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2008年08月 に書いたもの

2008年08月25日

「インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」~待ちに待ったスピルバーグ~
スティーブン・スピルバーグ監督

インディ・ジョーンズ クリスタル・スカルの王国」(2008年

監督:スティーヴン・スピルバーグ
製作:フランク・マーシャル
製作総指揮:ジョージ・ルーカス / キャスリーン・ケネディ
キャラクター創造:ジョージ・ルーカス / フィリップ・カウフマン
原案:ジョージ・ルーカス / ジェフ・ナサンソン
脚本:デヴィッド・コープ
撮影:ヤヌス・カミンスキー
プロダクションデザイン:ガイ・ヘンドリックス・ディアス
衣装デザイン:メアリー・ゾフレス
編集:マイケル・カーン
音楽:ジョン・ウィリアムズ

出演:
ハリソン・フォード / インディアナ・ジョーンズ
シャイア・ラブーフ / マット・ウィリアムズ
レイ・ウィンストン / ジョージ・マクヘイル
カレン・アレン / マリオン・レイヴンウッド
ケイト・ブランシェット / イリーナ・スパルコ
ジョン・ハート / オクスリー教授
ジム・ブロードベント / ディーン・チャールズ・スタンフォース
イゴール・ジジキン
アラン・デイル


【おはなし】
インディジョーンズは実は大戦の頃のお話なのです(ナチスとかが出てきます)。
今回は米ソの冷戦時代1957年が舞台。
そう言えば十年ほど前にグラハム・ハンコックという人が書いた「神々の指紋」という著書が流行しましたが、あれにオーパーツというものが紹介されていました。
クリスタルスカルとはそのまんま水晶髑髏のことで、そのオーパーツを巡ってのひたすらアクションです。


【コメントー待ちに待ったスピルバーグー】


上映までにはまだ随分時間があった。あと一時間半以上ある。
その日、新宿のとある映画館でスピルバーグの新作「インディジョーンズ クリスタルスカルの王国」を見るつもりだったのだ。
まずは映画館へ行き、先にチケットを購入した。
整理券は配布しないので早目に来て下さいと、チケット売り場の彼女は言った。
上映開始の30分前に戻って来るとしても、その時刻までたっぷり時間があった。

近くのカラオケ店に一人、堂々たる態度で受け付けし、誰も聞かない歌声を自分自身のためだけに張り上げて、ようやっと一時間の時間を潰した。
このところ、たまのカラオケに行く時は、こういった時間潰しで一人のことが多い。
捨て曲をかけておく間に、選曲しまくるというケチな技が身についた。

映画館へ戻ってみると、既に長蛇の列ができていた。
7月の土曜日、スピルバーグの新作で、しかもインディジョーンズともなれば、おのずと客席は埋まるものだろう。
最後尾へ到着し時計を見ると上映まであと40分あった。
本を読みつつなんとかやり過ごそうとするが、前に並んだ二十代前半の男二人の会話が耳につく。
サチコだかいう女が、いい奴なのか悪い奴なのか二人の意見は割れているのだが、いずれにしても二人ともがサチコを好きに違いないことが窺えて、聞き耳を立てているこちらとしては大変もどかしい。

やがて前の回の上映が終了した。
客が退場し、いよいよ我々待機組が入場を許可された。
振り返れば後方にも列は長く続き、久々に満席の中での映画鑑賞になるのではないかと、期待は高まった。
アクション・アドベンチャー映画なんてものは、たくさんの人達とワイワイ騒ぎながら見る方が楽しかったりするのだ。

無事、席は確保できた。
満席立ち見とまではいかずとも、まんべんなく埋まった客席はザワザワと騒がしい。
いつか見たスピルバーグ映画の幻影を、未だに追っている人たちなのかもしれない。
きっと素晴らしいことが、これから眼前で起こるに違いないという期待に館内は満ちていた。
しかし、上映までまだ15分はある。
売店に行ってみると長い列ができていたので、コーラは諦めて席に戻った。
改めて本を鞄から取りだしてみるものの、どうも落ち着かないので読むのはやめた。
こうなったら、上映が始まるのをじっと待ってやるのだと、開き直ってゆっくりと座席に深く座った。

目をつむって、これまでのインディ・ジョーンズを頭の中で反芻してみる。
最初に観たのはシリーズ二作目の「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」(1984年)だった。
小学校2年生のときの夏休み、親に映画館へ連れて行ってもらった。
あまりに面白かったので、夏休みの宿題の絵画にインディ・ジョーンズの一場面を描いて持って行った。
一作目の「レイダース」(1981年)はその後、床屋で見た。
これも小学生の時、近所の床屋に散髪に行くと、設置のテレビで放映されていた。
と、この辺りまで回想していたときに、いよいよ客席は暗くなった。

