

ホームに入って来た電車に向かって、男の子二人が手を振っていた。
子供は電車が好きだ。

映画が初めてスクリーンに映写されたのは、1895年のこと。
リュミエール兄弟の「列車の到着」という作品。
機関車がホームに入って来るだけの1分ほどの短いフィルム映像だった。
本物の機関車がこちらに迫って来るものだから、観客は歓声を上げて身をよけたという。
彼らの驚きは、電車に手を振る子供たちの興奮に近いものがあったと思う。

電車の躍動感は人々を魅了し、そして多分映画との相性が良いのだ。

暴走機関車」は、そのタイトルの通り、ブレーキが利かなくなった機関車を描いたノンストップアクション映画である。
もともと黒澤明がアメリカに乗り込んで撮る予定だったのだが、様々な事情によりお蔵入りとなった。
その後、黒澤のシナリオに手が加えられ、アンドレイ・コンチャロフスキー監督によって日の目を見た。
黒澤の名前は「原案」としてクレジットされた。

中学生の頃(88年91年)、この映画の存在を知り僕は本屋へ駆け付けた。
黒澤のシナリオ集「全集 黒澤明」という書籍が当時第六巻まで出版されており、その本屋には一巻と四巻と五巻の三冊が置いてあった。
第五巻に「暴走機関車」のシナリオが掲載されており、僕は立ち読みでこれを拝読させていただいた。
後に大学生になってから六巻全てを購入することになるのだが、この時は手が出ず、三冊読み切るまでこの本屋には随分とお世話になった。

シナリオを読んだ後、ビデオ屋で借りてコンチャロフスキー版を観賞したのだが、僕には甚だ消化不良な作品だった。
断然、黒澤のシナリオの方が面白い。
その後ハリウッドでもたくさん作られる、ノンストップアクションムービーのエキスが凝縮されている。
シンプルで力強い物語の構成。
中年の脱獄囚と若い脱獄囚の、男臭過ぎる確執。
機関車の常軌を逸した躍動。
ハラハラドキドキの設定の中、濃い人間ドラマが展開する。
これを1966年
の時点で書いていたのだ。

黒澤明監督の作品はビデオで完全制覇していたし、気に入ったものは何度も繰り返し鑑賞していた。
当時の僕はその気になっていたので、シナリオを読むだけでありありとその画面が頭に浮かんだ。
黒澤だったら、そうはしないんだよなあ。
と、コンチャロフスキー監督に厳しい批判をぶつける2時間となってしまった。
機関車が走るという動きそのものを、黒澤明監督ならもっと魅力的に撮ってくれたのではなかろうか。

今思えば、この映画がそこまでの駄作だったとは思えない。
脱獄から逃亡、パニックアクションがごった煮となった面白さ。
危機的状況での登場人物の描写、ジョン・ヴォイトの好演、雪原を行く真っ黒な機関車の情景など、結構見どころは多い。
あくまで、あの時の自分にとっての評価だったのだと思う。
「全集 黒澤明」の表紙を開く楽しさは、その時点で本編の映画よりも興奮があったのかもしれない。

ある時、うちの父親が「全集 黒澤明」を全巻買ってやろうと言ったことがあった。
下手に口を滑らせてしまったのかもしれないが、僕にとっては聞き捨てならない重大事だった。
翌日から「ねえ、まだ?」攻撃が続き、半年ほど経った頃だったろうか、
「絶版で買えんやったわ」
と父は述べた。
目の前が真っ暗になった。
父への猛烈なる不信感に汗ばんだ。
その後、本屋に行ってみると、第五巻が売れていた。
残りの二冊を、また開いてみた。
この重量と黒い表紙が堪らなく好きだった。

僕は、スタンプラリーに興じている親子を見て思った。
ポケモンサンバイザーで充分な満足を子供に与えられるのは得策だと。
いたずらにお金のかかることは避けておいた方がいい。
電車が走るだけで、それはもう娯楽になり得るのだ。

※黒澤明監督作品との出会いについての記事は「用心棒」で触れています。→こちら(07年6月13日の記事です)


2007年08月25日

「ダイ・ハード」~アンハッピーマンデー~
ジョン・マクティアナン監督

ダイ・ハード」(1989年公開)

監督: ジョン・マクティアナン
製作: ローレンス・ゴードン/ジョエル・シルヴァー
製作総指揮: チャールズ・ゴードン
原作: ロデリック・ソープ
脚本: ジェブ・スチュアート/スティーヴン・E・デ・スーザ
撮影: ヤン・デ・ボン
特撮: リチャード・エドランド
音楽: マイケル・ケイメン

