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2007年07月07日

原作「自虐の詩」 ~人に4コマの歴史あり~
業田良家

自虐の詩」(19841990連載)

作者: 業田良家


※間もなく映画が公開(07年秋)ということで、今回は原作である漫画「自虐の詩」の紹介をさせていただきます。


【おはなし】

貧しい夫婦の生活ぶりと、それに至った過程。

【コメントー人に4コマの歴史ありー】

マンガで泣いてしまった。
初めてのことだった。
自分でも驚いた。

でも、この作品を「泣けるマンガ」としてのみ紹介するにはあまりに勿体ない。
なぜ泣けるのかといえば、それは笑えるからではないかと思う。
ギャグ漫画として出色の出来。
ストーリー漫画としても濃厚なドラマが楽しめる。
それを4コマ漫画でやりきったところに、この漫画の凄味がある。

読んだのは03年だったと思う。
面白いよと友人が貸してくれたのだが、しばらくは放置したまま、薄く埃がかぶってしまっていた。
「そろそろ返してね」の言葉に背中を押され、その晩僕は布団に入った姿勢で表紙を開いた。
4コマ漫画だった。
幸江とイサオの夫婦のギャグ漫画。
夫に尽す妻の健気な姿が執拗に続く。
イサオがちゃぶ台を引っくり返す場面がお決まりの4コマ目で、その反復が延々と続く。
男尊女卑の様を確信的にやっているところに妙な期待が持てたのは事実だが、上巻を読み終えた時点では、まだそれほどの満足はなかった。
今日中に読んで明日返そう。僕は更に布団にもぐり下巻に手を伸ばした。

物語は幸江の幼少期にまで遡る。
何故彼女が現在こんなにも、いわゆる不幸な女になってしまったのかと言えば、幼少期から積み重ねた不幸な境遇の連鎖にその原因があった。
不幸な星のもとに生まれた幸江は、凄絶なる貧困の中に少女時代を送っていたのだ。
父親と二人で暮らしていた幸江は、家事の一切を受け持っていた。
米の残量に一喜一憂し、借金の取り立てに来るヤクザに居留守を使った。
父親は酒を飲み、仕事もしない。

4コマ漫画でありながら、各エピソードは連なりを持っており、一つの大河ドラマへと発展していく。
反復は実に効果的だった。徐々に不幸の度合いが増し、同時に滑稽味は加速する。

この漫画の本題はこの下巻からだったのだと気づいた。
同時に、上巻で脳裏に焼き付けられた尽くす幸江の姿が、ここへきて効いてきた。
笑って読んでいると身体が熱くなってきた。布団を蹴とばして続きを読み進めた。

幸江の中学時代。
「自虐の詩」が最も充実する章である。

熊本さんという同級生は、幸江に負けず劣らず貧乏だった。
汚い身なりで、ブス。
幸江と共通項が多く、唯一の友人であった。
しかし、おどおどした幸江と違い彼女は堂々としていた。
先生にも動じない。
開き直りとすら見える、「それがどうした」といった態度。
幸江は彼女と一緒にいるときにだけ、偽りでない自分でいられた。

幸江が、女の子グループに加入していく頃から、二人の関係がねじれてくる。
見事な筆致で、幸江の心情が描かれる。
今まで無二の親友だったはずの熊本さんが、邪魔に思えて仕方がない。
一旦ほどけた友人との絆は、反動で憎悪となって幸江の内心を搔き毟る。

僕にも経験はある。
友人は入れ替わる。
すーっと別な友人へと移行する自分のいやらしさを、慙愧の念をもって思い返した。
いや、思い返すまでもない。
中学、高校時代は、それが顕著に現れるだけで、もしかすると現在でもそうかもしれない。

幸江は有頂天だった。
女の子グループの一員として、クラスにも認められた。
幸福の絶頂の中でふと見ると、熊本さんは一人で帰宅していた。
相変わらず平然としていた。
本当に平然としていたかは別として、幸江にはそう見えた。