しかし、まだ始まらない。本編前にコマーシャルや予告編が10分は流れる。
それも待つ。
僕は予告編というのがあまり好きではない。
今後見るかもしれない映画の断片が、先に分かってしまうのはなんとも勿体無い気がするのだ。
なので、予告編はなるべくまあまあの態度で、それほど本気で見てませんよという抑制を利かせながら、なんとはなしに過ごすようにしている。

と、おかしなことが起こった。
予告編に引き続き、必ず流れるのはドルビーサウンドを聴かせる映像と、映画館ではカメラ撮影してはいけませんという警告映像であるが、これが音だけ聞こえてスクリーンは真っ暗なままなのだ。
僕は嫌な予感がし、後方の映写室を見上げた。
特に係員が動く気配は感じられない。

しかし、不安は的中した。
明らかに本編が始まったにも関わらず、音だけが進行し映写されないのである。
ゴー、ドカ、ブオン、ガー、といった音だけが暗闇の映画館に響く。
さすがに客席もざわつき始めた。
後ろを振り向く者もちらほらいる。
どうなっているのだろうか、依然として音だけの上映は続く。
場内は暗いまま、係の者も出て来ない、アナウンスもない。

僕は立ち上がってロビーに出てみた。
既に一人のおっさんがバイトの青年であろう映画館の者に状況説明を求めていた。
売店が空いていたので、僕はコーラを買った。
客席に戻ると、まだ暗闇の上映は続いている。
ざわつきの中には怒声も混じりだした。

「映写室ー!映写室ー!」という中年女性客の声が館内に響く。
ようやく係の男が一人現れ、大声で弁明を始めた。
「ただいまトラブルがあり、上映できる状態にありません!復旧を進めておりますので、しばらくお待ち下さい!」
映写室ー!、の女性は「こんなことあってはならないことですよ!」と怒りを顕わにしていた。
まったくこんなこと、僕も生まれて初めての経験である。
「ちゃんと、巻き戻して上映してくださいね!」彼女の言った「巻き戻し」という言葉が、僕はやけにおかしく感じた。まるでビデオの巻き戻しのようで。

ところが、観客の怒りをよそに暗闇の上映は終わらない。
映画を音だけで見るとは、餃子を皮だけで食べるようなものである。
皮と具が相まって、そこで奇跡が起こるのである。
一体いつまで待たされるのだろう。
予告編ですら、先に見たくない僕である。
音だけでも先に感得するのは勿体無いと思い、ロビーに出ることにした。

「だから謝れって言ってんじゃないんだよ。どうするのかって聞いてんの」
平謝りの係員に対し、中年男性が叱りつけている。
僕も店員というバイトをしたことがあるが、100パーセント店側に落ち度があるときは、ひたすら謝ってお客さんのお叱りと言い分を聞き続けなくてはならない。
あの身の毛もよだつ謝罪の時間帯は苦しい。
心の中で、がんばってねと係員にエールを送り、僕はロビーでグッズ等を見て回った。

しばらくして客席に戻ると、ようやく音上映は終了して、場内は明るくなっていた。
上映開始から20分は経過していた。
係員が出てきて、またしても唐突の説明が始まる
「大変申し訳ございません!現在映写機の復旧のめどがたっていない状況です!申し訳ございませんが、この16時20分の回は上映を中止とさせていただきます!ロビー受付の方で・・・」
払い戻しが始まった。
もしくは、一旦外出する方には次回19時の回に入場できるよう半券にハンコを押すという説明だった。
ほとんどのお客さんがぶつぶつと不平を述べながら劇場を去って行った。
僕もそうしたいところではあったが、今度いつ見に来られるか分からないし、今外に出ても新宿の空の下何もすることがないので、腹を決めて館内で待機することにした。
もうひたすら待つのだと自分に言い聞かせた。

思えば、シリーズ3作目「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」が89年、当時中学生だった僕は友人と映画館に観に行った。
以来、四作目の噂こそ耳に入ってきていたが、とうとう20年の時が経っていたのだった。
その間、待望の念をひたすらに募らせて、いや、事実としてはそれほどに待っていたわけではないのだが、四本目をやるよと聞いたならば、じゃあ見に行くよと思うのが人情だろう。
20年待ったのだから、ほんの数時間くらい待ったっていいじゃないか。
数人の客を残した館内は、静まり返っていた。
ど真ん中の席に移動し、僕はいつしか眠っていた。

眼が覚めると、既に館内は暗くなっていた。
19時の回が始まり、見覚えのある予告編が流れていた。
危うく寝過ごすところだった。
氷の解けたコーラを一口飲み、座りなおした。
まるで何事もなかったかのように映画は始まった。

上映されたのは紛れもなくインディジョーンズだった。
あれから20年の時が流れたとは到底信じられなかった。
ハリソン・フォードが年老いたことなど、この際どうでも良い。
僕が驚いたのは、当時と全く変わらぬバカバカしさで映画が彩られていたことだ。

