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1990年代 アーカイブ

2007年06月17日

「3-4×10月」 ~映画館の白昼夢~  
北野武監督

3-4×10月」(1990

監督: 北野武
製作: 奥山和由
プロデューサー: 鍋島壽夫/森昌行/吉田多喜男
脚本: 北野武
撮影: 柳島克己
特殊効果: 納富貴久男/唐沢裕一/今関謙一/伊木昭夫
美術: 佐々木修
衣裳: 川崎健二/久保田かおる
編集: 谷口登司夫
音響効果: 帆苅幸雄
助監督: 吉川威史/八木潤一郎/辻裕之/渡辺武
 
出演:
小野昌彦(柳ユーレイ) / 雅樹
ビートたけし / 上原
石田ゆり子 / サヤカ
井口薫仁(ガタルカナル・タカ) / 隆志
飯塚実(ダンカン) / 和男
布施絵里 / 美貴
芹沢名人 / マコト
秋山見学者 / スタンドの店員
豊川悦司 / 沖縄連合組長
鶴田忍 / スタンドの店長
小沢仁志 / 金井
花井直孝 / バイク少年
橘家二三蔵 / 釣人
井川比佐志 / 大友組組長
ベンガル / 武藤
ジョニー大倉 / 南坂
渡嘉敷勝男 / 玉城


【おはなし】

ヤクザに痛めつけられたマスターの仇を討つべく、男は沖縄で銃を入手してくる。

【コメントー映画館の白昼夢ー】

1990年
その日は月曜日だった。
友人二人と、僕は映画館にいた。
前日に体育祭(※)があったため、振り替え休日でその日は平日休校になっていた。

客席には僕たち三人しかいなかった。
やがて上映時間となり館内は暗くなった。

その10日前。
友人が映画を観に行かないかと誘ってきた。
「生協で映画の券が安く買えるんよ。一緒行かん?」
演目はなんだろう。こちらが尋ねる前に友人は言った。
「たけしの映画なんやけど行かん?」

たけし。
当時の僕にとって「たけし」ほど甘美な響きを持つ単語はなかった。
ファンである姉の影響を受け、たけしのテレビは勿論、「ビートたけしのオールナイトニッポン」というラジオ番組も欠かさず聴いていた。
テレビよりラジオの方がたけしを身近に感じることができた。
たけしは度々ラジオを欠勤した。
代わってパーソナリティを勤めるたけし軍団の言によると、現在新作映画の撮影中だという。
撮影現場で誰も台本を持っていない、と弟子のガダルカナル・タカは撮影裏話を続ける。
その場その場で、シーンを作りながら撮影を進めているのだそうだ。

あのたけしが監督をし、しかも今回はたけし軍団が多数出演しているのである。
僕の期待は一通りではなかった。
ところが予告編の始まった映画館には、いくら見回しても我々三人しか客はいなかった。
友人と顔を見合わせてクスクスと笑った。

貸切の状態でいよいよ本編は始まった。

暗闇の中に男の顔がぼんやりと浮かんでいる。
男は用を済ませ、外へ出る。彼はトイレの中にいたのだ。
一転してまぶしい日射しがスクリーン一杯に広がる。
河原の球場で草野球をしているたけし軍団たち。

白い砂埃と晴天。
気だるい休日のお昼どき。
広い空間に打球音が吸い込まれる。
ぽっかりとした日常。
僕は当時野球部だったため、この雰囲気を知っている。
試合の緊張感とは裏腹に、まるでそこに自分が存在しないかのような感覚。
スーッと映画の空気が染み込んできた。

便所から戻ってきた男(柳ユーレイ)に監督(タカ)は言う
「お前よう、野球しにきたのかクソしにきたのか、どっちなんだよ」
「すいません」

この最初の台詞から映画が終わるまで、僕たち三人は終始笑いっぱなしだった。

この映画には、実におかしな出来事がぎっしりと詰まっている。
おかしな出来事がポーカーフェイスでサクサク描かれる。
僕たちにはその一々が面白く、クスクス笑ったり、大声で笑ったり、大変な騒ぎだった。
観客三人という事態も、映画館であんなに笑ったのも初めての体験だった。その後も二度とない。
映画の途中で僕は前の座席の背もたれに両足を放り出した。つられて友人二人も僕に倣った。
誰に叱られるわけでもない。ふと今日が休日だというのを思い出し、うれしくて仕方なかった。

撮影自体が成り行きで進行したように、映画の物語も成り行きで展開する。
野球をし、バイクに乗り、彼女ができ、ヤクザに脅され、沖縄に行き、武器を入手し、最後はドカン。
起承転結のアウトラインは保っているものの、各場面に描かれるのは即興のコントであり、登場人物たちの思いつきの行動である。
自由な気風があった。
映画というものが、こういうことでも成立しうることに驚いた。
このいびつな映画を観たことで、逆に「普通の映画」の存在を認識できた。

テレビでたけしはよく喋る。
だが、映画の登場人物たちの台詞は極端に少なかった。
僕はこの映画でバカみたいに笑ったが、必ずしもお笑い芸人たけしの延長線上に主眼を置いて笑っていたわけではない。
期待していたタレントたけしの映画はそこにはなかったと言っていい。
あくまで映画表現の斬新なアプローチが僕を刺激したのだ。

当初は気づかなかったが、この映画には音楽がない。
音楽がない上に、台詞が少ない。
ということは、スクリーンに映し出される画だけで語っていることになる。
映画が誕生したとき、台詞は存在しなかった。
サイレント映画で十分に観客へ届く表現が可能だったのだ。
もしかすると「3-4×10月」(※)には、現代映画が忘れてしまった映画の本質があるのかもしれない。
説明が増えるほど、映画の映画たる部分は薄れる。
説明なしに観客が自力で「驚き」を発見したとき、映画の感動は作用するのではなかろうか。

そういう意味では、この映画は多くの人にお勧めしたい。
テレビを筆頭に広告や映画でも、説明過剰の向きは当時より拍車がかかっている気がする。
残念ながら公開当時はたけしファンにすら無視されていた作品だが、これは不世出の映画だと思う。
一見の価値はあると思う。

まだ柔らかい頭を持っていた中学生の僕たちは、率直にスクリーンを見上げていたに違いない。
映画文法も映画理論もない。映画とはこうあるべきだという基準も持ち合わせていない。
それこそ成り行きにまかせて、この映画を楽しんだ。

上映が終了し、客席が明るくなった。
僕たちは顔を見合わせてもう一度笑った。
映画館を出たところで、また笑った。
その後、ボーリングに行って、ここでも笑いっぱなし。
翌日学校で、昨日のうちの一人が僕のところへやって来た。
「プログラム見た?」
「いや、まだちゃんと読んどらん」
「たけしの役のことが書いてあったよ」
「なんて?」
「人を殺すと女とやりたくなるホモ。ってよ」
僕たちはまたまた大笑いした。

もしかすると、僕らはただ単に笑い上戸でアホな中学生に過ぎなかったのかもしれない。

※運動会のことを中学では体育祭と呼んでいました。
※「3-4×10月」は「さんたいよんえっくすじゅうがつ」と読みます。3-4×とは野球のスコアボードの表記です。



2007年06月21日

「アラジン」 ~ひとつの願いも叶わない~
ジョン・マスカー監督

アラジン」(1993

監督: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ
製作: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ
脚本: ジョン・マスカー/ロン・クレメンツ/テッド・エリオット/テリー・ロッシオ
美術監督: ビル・ハーキンス
作詞: ティム・ライス
音楽: アラン・メンケン
主題歌: “A Whole New Worldピーボ・ブライソン/レジーナ・ベル 

声の出演:
スコット・ウェインガー / アラジン
リンダ・ラーキン / ジャスミン
ロビン・ウィリアムズ / ジーニー
ギルバート・ゴットフリード / イアーゴ
ジョナサン・フリーマン / ジャファー
フランク・ウェルカー / アブー
ダグラス・シール / サルタン
ブルース・アドラー / ペドラー


【おはなし】

貧しいアラジンはジャスミン姫と恋に落ちる。二人の恋を悪徳大臣ジャファーが邪魔をする。魔法のランプからは陽気な魔人も登場する。魔人は三つの願いをかなえてくれると言う。

【コメントーひとつの願いも叶わないー】

忘れもしない。
高校二年(93年)の夏。快晴の日曜日。
当時好きだった同じクラスの女子に告白するため、僕は隣駅駅前のスーパー脇で彼女が来るのを待っていた。
携帯電話のない当時は、相手のおうちに直接電話をかけなければならなかった。
運よく彼女が出たので、あたふたしつつもお昼一時に約束を取りつけた。
その子にしてみれば、用件が何であるかおよそ察しはついていただろう。
時間ピッタリに彼女は現れた。