出演:
ブルース・ウィリス / ジョン・マクレーン
アラン・リックマン / ハンス・グルーバー
ボニー・ベデリア / ホリー・ジェネロ・マクレーン
アレクサンダー・ゴドノフ / カール
レジナルド・ヴェルジョンソン / アル・パウエル巡査
ポール・グリーソン / ドゥエイン・t・ロビンソン
ウィリアム・アザートン / ソーンバーグ
ハート・ボックナー / エリス
ジェームズ繁田 / タカギ
アル・レオン / ユーリ
デヴロー・ホワイト / アーガイル
グランド・l・ブッシュ / リトル・ジョンソン
ロバート・ダヴィ / ビッグ・ジョンソン


【おはなし】

高層ビルに突然なだれ込んで来たテロリスト集団。
ニューヨークからたまたま訪れていた刑事ジョン・マクレーンは、たった一人でこの集団を相手する羽目に!


【コメントーアンハッピーマンデーー】

小学校に入る前だったろうか、僕は同級生の誕生日会に招かれた。
子供の頃の誕生日会と言えば楽しい思い出ばかりなのだが、この回に限っては僕は乗り気でなかった。
誕生日を迎える同級生は、ちょっと威張った奴で、そのリーダー気取りが僕は気に食わなかった。

母親と一緒に歩いていたとき、彼を中心とした子供のグループと出くわしことがあった。
僕たち家族がその街に引越したばかりだったからだろう。
母は母親らしく振る舞うつもりでか、僕の背中を押し「遊んでやってね」と我が子を宣伝した。
僕にしてみれば、ちっとも遊んで「もらう」必要なんかなかった。
自分の友達くらい、自分で作りたいやい。
余計なお世話と思いつつも、その場では愛想笑いを浮かべて、ペコリとお辞儀をしたものだ。
「おお、お前ら。今日からコイツも仲間な」
彼は子分たちに僕の入門許可を発表した。

そいつの誕生日会が、ひと月後にあるのだという。
僕は心の中で欠席を熱望したが、母になんと言えばよいか悩んだ。
あいつは嫌いだ、とズバリ言うのも気が引ける。
母に心配をかけたくない。
ダダをこねてやり過ごすのは、なんだかアイツに負けたような気分になるから避けたいところだ。

正当な理由を持って、正面きって欠席したい。
子供の僕が、無い知恵を絞って出したアイデアは「勉強」だった。
「お母さん。僕これから月曜は勉強の日にする」
と高らかに宣言したのだった。
誕生日会は一ヶ月後の月曜日。
まさか勉強の日に誕生日会が当たってしまうとは!
仕方ない欠席しよう。
これが僕の描いたシナリオだった。

先日、シリーズ一作目の「ダイ・ハード」をDVDで再見した。
随分前にテレビで見たきりの作品だった。
パート4まで続編が製作されるには訳があるだろう。
一作目の出来を確かめてみたくなったのだ。

この映画を「よく出来ている」と評する人は少なくないと思う。
実際、よく出来ている。
何がよく出来ているのか考えてみるに、丁寧な「伏線」の張り方がその要因の一つだと思った。

飛行機でロサンゼルスに降り立ったマクラーレン(ブルース・ウィリス)は、隣の乗客と会話をかわす。
ホテルで落ち着かない時は、裸足になって部屋の絨毯を踏むんだ、との乗客のさりげない助言が、その後、マクラーレンが全編裸足でアクションをするはめとなる伏線になっている。

やっつけた男のポケットから、たばことライターを取り出せば、その後マクラーレンは事あるごとに喫煙し、だんだんと本数が減って行く。
さらに、テロリストのボスとついに対峙した時、ボスと知らずにマクラーレンは彼に煙草を差し出す。
小道具がちゃんとドラマに絡んできている。

一つの建物の中だけで物語は進行する。
ハイテク高層ビルの一体どの位置に彼がいるのか、ともすれば観客は見失ってしまうところだ。
壁に金髪ボインの小さなポスターが貼ってある前を、銃を持ったマクラーレンが通過する。
観客は一瞬映るこのポスターを意外と記憶しているものだ。
その後、ビルの機構に這入り込み、ぐるっと回って違うところから出てきた彼は、また金髪ボインの前に出る。
なるほどあそことここは繋がっていたのか、と観客は安心し、また出会えたポスターにニヤリとする。