スピルバーグという監督の立場は、この20年間で随分と変わったはずだった。
シンドラーのリスト」(1993年)や「ミュンヘン」(2005年)など社会派のドラマを手がけ、最近では北京五輪の開会式の演出を中国の政治的未熟について指摘した上で辞退している。
世界で最も客を呼ぶ映画監督であるがゆえに、彼の言動には否応無しに社会的な意味が付随してしまう。
ふざけてばかりもいられない地位に、もう立ってしまっている。

そんな彼が誰よりも柔軟な頭で、徹頭徹尾アドベンチャーアクションを描き切る。
目の前に繰り広げられる下らないアクションシーンの連鎖には、「意味」などない。
ただただ、おー!だの、危ねー!だの言っていればいい映画だった。
あらゆるスピルバーグへの賞賛、非難の声は、この作品を前に雲散霧消してしまうだろう。
これまでの実績も何も、かなぐり捨てて彼はただアクション映画を撮っている。
僕の印象では、過去のシリーズ三本と比較して全く衰えてもいないし、全く進歩もしていない。
同質にくだらなくて、同等に笑える。

一体僕は、スピルバーグの何に期待していたのだろうか。
きっとまたアクション連発の楽しい作品を見せてくれるだろうとは思っていたが、まさかこれほどまでとは。
観客である僕の方が、余計な気負いを持ってこの映画を待っていたのかもしれない。
もっと「まともなこと」を要求する下手に大人びた自分。
二十年という時の流れに、僕自身が曲がってしまっているということにハタと気付かされたのだった。
またしてもスピルバーグにやられてしまった。

ハリソン・フォードがシルエットで帽子を被る登場シーン。
バイクで登場のシャイア・ラブーフは、あたかも「波止場」(1954年)のマーロン・ブランド(スピルバーグの場合、オマージュではなくパロディになるのがとてもいい)。
磁力によって蓋にペシャリと張り付く眼鏡。
疾走する二台のトラックでの攻防では股間に注意。
爆発の危機は冷蔵庫で切り抜け、滝とあらば落下し、地下に入れば崩落のピンチ。
スピルバーグ印(じるし)の演出が満載である。

楽しかった。
エンドロールの最後まで見届けて映画館を出た。
新宿は夜になっても明るい街だが、昼間の暑さは幾分おさまっていた。
待った甲斐はあった。
あったに違いない。
なぜなら、今回の上映中止の件にかこつけて、帰りに受付で「ハムナプトラ3」の前売り券をせしめてやろうと目論んでいたことを、すっかり忘れていたのだから。


2008年08月29日

「バックドラフト」~開かれない扉~
ロン・ハワード監督

バックドラフト」(1991年

監督:ロン・ハワード
製作:リチャード・バートン・ルイス / ペン・デンシャム / ジョン・ワトソン
製作総指揮:ブライアン・グレイザー / ラファエラ・デ・ラウレンティス
脚本:グレゴリー・ワイデン
撮影:ミカエル・サロモン
特撮:ILM
音楽:ハンス・ジマー

出演:
カート・ラッセル
ウィリアム・ボールドウィン
ロバート・デ・ニーロ
スコット・グレン
ジェニファー・ジェイソン・リー
レベッカ・デモーネイ
ドナルド・サザーランド
クリント・ハワード
ライアン・トッド
ジェイソン・ゲドリック ティム
J・T・ウォルシュ


【おはなし】
兄弟の葛藤をからめながら、ミステリー仕立てで語られる、エンターテイメントの要素たっぷりのアクションドラマ。豪華な俳優陣と炎を演出する監督は名匠ロン・ハワード
(※よそさまからところどころ引用させていただきました)


【コメントー開かれない扉ー】


個人にとって、映画には二種類の分類しかない。
見た映画と、見てない映画の、二つである。
映画は、「見られる」か「見られない」か、それだけで成り立っていて、基本的には見られてなんぼ、見られない限りその映画は存在すら危ぶまれるのである。

早めに白状しておくと、僕はこの「バックドラフト」という映画を見ていない。
「あの時、映画を見た」とブログタイトルを掲げておきながら、「あの時、映画を見なかった」ことについて書く旨お許し頂きたい。

見ていないにも関わらず、この映画は僕にとって貴重な作品であり、いや寧ろ見ないことによってその存在を確かなものとしている節すらあるのである。


中学生の頃から、親の付き添いなしで映画館へ行くようになった。
ほとんどは一人で見に行ったが、映画好きの同級生と連れだって一緒に映画館へ足を運んでいた一時期もあった。
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989年)」や「ゴッドファーザーPARTⅢ(1990年)」、「ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)」「プリティウーマン(1990年)」などは彼と行った。
当時の僕たちにとって映画とはハリウッド映画のことで、あぁこんなに楽しい世界があるんだと、素直に魅せられていたものだ。