「ああ、ごめんね急に」
「いや、別に大丈夫」

緊張のあまり次の言葉がなかなか出なかった。
「あー」とか「うー」とか「あのー」「そのー」ばかりで、一分くらいが経過した。
業を煮やした彼女は、
「私から言おうか?」
と切り出した。
その言い方からして、僕は結果を悟った。
私から好きと言おうか?ではなく、私からお断りを言ってあげましょうか?の文脈だった。
「あ、いや、ごめん。言います」
僕は促される形で、その子に告白の言葉を述べた。
「悪いんやけど、今好きな人がおるんよ」
と彼女は流暢に返答した。

「あ、そうなんや。なんかごめんね。じゃ。また」
と、僕は駅に向かった。
一度振り返って見たが、彼女はもう姿を消していた。
視界が狭くなったような心地だった。
やけに暑い日だった。
これで一生涯、彼女なんてできないんだと、ぼんやり考えた。
足早に改札を抜け、帰宅する方面とは逆の電車に乗り、僕は映画を見に行った。

見たい映画があったわけでもなかった。
そういえばディズニー映画を見たことがない。
「アラジン」に決めた。
普段は買わないジュースを自販機で買ってみた。
なぜ映画館のジュースは少し値段が高いのだろう。
カップにメロンソーダが注がれた。
鮮やか過ぎる緑が身体に悪そうだった。
飲むと思ったよりうまく感じた。
気づけば喉がカラカラに渇いていた。

「アラジン」は面白かった。
これがディズニーか。
さすがだった。
誰が見ても楽しめるエンターテイメントに仕上がっている。
先刻ふられた男子高校生でも楽しめる内容。

ストーリーは確実で小気味よい。
貧しい若者、お城を抜け出したお姫様、権力と金に目がない政治家、魔法のランプ、空飛ぶ絨毯。
おはなしの王道を駆け抜ける。

この頃からディズニーアニメはCGを導入し始めている。
「アラジン」にも随所にCGならではの表現が見られ、今後のアニメの可能性を感じさせた。
ただ、「白雪姫」や「ダンボ」に見られるような、柔らかい動きと奥深い色合いは、その後徐々に失せていってしまう。
どちらも素晴らしいアニメ技術なので、両立を維持して欲しいと僕は願う。

ロビン・ウィリアムズが声を担当したランプの魔人ジーニーは、所狭しとスクリーンの中を暴れまくった。
目まぐるしく変化する声色と機関銃のような早口に、僕は声をあげて笑った。
その場限りの即興的な声の芸において優れた才能を発揮する人だと思った。
アメリカ版みのもんただと思った。そんな言い草はロビン・ウィリアムズに失礼だろうか。
いや、みのもんたに失礼なのだろうか。判断がつかないが、とにかく僕にはそう思えた。

ふられた状況下で、よくぞここまで映画を楽しめたものだ。
「アラジン」に感謝しつつ、映画館を後にした。

翌日、僕は友人たちと定食屋に入った。
実は、この度の告白は我々にとってひとつのけじめだった。
自分ひとりでは告白ができないものだから、友人たち五人と同時にそれぞれの相手に想いを伝えようと企画したのだった。
イベントの勢いがあれば告白もできるのではないか。小心者の苦肉の策だった。

結果報告も兼ねてその定食屋に集まり、もしかうまくいった者はうな丼を注文する。
だめだった者は木の葉丼を注文する。木の葉丼とは、親子丼の鶏肉ナシのもの。椿の葉っぱだかが一枚乗っけてある。
六人中、五人が木の葉丼。一人だけがうな丼だった。

そんなことをしているから彼女ができないんだ、と当時の自分に言ってやりたい。


2007年06月28日

「永遠と一日」 ~永遠に終わらない~ 
テオ・アンゲロプロス監督

永遠と一日」(1998/公開1999

監督: テオ・アンゲロプロス
製作: テオ・アンゲロプロス/エリック・ウーマン/ジョルジオ・シルヴァーニ/アメディオ・パガーニ
脚本: テオ・アンゲロプロス
撮影: ジョルゴス・アルヴァニティス/アンドレアス・シナノス
音楽: エレニ・カラインドロウ
 
出演:
ブルーノ・ガンツ
イザベル・ルノー
アキレアス・スケヴィス
デスピナ・ベベデリ
イリス・ハチャントニオ
ファブリッツィオ・ベンティヴォリオ


【おはなし】

死期を悟った老作家が、病院へ向かおうとしていた。

【コメントー永遠に終わらないー】

ある時期から、映画館で眠ることに罪悪を感じなくなった。
お金と時間と人手をかけた極上の娯楽芸術を前に、クーと眠りに就くのは贅沢だとすら思えるようになった。
僕の場合、必ずしも映画がつまらなくて眠るわけではない。眠たいから眠るのである。
なので、たとえ映画がおもしろくても眠るときは眠ってしまう。

「永遠と一日」は、僕に映画館で眠ることを教えてくれた映画の一本である。

ギリシャの監督、テオ・アンゲロプロスは映画史に残る巨匠である。
70歳を過ぎた今も現役監督として健在である。
彼の映画は、一目見ただけで彼のものだと分かる。
そういう空気を持っている。

ところで。
映画には「長回し」という言葉がある。回す、とはカメラを回す、つまり撮影すること。
一つのカットを長く撮影することを「長回し」という。
カットとは、その画がはじまって、終わるまで。ひと続きの画のことを言う。
カットが一つ一つ連続して一本の映画となる。

アンゲロプロスは、その1カットがとても長いことで有名である。
長回しは、アンゲロプロスの代名詞と言っても過言ではない。
遠く豆粒ほどの大きさにしか見えない人物がテクテクこちらに歩いて来て、ようやく画面に迫ってきたところで「やあ」という台詞をはくだけ、などということを平気でやる。
豆粒がこちらに到着するまでに要する時間は5分か7分か分からないけれど、その間ずっと観客は待たされることになる。

普通の映画であれば、豆粒がこちらに向かっているのが確認できたところで、パッと次のカットに切りかわって、既に画面のそばにまで近づいているその人物が台詞を言うだろう。
編集で、間の時間は抜くことができるのだから。

しかし、アンゲロプロスはひと続きの時間を大事にする。
本当にそこに流れる時間を捉えようとする。
彼の映画に満ちる緊張感や、重厚な趣は、独特な時間経過の積み重ねによって生まれるのだろう。
豆粒大の人物がこちらに来るまで、観客はしっかりとその空気を堪能できるのだと解釈したい。

「永遠と一日」でも、相変わらず見事な長回し。
完璧な構図と画面構成。
一つのカットが一つのお芝居のように完成されていて、ここというタイミングで通行人が奥を歩いたりする。
老人の人生にまつわるテーマも、決してうるさくなく静かに語られ、僕の性に合っている。

一瞬たりとも無駄にしない映画美で迫ってくるこの作品で、公開当時(99年)僕は後半ほとんど眠ってしまった。
決してつまらなかったわけではない。むしろ興奮して見ていた。
だが、眠ってしまった。長回しの途中で。

目が覚めるとエンディング間近だった。
半分眠ってしまった僕であったが、この作品が傑作であることは分かった。
素晴らしい作品だったという充足感と、ひと眠りした爽快感で、僕は席を立った。

数ヶ月後。
「永遠と一日」が高田馬場早稲田松竹で上映されるというので、もちろん僕は駆け付けた。
いい作品だということは分かっている。通して観て、自分を納得させたいだけだ。
おにぎりを2つほど買って、お茶を買って、ガムを準備して万全の態勢で臨んだ。
そして後半眠ってしまった。
たぶん長回しをしている最中に。

それ以来、この作品を観賞する機会は持っていない。
大事な映画体験をビデオなどでごまかしたくないのだ。
眠って見れなかったという体験を堂々とアンゲロプロスに報告したい。
ふざけるな!と叱りつけられるだろうか。
僕は、本当にこの映画の凄さを、ちゃんと受け取ったのだがなぁ・・・。


2007年07月18日

「12人の優しい日本人」 ~日本人の可能性~
中原俊監督

12人の優しい日本人」(1991年

監督: 中原俊
製作: 岡田裕
プロデューサー: 笹岡幸三郎/垂水保貴
企画: 成田尚哉/じんのひろあき
脚本: 三谷幸喜東京サンシャインボーイズ
撮影: 高間賢治
美術: 稲垣尚夫
編集: 冨田功/冨田伸子
音楽: エリザベータ・ステファンスカ
助監督: 上山勝

