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「ランボー 最後の戦場」~暴力に背を向けて~
シルベスター・スタローン監督

ランボー 最後の戦場」(2008年

監督: シルベスター・スタローン
製作: アヴィ・ラーナー /  ケヴィン・キング・テンプルトン /  ジョン・トンプソン
製作総指揮: ランドール・エメット /  ジョージ・ファーラ /  アンドレアス・ティースマイヤー
フロリアン・レクナー  /  ダニー・ディムボート  /  ボアズ・デヴィッドソン /  トレヴァー・ショート
キャラクター創造: デヴィッド・マレル
脚本: シルベスター・スタローン /  アート・モンテラステリ
撮影: グレン・マクファーソン
プロダクションデザイン: フランコ=ジャコモ・カルボーネ
衣装デザイン: リズ・ウォルフ
編集: ショーン・アルバートソン
音楽: ブライアン・タイラー

出演:
シルベスター・スタローン / ジョン・ランボー
ジュリー・ベンツ / サラ・ミラー
ポール・シュルツ / マイケル・バーネット医師
マシュー・マースデン / スクール・ボーイ
グレアム・マクタヴィッシュ / ルイス
レイ・ガイエゴス / ディアス
ティム・カン / エン・ジョー
ジェイク・ラ・ボッツ /  リース
マウン・マウン・キン
ケン・ハワード / アーサー・マーシュ


【おはなし】
ランボーは何故かミャンマーに住んでいる。
毒蛇を捕まえたり、鍛冶屋のようなことをやりながら生計を立てている。
そんなミャンマーでは、日々軍隊が村人へ迫害をくわえているのだった。
傷ついた村へ、薬を届けようと、とあるアメリカの医師団が乗り込んでくる。
ランボーに道案内を依頼するが、彼は断固としてそれを断る。
「GO HOME!」
ランボーはそれを繰り返すばかりであった。


【コメントー暴力に背を向けてー】

中学2年(1989年)のある一時期、学年のワル達の間で「じゃんボク」が流行していた。
じゃんボクとは、じゃんけんボクシングの略で、彼らが創作した遊戯のことである。
休み時間になると連中は4、5人集まってじゃんけんを始める。
じゃんけんで最後まで負けた者一人が、罰ゲームとして勝者全員から一発ずつ上腕を殴りつけられる。
そして、また次のじゃんけんを始める。
ワル達はこれを休み時間の間ずっと続けている。

かつてないほど単純且つ野蛮なこの遊びを、彼らは嬉々として興じている。
彼らだけで楽しんでいる分には問題はないが、ワルでもない連中、言わばこちら側の連中の中から必ず一人が参加させられるのが厄介だった。
手近にいる誰かに適当に目をつけ、「来いや!」と輪の中へ引きずり込む。
「ジャンケンに勝ったら殴れるんやけ、ええやろうが」とワル達の言い分はこうだ。
殴って嬉しいというサディスティックな快楽など、こちらの連中は誰一人として持ち合わせていない。
そして、仮にジャンケンに勝ったとしても、ワルを殴るのはとても勇気のいることである。
気の弱い者がじゃんボクに巻き込まれた場合、彼はジャンケンで勝ってもワルの腕にソッとタッチする程度に触れるだけである。そして負けた場合は、したたか殴りつけられる。理不尽この上ない。

勿論僕も被害者の一人で、右腕に内出血の痣を作ってしまったことがある。
彼らに捕まると容易に断ることはできない。
嫌だと言えば、じゃんボク以前に殴りつけられることになってしまうだろう。


こんなことが続いてはかなわんと、我々被害者の会が考案したのは、追いかけっこ逃亡法であった。
休み時間、ワル達が二人以上の複数となったのを発見した時点で、もしくは複数人になりかけた時点で、僕が大声で友人の名前を叫ぶ。名前を呼ばれた彼は一目散に教室から飛び出す。
「待て!」と僕は彼を追う。更に適当な奇声でもあげながら皆も僕に続く。
廊下を抜け階段を下り、遠く技術室辺りまで走りきる。ここまで来れば安心である。
要は目をつけられる前に逃げてしまおうという作戦である。
追いかけっこ自体には何の根拠もない。理由もなく唐突に追い追われするのがばかばかしく、「待てこら!」と呼びながら、ついつい笑ってしまう。
逃げのびた安堵の思いも相まって、技術室前に着く頃には全員で大笑いをしている。
この作戦は実にうまくいき、以来じゃんボクには一度も捕まらなかった。

それにしても、ただ殴り合うだけなどという遊びは、到底僕には思い付かない。
暴力のみでコミュニケーションをとろうだなんて、まるで戦争ではないか。


そう、戦争と言えば「ランボー」最新作である。
スタローンはこの作品で暴力と真正面に向き合っていた。
戦争の「虚無」をここまで見事に描いた作品を最近見た覚えはない。

老境に差し掛かった彼が今あえてランボーをやるとはどういうことだろう。
久しくスタローン映画に触れていなかったのだが、「もしや」という期待が脳裡をかすめ、新宿の夜、仕事帰りに映画館に駆け付けた。