実はもう、この時点で僕は少し泣いてしまっていた。
感傷的な描写ではなく、あくまでギャグ漫画の体裁は変わらない。
4コマという最小限の構成で、最大限の心理描写を見せる。
熊本さんとの決着の場面、更には上京する場面、名シーンが続く。

やがて幸江は、大人になった。
いろんなことがあったが、ついに今はイサオという伴侶と生活している。
妊娠した幸江は、過去のことを俯瞰で見渡す。
母親を知らない自分が、母親になる。
誰しもが母親から生まれるという神秘に、確かなる自分の形を読み取った。
生きているということに、幸も不幸もあろうかと思った。

最後の数ページに、彼女の人生の全てが透けて見える。
名作と呼ばれるにふさわしい、見事な完結。
身重の幸江が歩く姿。階段を上る姿。
高まる期待と、歓喜の再会。

ついに読み終えて、僕は嗚咽してしまった。
いくらなんでも、泣き過ぎなのではないかと思うほどだった。
でも、こんな心地は滅多にない。
少しの間、浸っていようと思った。

この漫画は一旦読み始めたなら、最後のページまで一息に読みきってしまうのがいいのかもしれない。
ただ、電車や喫茶店など、公共の場では読んではならない。
急な号泣に、周囲の人たちが驚いてしまうので。


2007年08月06日

「ビリーズブートキャンプ基本編」~更生計画シェリーに続け~
ビリー・ブランクス

ビリーズブートキャンプ基本編」

インストラクター: ビリー・ブランクス
生徒: シェリー・ブランクス ほか


【内容】

ビリーのエクササイズを一緒になって行えば、痩せられるというDVD映像。


【コメントー更生計画シェリーに続けー】

※上映時間55分の映像作品として、今回は「ビリーズブートキャンプ」を取り上げてみます。
告白しますと、一番最初は一切動かず、55分間鑑賞してしまいました。


半月ほど前から、おけぴネット管理人の影響を受け、ビリーズブートキャンプに挑戦している。
この4枚組DVDの一枚目、基本編ばかりを一日おきに試す日々。

基本編のみをやっているのは、二枚目の応用編に全くついて行けなかったからである。
筋力も体力も、リズム感も、応用できるほどには発達していなかった。
すぐに踵を返し、その後はずっと基本編住まいである。
まずは基本をこなせるようになろうと思った。

このダイエットグッズが、今までの商品と決定的に異なるのは「運動すること」自体を提唱している点にある。
痩せたいなら動けと、彼は申しておるのである。
運動が嫌だから、いかに楽をして痩せられるかがダイエットの主題であったはずなのに、いや動けば痩せるよと、至極当たり前のことを堂々と打ち出してしまった。
目から鱗。
コロンブスの卵に勝るとも劣らないこの発想に、当初は馬鹿にしていた僕も次第に惹かれるようになってしまった。

DVDをかけると、打ち込みの音楽が耳をつく。
打ち込みとは、楽器で演奏せず、コンピュータで合成する音作りのことである。
打ち込みのクオリティとしては、底辺に位置するであろう浅い作り込み。
チコチコ、ピコピコと安い電子音が軽快なリズムを刻む。
安っぽい曲だからこその楽しさがある。
聞くところによると、ビリー隊長御自らこの曲を作られたとのこと。

元々は空手の選手だったビリー・ブランクス
全米大会連覇など大変な実績を誇り、その後軍隊の中で専属トレーナーとして隊員達を鍛えていたのだそうだ。
想像するに、アメリカ志願兵の若者達にビリー隊長は人気者だったのではなかろうか。
「よーし始めるぞ!」
兵士達は体育館に集められ起立の姿勢。
おもむろに隊長が取り出したるは、カセットデッキ。
再生するとチコチコピコピコと間の抜けた彼自作の曲が流れ出す。
隊員同士、顔を見合わせて笑いをこらえているのをよそに、ブートキャンプは始動する。
兵士達の間で、ビリーのキャラクターは話題になったろう。
「ちょっとあいつおかしいよな」「なんであんなに元気なんだろうな」「結婚してんのかな」
名物講師として、有名人となるのに時間はかからなかったろう。