出演:
塩見三省
相島一之
上田耕一
二瓶鮫一
中村まり子
大河内浩
梶原善
山下容莉枝
村松克己
林美智子
豊川悦司
加藤善博


【おはなし】

日本に陪審員制度があったならという設定。
有罪、無罪の攻防の末、12人は一つの結論に辿り着く。


【コメントー日本人の可能性ー】

高校時代(92年95年)、演劇部に所属していた僕にとって、脚本家三谷幸喜を知ったのは大きな出来事だった。

入部したての頃は演劇そのものにまだ慣れず、大きな身振りの演技や、特有の口調にどうも馴染めずにいた。
先輩に借りて見た舞台のビデオも、どうも暑苦しさが気になった。
特に80年代からの流れを汲む小劇場の舞台は、なんというか、見ていて恥ずかしい。
これは気のせいだろうか。演劇の「笑い」のテイストは、ひと昔前のものであるように感じた。
テレビっ子だった僕には、速度が遅く見えたのだ。

そんな折り、映画「12人の優しい日本人」をレンタルビデオで見た。
東京サンシャインボーイズが舞台で上演し、好評につき映画化された作品である。
十二人の怒れる男」が大好きだった僕は、三谷幸喜も知らずにこの作品を見た。

見事なパロディだった。
映画は「飲み物の注文」から始まる。
もしか日本に陪審員制度があったなら、重大な責務をよそに先ずは各自の飲み物を何にするかに時間が割かれるかもしれない。
また陪審員のための「ガイドブック」が配布され、審議の前に条文を読み上げる決まりがあるかもしれない。
そして、形式だけの条文の音読は「どうせみんな知ってんだから」との意見により、端折られるかもしれない。

いかにも日本で行われそうな、だらしのない進行が僕はおかしくてしょうがなかった。
しかし、09年から陪審員制度が導入されるのだから、今後この映画を笑ってばかりもいられなくなるかもしれない。

最初の採決。
討論を前に、有罪か無罪か挙手で全員の立場を確認する。
このあたりは「十二人の怒れる男」をきちんと踏襲する。
ところが、12人全員が無罪に挙手してしまう。
この部屋に入って来てから、ものの数分しか経っていないのに決が出てしまった。
ここにアメリカ人、ヘンリー・フォンダはいない。
ことなかれ主義で、なんとなく片は付いた。
あまりのあっけなさに、当人たちもしばし呆然としている。
判決が出たのなら、審議は終了だ。
つまり映画も終わってしまう。

冒頭から畳みかけるように「裏切り」が続く。
「十二人の怒れる男」を前フリに、さも楽しそうにそれを裏切る小さなエピソードが連発される。
僕はこの映画が、これから見せてくれるに違いない様々な展開を期待しワクワクした。

全員が帰り支度を始めたとき、一人のサラリーマン風が手を挙げる。
彼は議論を続けるためにほとんど無理やりに有罪に一票入れる。
そんなばかな。
全員の一致がなければ決は成立しない。
ここから本題に入っていく。

いわゆるギャグとしての台詞や、12人のいかにもなキャラクター造形も面白いのだが、この映画が優れているのは議論そのものの展開だと思う。
誰が主役というわけではないので、どっちに転がるのか見当がつかない。
まさか!という驚きが要所要所に仕掛けてある。
そして、程よく脱線し常に喜劇の体裁は失わない。

12人の思惑と議論の運びがジグソーパズルのように隙間なく複雑に配置され、最終的には一本の結論へと集約される。
奇跡かと思うほどによくできている。

僕はこの映画が本来お芝居であったという事実に歓喜した。
他の演劇とまるで角度が違う。
演劇にはまだまだ魅力が潜んでいるのだろうと希望を持った。
己の勉強不足を恥じた。
日本の演劇でも映画でも、きっと面白いものは作れるのだ。
こんな人がいたのか。
三谷幸喜という脚本家の作品を追わずにはおれなくなった。

うちの母親もこの映画をいたく気に入り、
「本家を超えたねー」
と、軽々しく言い放っていた。

こういうお芝居はできないものか。
高校生ながらに、原稿用紙を広げてもみたのだがまったくマス目は埋まらない。
一行書いてみてつまらないことがすぐ分かる。
「あれがこうなって、そっちがあんなことになって、ここにどーんとあれがきて・・・」
ボンヤリとやりたいことがあるような気がしているのだが、ボンヤリはボンヤリのまま何一つ見えてこない。
やがてボンヤリと眠たくなってきて、ペンを投げ出して布団に入ってしまうのがいつもの僕であった。

※「十二人の怒れる男」についての記事は→こちら(07年7月10日の記事です)


2007年07月19日

「夏物語」 ~美人の投票箱~     
エリック・ロメール監督

夏物語」(1996年

監督: エリック・ロメール
製作: フランソワーズ・エチュガレー
脚本: エリック・ロメール
撮影: ディアーヌ・バラティエ
音楽: フィリップ・エデル/セバスチャン・エルムス

出演:
メルヴィル・プポー
アマンダ・ラングレ
オーレリア・ノラン
グウェナウェル・シモン
エイメ・ルフェーヴル
アラン・グェラフ
イヴリン・ラーナ
イヴ・ガラン


【おはなし】

夏のバカンスで海へやって来た青年ガスパールは、優柔不断さん。恋人とここで落ち合う予定なのだが、それまでにまだ数日ある。
ハンサムなガスパールは当然他の女の子と出会う。


【コメントー美人の投票箱ー】

「そらそうよ」
と母は即答した。
思いがけない回答に僕は驚いた。

高校時代(92年95年)、土曜の夜はよく夜更かしをした。
翌日が休みなのをいいことに、深夜までテレビを見て過ごした。
当時、スナックのママをやっていた母親が早い時は午前一時くらいに帰宅してきた。
それから二時、三時になるまで二人でお喋りをすることがしばしばあった。
僕が質問を投げかけ、母が返答するのが定例になっていた。
もし、空中浮遊ができたら何をするか?もし、僕が学年最下位になったらどうするか?といった程度の質問を延々と続ける。

その日僕は母親を困惑させようと思い、「世の中は美人の方が得をするか?」という伺いを立ててみた。
こたえて曰く、冒頭の発言となる。
母「どこ行っても得するわぁ」
僕「そりゃ不公平やねえ」
母「そういうもんやけ、しょうがないんよ」
僕「そうなんやねえ」
僕も母と概ね同意見ではあったのだが、親らしからぬ暴言に戸惑った。

映画「夏物語」には、三人の女の子が登場する。
ガスパールは三人それぞれに魅力を感じ、どうしたものか迷う。

ガスパールは夏休みのバカンスに海辺のホテルで一人過ごしている。
恋人レナは数日後に遅れてやってくる予定である。
部屋でギターを弾いたり、海へ出てみたり、退屈のんびりとしている。

砂浜で出会ったマルゴは、カフェで働いていた。
マルゴと仲良くなった彼は、遅れてやってくる恋人のことを打ち明ける。
自分は恋人のことを好きだが、果たして彼女が自分を好きなのかどうか判然としないのだと。
ガスパールとマルゴは音楽の話題で意気投合し、二人でフィールドワークに出かけたりもする。

そんな折、ガスパールはソレーヌというまた別な女の子に出会う。
ソレーヌはやけに積極的で、なんだか肉体関係もやぶさかでない雰囲気にガスパールは幻惑される。

そうこうしていると、恋人のレナがやってくる。
レナは自信過剰の嫌いがあり、鼻っ柱が強い。
ガスパールが自分を好きなのは当然だと思いこんでいる。

三人の女性の間を行ったり来たり。
顎に手をやり、悩めるポーズのガスパールの姿は印象的だ。

こんな他愛もない恋の話を七十代半ばの監督が撮った。
エリック・ロメール監督はフランスのヌーベルバーグ(※)の一員として活躍し、現在もなお恋愛映画を撮り続けている。
他愛もない話ばかりではあるが、驚くほど自然な演技と演出、抜群の構成力で、映画は盤石の面白さである。
他愛なさがとても良いのだ。

