【コメントー待ちに待ったスピルバーグー】
上映までにはまだ随分時間があった。あと一時間半以上ある。
その日、新宿のとある映画館でスピルバーグの新作「インディジョーンズ クリスタルスカルの王国」を見るつもりだったのだ。
まずは映画館へ行き、先にチケットを購入した。
整理券は配布しないので早目に来て下さいと、チケット売り場の彼女は言った。
上映開始の30分前に戻って来るとしても、その時刻までたっぷり時間があった。
近くのカラオケ店に一人、堂々たる態度で受け付けし、誰も聞かない歌声を自分自身のためだけに張り上げて、ようやっと一時間の時間を潰した。
このところ、たまのカラオケに行く時は、こういった時間潰しで一人のことが多い。
捨て曲をかけておく間に、選曲しまくるというケチな技が身についた。
映画館へ戻ってみると、既に長蛇の列ができていた。
7月の土曜日、スピルバーグの新作で、しかもインディジョーンズともなれば、おのずと客席は埋まるものだろう。
最後尾へ到着し時計を見ると上映まであと40分あった。
本を読みつつなんとかやり過ごそうとするが、前に並んだ二十代前半の男二人の会話が耳につく。
サチコだかいう女が、いい奴なのか悪い奴なのか二人の意見は割れているのだが、いずれにしても二人ともがサチコを好きに違いないことが窺えて、聞き耳を立てているこちらとしては大変もどかしい。
やがて前の回の上映が終了した。
客が退場し、いよいよ我々待機組が入場を許可された。
振り返れば後方にも列は長く続き、久々に満席の中での映画鑑賞になるのではないかと、期待は高まった。
アクション・アドベンチャー映画なんてものは、たくさんの人達とワイワイ騒ぎながら見る方が楽しかったりするのだ。
無事、席は確保できた。
満席立ち見とまではいかずとも、まんべんなく埋まった客席はザワザワと騒がしい。
いつか見たスピルバーグ映画の幻影を、未だに追っている人たちなのかもしれない。
きっと素晴らしいことが、これから眼前で起こるに違いないという期待に館内は満ちていた。
しかし、上映までまだ15分はある。
売店に行ってみると長い列ができていたので、コーラは諦めて席に戻った。
改めて本を鞄から取りだしてみるものの、どうも落ち着かないので読むのはやめた。
こうなったら、上映が始まるのをじっと待ってやるのだと、開き直ってゆっくりと座席に深く座った。
目をつむって、これまでのインディ・ジョーンズを頭の中で反芻してみる。
最初に観たのはシリーズ二作目の「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984年)だった。
小学校2年生のときの夏休み、親に映画館へ連れて行ってもらった。
あまりに面白かったので、夏休みの宿題の絵画にインディ・ジョーンズの一場面を描いて持って行った。
一作目の「レイダース」(1981年)はその後、床屋で見た。
これも小学生の時、近所の床屋に散髪に行くと、設置のテレビで放映されていた。
と、この辺りまで回想していたときに、いよいよ客席は暗くなった。
しかし、まだ始まらない。本編前にコマーシャルや予告編が10分は流れる。
それも待つ。
僕は予告編というのがあまり好きではない。
今後見るかもしれない映画の断片が、先に分かってしまうのはなんとも勿体無い気がするのだ。
なので、予告編はなるべくまあまあの態度で、それほど本気で見てませんよという抑制を利かせながら、なんとはなしに過ごすようにしている。
と、おかしなことが起こった。
予告編に引き続き、必ず流れるのはドルビーサウンドを聴かせる映像と、映画館ではカメラ撮影してはいけませんという警告映像であるが、これが音だけ聞こえてスクリーンは真っ暗なままなのだ。
僕は嫌な予感がし、後方の映写室を見上げた。
特に係員が動く気配は感じられない。
しかし、不安は的中した。
明らかに本編が始まったにも関わらず、音だけが進行し映写されないのである。
ゴー、ドカ、ブオン、ガー、といった音だけが暗闇の映画館に響く。
さすがに客席もざわつき始めた。
後ろを振り向く者もちらほらいる。
どうなっているのだろうか、依然として音だけの上映は続く。
場内は暗いまま、係の者も出て来ない、アナウンスもない。
僕は立ち上がってロビーに出てみた。
既に一人のおっさんがバイトの青年であろう映画館の者に状況説明を求めていた。
売店が空いていたので、僕はコーラを買った。
客席に戻ると、まだ暗闇の上映は続いている。
ざわつきの中には怒声も混じりだした。
「映写室ー!映写室ー!」という中年女性客の声が館内に響く。
ようやく係の男が一人現れ、大声で弁明を始めた。
「ただいまトラブルがあり、上映できる状態にありません!復旧を進めておりますので、しばらくお待ち下さい!」
映写室ー!、の女性は「こんなことあってはならないことですよ!」と怒りを顕わにしていた。
まったくこんなこと、僕も生まれて初めての経験である。
「ちゃんと、巻き戻して上映してくださいね!」彼女の言った「巻き戻し」という言葉が、僕はやけにおかしく感じた。まるでビデオの巻き戻しのようで。
ところが、観客の怒りをよそに暗闇の上映は終わらない。
映画を音だけで見るとは、餃子を皮だけで食べるようなものである。
皮と具が相まって、そこで奇跡が起こるのである。