ビリーが曲にノって喋りだす。まるでラップである。
各運動を丁寧に説明しつつ、気を付けるべきポイントを語る。
55分間、淀みなく喋りっぱなし。
なかなか気持ちのいい声だ。
この語りに引っ張られ、ついつい最後まで完走してしまう。
ちゃんと説明通りにやるのと、見た目の動きだけを模倣するのとでは、運動量に雲泥の差が出る。
力を込めて一つ一つの動きをやりたいのだが、如何せん持久力が足りない。
休み休みで参加させていただいている。

しんどい時に、画面右にいるシェリーは励みになる。
シェリーは金髪の美人。
ビリーもことあるごとにシェリーに近付き、彼女を手本にエクササイズを解説する。
彼女が「hooooo!」と叫ぶ顔のなんと凛々しいことか。
ビリーの後ろで10人ほどの生徒たちが居並んでいるのだが、シェリーは学級委員長の風格である。
彼女のような体型を目指して、皆頑張るのだ。

シェリーはビリーの娘であるらしいが、黒人から白人の子供は生まれない。
黒人の遺伝子は大抵優性遺伝するため、ハーフであっても、髪の毛は縮れ毛で、肌も褐色になる。
シェリーは母親の連れ子であるという事実を聞き、納得すると同時に、このビリーズキャンプ最大の見どころは、ビリーとシェリーの親子関係にあるのだと、一人勝手に解釈をした。
あくまで想像の話だが、シェリーが最初からビリーのことを「お父さん」と呼んだとは思えない。
映画で培った行間読みで、彼らのドラマを想像してみる…。

気の強い少女シェリーは、母親の再婚に反対だった。
ましてや相手は得体の知れないKARATE男。
もっと私を見てよ!
シェリーは母親への愛憎に苦悶し、ビリーへの嫌悪感を日に日に募らせて行った。
親への反発は彼女を非行へと走らせ、また早熟な自立心を芽生えさせた。
ハイスクール時代、ビリーの反対を押し切って校則違反となるアルバイトに勤しんだのは、お金を稼ぐためだけではなかった。
深夜のバーでウェイトレスをする間だけ、シェリーは自分の存在を確認できる気がした。
ビリーが学校に呼ばれ、校長先生に厳重注意を受けていることも知らずに、シェリーは自分勝手に振舞った。
卒業を前に、シェリーは恋人と駆け落ち同然でその町を飛び出した。
ビリーの必死の捜索にも関わらず、とうとうシェリーの行方は掴めなかった。
やがて2年の月日が流れた。
その年のクリスマス。
ビリー夫婦は二人で小さなパーティを開き、ささやかにイブの夜を楽しんでいた。
見上げた壁の額にはシェリーの写真。
二人はこの2年間というもの、心から笑顔になることがなかったのだ。
と、突然、玄関をノックする音が聞こえる。
誰も招待客はいないはずだ。一体、深夜に何者だろう。
ビリーがドアを開けると、そこには変わり果てた姿のシェリーが一人立っていた。
薬に侵されていることは明白だった。
「シェリー!」ビリーは駆け寄り、彼女を抱え上げた。
シェリーがどんな生活をしてきたのか、なぜ戻ってきたのか、ビリーは一切尋ねなかった。
ビリーの看病は愛情と情熱に満ちており、シェリーの身体と心の傷は次第に癒えていった。
翌年の秋、ビリーの誕生日パーティには、たくさんの教え子たちが集まっていた。
若い兵隊たちに飲み物を振舞うシェリーは溌剌としていた。
目を細めてビリーは彼女の姿を見つめていた。
その晩。ポーチでくつろぐビリーのところへシェリーがやって来た。
長い沈黙の後、シェリーはビリーの方へ向き直った。
「お父さん。私、お父さんのお手伝いをしたいの」
ビリーは驚きと喜びにグラスを落としそうになった。
初めてお父さんと呼ばれたことに耳を疑った。
「お父さん。ごめんなさい」
ビリーは鬼教官である我を忘れて、滂沱と涙を流した。
シェリーはビリーの胸に飛び込み、まるで子供のように泣きじゃくった。

