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「バックドラフト」~開かれない扉~
ロン・ハワード監督

バックドラフト」(1991年

監督:ロン・ハワード
製作:リチャード・バートン・ルイス / ペン・デンシャム / ジョン・ワトソン
製作総指揮:ブライアン・グレイザー / ラファエラ・デ・ラウレンティス
脚本:グレゴリー・ワイデン
撮影:ミカエル・サロモン
特撮:ILM
音楽:ハンス・ジマー

出演:
カート・ラッセル
ウィリアム・ボールドウィン
ロバート・デ・ニーロ
スコット・グレン
ジェニファー・ジェイソン・リー
レベッカ・デモーネイ
ドナルド・サザーランド
クリント・ハワード
ライアン・トッド
ジェイソン・ゲドリック ティム
J・T・ウォルシュ


【おはなし】
兄弟の葛藤をからめながら、ミステリー仕立てで語られる、エンターテイメントの要素たっぷりのアクションドラマ。豪華な俳優陣と炎を演出する監督は名匠ロン・ハワード
(※よそさまからところどころ引用させていただきました)


【コメントー開かれない扉ー】


個人にとって、映画には二種類の分類しかない。
見た映画と、見てない映画の、二つである。
映画は、「見られる」か「見られない」か、それだけで成り立っていて、基本的には見られてなんぼ、見られない限りその映画は存在すら危ぶまれるのである。

早めに白状しておくと、僕はこの「バックドラフト」という映画を見ていない。
「あの時、映画を見た」とブログタイトルを掲げておきながら、「あの時、映画を見なかった」ことについて書く旨お許し頂きたい。

見ていないにも関わらず、この映画は僕にとって貴重な作品であり、いや寧ろ見ないことによってその存在を確かなものとしている節すらあるのである。


中学生の頃から、親の付き添いなしで映画館へ行くようになった。
ほとんどは一人で見に行ったが、映画好きの同級生と連れだって一緒に映画館へ足を運んでいた一時期もあった。
インディ・ジョーンズ 最後の聖戦(1989年)」や「ゴッドファーザーPARTⅢ(1990年)」、「ゴースト/ニューヨークの幻(1990年)」「プリティウーマン(1990年)」などは彼と行った。
当時の僕たちにとって映画とはハリウッド映画のことで、あぁこんなに楽しい世界があるんだと、素直に魅せられていたものだ。

映画誌「ロードショー」を購読し、(思い切って告白するが)付録のポスターを部屋に貼ったりもした。
捏造とまでは言わないが「ロードショー」誌は独自にスター俳優を作るきらいがあった。
アリッサ・ミラノだのフィービー・ケイツだの、あとグロリア・イップだのが「ロードショー」のみでもてはやされていた、あの頃のことである。
(ロードショー[集英社]は08年11月発売の09年1月号にて休刊してしまうそうです。08/09/01加筆)

次々と映画の新作は公開され、出されたものは当然のように食して、良かった悪かったと適当な感想を述べ合う。
中学生なんてものは、立ち止まりもしないし、振り返ることなどないし、ましてや吟味して掘り下げるような発想など毛の先ほども持ち合わせていない。
今でも充分お気楽に毎日を過ごさせて頂いているが、あの頃のお気楽にはかなわない。
両手を挙げて、大口を開けて、白眼を剥いて、裸で踊っているような、そういうお気楽さ加減である。
映画はただ目の前を通り過ぎて行き、僕の心にはほとんど何の痕跡も残さない。
そういう罪深き映画体験に共犯者がいたことは嬉しかった。
友人との鑑賞の日々はまさしく蜜月の季節であった。


映画「バックドラフト」は、消防士の物語である。
火事場に飛び込んだ消防士たちは、不用意に次のドアを開けてはならない。
気圧の影響で、ドアを開けた途端に炎が爆発的な威力で襲って来る場合があるのだ。
その現象を、人よんでバックドラフト
まともに浴びれば落命を覚悟しなくてはならない。
命をかけた男たちの熱きドラマである。

この映画の見所の一つは炎そのものの描写にある。
まるで生きているかのように炎が暴れるというのだから驚く。

・・・といったことが、当時の予告編、テレビでの告知などで知った「バックドラフト」の知識である。
何しろ見ていないのだから、本当に炎が生き物のようにのたうつのかどうか、それは定かではない。
申し訳ありません。


当然のことながら「バックドラフト」は、次に見る映画の候補に上がっていた。
いや、もしかすると僕が一方的に候補だと思い込んでいただけだったかもしれない。
とある放課後、彼は申し訳なさそうな顔をして僕のところへ来た。
実は日曜日に、家族と一緒に「バックドラフト」を見て来てしまったのだと彼は言った。
鞄から取り出したのは「バックドラフト」のプログラムであった。
僕に気を使って、わざわざプログラムを一部余分に買って来てくれたのだった。

しかし、中学生の僕の胸に去来するのは「がっかり」の一語だった。
抜け駆けをされたことがショックだった。
一人で見に行ったならまだしも、家族と行っただなんて考えられない。
最早我々は大人であり、電車もバスも一人で乗るし、映画だって自分たちだけでチケットを買うべきではないか。
親の庇護を殊更に軽蔑してしまう感情は中学生特有のものだったかもしれない。

勿論僕も自覚していた。
映画を見るのに、わざわざお互いに了承を得なければならない言われはない。
見たいものを見たい時にそれぞれの都合で見ればいいのだ。
何も目くじらを立てるようなことではない。
しかし自分でも意外な程に、僕は彼に対して手厳しい発言を連発してしまった。
あからさまに不機嫌な態度を示し、彼を困惑させた。
「見てないんやけ、貰ったってしょうがないやん」
あの時、僕はプログラムをどうしたっけ。
文句を言いつつ受け取るだけは受け取ったのではなかったかと思う。

彼の不安を解くためにも、さっさと「バックドラフト」を見に行けば良かったのだが、逡巡している間に公開は終わってしまった。
わだかまりを持ったまま、スクリーンと対峙する勇気がなかったのだろう。
まるで永久に「バックドラフト」を見る機会を逸してしまったように感じた。
その後、僕たちの映画同盟は自然消滅し、いつしかまた一人で映画館に行くようになった。


今もビデオ屋で「バックドラフト」を見かけると、胸の奥がチクリと痛む。
パッケージに手を触れたなら、まるでバックドラフトのごとく慚愧の念が爆風となって吹き付けて来るようで、どうしても見ることができない。

ある時期からは、あえて見ない一本として特別扱いするようになった。
もしか10年後、20年後にこの映画を見ることがあったなら、鑑賞後すぐに彼に連絡しようと思う。「バックドラフト見たよ」と。
現在でも彼とは仲良くしており、たまに会う間柄である。
今年は彼の結婚式に呼んでもらった。

映画は見なくても、しかし映画体験は付きまとう。
これもまた映画の魅力の一つかなと、無理からに締め括らせていただきます。


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