映画誌「ロードショー」を購読し、(思い切って告白するが)付録のポスターを部屋に貼ったりもした。
捏造とまでは言わないが「ロードショー」誌は独自にスター俳優を作るきらいがあった。
アリッサ・ミラノだのフィービー・ケイツだの、あとグロリア・イップだのが「ロードショー」のみでもてはやされていた、あの頃のことである。
(ロードショー[集英社]は08年11月発売の09年1月号にて休刊してしまうそうです。08/09/01加筆)

次々と映画の新作は公開され、出されたものは当然のように食して、良かった悪かったと適当な感想を述べ合う。
中学生なんてものは、立ち止まりもしないし、振り返ることなどないし、ましてや吟味して掘り下げるような発想など毛の先ほども持ち合わせていない。
今でも充分お気楽に毎日を過ごさせて頂いているが、あの頃のお気楽にはかなわない。
両手を挙げて、大口を開けて、白眼を剥いて、裸で踊っているような、そういうお気楽さ加減である。
映画はただ目の前を通り過ぎて行き、僕の心にはほとんど何の痕跡も残さない。
そういう罪深き映画体験に共犯者がいたことは嬉しかった。
友人との鑑賞の日々はまさしく蜜月の季節であった。


映画「バックドラフト」は、消防士の物語である。
火事場に飛び込んだ消防士たちは、不用意に次のドアを開けてはならない。
気圧の影響で、ドアを開けた途端に炎が爆発的な威力で襲って来る場合があるのだ。
その現象を、人よんでバックドラフト
まともに浴びれば落命を覚悟しなくてはならない。
命をかけた男たちの熱きドラマである。

この映画の見所の一つは炎そのものの描写にある。
まるで生きているかのように炎が暴れるというのだから驚く。

・・・といったことが、当時の予告編、テレビでの告知などで知った「バックドラフト」の知識である。
何しろ見ていないのだから、本当に炎が生き物のようにのたうつのかどうか、それは定かではない。
申し訳ありません。


当然のことながら「バックドラフト」は、次に見る映画の候補に上がっていた。
いや、もしかすると僕が一方的に候補だと思い込んでいただけだったかもしれない。
とある放課後、彼は申し訳なさそうな顔をして僕のところへ来た。
実は日曜日に、家族と一緒に「バックドラフト」を見て来てしまったのだと彼は言った。
鞄から取り出したのは「バックドラフト」のプログラムであった。
僕に気を使って、わざわざプログラムを一部余分に買って来てくれたのだった。

しかし、中学生の僕の胸に去来するのは「がっかり」の一語だった。
抜け駆けをされたことがショックだった。
一人で見に行ったならまだしも、家族と行っただなんて考えられない。
最早我々は大人であり、電車もバスも一人で乗るし、映画だって自分たちだけでチケットを買うべきではないか。
親の庇護を殊更に軽蔑してしまう感情は中学生特有のものだったかもしれない。

勿論僕も自覚していた。
映画を見るのに、わざわざお互いに了承を得なければならない言われはない。
見たいものを見たい時にそれぞれの都合で見ればいいのだ。
何も目くじらを立てるようなことではない。
しかし自分でも意外な程に、僕は彼に対して手厳しい発言を連発してしまった。
あからさまに不機嫌な態度を示し、彼を困惑させた。
「見てないんやけ、貰ったってしょうがないやん」
あの時、僕はプログラムをどうしたっけ。
文句を言いつつ受け取るだけは受け取ったのではなかったかと思う。

彼の不安を解くためにも、さっさと「バックドラフト」を見に行けば良かったのだが、逡巡している間に公開は終わってしまった。
わだかまりを持ったまま、スクリーンと対峙する勇気がなかったのだろう。
まるで永久に「バックドラフト」を見る機会を逸してしまったように感じた。
その後、僕たちの映画同盟は自然消滅し、いつしかまた一人で映画館に行くようになった。


今もビデオ屋で「バックドラフト」を見かけると、胸の奥がチクリと痛む。
パッケージに手を触れたなら、まるでバックドラフトのごとく慚愧の念が爆風となって吹き付けて来るようで、どうしても見ることができない。

ある時期からは、あえて見ない一本として特別扱いするようになった。
もしか10年後、20年後にこの映画を見ることがあったなら、鑑賞後すぐに彼に連絡しようと思う。「バックドラフト見たよ」と。
現在でも彼とは仲良くしており、たまに会う間柄である。
今年は彼の結婚式に呼んでもらった。

映画は見なくても、しかし映画体験は付きまとう。
これもまた映画の魅力の一つかなと、無理からに締め括らせていただきます。


2008年08月

●前に書いた記事は2008年07月です。

●次に書いた記事は2009年01月です。

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