そんな訳で。
シェリーは今、僕が見るビリーズブートキャンプの一員として自信満々の表情でエクササイズに取り組んでいる。
と、全くの作り話で補足しつつやるのが楽しい。

ビリーはエクササイズの中で、「自分を変えろ」と言う。
そうだ、僕は変わりたい。
この言葉には弱い。
怠惰な自分を変えたい。
自分を変えるためのエクササイズ。
今までどれだけ自分に甘く生きて来たか知れない。
これが最後のチャンスだ。
そのお手伝いをビリーがしてくれる。
シェリーに続け。

一日置きの「慌てず日程」で気長にやっているのだが、勿論皆勤とはいかない。
一回休んだ場合、二日も間が空いてしまう。
当初の意気込みも日を追うごとに細くなってきているのは、気のせいではないだろう。
このブログでビリーを取り上げたことで、今一度奮起したいと思う。
猛省!


2007年11月07日

「宝塚映画祭」映像コンクール
「ブルーカラーウーマン」レポート第一部

「宝塚映画祭・映像コンクール」レポート
第一部

07年11月3日土曜日。
文化の日。
宝塚映画祭の映像コンクールが開催されました。

今年で8回目となる宝塚映画祭は、
宝塚市を中心に数日間に渡って
様々な映画上映、トークショー、イベントなどが行われる
映画の祭典です。
宝塚歌劇とはまた別のものでございます。

かつて撮影所のあった宝塚で、
今一度、映画を復興しようではないかと、
毎年開催されています。

そのイベントの一つとして「映像コンクール」があります。
いわゆる自主映画を公募し、審査し、上映、表彰しようというもの。

約100本の応募作の中から、わたくし吉田の撮りました
「ブルーカラーウーマン」という45分の中編が入選しまして、
この度、宝塚まで行って参りました。

入選作は8作品、もう一つアニメ部門に4作品。
これを午前中から夕方まで一挙に上映。
入場は無料で、
小さな会場でしたが、お客さんの絶えることがなく、
立ち見の回もあったほどですから、
まずまず盛り上がっていたと言えるのではないでしょうか。
いえ、まあ、小さな会場ではあったのですが。

他の入選者の方々の作品も是非拝見したいと思い、
前日から京都に住む高校時代からの友人(音楽をやっています)宅へお泊りし、
当日は7時に起床して会場へと向かいました。

9時半。友人と二人、宝塚南口駅に降り立ちました。
駅ではタカラジェンヌと思しきカッコいい女性を二人見かけました。
金髪(茶髪?)で背が高く、ジーンズで、背筋をシャンと伸ばして闊歩していました。
素敵な街だなあ、と友人と二人で感心してしまいました。
仮に彼女がタカラジェンヌではなかったとしても、
それに類する人がチラホラ目に入ってくるのは、
気分の悪いことではありません。
歩く姿が格好いいのです。

駅からすぐのところに
会場となる市立国際文化センターはありました。
階段を上るとおばちゃんたちがワイワイいます。
どうやら絵画教室の展覧会が催されている様子。
絵画展覧会が二件開催中の先に、
今回の上映会場となるホールがありました。

まだ時間があったので、
トイレへ行って、外へ出て一服し、雑談。
気付けば上映開始時間が過ぎてしまっていました。
急いで受付を済ませ、入選者の名札を貰い(名札に名前と作品タイトルを自分で記入)
会場入りしました。
すぐ遅刻をする人種の悪い癖だと思います。
反省しました。