「夏物語」の若き男女の恋模様をあれだけ生々しく描けるのは、きっと俳優たちにアドリブ的演技をさせているに違いないと踏んだが、とんでもない、後に知ったところによるとシナリオは全てロメール自身が書き、ほぼそのまま言わせているのだそうだ。
この映画は98年頃にビデオで見たが、あまりに良くて一週間借りている間に二度見てしまった。
よくできた恋愛映画のヤキモキさせられるあの感じは、恥ずかしながら大好きである。

この映画で最も感心したのは女の子三人の顔である。
その性格にまったくピッタリな配役をしてある。
もしかすると、俳優が先に決まっていて、それに合わせてシナリオを書いたのかもしれない。
そういうことを言う彼女はそういう姿、雰囲気で、あんな姿と雰囲気を持っている彼女はあんなことを言う。
果たして「美人」の基準がどこにあるのかは定かではないが、ガスパールの優柔不断の材料の一つとして「美人問題」は間違いなく内在した。
一体どの子が可愛いのか、ガスパールの頭の中はフル稼働したに違いない。

悩めるガスパールは最終的に決断をするのだが、三者三様の女の子を、見ているこっちの方が選んであげたくなってしまった。

彼の決断が、世の中の美人にまた一票入れたことになったかどうかは、この映画を見た人が決めるのが良いと思う。

※ヌーベルバーグについては「大人は判ってくれない」の記事でも触れてます→こちら(07年6月15日の記事です)


2007年07月25日

「パルプ・フィクション」~ハンバーガーに明日を挟んで~
クエンティン・タランティーノ監督

パルプ・フィクション」(1994年

監督: クエンティン・タランティーノ
製作: ローレンス・ベンダー
製作総指揮: ダニー・デヴィート/ マイケル・シャンバーグ/ステイシー・シェア
原案: クエンティン・タランティーノ/ ロジャー・エイヴァリー
脚本: クエンティン・タランティーノ
撮影: アンジェイ・セクラ
編集: サリー・メンケ

出演:
ジョン・トラヴォルタ / ビンセント
サミュエル・L・ジャクソン / ジュールス
ユマ・サーマン / ミア
ハーヴェイ・カイテル / ザ・ウルフ
ティム・ロス / パンプキン
アマンダ・プラマー / ハニー・バニー
マリア・デ・メディロス / ファビアン
ヴィング・レイムス / マーセルス
エリック・ストルツ
ロザンナ・アークエッ
クリストファー・ウォーケン
クエンティン・タランティーノ
スティーヴ・ブシェミ
ブルース・ウィリス / ブッチ


【おはなし】

ヤクザ二人の出来事を中心に、周辺の人物たちの個別のストーリーが入り乱れる。


【コメントーハンバーガーに明日を挟んでー】

ハンバーガーは、自宅で作ると大変おいしいものができる。
ハンバーガーチェーン店のお肉は加工冷凍されたものを、鉄板で焼いている。
平たくて手早く調理できる形だ。
自宅で作る際には、まずちゃんとハンバーグを拵えさえすればいい。

アメ色になるまで炒めた玉葱を、ボウルの合い挽き肉と混ぜる。
パン粉と卵。
更に塩コショウ、ナツメグ
お好みで、ケチャップ、味噌、オイスターソース、中濃ソース、醤油などを垂らしてみてもいい。
充分にこねて楕円に形成し、中央に窪みを作ってフライパンで焼く。
ニンニクを効かせたければ、潰したものを油と一緒に加熱しておく。
程なくして、まずまずのハンバーグが焼き上がる。

ここで取り出すのは、少し奮発して買ったおいしいバンズ
オーブンレンジで軽く焙ったら、水気をよく切ったレタス、トマト、その上にハンバーグを乗せ、ピクルス(これも瓶詰を是非準備)を並べる。
ソースは、フライパンに残った肉のエキスにウスターソースとケチャップを足し火にかけたもの。
ハンバーグ自体の味を濃いめにしておき、味が足りなければソースを塗って補足するのが無難かと思う。
遠慮して具を挟んでも、普段お店で食べているものの1.5倍の高さになる。

さあそれを大口を広げて、がぶじゅりぃと頬張ってしまう。
特に一口目は遠慮なしに限度一杯に頬張る。
溢れる肉汁の旨味とレタスのシャキシャキとトマトの甘味とピクルスの酸味が渾然一体となって口中に満ち満ちる。
味のメリーゴーランド。
満足の食感。食べごたえ抜群。
幸福とは?と問われ、「ハンバーガーです」と答えてなんの差支えがあるだろう。

オーソドックスなハンバーグで構わない。
食パンで挟んでもいい。
普段お店で食べているハンバーガーが、全く別の料理に思える。

そして二口目の前に炭酸飲料をガブ飲みする。
これがやりたかった。
大学1年生(95年)だった僕が、なぜハンバーガーを作りたくなったのかと言えば、「パルプ・フィクション」を見たからだった。
飯田橋ギンレイホールで、当時話題だったタランティーノ監督の二本立て「レザボア・ドッグズ」と本作。

映画前半、ジョン・トラボルタサミュエル・L・ジャクソン扮するヤクザが、黒いケースを取り戻すため少年たちのアパートに押し掛ける。
少年たちは取引の途中で黒のケースを奪って逃げていたのだ。
アジトのアパートに乗り込んできたのは本物のヤクザ二人。
少年たちはビビってしまって声も出ない。
落ち着いた様子でサミュエル・L・ジャクソンは少年の一人が食べていたハンバーガーを手に取る。
ゆっくりと大きな口でがぶりとかぶりつく。
続いてスプライトをストローでゴブリゴブリ、ズズーっと飲み干す。
うわ!ア、アメリカだ。

この映画の魅力はアメリカの印象をズバリ描いているところにあると思う。
それも安っぽくて無様で、なんだか格好いいアメリカ像。
アメリカの軽い短編小説や、もっと言うならトムとジェリーのイメージ。
ハンバーガーを食べるサミュエル・L・ジャクソンの顔が大写しになって、包み紙の擦れる音と咀嚼する音とがアメリカ感を強調する。
スプライトの一気飲みでバーガーを流し込む、この厚顔無恥な仕業はとても日本人には描けない。
アメリカらしさを見事に誇張した場面だった。

ハンバーガーがこんなにうまそうに思えたことはなかった。
映画を見終わったら、すぐにもバーガーショップへ駆け込もう。
しかし、日本のハンバーガーはどれも小振りなものばかりだ。
あのアメリカンを味わいたいなら、そうだ、自分で作ればいいんだ。
で、試しに作ってみたところ、存外にうまかった。

この映画のアメリカ調は、ハンバーガーばかりではない。
クエンティン・タランティーノ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマンといった名前の語感が素晴らしい。
クエンティン・タランティーノだなんて、そんな名前があるものかと思った。
口にするだけで気持ちがいい。
サミュエル・L・ジャクソン。サミュエル・L・ジャクスン。カイル・マクラクラン。

カイル・マクラクランは出演していないが、何といってもジョン・トラボルタの登場には驚いた。
往年の形状はまったく維持されていない。はち切れた下っ腹。
ダンサーの面影は、映画中盤でユマ・サーマンと踊るところでほんの少しだけ垣間見える。
堕落という言葉がぴったりの姿に感動すら覚えた。
この映画に、スマートなトラボルタは似合わない。

アメリカのジョークのような、小話の羅列。
おもしろい話があるからまあ聞けよ、といった具合。
突拍子もない話なので、「うそつけー」と言いたくなるが、微に入り細を穿ったディテールに思わずフンフンと聞き入ってしまう。
冒頭の場面の続きがラストにあったり、時間にいたずらを仕掛けた構成も当時目新しかった。
20歳やそこらの僕などは、大喜びでタランティーノの映画遊びを楽しんだ。
いかにも90年代前半の映画。

この映画が公開された94年という年は、不景気絶頂、就職氷河期、湾岸戦争から続く終わりの見えないイラク戦争にいい加減嫌気がさしていた世の空気があった。
どうしてしまったんだ、アメリカ。何をしているんだ、日本。
飽和状態の日米に、タランティーノの与太話は痛快だった。
アメリカは下品で乱暴だ、それを笑わないでどうする、と彼は映画の中で言っているようだった。

僕の僕による僕のためのハンバーガーを食べたことは、良きアメリカに対する僕の希望と御礼だったかもしれない。


2007年07月27日

「シコふんじゃった。」~受験の土俵に乗るのだ~
周防正行監督

シコふんじゃった。」(1992年公開)

監督: 周防正行
製作: 平明暘/山本洋
プロデューサー: 桝井省志
企画: 島田開/石川勝敏
脚本: 周防正行
撮影: 栢野直樹
美術: 部谷京子
編集: 菊池純一
音楽: 周防義和
助監督: 高野敏幸

