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「大人は判ってくれない」 ~回転する思春期~
フランソワ・トリュフォー監督

大人は判ってくれない」(1959

監督: フランソワ・トリュフォー
製作: フランソワ・トリュフォー
脚本: フランソワ・トリュフォー/マルセル・ムーシー
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ジャン・コンスタンタン
 
出演:
ジャン・ピエール・レオ
クレール・モーリエ
アルベール・レミー
ジャン・クロード・ブリアリ
ギイ・ドゥコンブル


【おはなし】

舞台はパリ。問題児扱いされる少年アントワーヌ・ドワネルは少年院に入れられ、やがて脱走する。

【コメントー回転する思春期ー】

1994年頃、高校生の僕はぐずっていた。
受験がいやでいやで仕方がなかった。
受験なんて下らない審査はやめろ。俺の人間を見れば合格に決まってるだろう。
そんなことを本気で考えていた。
つまり勉強が苦手だったのだ。
人間を見て選ぶ受験なんてものがあったなら、寧ろ合格は遠のいたろうに。

NHK衛星第二放送の衛星映画劇場は、
黒澤明が選んだ100本の映画を順次放映するという企画の最中だった。
これをビデオで録画しつつ見るのが日課となっていた。
受験一色の学校生活から逃れるように、僕は毎日映画を見た。
夜は祖母しかうちにいなかったので、ゆっくり一人で鑑賞できた。

「大人は判ってくれない」という随分直球なタイトルにいささか鼻白んだが、まぁ黒澤が勧めるのだから見ておこうという態度で居間のテレビの前に座った。

おや?と思った。
何か違った。
普通の映画とはどこか違う。
台詞の感じも、ストーリーも、カメラワークも、今まで見たことのないものだった。
生々しい。ヒリヒリする。なのに笑える。

遊び心に溢れた演出は、いちいち僕を魅了した。

主人公アントワーヌ・ドワネル少年は母親の浮気を目撃する。くさくさして学校をサボる。金持ちの友人宅に泊まる。担任の教師に母が死んだから学校を休んだと告げる。当然嘘はバレてこっぴどく叱られる。
終始そんな調子で、彼は学校からも家庭からも疎まれてしまう。

ドワネルは友人と二人で学校をサボって遊園地に行く。
大きな筒状の乗り物があった。
巨大円筒の中に入り、壁に背中をつけて準備が整うと、
やがて乗り物は円の中心を軸に回転し始める。
ぐんぐん回転速度は上がり、遠心力によってドワネルの身体は筒の内壁に押さえつけられる。
更に速度が増すと、ドワネルは床から足を離し壁に張り付いたまま浮いてしまった。
身体を少しずつずらし、とうとうドワネルは逆さまになる。
彼は笑顔だった。
この遠心力を楽しむだけの奇妙な乗り物によって、彼は地面から解放された。
更に身体をずらし、元の位置まで戻ってきた頃、円筒の回転は徐々に緩くなった。
少年が遊園地で乗り物に乗っているだけのシーンが、とても面白く、また切なく胸を衝いた。

ドワネルは黙々と走る。
黙々と遊ぶ。
いたずらもするがお手伝いもする。
そして、文豪バルザックをこよなく愛している。

映画を見ながら、僕の感情は激しく起伏していた。
ドワネルの全ての行動が痛々しく目に映った。
これほどまでに、子供について的確なものはないと思った。
ほとんどの場合、映画に出てくる子供は大人から見た子供像だ。
この映画は、子供の言い分に耳を貸すでもなく、大人の肩を持つわけでもなく、ただその模様が的確に描かれるだけだ。

それでいて、この生き生きとした感じはなんだ?
ディテールの積み重ねと小ネタの応酬。
人物の細やかな描写。
溢れるユーモア。
僕にはこの映画の呼吸がピタっと相性に合った。

祖母が居間に入ろうと戸を開けたが、僕が振り返るとそのまま戸を閉め、奥の部屋へ引っ込んだ。
他のどの映画を見ているときでも構わない、居間を行ったり来たりしてもらっていい。
なんだったら裸でブラウン管の前に立ちはだかっていただいてもいい。
ただ今日だけは。今日だけは、ひとりで、集中して最後まで見させてくれ。
振り返った際そんな表情をしてしまっていたかもしれない。

鬱屈した気分と歯がゆい思春期の焦りは、
ドワネルのものなのか、自分の問題なのか。
僕はじっと彼の行く末を見守った。

窃盗したことから少年院に送られたドワネルは、脱走を試みる。
映画の終盤、逃げたドワネルの走る姿が延々と映し出される。
走って走って、たどり着いたのは海だった。
「海に辿り着いた!」ことで映画は終わる。
ただ海に着いただけのドワネルの顔のアップで終わる。
衝撃のラスト。
僕はしばし、呆然としていた。

後に知ったのだが、
これが世に言う「ヌーヴェルバーグ」だった。
過去の映画に対する憧憬と敬意。そして今までにない映画の模索。
過激な温故知新。
50年代の終わりからたくさんの映画監督がフランスに登場した。
その監督たちと映画群を総称してヌーヴェルバーグと呼ぶ。
トリュフォーは弱冠27歳にして、この初監督作でカンヌ映画祭の喝采を浴びた。
ジャン・リュック・ゴダールと並んでヌーヴェルバーグの中心人物として今日でもファンは多い。
84年にこの世を去ってしまうまで22本の長編映画を監督した。

90年代前半になって、ヌーヴェルバーグ(新しい波)が日本の一高校生の所まで打ち寄せてきた。
遅ればせながら、驚嘆と喜びを持って受けとめた。

残念なことに、翌日から、僕の勉強をする手は完全に止まってしまった。



コメント (2)

su-ta:

ありがとう。私の思っていたことを全部書いてくれた!! 観終わった後、言葉にならず、でも想いはあふれ、という状態でした。この映画は奇跡です。

ブログ筆者よしだ:

su-taさん

コメントありがとうございます。
この映画は自分にとりましても大事な一本で、どのようにして書いたものか悩みました。
結局は当時感じたそのままを注意深く思い起こし、あまりこだわらずに書くことにしました。
素晴らしい映画は、言葉にはならないですね。

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About

●2007年06月15日 14:16に投稿された記事です。

●ひとつ前の投稿は「「E.T.」 ~映画に見る夢~        スティーブン・スピルバーグ監督」です。

●次の投稿は「「3-4×10月」 ~映画館の白昼夢~  北野武監督」です。

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