一本目の上映は藤岡佳司監督の「理想の朝」。
雑誌「ビッグイシュー」を売るおじさん達にインタビューしたドキュメンタリーで、
僕には大変興味のある題材でもあり、
最後まで釘付けになりました。
おじさん達の言葉があまりにもフィクショナルに聞こえ、
胸に響きました。
フィクションからは最も遠いところにいるはずの彼らの日々の生活。
だからこそでしょうか、
彼らの顔や声、発する言葉の出来過ぎな印象が
グッとくるのです。
何しろ本物です。その人生にウソやごまかしはありません。
学生さんの撮られたドキュメンタリーでしたが、次回作が気になります。

お昼を過ぎて、僕の家族がやって来ました。
このブログでも幾度か登場した僕の母と兄弟です。
福岡からわざわざ宝塚までやって来たのですが、
それぞれに思惑があったようです。
姉はちょうど、旦那さんが出張で兵庫に入っており、
それにかこつけて娘二人を連れての小旅行。
母は、「孫、命!」ですから、
仕事を休んで姉の娘の相手を買って出たわけです。
兄は「連休を取って京都競馬場に行くつもりやった」らしく、
ついでに弟の映画を観に来たのです。
母と兄と姉と姉の夫とその娘二人が、
会場ロビーに陣取っているのを見て、
僕ももういい歳ですが、さすがに顔が赤くなってしまいました。
いかに他人のフリができるかが
今回の映画祭参加最大の目標となったのです。

今回からアニメ部門が新設されており、
これが僕の楽しみでもありました。
個人制作のアニメがどんなことまでできるのか
観たかったのです。
4作品ありましたが、どれも大変な力作でした。
16ミリフィルムで撮影された手描きアニメ、
中村武監督の「矢印」。
フィルムの質感というのは、やはり「映画」の醍醐味の一つです。
スクリーンにパッと映った瞬間、圧倒的に趣がありました。
手描きアニメと呼ぶのか分かりませんが、
セル画ではなく、紙に何枚も同じ絵を描いてのアニメーションの
労力たるや半端ではありません。
僕も以前5分ほどのアニメを
100円ショップで買ったらくがき帳に1000枚ほど描いて作ったことがありますが、
もう二度と作りたくないと思いました。
アニメは、人やモノが動く瞬間に気持ち良さがあるのだと思います。
心地よい線の流動が堪能できた2分の短編でした。

上甲トモヨシ監督の「雲の人 雨の人」は、
とても自主制作とは思えぬ出来栄えでした。
残念ながら監督さんが会場にはお越しになっていなかったため
お話しできませんでしたが、
一体どうやってあれを描いたのか、
大変興味があります。
雲と雨を擬人化した二人の対決が柔らかい動きで描かれます。
カメラワークも自由自在で、グーッと寄ったり引いたり。
個人制作にしては、あまりにも技術が高いと思いました。

自主で活動している僕ではありますが、
あまり自主映画というのを見る機会がなく、
今回は他の入選者の方々の作品を拝見し、
大いに勉強をさせていただきました。


第一部 完

次回へ続きます…。

2007年11月09日

「宝塚映画祭」映像コンクール
「ブルーカラーウーマン」レポート第二部

「宝塚映画祭・映像コンクール」レポート
第二部

07年11月3日土曜日、文化の日。

第8回宝塚映画祭の映像コンクールで、入選した監督たちにはお昼ご飯が用意されていました。
控え室には山積みになったお弁当。
お赤飯と煮物のお弁当でした。
それを黙々といただき、
さして監督同士の会話もないまま(僕も含め皆さん照れてました)午後の上映へと進みました。