出演:
本木雅弘 / 山本秋平
清水美砂 / 川村夏子
竹中直人 / 青木富夫
水島かおり / 朝井知恵
田口浩正 / 田中豊作
宝井誠明 / 山本春雄
梅本律子 / 間宮正子
松田勝 / 堀野達雄
宮坂ひろし / 北東のケン
片岡五郎 / 主審・林
六平直政 / 熊田寅雄(ob)
村上冬樹 / 峰安二郎(ob会会長)
桜むつ子 / 穴山ゆき
柄本明 / 穴山冬吉

【おはなし】

本木雅弘演じる山本秋平は、大学を卒業するため卒論指導の教授を訪ねた。柄本明演じる穴山教授は、授業に出席していなかった秋平に、卒業させてあげる代わりに相撲部員として試合に出ることを命令する。かくして秋平は部員集めから試合まで相撲部として活動することを余儀なくされる。


【コメントー受験の土俵に乗るのだー】

NHK衛星放送の映画情報番組で、おすぎがこの映画のことを褒めていた。
当時おすぎは、今よりもずっと辛口の映画評を発表していた。
その彼が、もとい彼女が、いや彼が、絶賛するからには余程のことだろうと映画館へ足を運んだ。
古くて広いその映画館に、観客は15人ほどしかいなかった。

中学を卒業した91年の春から翌年の春まで、僕は一年間の浪人生活を送っていた。
通常、浪人生と言えば大学受験を目指す者のことを指す。
僕は、高校受験に失敗し中学浪人という珍しい境遇にあった。

大学の受験生を迎える普通の予備校の一番端の教室に、高校受験クラスという張り紙があった。
その予備校では、九州でも数少ない中浪(ちゅうろう、と呼ばれてました)のクラスがあった。
その一年間、勉強漬けになれば良かったのだが、どちらかと言うと僕は映画漬けの日々を送った。

シコふんじゃった。」に登場する大学のイメージは、高校にすら行けていない僕にとって羨望の地そのものだった。
緑のある広々としたキャンパス。
自由な時間と気ままな服装。
行き交う若い男女。
大人として認められている上に、まだ学生だからという遊びの猶予も残されている。
ほとんど極楽に思えた。

物語の主人公秋平は、正に今時の学生。
抜け目なくやり繰りした結果、既に内定まで獲得している。
あとは卒業するだけだったのだが、穴山教授の一計で心ならずも相撲部に入部することになる。

学生を仰望する反面、僕にはいささかの嫉妬もあった。
のんびりしやがって、と難癖を付けたい思い。
だが、この映画では、そんな学生が本気で一生懸命になるまでの過程が描かれていた。
相撲を通して、彼らが成長や変化を遂げるところが映画の軸となっている。
痒いところに手の届く展開だった。
なんというか、中浪の僕が言うのもおこがましいが、よく心得た映画だと思った。

試合に出るためには5人の部員が必要である。
竹中直人演じる大学8年生の青木と共に仲間探しが始まる。
相撲はまわし姿にならなくてはならない。
精神論が横行し、とても学生に流行るスポーツではない。
やっとこさ集まったのは、
ただデブだからという理由で勧誘した田中(田口浩正)。
家賃がかからない相撲部寮に釣られた留学生スマイリー。
相撲部マネージャー(清水美砂)が目当ての春雄。

どうしようもない集団が勝利目指して奮闘するのは、60年代70年代にアメリカ映画でよく撮られた。
周防監督自身、「がんばれ!ベアーズ76年)」をやりたかった、と語っている。
清々しいアメリカ映画の娯楽性を、実にうまく日本の設定に置き換えてあった。
公開された92年の映画界はどん底の不景気で、特に日本映画の失墜が目に余る最中、「シコふんじゃった。」の完成度の高さは僕にとって衝撃だった。
大抵の邦画が有する、しみったれた感じがなかった。
サクサクと物語は進行し、登場人物が有機的に行動を起こす。
過度に情に訴えるようなこともせず、相撲そのものの面白さも伝える。

映画の中盤あたりで、客席から煙があがった。
僕の10列ほど前にいたおっさんが煙草を吸い始めたのだ。
当時、僕は何度か客席で煙草を吸うおっさんを目撃している。
今ほど喫煙規制が厳しくなかったとはいえ、さすがに客席で吸うのは御法度である。
客も少ないし、まあ仕方ないか、と僕も慣れたものだった。

映画はいよいよ盛り上がってきていた。
宿敵、北東学院大学との対戦。
秋平と北東のケンの一番で勝敗が決まる。
秋平は相撲部から学んだことを試合で発揮した。
それは辛抱や我慢という言葉で映画では描かれていたが、つまり人生において重要な人としてこうあるべきだという真理のようなものだったと思う。
秋平は何かを掴み、北東のケンにも勝利する。

その時、客席から今度は拍手があがった。
煙草のおっさんが手をたたいて秋平の勝利を称えていたのだ。
つられて、周辺にいた他のおっさんも二人ほどが拍手をしていた。
映画館で拍手が起こったのは、これまでに二度しか経験したことがない。
一度目は「E.T.」※、そしてこの「シコふんじゃった。」。
僕はまんざらでもない気分になった。
その映画が確かにおもしろい映画だということを、映画館で他人と共有できるのは素晴らしい体験だと思う。

「シコふんじゃった。」の登場人物たちは、奮闘の末、勝利を手にすることができた。
そして、次なる挑戦へとそれぞれの道を歩み出す。
秋平が一人土俵にいるところへ、マネージャーが現れる。
二人向き合ってシコを踏む。
マネージャーの「とうとう私もシコふんじゃった」という台詞でエンドロールが流れる。
バシッと映画は終わった。
語り残しが一つもない。おもしろかった。

映画を見終わった僕は、勇気付けられていた。
当面の目標は高校に合格することだ。それ以外にない。
この一年間というもの、授業には出席せども、ほとんど勉強をしてこなかった。
受験日は、数週間後というところまで迫っていた。
ここへきてようやくのこと。
「とうとう僕も勉強しちゃった」で、問題集を解いた覚えがある。

※「E.T.」で拍手が起こったことについての記事は→こちら(07年6月14日の記事です)


2007年08月01日

「ナイスガイ」~本物の痛みに耐える人~
サモ・ハン・キンポー監督

ナイスガイ」(1998年公開)

監督: サモ・ハン・キンポー
製作: チュア・ラム
製作総指揮: レナード・ホー
脚本: エドワード・タン/フィベ・マ
撮影: レイモンド・ラム
音楽: ピーター・カム

出演:
ジャッキー・チェン
ミキ・リー
リチャード・ノートン
カレン・マクリモント
ガブリエル・フィッツパトリック
ヴィンス・ポレット
バリー・オットー
サモ・ハン・キンポー


【おはなし】

ジャッキーは料理人。ひょんなことからギャングに狙われてしまうことに。
あとはアクションの連続です。


【コメントー本物の痛みに耐える人ー】

98年の春頃。
フリーターの僕は、大学の頃からの友人たちと新宿にいた。
久々の友人が大阪から遊びにも来ており、映画で休日を過ごそうかということになった。

ちょうど世間では、映画「タイタニック」が流行っていた。
良くても悪くても、観た後の話題にはなるだろう。
適当な時間を調べ映画館へ向かった。
ところが、次の次の回まで客席は埋まっており、我々はほうほうの体で退散することになった。
「タイタニック」が公開されたのは確か前年の暮れだったはず。
随分経つので行けば見れると踏んでいたのだが、とんでもない。
まだまだ大ヒット絶賛上映中だった。

僕は、予定の映画が見れないという事態をほとんど経験したことがない。
福岡にいた頃(95年まで)は大抵が二本立て上映で、各回入れ換え制でもなかった。
おまけに90年代前半は、映画界斜陽の真っ只中。
行けばガラガラで好きなところに陣取れたし、ヒット作であっても同時上映の作品から見れば問題なく座れた。
上京してからは映画の趣向が変化し、ハリウッド大ヒット大作を見る回数も減っていた。
行列に並んだり、立ち見で映画を鑑賞する感覚が欠如している。

すぐに諦めて他の作品を探すことにした。
こういうときに出会う映画は想い出になる。
まったく予備知識もなしに、フラリと入る映画館。
僕たちはジャッキー・チェン主演の「ナイスガイ」を選んだのだった。