何から何まで伏線の始末がつくところが、この映画の快感だと思う。
アクション伏線ムービーと名付けてもいいくらいだ。
物語に一度登場したものは、ちゃんと始末がつかなければ消化不良を起こす。
原因と結果が結び付き、ああ気持ちいい、のだ。
始末をつけることをペイオフ(精算)と呼んだりもする。
前フリがあり、それが映画の中でペイオフされる。
この映画は、そこのところが大変上手に作られている。

あのとき僕は、伏線を張った。
母親にも気付かれず、月曜日は勉強の日となった。
毎週、漢字の書き取りなどをやった。
格好だけのものなので、頭に入るはずもない。
いよいよ来週が誕生日会だというところまで来て、僕は母親に欠席の旨を告げた。
「あら、そうかね。あんた、いいんかね?ほんとに?」
「うん。だってしょうがないもん。決めたことやけ」
それ以上口を開くとバレそうな気がして、僕は台所から逃げた。

誕生日、当日の夜。
母は、電話で欠席を連絡していたらしい。
「向こうのお母さんが、偉いですねーって凄く感心しとったよ」
母は、どことなくうれしそうにもしていたが、僕は顔が真っ赤になり、悪いことをしてしまったと後悔した。

翌日、彼に会ったときに僕は謝罪した。
「昨日ごめんね、行かれんで」
「ああ?おお」
僕を呼んでいたことすら覚えていなかったような様子だった。

一ヶ月に渡る僕の伏線は、こうしてペイオフされた。


2007年12月18日

「トッツィー」~化粧の内側の本音~   
シドニー・ポラック監督

トッツィー」(1982年

監督: シドニー・ポラック
製作: シドニー・ポラック/ディック・リチャーズ
原案: ラリー・ゲルバート/ドン・マクガイア
脚本: ラリー・ゲルバート/マレー・シスガル
撮影: オーウェン・ロイズマン
編集: フレドリック・スタインカンプ/ウィリアム・スタインカンプ
作詞: アラン・バーグマン/マリリン・バーグマン
音楽: デイヴ・グルーシン

出演:
ダスティン・ホフマン
ジェシカ・ラング
テリー・ガー
ダブニー・コールマン
チャールズ・ダーニング
ビル・マーレイ
シドニー・ポラック
ジョージ・ゲインズ
ジーナ・デイヴィス
ドリス・ベラック


【おはなし】

売れない俳優ドーシー(ダスティン・ホフマン)は、女装してテレビドラマのオーディションに合格する。
女として撮影現場で振舞い、視聴者の人気を得るが、共演者の女性に恋をしてしまう。


【コメントー化粧の内側の本音ー】

一度だけ化粧をしたことがある。
95年、二十歳の頃のこと。友人の女性がおもしろ半分に僕の顔に化粧を施した。
顔へ塗装する違和感に、目をつむったままウズウズしていた。
その友人は一々笑いながら作業を続ける。
一体どんな顔になるのか、見たいような、見たくないような。
一通りのメイクが終了し、最後に手鏡を渡された。

鏡を覗く瞬間、僕の脳裏に恐怖感が閃いた。
この手鏡を覗いたとき、僕はどんな気分になるのだろう。
気持ち悪いと思うのだろうか、気持ちが良いと思うのだろうか。
もし万が一にも「キレイ…」などと感じてしまったら、僕はどうすればいいのだろうか。
自らの感情をコントロールできない領域に、よもや彷徨い込んでしまわないだろうか。

小学校の時の阿蘇山見学、活火山の火口を覗いた時と差もない心境で、僕は手鏡におそるおそる顔を近づけた。
目に入ってきた人物は、紛れもない自分であるのだが、どこか他人のようにも見えた。
鏡の中の自分は笑っていた。
数秒見つめ合い、ぱっと眼を逸らしてしまった。
これ以上は正視できなかった。
恥ずかしいのとは違う、何か禁断の匂いがした。
化粧ごっこなど、冗談でも応じるんじゃなかったと後悔した。

化粧とは、正に変身のことだと思った。
外見が変身すること以上に、内面の変身に劇的な効果を生むものだと思った。
僕は、鏡に映ったあの自分の顔を忘れない。
何故か笑っていたのです。
自嘲的で、まるで僕のことを見透かしたような目つき。
いや、全く、驚いた。
裏側から自分を見つめるような、そんな体験だった。
ただ単に、お化粧しただけのことなんですけども。