アニメ部門、倉田愛実監督の「シェルター」という短編がまたよくできていまして。
ホームページをお持ちのようですので、ちょっと覗いて見て下さい。
どうやって描いたものなのか、これも監督に質問しそびれました。
機械仕掛けの町の様子が次々にクローズアップされます。
東欧アニメ的な画風といいますか、グロテスクな表現もあっさりとこなす辺り
相当な手練れと感得できます。
スパースパーと牛が輪切りになるのがやけに心地よかったです。


実写の部門、夏目大一朗監督の「カミ頼みだ」では、上映トラブルが発生しました。
10分の短編でしたが7分経過した頃に映写が中断してしまいました。
パッとスクリーンが暗くなったのです。
再開したのは良かったのですが、また最初からの上映。

この作品は、自殺しようと試みる夫婦のバカバカしい騒動を描いたコメディで、
本当は、こういった作品をすぐにリフレインするのはよくありません。
さっき見たバカバカしいことを、またバカバカしくやっているわけですから。
しかし、半分過ぎた辺りから、それが返っておかしくなってきたりもしました。
またしても同じことをやっているのが、それはそれで馬鹿臭く思えて。
演技がこってりと過剰なところが、作品に馴染んでいました。

この映画際に場違いな雰囲気の、
ちょいと垢抜けたお姉さんが一人監督席に座っていたのですが、
夏目監督の代理の方だったようで。
上映後の挨拶の様子からして
きっと、楽しい映画制作チームがあるんだろうなーと、羨ましく思いました。
もちろん、そのお姉さんにも話しかけることはできませんでした。


清水雅人監督の「箱」です。最も完成度が高かったのは。
他の作品から群を抜いてよくできていました。
言うなれば、高校野球にプロ野球選手が混じっているような感じでした。

30代OLの恋を描いた55分の力作。
移動撮影、クレーン撮影等の技術面もさることながら、
かっちょいい車や、ロケ地の豊富さ、出演陣の確かな演技まで、
素晴らしい見映えでした。

若い男に揺れ動く主人公の感情、それに対比した妹の存在、
箱をめぐるサスペンス、天使然としたお婆ちゃんの起こす奇跡。
主人公のOLの不倫を中心に、夫婦や家族の様子を丁寧に描いてありました。

結果から申しますと、「箱」は賞を獲得できませんでした。
プロ野球選手だと分かった時点で、
観る側の基準がグーンと上がってしまったからではないかと思います。
僕の推測でしかありませんが、
結果的に「敢えて、賞をあげない」ことになってしまったのではないでしょうか。
ちょっぴり腑に落ちない思いを拭えません。

映像コンクール後の懇親会で、清水監督が話しかけて下さいまして、
名刺をいただいたまでは良かったのですが、
僕も名刺をと、鞄まで取りに行き、
(名刺といっても株式会社オケピの名刺なのですが、一応アドレスなども記載されてますし)
で、戻って来た時には清水監督は他の方々とお喋りされてて、
結局、名刺を渡せずじまい。
サッとポケットに入れて、なんでもないフリをしつつ
ジュースを飲むのでした。


僕の作品の上映は一番最後でした。
朝からずっと、ほとんど休憩なしでぶっ続けの上映です。
自分の作品の番になって、
恐ろしい睡魔が襲ってきました。
さすがにここで寝てはまずいと思い、必死で最後まで目を開けていました。

後で聞いたところによると、
うちの母親は、「ブルーカラーウーマン」上映中、
完全に眠っていたのだそうです。
こっくりこっくりしまくっていたと。
人のことは言えませんが、
せっかくここまでやって来たのだから、
いい客席の雰囲気を作ってくれれば良かったものを…。

と、上映後に僕に話しかけてきた上品なおばさまがいらっしゃいました。
どこかで見たことがあるような目元。
なんと、おけぴネットの管理人のお母様が、
わざわざ会場までいらして下さっていたのです。
おまけに手土産までいただきまして、
恐縮の上に恐縮を重ねて、頭を下げることしかできませんでした。
本当にありがとうございました。