ジャッキーの映画を、僕たちは子供の頃にテレビでよく見ていた。
その後もずっと彼が映画を作っていることは知っていたが、久しく目にしていない。
二十歳を超えた今、彼の新作を見るということは、幼かった自分を振り返ることであり、今の自分を見つめ直すことであり、またジャッキーの俊敏さを確かめることであり、ただ口をアングリ開けてアクションを堪能するだけ、ということである。

上映までにまだ少し時間がある。
客席には、映画のテーマ曲らしきBGMがヘビーローテーションで流れている。
ノリの良い曲調は、我々の期待を否応なしに高める。
それにしても同じ曲を回し過ぎだ。
客の入りは悪かった。
おそらく、20年来のジャッキーファンであろう男性が、まばらに座っているだけだった。

いよいよ映画は始まった。
「タイタニック」の最先端CGを駆使した大スペクタクルが上映されている一方で、「ナイスガイ」のジャッキー・チェンは己の肉体のみを持ってアクション映画の何たるかを表現していた。
久し振りに再会したジャッキーは衰えるどころか、無茶なアクションに拍車がかかっていた。
どう考えても大怪我をするであろう人間の落下や圧縮が、めくるめくスピード感で展開する。

ストーリーに関しては実に浅いというか、あまり練られていないというか、大体で済ませてあった。
これは重要なことなのかもしれない。
ストーリーがしっかりと仕組まれていると、ジャッキーアクションに時間を割けなくなってしまう。
映画のバランスとして、アクション過多になるのは、それを求めている観客の期待に応えるサービス精神の顕れなのではなかろうか。
客席の僕は、物語の手落ちを全く気にとめなかった。
そんな馬鹿な!という展開があればあるほど楽しい。

ラストには巨大なトラックが登場する。
一つのタイヤの直径が、ジャッキーの身長の二倍はあろうかというようなトラック。
そのタイヤに飛びついて運転席へよじ登るジャッキーは、当時四十歳過ぎ。
トラックを乗りこなし、高級車を踏みつけ、豪邸をぶち壊してしまう。
それが何を意味するのかは、よく分からなかったのだけど、錆びていないジャッキー映画のハチャメチャぶりには感動があった。
全編笑って見ていたのだが、最後には「お前、すごいよ…」と胸が熱くなる思いがした。

僕は当時、アルバイトを転々としていた。
何がやりたいのか自分でもよく分からず、いたずらに毎日を消費していた。
この映画はジャッキーのハリウッド進出、第一作目。
ジャッキーの目指しているところは明確だった。
そして、自身の身体を駆使し、痛い目に遭いながら映画を創作していた。

この映画を見れたことが幸運に思えた。
上映が終わると、先ほどまで映画の中で流れていた例のテーマ曲が改めて館内に響き始めた。
一緒に行った同い年の友人たちの、満足気な笑顔を見た。
売店に直行した僕は躊躇なくサウンドトラックを購入した。
実は、映画のサウンドトラックを買ったのは生まれて初めてのことだった。
このCDは今でも僕の宝物だ。


2007年08月03日

「青春デンデケデケデケ」~いつの時代を生きるにしても~
大林宣彦監督

青春デンデケデケデケ」(1992年

監督: 大林宣彦
製作: 川島國良/大林恭子/笹井英男
プロデューサー: 大林恭子/小出賀津美/福田慶治
原作: 芦原すなお
脚本: 石森史郎
撮影: 萩原憲治/岩松茂
美術監督: 薩谷和夫
編集: 大林宣彦
音楽: 久石譲
音楽プロデューサー: 笹井一臣
助監督: 竹下昌男

出演:
林泰文 / 藤原竹良
柴山智加 / 唐本幸代
岸部一徳 / 寺内先生
ベンガル / 藤原孝行
大森嘉文 / 合田富士男
浅野忠信 / 白井清一
永堀剛敏 / 岡下巧
佐藤真一郎 / 谷口静夫
滝沢涼子 / 引地めぐみ
原田和代 / 内村百合子
梶原阿貴 / 羽島加津子
高橋かおり / 石山恵美子
根岸季衣 / 藤原絹江
日下武史 / 合田浄信
尾藤イサオ / 白井清太郎
入江若葉 / 白井志乃
水島かおり / 白井美貴
河原さぶ / 吉田工場長
天宮良 / 田中和夫
安田伸 / 西村義治
尾美としのり / 藤原杉基
佐野史郎
勝野洋


【おはなし】
時は1960年代。
とある四国の田舎に住む高校生たちが、ベンチャーズに影響を受けロックバンドを結成する。


【コメントーいつの時代を生きるにしてもー】

阿久悠が亡くなった。
40年間の作詞家生活で、実に5000曲にも及ぶ歌詞を手掛けたのだそうだ。
また逢う日まで」「時の過ぎゆくままに」「もしもピアノが弾けたなら」などなど、僕はたまのカラオケでは彼の曲ばかりを唄う。
舟歌」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ジョニーへの伝言」「宇宙戦艦ヤマト」「津軽海峡・冬景色」「UFO」挙げればきりがないほどに名曲を生み出している。

70年代の歌謡曲を、75年生まれの僕はリアルタイムで享受したわけではないのだが、これらの歌は頻繁にテレビに登場したため、僕の周辺でも阿久悠ブームというのは幾度となく訪れている。
どうやらあの作詞家が全部書いているらしいぜと、中学時代、高校時代、大学時代とその時々に阿久悠の曲は僕の身近に迫った。

80年代の半ばからテレビは過去を振り返り始めた。
歌に関して言えば、60年代70年代の曲が懐メロとして何度も何度も再登場するようになった。
僕は否応なしに、当時の曲を覚えた。
そして、それから20年の月日が経つが、未だに懐メロのメニューに変化はない。
思うに、懐メロという言葉に間違いがあったのではないだろうか。
歌謡曲名曲選の方がしっくりくる。
懐かしさが先行してしまいがちだが、いい曲だから何度でも聴きたくなるというのが正しい道筋だと思う。

80年代までは幸福にもベスト10の中に歌謡曲と演歌とポップスがまだ混在していた。
90年代以降の曲で名曲として挙げられるものが何曲あるだろう。
いつしか軽薄な作りの曲が若者の曲として勝手にマスメディアを支配し売れ筋となってしまった。
一方で誠実に曲作りをした若い人たちの曲もあったはずだが、大人たちの耳に届くことはなかった。
ネットやデータ録音の影響でいよいよCDの売れにくい時代に入った。
苦しい経営の音楽業界に、今こそ日本人のための歌謡曲が必要だと思う。
歌謡曲界の巨星が、今逝ってしまったのは本当に惜しい。
いい曲をたくさん残した、阿久悠。
いい曲は普遍性を持っており、いつの時代にも訴えかける力がある。

「青春デンデケデケデケ」は高校2年の終わりごろ(94年)に見た。
当時演劇部だった僕は、部員の友人からこの映画のチケットを譲ってもらった。
上映後に大林監督の講演もついているイベントだった。
友人と二人で会場へ向かった。

映画の舞台は60年代香川県観音寺市
主人公の高校生ちっくんは、ラジオから雷鳴のごとく響いたベンチャーズの「パイプライン」、デンデケデケデケに衝撃を受ける。
通常ベンチャーズ独特のあのギター奏法は「テケテケ」と呼ばれるが、ここでは「デンデケデケデケ」と表現されている。
ちっくんにとってはそう聞こえたのだ。
ナレーションの多用と早い場面転換。
生き生きとした描写で高校生のバンド結成にまつわる出来事が綴られる。

観音寺市の風景や、方言。
三年間の高校生活の中で、友人ができ、バンドを結成し、キャンプに行き、好きな女の子ができ、文化祭があり、受験を迎える。
僕は福岡県の突端にある港町に住んでいたが、この映画の雰囲気がやけに自分の生活と重なることに驚いた。
と同時に、彼らの方がずっと行動力があり、高校生活を満喫している様子であることに憧れを感じた。

そもそも60年代の設定である。
映画に登場する歌謡曲や歌手の固有名詞は、直接僕と結びつくものではない。
阿久悠の原理と同様に、この映画は青春映画として普遍的な力を持っているのだと思う。
誰しも経験する高校生活の機微が、実にうまく描かれているのである。
この映画は50年後でも、50年前でも、見た人の胸に青春のワクワクする思いを伝えることだろう。