映画「トッツィー」はよくできたコメディである。
ダスティン・ホフマン演ずるマイケル・ドーシーは売れない俳優。
病院もの昼ドラマで婦長さん役のオーディションがあり、彼は女の振りをして見事合格を勝ち取ってしまう。
役を得るために女性に扮したのだが、婦長役の人気が沸騰してしまい後戻りのできない状態に陥いる。
そんな折に、共演する女優(ジェシカ・ラング)に恋をしてしまう。
俳優生命を維持するには女性のままでいなくてはならないが、彼女に告白するには男に戻らなくてはならない。
逆に彼女から恋の相談を持ちかけられたり、彼女の父親に言い寄られたりと、女性であるがゆえの面倒臭い災難は次々に襲ってくる。

この映画は、小学生の頃(82年88年)にテレビ放映で何度も観た。
ダスティン・ホフマンの「卒業1967年)」も「クレイマー・クレイマー1979年)」も「真夜中のカーボーイ1969年)」も見る前だったので、てっきりコメディアン寄りの人だとばかり思っていた。
すぐアル・パチーノと区別がつかなくなるので、「マフィアがパチーノ、コメディアンがホフマン」と覚えていた。
そして日本語吹替は、小松政夫が担当していた。
小松政夫の「女声」が印象にあったので、先日DVDで見直すにあたってダスティン・ホフマンの声が馴染めるのだろうかと懸念していたのだが、これが驚くほど違和感がなかった。
少々わざとらしいくらいの女声で、ダスティン・ホフマンはよくやっていた。
小松政夫がよくやっていたとも言える。

改めて見直して思ったのは、ダスティン・ホフマンの相手役のジェシカ・ラングがやけに可愛いということ。
80年代70年代の映画を見直すと、出てくる俳優にいちいち「…若い」と呟くことになる。
ジェシカ・ラングが「可愛い」という事態が、かつてあったのだ。
実にチャーミングで、この映画のゲテモノ感は彼女の存在によって完全に払拭されている。

女性の立場から世の中を見つめたドーシーは、男性の身勝手を随所で足蹴にする。
翻って、男性に戻ったときのプレイボーイなドーシーは、身勝手に女性に接している。
あまり自己反省や、深刻なフェミニズムに傾かないところが、この映画のコメディを維持している。
あくまでラブ・コメディである。
化粧によって、別な人物になり変わる。
「変身」がモチーフの映画的面白さを堪能できる作品である。

いや、傍から見る分には面白かったが、僕は自分が化粧をしたことにタダならぬ意味を感じていた。
笑えない「意味」の奥には、世のほとんどの女性が毎日化粧をしていることへの驚きが含まれていたと思う。
毎日変身してから他人と接するとは、皆様大した俳優だなあと感嘆せざるを得ない。
僕はもうへどもどするばかりで、すぐに洗い流してしまった。


2009年02月21日

「恋しくて」~全力、恋する乙女~
ハワード・ドゥイッチ監督

恋しくて」(1987年

監督:ハワード・ドゥイッチ
製作:ジョン・ヒューズ
製作総指揮:マイケル・チニック
脚本:ジョン・ヒューズ
撮影:ジャン・キーサー
音楽:スティーヴン・ハギュー / ジョン・ミューサー

出演:
エリック・ストルツ
メアリー・スチュアート・マスターソン
リー・トンプソン
クレイグ・シェイファー
ジョン・アシュトン
イライアス・コティーズ
モリー・ヘイガン
キャンディス・キャメロン
パメラ・アンダーソン
チャイナ・フィリップス
ローラ・リー・ヒューズ


【あらすじ】
学園の花形アマンダ(リー・トンプソン)に惹かれるキース(エリック・ストルツ)は、幼馴染のワッツ(メアリー・スチュアート・マスターソン)の気持ちに気づかない。徹底的に鈍感なキースを健気にも慕うワッツ。果たして恋の行方は・・・。


【コメント-全力、恋する乙女-】

数年前、帰省した折に小中学校の同級生と飲みに行った。
幾人かの仲の良い男子連中とはこれまでも顔を合わせる機会があったが、その時は中学の卒業以来、実に十五年ぶりに会う女子たちとの飲み会であった。
各自、結婚したり子供がいたり、ちゃんと社会生活を送っていたり、随分と立派に見えた。
今は何をしてるかなどを話した後は当然、「あん時誰が好きやった?」という方向へと話題は移る。