全ての上映が終わり、
審査員が各賞を決めるために控え室へ入りました。
表彰が済んだら、僕と家族は大阪のホテルへ移動の予定だったのですが、
審査が随分と長引き、待てども待てども表彰式が始まりません。

正直なところの僕の心情はどうだったのでしょうか。
賞を貰うつもりでいる横柄な自分と、
もうここまで来たんだから賞なんてどうでもいい、という開放的な心地の自分と、
両方が胸中にあったような気がします。
結果は結果として、
いずれにしても、また次の作品を撮ろうと、
そんな結論に達していたときに、ようやく各賞が決定したとのアナウンスがありました。

第二部 完 

思いのほか長くなってしまいました。
次回第三部で終わります。


2007年12月07日

「宝塚映画祭」映像コンクール
「ブルーカラーウーマン」レポート第三部

「宝塚映画祭・映像コンクール」レポート
第三部


07年11月3日土曜日、第8回宝塚映画祭映像コンクールの開催日は文化の日でした。
晴天に恵まれ、きっと各地の文化祭は盛況に進行したことでしょう。

全ての入選作の上映が終了し、審査員の審議も決着がつき、いよいよ表彰式となりました。
入選者がスクリーンの前に並び立ち、各賞の発表です。


実はこの発表までには、いろいろとモタついた進行がありました。
前に並んだはいいがどうやらまだ各賞は決まっていないということになり、今の心境を一人づつコメントし、ひとまず入選の賞状を全員に渡し、いや、その賞状がまだできあがっていない、などなど、司会進行の高橋さんは場をつなぐためにマイクを持ってあれやこれや、ご本人がエキストラ出演した映画の話などをご披露され、大変な活躍でした。

ボランティアを含む少人数の実行委員でこの映像コンクールは運営されており、高橋さんはほとんどお一人で切り盛りしているような按配でした。
大変気さくな方で、この映像コンクールで最も目立って、最も働いて、最も面白い方でした。
映画が好きだという情熱で、こういったイベントを開催されているのだと思います。頭が下がります。
彼は審査員ではありませんが、入選作の選考には加わっておられ、僕の作品は三度ご覧になって入選を決めて下さったとか。
一度見ただけではよく分からなかったのだそうで、
「すいません。ありがとうございます」
と、僕は喫煙所で雑談の際にお詫び申し上げました。


ようやく審査員が会場に戻ってきて、表彰式の始まり。
「宝塚OB会賞」には、松本佳乃監督の「守桜の薫り」が選ばれました。
映像のひらめきをたっぷりと盛り込んだ作品。
風景や小道具を色彩に気を配りながら描写していました。
盲目の女性とチェロを弾く点字補助員との淡い恋模様が、大胆な映像と詩のようなナレーションで綴られます。
映像素材の豊富さに、感心させられました。

「すみれ座賞」には、藤岡佳司監督の「理想の朝」。
ビッグイシューを売るおじさん達を追ったドキュメンタリーです。
(このレポート第一部に感想を書きました)

副賞として広辞苑が渡され、会場から拍手が起こりました。
広辞苑はまだ「拍手」を受けるだけの権威があったんですね。
なんだかうれしかったです。

そしてアニメ部門のグランプリは、東泰子監督の「bar ONE」。
クレイアニメの今や王道とも言えるグロテスクファンタジー(そんなジャンルはありませんが)。
ちょっと不気味なキャラクターたちが出演する小話でした。
キャラクターたちの声が、擬音と言いますか擬声といいますか、適当な音を口で言って字幕で会話を成り立たせるという手法で、この声がなかなか面白かったです。
それと、水彩絵具を溶いたような、おどろおどろしいあの背景は一体どうやっているのか、大変気になりました。
東監督は今回の会場の近くにお住いだそうで、翌日の入賞者の紹介の際にもご一緒させていただいたのですが、どうも聞きそびれてしまいました。