バンドの仲間が増えていく楽しさは、バンドをやったことのない僕にもちゃんと伝わってきた。
お寺の息子である合田富士男が、特級品の存在感を見せる。
やけに大人びた言動が笑わせる、バンドのリーダー的存在である。
僕と友人は、一発で彼のファンになってしまった。
また、ギターの名手として登場する白井は若き浅野忠信が演じている。
浅野忠信はその後、イカれた役どころを演ずることが多くなったが、この映画では眼鏡をかけた口数の少ない高校生に扮している。
普通の人を演じた時の方が、彼の旨味が出る気がする。
ぼそりと吐く台詞が、実に素直に耳に入ってくる。
バンドメンバーの四人のやり取りは屈託がなく、見ていて気持ちがいい。

概ね理解のある大人たちが周囲を固め、時折怪訝な表情を見せる大人にも、彼らは動じない。いや、気付いていない。
彼らには、ただロックがやりたいんだという活気があり、そこには遠い未来のことなど微塵も心配しない清々しさがある。
楽器を買うお金がないとなれば、手作りでギターを拵えてみたり、バイトをやったり。
バイトの場面は、音楽に合わせて楽しそうに工場作業である。
この映画の魅力は、高校生にとって世界はそれほど怖いものではないという幻想めいた視点が、巧みな映画構成によって実現しているところにある。

夏休みの終わりに、主人公ちっくんが同級生の女子から海に行こうと誘われる場面がある。
急なお誘いで、ちっくんは驚きながらも水着を準備する。
海は空いていて、二人だけで過ごすことになる。
お弁当を広げ、二人で水着に着替えて海に浸かるだけである。
ちっくんは、こんなことで彼女は楽しいのだろうか、と思う。
意に反して、別れ際にその女の子は「ありがとう。楽しかった」と言う。
どちらが告白するわけでもない。
ただ、そういう一日があったという場面である。
な、なんとうらやましい!
自宅に女の子が一人で訪ねて来て、二人っきりで海に行くなんて、夢のまた夢。

この女の子は映画の中で重要な役割を持っているわけではない。
彼らのバンド活動をたまにお手伝いする背景として、ちょこちょこ登場するだけだ。
ちっくんにとっても、まさか彼女が個人的な接触を持ってくるとは思っていなかったし、見ていた僕にしてもこの不意打ちにはドキドキさせられた。
その後どうなるわけでもない展開も含め、この海水浴事件は淡い記憶の一片として僕の脳裏に張り付いた。

この映画は2時間15分の上映時間だが、振り返ってみれば、まったく高校の三年間というのは2時間15分で過ぎ去ってしまったような感触がある。
それからの人生の方が圧倒的に長いのだが、そのことを忘れていられる映画かもしれない。
一緒に見た友人と二人、残りの高校生活をなんとか楽しく過ごそうでなはいかと話し合った。
まだその時には、未来は僕らの手の中にあるつもりだったのだ。

阿久悠の名曲を、今後も僕は聴くだろうし唄うだろう。
そしてこの映画のことも、また見直すだろう。
ふっと日々が退屈に思える瞬間があるが、それは本当だろうか。
5000本の歌詞を書かずして、バンドも結成せずして、退屈とは何様のつもりだろう。
彼らの作品は、いつでも僕を励ましてくれている。


2008年03月18日

「シザーハンズ」~世界一哀しき男~
ティム・バートン監督

シザー・ハンズ」(1990年

監督: ティム・バートン
製作: デニーズ・ディ・ノヴィ / ティム・バートン
製作総指揮: リチャード・ハシモ
原案: ティム・バートン / キャロライン・トンプソン
脚本: キャロライン・トンプソン
撮影: ステファン・チャプスキー
特殊メイク: スタン・ウィンストン
編集: リチャード・ハルシー / コリーン・ハルシー
音楽: ダニー・エルフマン

出演:
ジョニー・デップ
ウィノナ・ライダー
ダイアン・ウィースト ペグ
アンソニー・マイケル・ホール
キャシー・ベイカー
アラン・アーキン
ロバート・オリヴェリ
ヴィンセント・プライス
エレン・グリーン
ビフ・イェーガー
ジョン・デヴィッドソン

【おはなし】

とある発明家が作った人造人間エドワードは両手がハサミ。
街に出てきた彼は、世間の人気者になり、そして一人の娘に恋をする。
ところが、そうは言っても彼は人造人間。
哀しき運命を持つ彼は、永遠に孤独であった。


【コメントー世界一哀しき男ー】

世界で最も爪の長い男は「世界びっくり大賞」に出演していた。
「世界びっくり大賞」とは、世界一長身の男、全身体毛におおわれた男、この世で最もウエストがくびれた女、そういった人たちが次々に登場する見世物小屋のようなテレビ番組のことで、小学生の頃(82年88年)に頻繁に放送されていた。

およそ人間離れした肉体を持つ彼らを、愛川欣也が陽気な司会進行で紹介してゆく。
「でけー!」「ちいせー!」「気持ちわりー!」と小学生の僕は興奮してはいたのだが、と同時に、今思い起こせば、彼らのことをそのように指差して騒いでもいいものだろうかという後ろめたさも感じていたと思う。
少々の居心地悪さに始末をつけるため、司会のキンキンの無神経なフランクさ加減に「それは失礼やろうに」などと悪態をついていた気がする。

多少の逡巡がありつつも、僕はこの番組が大好きであった。
なんだかんだ言っても彼らはこの番組と契約を交わし、それなりの報酬を貰って、言わば全て承知の上で衆人の好奇の眼差しを浴びているのだと、最早割り切って一人の視聴者として没頭するようにしていた。
何しろ、世界一大きな乳房を持つ女が登場したりもするのだから、見逃すわけにはいかない。


さて、とある回に登場した、世界で最も爪の長い男は、インドだったか南米だったか、どこか遠い国からやってきた痩せたおじさんだった。
生まれてこのかた一度も爪を切らずにここまで来たのだという。
80cmはあったろうか。
爪はまるで受話器のコードのようにクルクル巻きになっていた。
重量に耐えるためか根元は分厚く、手は動かせないため胸の辺りで固定されたままだった。

彼はあまり喋らず、俯き気味に立っていた。
驚嘆に沸く周囲の歓声にじっと堪えているような、そんな印象だった。


映画「シザーハンズ」の日本での公開は91年
当時高校生だった僕は、映画館へ一人で見に行った。

映画の舞台となる町の外観が目に焼きついている。
パステルカラーのカラフルな彩りで家々が軒を連ね、その真ん中を細長い道路が貫いている。
まるでボードゲームの盤上のようなこの町の端には小高い丘があり、てっぺんには怪しげな屋敷がぽつりと建っている。
こういった美術のイメージはティム・バートン監督の得意とするところで、物語を語る以前にまず美術によって「これは映画ですけんね」という宣言をされてしまうのである。
そうだ、これは虚構だ!と当時の僕は息を呑んで目前に広がる情景を満喫した。

丘の屋敷に住む博士は、フランケンシュタインよろしく人造人間の制作に勤しんでいた。
一人の人造人間をついに完成させんとした、その時、彼は心臓の発作で倒れてしまう。
残された人造人間エドワード(ジョニー・デップ)は、あと少し、手首から先を取り付けてもらえさえすれば完全体にたどり着けたものを、なんと彼の両手は仮に取り付けられていたハサミのままだったのである。

たまたまセールスウーマンのおばちゃんがこの屋敷を訪れ、彼を不憫に思い町へと連れ帰ったところから、映画は本題に入って行く。
両手がハサミの彼が、町の人気者になる前半部分は実に楽しい。
一切ものを言わないこの人造人間は、ハサミを駆使した「切り刻み芸」でなんとか人々とのコミュニケーションをとるのである。

セールスウーマンの娘であるキム(ウィノナ・ライダー)に恋をしたエドワードは、しかしその気持ちを彼女に伝えることができない。
触れようとしても、ハサミがキムを傷つけてしまう。
やがて、ハサミの凶暴を告発する声があがり、エドワードは町中の嫌われ者へと転落して行く。

僕はこの映画を青春映画として見ていた。
想いとは裏腹に周囲を傷つけてしまうのは、反抗期のそれと重なった。
周囲の理解が得られないもどかしさが、ジョニー・デップの無表情な佇まいから溢れかえり、思わずこぶしを握り締めた。
そう、この映画でジョニー・デップのことを知った。
彼の存在には、かぐわしきファンタジーの薫りがある。
陰気であることの美しさを初めて味わった。

映画はいよいよ切ない局面に至り、正に物語が語られる体で悲しい結末を迎える。
充実のアメリカンファンタジーを満喫し僕は帰路についた。

この映画をうちの母親は既に鑑賞済みだった。
母はエドワードについて僕の見解とは違う捉え方をしていた。
彼は弱者、障害者、異端なのだと。
彼らとどう付き合って行くかという我々の課題を提示していたと言う。
甘く切ない反抗期の心の揺れ動きを見た僕にしてみれば、あまりに唐突な異論だった。