一体いつまで待たされるのだろう。
予告編ですら、先に見たくない僕である。
音だけでも先に感得するのは勿体無いと思い、ロビーに出ることにした。
「だから謝れって言ってんじゃないんだよ。どうするのかって聞いてんの」
平謝りの係員に対し、中年男性が叱りつけている。
僕も店員というバイトをしたことがあるが、100パーセント店側に落ち度があるときは、ひたすら謝ってお客さんのお叱りと言い分を聞き続けなくてはならない。
あの身の毛もよだつ謝罪の時間帯は苦しい。
心の中で、がんばってねと係員にエールを送り、僕はロビーでグッズ等を見て回った。
しばらくして客席に戻ると、ようやく音上映は終了して、場内は明るくなっていた。
上映開始から20分は経過していた。
係員が出てきて、またしても唐突の説明が始まる
「大変申し訳ございません!現在映写機の復旧のめどがたっていない状況です!申し訳ございませんが、この16時20分の回は上映を中止とさせていただきます!ロビー受付の方で・・・」
払い戻しが始まった。
もしくは、一旦外出する方には次回19時の回に入場できるよう半券にハンコを押すという説明だった。
ほとんどのお客さんがぶつぶつと不平を述べながら劇場を去って行った。
僕もそうしたいところではあったが、今度いつ見に来られるか分からないし、今外に出ても新宿の空の下何もすることがないので、腹を決めて館内で待機することにした。
もうひたすら待つのだと自分に言い聞かせた。
思えば、シリーズ3作目「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」が89年、当時中学生だった僕は友人と映画館に観に行った。
以来、四作目の噂こそ耳に入ってきていたが、とうとう20年の時が経っていたのだった。
その間、待望の念をひたすらに募らせて、いや、事実としてはそれほどに待っていたわけではないのだが、四本目をやるよと聞いたならば、じゃあ見に行くよと思うのが人情だろう。
20年待ったのだから、ほんの数時間くらい待ったっていいじゃないか。
数人の客を残した館内は、静まり返っていた。
ど真ん中の席に移動し、僕はいつしか眠っていた。
眼が覚めると、既に館内は暗くなっていた。
19時の回が始まり、見覚えのある予告編が流れていた。
危うく寝過ごすところだった。
氷の解けたコーラを一口飲み、座りなおした。
まるで何事もなかったかのように映画は始まった。
上映されたのは紛れもなくインディジョーンズだった。
あれから20年の時が流れたとは到底信じられなかった。
ハリソン・フォードが年老いたことなど、この際どうでも良い。
僕が驚いたのは、当時と全く変わらぬバカバカしさで映画が彩られていたことだ。
スピルバーグという監督の立場は、この20年間で随分と変わったはずだった。
「シンドラーのリスト」(1993年)や「ミュンヘン」(2005年)など社会派のドラマを手がけ、最近では北京五輪の開会式の演出を中国の政治的未熟について指摘した上で辞退している。
世界で最も客を呼ぶ映画監督であるがゆえに、彼の言動には否応無しに社会的な意味が付随してしまう。
ふざけてばかりもいられない地位に、もう立ってしまっている。
そんな彼が誰よりも柔軟な頭で、徹頭徹尾アドベンチャーアクションを描き切る。
目の前に繰り広げられる下らないアクションシーンの連鎖には、「意味」などない。
ただただ、おー!だの、危ねー!だの言っていればいい映画だった。
あらゆるスピルバーグへの賞賛、非難の声は、この作品を前に雲散霧消してしまうだろう。
これまでの実績も何も、かなぐり捨てて彼はただアクション映画を撮っている。
僕の印象では、過去のシリーズ三本と比較して全く衰えてもいないし、全く進歩もしていない。
同質にくだらなくて、同等に笑える。
一体僕は、スピルバーグの何に期待していたのだろうか。
きっとまたアクション連発の楽しい作品を見せてくれるだろうとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。
観客である僕の方が、余計な気負いを持ってこの映画を待っていたのかもしれない。
もっと「まともなこと」を要求する下手に大人びた自分。
二十年という時の流れに、僕自身が曲がってしまっているということにハタと気付かされたのだった。
またしてもスピルバーグにやられてしまった。
ハリソン・フォードがシルエットで帽子を被る登場シーン。
バイクで登場のシャイア・ラブーフは、あたかも「波止場」(1954年)のマーロン・ブランド(スピルバーグの場合、オマージュではなくパロディになるのがとてもいい)。
磁力によって蓋にペシャリと張り付く眼鏡。
疾走する二台のトラックでの攻防では股間に注意。
爆発の危機は冷蔵庫で切り抜け、滝とあらば落下し、地下に入れば崩落のピンチ。
スピルバーグ印(じるし)の演出が満載である。
楽しかった。
エンドロールの最後まで見届けて映画館を出た。
新宿は夜になっても明るい街だが、昼間の暑さは幾分おさまっていた。
待った甲斐はあった。
あったに違いない。
なぜなら、今回の上映中止の件にかこつけて、帰りに受付で「ハムナプトラ3」の前売り券をせしめてやろうと目論んでいたことを、すっかり忘れていたのだから。