ついに、今回の映像コンクール、グランプリの発表。
審査員長ははっきりと述べました。
「今回はグランプリの該当者はありません」
続けて
「準グランプリが二作品あります」
ということで、僕の作品の「ブルーカラーウーマン」の名前が呼ばれました。

もう一つの準グランプリは、多賀裕見監督の「回り道」という作品でした。
中学生のカップルが翌日の受験を控え、現実逃避の家出をし、電車に乗って海まで行くも結局は帰宅するという物語。
中学生二人の好演が光りました。
なかなかあのような自然な演技を導き出すのは難しいことだと思います。
一緒に会場入りした僕の友人も「あの女の子かわいかったー」と言っていました。
映画で登場人物が魅力的に見えるのは、必ずしも容姿の問題だけでは収まりません。
ストーリーと演出と演技と、いくつもの要素が重なり合って美しかったり可愛かったり、面白かったりするのだと思います。
中学生にとっての重大な事件を、極めて優しい視点で撮りあげた作品でした。


表彰式後には懇親会があり、入選監督と審査員、コンクールの実行委員の方々が同室で乾杯しました。
ここで僕は、審査員の方々から作品について直接、賛否の両論を頂戴しました。
僕の作品を随分と気に入り、強く推してくださったという方と、全くこの映画はダメだということを頑として譲らなかったという方と、ご両人のご意見をたっぷりと拝聴させていただきました。
僕の作品に賞を与えるか否かの議論が、審査を長引かせた原因の一つだったのだそうです。
ご意見をくれたのが白髪の男性で、こういった世代の映画に通じた方々に作品を見てもらえ、また本気で作品についての批評をいただけるのは、貴重な体験であったと思います。

映画を見るとき(演劇でも音楽でもなんでも)、観客は自分の人生と映画経験と、云わばその全ての感覚で作品を受け止めるのだと思います。
誰しも「映画とはこういうものだ」と、知らず知らずの内にある種の基準を持っていて、それから外れるとつまらなくなり、そこへフィットするか、あるいはその想像を超える斬新なものに出会うと面白く感じるものだと思います。
好き嫌いや、観た時の状態(体調や気分や社会的状況など)は、大きく作品評価に関わってきますが、しかし、それでも世の中には傑作と呼ぶにふさわしい多くの者を虜にする映画が確固として存在しています。

懇親会で僕はメッタメタの酷評も受けましたが、しかし彼の仰ることは実によく理解できるのです。
何を言ってやがんでぃ分からず屋め!と粋がってみても、「そう解釈されても致し方ない・・・」「そこは手抜かりがあった・・・」という反省の念は否応なしに襲いかかってきます。力不足なのです。
つまり傑作には程遠い。
褒めて下さった方からは、一生分のお褒めの言葉をいただきました。褒められ過ぎて、こちらが作品の問題点を指摘したくなるほどでした。

自主映画というのは、観るに値しないものだと僕は思っています。
劇場用映画が1800円以内で見れるのなら、何も好んで貧しき自主映画を鑑賞する必然はありません。
残念ながら大抵の自主作品は稚拙でずさんで、つまらないものですし。
そういった現実を踏まえた上で、僕はこれからも自主制作を続けたいと思っています。
なにしろ映画作りは…、楽しいのです。
きっと、面白い自主映画を撮ることは不可能ではないと、どこかで希望を捨てずにいるのです。


表彰式が終わり会場の外に出ると姉が「おめでとう」と言ってくれました。
友人は握手をしてくれました。
賞が獲得できて良かったと、その時思いました。


今回の宝塚映画祭映像コンクールは重要な体験でした。
僕のことを全く知らない方々から準のグランプリという評価をいただけたことは、大変な励みになりました。
より一層の精進を誓って飛行機で帰宅したのでした。


「ブルーカラーウーマン」の1シーンです。



番外編

●「番外編」にカテゴリ分けされた全ての記事です。古い記事から順にならんでいます。

●前のカテゴリは2010年代です。

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