世界びっくり大賞に出演した世界で最も爪の長い男は、なんと番組内で爪を切ることになった。
何十年をかかけて熟成された彼のアイデンティティとも言うべきその長い爪を、日本の一テレビショーの中で切り落とすというのは、一体どういう了見なのだろうか。
彼はほとんど喋らない。
だが段取りでは爪を切ることになっているのだ。
ニッパーでざくざくと、分厚い爪が一本一本切り落とされた。
小学生の僕には、なぜそんなことに至ったのか全く理解ができなかった。
ここまで爪を伸ばすことに何の意味がないとしても、しかしそれを切ることはもっと意味のないことではないだろうか。
仮に彼自身が切りたいと申し出ていたとして、それが本意ではなかったことは、彼が流し始めた涙を見れば容易に想像がついた。
さすがの僕も、びっくり大賞のことを擁護できない心地に包まれていた。

なるほど、シザーハンズには、一人の異端者の悲劇が描かれてあったかもしれない。
爪を切ってみたところで、彼の腕は爪を切る前と同じように胸元で固まったまま動かせないでいるのだった。
長年使ってなかった腕は、すぐには言うことをきかないのだろう。
番組のエンディングで居並ぶびっくり人間の中で、彼は手を振れないまま突っ立っていた。
まさか彼が人造人間だったということではないのだろうが、所在なげに佇む姿はエドワードのそれと変わらぬ儚さで、僕の脳裏に薄く張り付いている。


2008年08月29日

「バックドラフト」~開かれない扉~
ロン・ハワード監督

バックドラフト」(1991年

監督:ロン・ハワード
製作:リチャード・バートン・ルイス / ペン・デンシャム / ジョン・ワトソン
製作総指揮:ブライアン・グレイザー / ラファエラ・デ・ラウレンティス
脚本:グレゴリー・ワイデン
撮影:ミカエル・サロモン
特撮:ILM
音楽:ハンス・ジマー

出演:
カート・ラッセル
ウィリアム・ボールドウィン
ロバート・デ・ニーロ
スコット・グレン
ジェニファー・ジェイソン・リー
レベッカ・デモーネイ
ドナルド・サザーランド
クリント・ハワード
ライアン・トッド
ジェイソン・ゲドリック ティム
J・T・ウォルシュ


【おはなし】
兄弟の葛藤をからめながら、ミステリー仕立てで語られる、エンターテイメントの要素たっぷりのアクションドラマ。豪華な俳優陣と炎を演出する監督は名匠ロン・ハワード
(※よそさまからところどころ引用させていただきました)


【コメントー開かれない扉ー】


個人にとって、映画には二種類の分類しかない。
見た映画と、見てない映画の、二つである。
映画は、「見られる」か「見られない」か、それだけで成り立っていて、基本的には見られてなんぼ、見られない限りその映画は存在すら危ぶまれるのである。

早めに白状しておくと、僕はこの「バックドラフト」という映画を見ていない。
「あの時、映画を見た」とブログタイトルを掲げておきながら、「あの時、映画を見なかった」ことについて書く旨お許し頂きたい。

見ていないにも関わらず、この映画は僕にとって貴重な作品であり、いや寧ろ見ないことによってその存在を確かなものとしている節すらあるのである。


中学生の頃から、親の付き添いなしで映画館へ行くようになった。
ほとんどは一人で見に行ったが、映画好きの同級生と連れだって一緒に映画館へ足を運んでいた一時期もあった。
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989年)」や「ゴッドファーザーPARTⅢ(1990年)」、「ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)」「プリティウーマン(1990年)」などは彼と行った。
当時の僕たちにとって映画とはハリウッド映画のことで、あぁこんなに楽しい世界があるんだと、素直に魅せられていたものだ。

映画誌「ロードショー」を購読し、(思い切って告白するが)付録のポスターを部屋に貼ったりもした。
捏造とまでは言わないが「ロードショー」誌は独自にスター俳優を作るきらいがあった。
アリッサ・ミラノだのフィービー・ケイツだの、あとグロリア・イップだのが「ロードショー」のみでもてはやされていた、あの頃のことである。
(ロードショー[集英社]は08年11月発売の09年1月号にて休刊してしまうそうです。08/09/01加筆)

次々と映画の新作は公開され、出されたものは当然のように食して、良かった悪かったと適当な感想を述べ合う。
中学生なんてものは、立ち止まりもしないし、振り返ることなどないし、ましてや吟味して掘り下げるような発想など毛の先ほども持ち合わせていない。
今でも充分お気楽に毎日を過ごさせて頂いているが、あの頃のお気楽にはかなわない。
両手を挙げて、大口を開けて、白眼を剥いて、裸で踊っているような、そういうお気楽さ加減である。
映画はただ目の前を通り過ぎて行き、僕の心にはほとんど何の痕跡も残さない。
そういう罪深き映画体験に共犯者がいたことは嬉しかった。
友人との鑑賞の日々はまさしく蜜月の季節であった。


映画「バックドラフト」は、消防士の物語である。
火事場に飛び込んだ消防士たちは、不用意に次のドアを開けてはならない。
気圧の影響で、ドアを開けた途端に炎が爆発的な威力で襲って来る場合があるのだ。
その現象を、人よんでバックドラフト
まともに浴びれば落命を覚悟しなくてはならない。
命をかけた男たちの熱きドラマである。

この映画の見所の一つは炎そのものの描写にある。
まるで生きているかのように炎が暴れるというのだから驚く。

・・・といったことが、当時の予告編、テレビでの告知などで知った「バックドラフト」の知識である。
何しろ見ていないのだから、本当に炎が生き物のようにのたうつのかどうか、それは定かではない。
申し訳ありません。


当然のことながら「バックドラフト」は、次に見る映画の候補に上がっていた。
いや、もしかすると僕が一方的に候補だと思い込んでいただけだったかもしれない。
とある放課後、彼は申し訳なさそうな顔をして僕のところへ来た。
実は日曜日に、家族と一緒に「バックドラフト」を見て来てしまったのだと彼は言った。
鞄から取り出したのは「バックドラフト」のプログラムであった。
僕に気を使って、わざわざプログラムを一部余分に買って来てくれたのだった。

しかし、中学生の僕の胸に去来するのは「がっかり」の一語だった。
抜け駆けをされたことがショックだった。
一人で見に行ったならまだしも、家族と行っただなんて考えられない。
最早我々は大人であり、電車もバスも一人で乗るし、映画だって自分たちだけでチケットを買うべきではないか。
親の庇護を殊更に軽蔑してしまう感情は中学生特有のものだったかもしれない。

勿論僕も自覚していた。
映画を見るのに、わざわざお互いに了承を得なければならない言われはない。
見たいものを見たい時にそれぞれの都合で見ればいいのだ。
何も目くじらを立てるようなことではない。
しかし自分でも意外な程に、僕は彼に対して手厳しい発言を連発してしまった。
あからさまに不機嫌な態度を示し、彼を困惑させた。
「見てないんやけ、貰ったってしょうがないやん」
あの時、僕はプログラムをどうしたっけ。
文句を言いつつ受け取るだけは受け取ったのではなかったかと思う。

彼の不安を解くためにも、さっさと「バックドラフト」を見に行けば良かったのだが、逡巡している間に公開は終わってしまった。
わだかまりを持ったまま、スクリーンと対峙する勇気がなかったのだろう。
まるで永久に「バックドラフト」を見る機会を逸してしまったように感じた。
その後、僕たちの映画同盟は自然消滅し、いつしかまた一人で映画館に行くようになった。


今もビデオ屋で「バックドラフト」を見かけると、胸の奥がチクリと痛む。
パッケージに手を触れたなら、まるでバックドラフトのごとく慚愧の念が爆風となって吹き付けて来るようで、どうしても見ることができない。

ある時期からは、あえて見ない一本として特別扱いするようになった。
もしか10年後、20年後にこの映画を見ることがあったなら、鑑賞後すぐに彼に連絡しようと思う。「バックドラフト見たよ」と。
現在でも彼とは仲良くしており、たまに会う間柄である。
今年は彼の結婚式に呼んでもらった。

映画は見なくても、しかし映画体験は付きまとう。
これもまた映画の魅力の一つかなと、無理からに締め括らせていただきます。


1990年代

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