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「天国と地獄」~閻魔様どうかお許し下さい~
黒澤明監督

天国と地獄」(1963年

監督: 黒澤明
製作: 田中友幸/菊島隆三
原作: エド・マクベインキングの身代金
脚本: 小国英雄/菊島隆三/久板栄二郎/黒澤明
撮影: 中井朝一/斎藤孝雄
美術: 村木与四郎
音楽: 佐藤勝
監督助手: 森谷司郎/松江陽一/出目昌伸/大森健次郎
記録: 野上照代
照明: 森弘充

出演:
三船敏郎 / 権藤金吾
香川京子 / 権藤の妻伶子
江木俊夫 / 権藤の息子純
佐田豊 / 青木(運転手)
仲代達矢 / 戸倉警部
石山健二郎 / 田口部長刑事(ボースン)
木村功 / 荒井刑事
加藤武 / 中尾刑事
三橋達也 / 権藤の秘書河西
伊藤雄之助 / 専務馬場
志村喬 / 捜査本部長
藤田進 / 捜査一課長
三井弘次 / 新聞記者A
千秋実 / 新聞記者B
東野英治郎 / 年配の工員
藤原釜足 / 病院の火夫
沢村いき雄 / 横浜駅の乗務員
山崎努 / 竹内


【おはなし】

権藤(三船敏郎)は、会社を乗っ取る気でいた。自宅を担保に借金し、他の重役を退けるつもりだった。
そんな折、息子が誘拐に遭ってしまう。
いや、犯人は間違えた。権藤の運転手の息子をさらってしまったのだ。
ところが、おかまいなしに身代金の要求をしてくる犯人。
電話の向こうで犯人は笑っている「いや、あんたなら払うね、権藤さん」
権藤は他人の子のために身代金三千万円を払うことになるのだろうか。


【コメントー閻魔様どうかお許しくださいー】

中学のとき(88年91年)、目前の奈良京都修学旅行を控え、僕たちが気になっていたのは鹿でも金閣寺でもなく、誰と一緒の班になるかであった。
現地で解散、自由行動となった際、基本的には班行動となる。
もしか不良グループと同じ班になってしまったら、それは違った意味での思い出深い修学旅行となってしまうだろう。
前もって僕は、仲の良い友人たちと集まって同じ班になろうと結束を誓い合っていた。

担任の先生は野暮なことはしなかった。
ジャンケンやクジではなく、話し合いで班決めせよと、生徒たちに丸投げしてみせた。
クラスの男子は21人。1班7人という計算になる。
おや?と僕は思った。
数えてみると、僕たちの班に8人が集まっている。
クラスの不良は6人、案の定集まっているが、一人足りないのは一目瞭然。
もう一つの班は7人できっちりスクラムを組んでいる。
しまった!と思ったときは、もう遅かった。
つまり、我々の中の誰かが、不良班に移動しなくてはならない状況だったのだ。

僕たちは顔を見合わせた。
お前が行けとも、俺が行くとも言えない。
引きつった表情で、誰も何も言わない。
「どうする?どうする?」と頭の中で混乱の叫びがこだまする。
1分かそこらの沈黙だったと思うが、僕には永劫の時に感じられた。

ついに、意を決した一人が「じゃ、俺あっち入るわ」と笑顔で言い、背中を向けて去った。
不良たちに飲み込まれた彼は、早速使い走りの地位を任命されていた。
こちらの班に残った我々は、彼に申し訳ない気分もそこそこに、どっと安堵のため息を吐いた。
心から「よかったー」と思った。
中学生くらいだとまったく現金なもので、人身御供となった彼のことなどすぐに忘れてしまう。
このメンバーで修学旅行を楽しめるかと思うと、さっきまでの青い顔はどこかへ吹き飛び、すっかり有頂天となってしまっていた。
ああ…、天国か、地獄かの、危ない瀬戸際だった。

映画「天国と地獄」の序盤の見せ場は、権藤(三船敏郎)が三千万円を他人の息子のために支払うかどうかの葛藤にある。
この三千万円は、会社の実権を握るために拵えた、今最も必要なお金であった。
だが、犯人は冷徹にも権藤を脅してくる。
自分の運転手の息子のために、彼はこの命がけで集めた大金を放り投げることができるのだろうか。

エド・マクベインの原作のこの部分に黒澤監督は着目したのだそうだ。
他人の子供なのに身代金を要求してしまう犯人、という設定。
他の部分は原作から離れ、創作されたものらしい。
姿の見えない犯人との攻防が前半に描かれ、犯人を追い詰める警察の捜索が後半で描かれる。
真冬に真夏のシーンを撮影したとか、新幹線の場面で7台のカメラを同時に回したとか、撮影に邪魔だった二階建ての民家にお願いして二階部分を取り払ってもらったとか、この映画を模した実際の誘拐事件が起こったとか、そういったクロサワ逸話を多く残す映画だが、そんなことよりも作品自体の無類の面白さに、これを見た当時中学生だった僕は夢中になった。

黒澤作品には「用心棒61年)」から入門した僕だったが(※)、時代劇のみならず現代劇でもこれだけの娯楽作があったのだと、うれしくて仕方がなかった。

脚本に黒澤を含む四人の名前がクレジットされているが、黒澤監督は大抵の作品において複数人で脚本を執筆している。
優れたシナリオライターを集め、いいシナリオを書くことが、いい作品への近道であると彼は考えていたに違いない。
ここには、映画作りの頂点に踏ん反り返る暴君黒澤のイメージはない。
広く意見を求め、他人の力を信用し、客観的で冷静な視点を持つ知的な彼の姿が想像できる。
シンプルで力強い設定と構成、警察の捜査の緻密さ、犯人のドス黒い嫉妬心、権藤の苦悩、アクションの迫力、ビジュアルと音響を活かした映画ならではのアイデアの数々。
一本の映画の中に、これでもかというほどに工夫が詰まっている。
黒澤一人では、この脚本は書けなかっただろう。四人がこの脚本を書いたのだ。

権藤が苦悶した自己犠牲のあり方は僕の心を打ったはずだったのに、修学旅行の班決めでは、他の皆のために自分が犠牲になるなどということは、毛の先ほども考えられなかった。
断じて、つっぱり不良班には入りたくなかった。
ここという時に人間性というのは現れる。
僕はそこで得られる信用などをかなぐり捨ててでも、仲良し班に留まりたかった。
映画「天国と地獄」での天国、地獄は、貧富の差や、人生の起伏、考え方、生き方についてを意味していたと思う。
僕は安直に仲良し班を天国だと思い込んでいたが、果たしてそれは正しかったのだろうか…。

あれから時は流れた。
当時のことをゆっくりと思い起こし、その決断に間違いはなかったか落ち着いて考えてみようではないか。
うん、仲良し班に残留したことに、一片の悔いなし!

こんな僕を、どうぞ地獄に落として下さい。


※映画「用心棒」の記事は、このブログで一番最初に書きました。→こちら(07年6月13日の記事です)


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About

●2007年09月14日 15:26に投稿された記事です。

●ひとつ前の投稿は「「デス・プルーフ in グラインドハウス」~喋り過ぎにご注意を~クエンティン・タランティーノ監督」です。

●次の投稿は「「生きる」~唯一無二の顔~       黒澤明監督」です。

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