だんだんと彼女たちのボルテージは上がり、当時の交換日記の話へと突入した。
女子同士で日記を回覧していたのだそうである。
なるほど、メールやブログなどなかった時代、そう言えば女子達は授業中にも小さく折りたたんだ手紙を渡し合ったり、小まめに意思伝達を怠らない様子であったと思い出した。
やたらとファンシーな便箋に色とりどりのペンを駆使して、丸文字や挿絵が踊る手紙を、うちにも姉がいたこともあって、一度ならず目にしたことがある。
うちのタマ知りませんか?けろけろけろっぴター坊、などの文具は恐ろしいほど流行っていて、最早男子の文房具にもそれらのキャラクターが散見されるほどであった。

交換日記の話題となったところで、僕は、ふと疑問に思うことがあった。
果たして日記というからには毎日書くものなのだろうけど、一体何をそんなに書くことがあったというのだろうか。

「その日記には、どんなことを書いたん?」
僕の問いかけに彼女達は一瞬きょとんとし、そんなこと聞くまでもないだろうという表情を浮かべた後、にこやかな笑顔になって
「そんなん、好きな男の子のこと書くに決まっとるやん」と笑った。
僕にとってこれは驚愕の事実であった。
小学校三年生にして、女子の頭の中は好きな人のことで充満していたということで、道理で恋占いや恋のジンクスに躍起になっていたはずである。
男子の頭の中は、サッカー、マンガ、ファミコン、野球、ラジコン、何して遊ぶ?、なんか腹へったわ、秘孔突かせろや、誰か屁こいたやろ、とかそんなところが関の山である。
交換日記には、今日なんとか君と目が合ったとか目が合わなかったとか、そんなことを書いて報告し合っていたのだそうである。
僕に言わせれば、そんな女子たちは、おしゃまとかおませとかいう域を超えて、ほとんどエロなのではないかと思う。
なんとエロい女子。これでは、かないっこないと思った。

映画「恋しくて」の三角関係は、80年代青春恋愛映画のまさしく王道といった展開で進む。
いかにもな内容に手が出ず、全く子供だった僕はこういった作品は敬遠し、公開当時87年は12歳ですか、高校大学に至ってもスルーし、ようやっと20代も後半の頃に、思い切ってレンタルしたのである。

映画冒頭、80年代のあの音質、曲調のロックが流れ、カメラはドラムを叩いているショートカットの美少女を捉える。
これが、かのメアリー・スチュアート・マスターソンである。
我々の世代にとってのボーイッシュ発祥の地。キュートさたるや尋常ではない。
幼馴染みのエリック・ストルツは、彼女の恋心に全く気がつかないことで、観客をやきもきさせる。

圧巻は映画中盤での「キスの練習」シーンである。
「キスしたことあんのかよ」「ねえよ」「じゃあ私を相手にやってみなよ」「おお、やってみるよ」
とまあ、そんな展開で二人がキスのお稽古をしようということになり、この場面において既に30歳を前にしていた大の大人である僕はモゾモゾと座りなおし、頭に血が昇るのを抑え切れず、前傾姿勢になって「すっげー場面」と呟かずにはおれなかった。
キスの練習だなんて、そんな桁外れなことをよくもまあ思いついたなと、脚本ジョン・ヒューズの偉大さに感心したり、呆れたり。

この映画がすごいのは、青春の青々とした青臭い様子を、画面全体に漲らせているところにある。
キスの練習をしてもなお、エリック・ストルツはM・S・マスターソンの気持ちにてんで気がつかない。
そんな馬鹿なと言いつつも、いやしかし、それが思春期の恋なのかもしらん、と妙に納得させる映画である。
ましてや、交換日記に好きな人のことを書き綴るような破廉恥を女子陣が平然とやってのけ、男子陣はやはりそんなことはつゆ知らずに日々を遊んで過ごしていた事実を思うと、エリック・ストルツの鈍感さを他人事として笑うのは、まるで自分だけ女心の理解者を気取っているようで、これは慎まなくてはならない。
エリック・ストルツは映画終盤に入っても、ハイスクールの一番人気リー・トンプソンに惹かれ続け、さてこれは一体どうなるのやら、エンドマークまで目が離せなかった。

この映画を見たことを、友人らに語ったとき、真っ先に「キスの練習」場面のことを挙げて、あれは一体なんなんですかと尋ねると、そこにいた女性の友人は
「当時ビデオで借りて、あの場面何回も巻き戻して見たよ」と言い放った。

こっちは大人になってから一度見ただけでもビビりまくったというのに、かないっこないわけですよ。



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