ランボーシリーズ80年代に三本撮られている。
ランボーという男はベトナム戦争が生んだモンスターである。
一体あの戦争は何だったのか、彼の自問は続き、自問の続く限り、彼は戦う。
しかし、そうは言っても世は平成である。
いくらアメリカ人の心の傷が未だ癒えぬのだとしても、ランボーが現代に生きることの根拠は薄弱だと僕は思っている。
果たして彼が何のために戦うのか知りたくなったのだ。

ところが、今回監督も務めたスタローンはそんなことは百も承知であったことを、映画が進行するにつれ僕は思い知らされる。
ランボーが現代において何故戦うのかなど、愚問であった。
本作で彼は、なんと彼自身のために戦うのだった。
彼は戦士である、がゆえに戦う。無茶苦茶な論理である。
無茶苦茶ではあるが、これ以上ランボーらしい存在意義は他に見当たらないのではないかと、大いに納得させられた。
大義名分を持たずに、国家のためでもなしに、戦場へ赴く。
とある登山家がなぜ山に登るのかと尋ねられ、「そこに山があるから」と答えた、あの禅問答のような会話のごとく、ランボーは言うだろう、「だってそこに戦場があったから」
最早、不条理の領域である。

誰に頼まれもしないのに(むしろ帰ってくれと頼まれたのに)、彼はベトナムで叩き上げられた戦術を駆使して敵を倒す。
しかも強い。無敵。
ここで言う敵とは、今回の件でたまたま敵という位置におさまってしまったミャンマー軍事政権下の軍隊のことである。
ランボーはただの戦士なので、基本的にはどちらの味方というスタンスは持たない。
状況が変われば軍隊に加担することだってあり得るだろう点が、大変おもしろい人物像だと思った。

軍隊は、地方の村民を容赦なく迫害、虐殺している。
この内紛の絶えない危険な土地に、正義感溢れるアメリカ人の医師団が薬を届けようとやって来る。
彼らは村までの道案内をランボーに依頼する。
最初は断っていた彼だったが、医師団の中の女性に淡い恋心を抱き、依頼を飲む。


今回のランボーで見逃せないのが、この淡い恋心である。
戦いに対するランボーの信念は彼のナレーションからもよく分かった。
だが、恋をしたランボーについては、一切語られはしない。
この映画では、恋にまつわる会話や行動は全く出て来ないのであるが、だがランボーが彼女に気があるということは明白に伝わってくる。
この奥ゆかしさは、恋愛映画として一流の出来なのではないかと思う。
映画に男女が登場すれば、きっと観客の誰もが二人の恋の行方を気にかける。
観客のほのかな期待に乗っけて、最小限度の恋愛描写でその顛末を見せ切るのは、大層高度な技術ではないだろうかと感心してしまった。

淡い恋の物語を吹っ飛ばすかのように、村は軍隊に襲われる。
医師団は無事村人に医療を届けたのだが、唐突に軍隊の砲撃を受ける。
映画でこんなに過激な見せ方ができるのかというほどの強烈な戦場場面である。
爆撃が人々を襲う様は、その場に居合わせているかのような臨場感に溢れている。
人が吹っ飛び、ちぎれ、切断され、至近距離から銃撃される。
この残虐な描写は有無を言わせないものがあり、正しく戦場とはこれほど酷いものだと伝えている。
ここがこってりと描いてあって始めてテーマが浮かび上がる仕組みである。
観客は目を逸らさずに、うんと味わうべきである。
ただの悪趣味な残虐嗜好ではなく、本気でスタローンは映画(虚構)として戦場を描くことに燃えていたのだと思う。
とうとう軍隊は、白人の医師団を捕らえて本拠地へとさらって行く。

当然ランボーは彼らの救出に立ち上がる。
暴力に対して、目一杯の暴力で反撃を食らわすつもりである。
敵陣に乗り込んだ彼は水を得た魚のように活躍する。
だが全てが終わったとき、ランボーの胸に吹き荒れる虚無と孤独の風は、ああ、なんと寒々しいことだろう。
人を殺し、殺され、後には何も残らない。
一体この戦いは何だったんだろうかと、呆けるしかない。
客席の僕も、ただ呆けていた。
虚無のランボーと虚脱の僕とが、そこにいた。
戦争は、暴力は痛そうだからやめておこうよ、と僕はぼんやり思うのであった。


この映画でスタローンの好演は光っていた。
無口な男はただじっと相手を見つめるばかりである。
こんなに切ない男は、やはりスター俳優にしか演じることはできまい。
もはやピークを過ぎた俳優。
どうせランボーロッキーしかないんだろ、と罵られる俳優。
怒りは胸の中で沸々と煮立っており、それをグッと堪えたところに彼の演技は確立されている。
必見である。


さて、参加人員の減少のためか、やがて彼らのじゃんボクブームは下火になっていった。
我々のずさんな回避作戦のことを、実はワル達も気付いていたのではないかと思う。
敢えてそこを追及して来なかったのは、彼らが大人だったからか、はたまた呆れてしまっていたからか。

いずれにせよ、暴力が横行した際に僕に今できることと言えば、近づかないことと、逃げることだろうと思う。
ランボーを是非とも反面教師とさせていただきます。


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