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原作「自虐の詩」 ~人に4コマの歴史あり~
業田良家

自虐の詩」(19841990連載)

作者: 業田良家


※間もなく映画が公開(07年秋)ということで、今回は原作である漫画「自虐の詩」の紹介をさせていただきます。


【おはなし】

貧しい夫婦の生活ぶりと、それに至った過程。

【コメントー人に4コマの歴史ありー】

マンガで泣いてしまった。
初めてのことだった。
自分でも驚いた。

でも、この作品を「泣けるマンガ」としてのみ紹介するにはあまりに勿体ない。
なぜ泣けるのかといえば、それは笑えるからではないかと思う。
ギャグ漫画として出色の出来。
ストーリー漫画としても濃厚なドラマが楽しめる。
それを4コマ漫画でやりきったところに、この漫画の凄味がある。

読んだのは03年だったと思う。
面白いよと友人が貸してくれたのだが、しばらくは放置したまま、薄く埃がかぶってしまっていた。
「そろそろ返してね」の言葉に背中を押され、その晩僕は布団に入った姿勢で表紙を開いた。
4コマ漫画だった。
幸江とイサオの夫婦のギャグ漫画。
夫に尽す妻の健気な姿が執拗に続く。
イサオがちゃぶ台を引っくり返す場面がお決まりの4コマ目で、その反復が延々と続く。
男尊女卑の様を確信的にやっているところに妙な期待が持てたのは事実だが、上巻を読み終えた時点では、まだそれほどの満足はなかった。
今日中に読んで明日返そう。僕は更に布団にもぐり下巻に手を伸ばした。

物語は幸江の幼少期にまで遡る。
何故彼女が現在こんなにも、いわゆる不幸な女になってしまったのかと言えば、幼少期から積み重ねた不幸な境遇の連鎖にその原因があった。
不幸な星のもとに生まれた幸江は、凄絶なる貧困の中に少女時代を送っていたのだ。
父親と二人で暮らしていた幸江は、家事の一切を受け持っていた。
米の残量に一喜一憂し、借金の取り立てに来るヤクザに居留守を使った。
父親は酒を飲み、仕事もしない。

4コマ漫画でありながら、各エピソードは連なりを持っており、一つの大河ドラマへと発展していく。
反復は実に効果的だった。徐々に不幸の度合いが増し、同時に滑稽味は加速する。

この漫画の本題はこの下巻からだったのだと気づいた。
同時に、上巻で脳裏に焼き付けられた尽くす幸江の姿が、ここへきて効いてきた。
笑って読んでいると身体が熱くなってきた。布団を蹴とばして続きを読み進めた。

幸江の中学時代。
「自虐の詩」が最も充実する章である。

熊本さんという同級生は、幸江に負けず劣らず貧乏だった。
汚い身なりで、ブス。
幸江と共通項が多く、唯一の友人であった。
しかし、おどおどした幸江と違い彼女は堂々としていた。
先生にも動じない。
開き直りとすら見える、「それがどうした」といった態度。
幸江は彼女と一緒にいるときにだけ、偽りでない自分でいられた。

幸江が、女の子グループに加入していく頃から、二人の関係がねじれてくる。
見事な筆致で、幸江の心情が描かれる。
今まで無二の親友だったはずの熊本さんが、邪魔に思えて仕方がない。
一旦ほどけた友人との絆は、反動で憎悪となって幸江の内心を搔き毟る。

僕にも経験はある。
友人は入れ替わる。
すーっと別な友人へと移行する自分のいやらしさを、慙愧の念をもって思い返した。
いや、思い返すまでもない。
中学、高校時代は、それが顕著に現れるだけで、もしかすると現在でもそうかもしれない。

幸江は有頂天だった。
女の子グループの一員として、クラスにも認められた。
幸福の絶頂の中でふと見ると、熊本さんは一人で帰宅していた。
相変わらず平然としていた。
本当に平然としていたかは別として、幸江にはそう見えた。

実はもう、この時点で僕は少し泣いてしまっていた。
感傷的な描写ではなく、あくまでギャグ漫画の体裁は変わらない。
4コマという最小限の構成で、最大限の心理描写を見せる。
熊本さんとの決着の場面、更には上京する場面、名シーンが続く。

やがて幸江は、大人になった。
いろんなことがあったが、ついに今はイサオという伴侶と生活している。
妊娠した幸江は、過去のことを俯瞰で見渡す。
母親を知らない自分が、母親になる。
誰しもが母親から生まれるという神秘に、確かなる自分の形を読み取った。
生きているということに、幸も不幸もあろうかと思った。

最後の数ページに、彼女の人生の全てが透けて見える。
名作と呼ばれるにふさわしい、見事な完結。
身重の幸江が歩く姿。階段を上る姿。
高まる期待と、歓喜の再会。

ついに読み終えて、僕は嗚咽してしまった。
いくらなんでも、泣き過ぎなのではないかと思うほどだった。
でも、こんな心地は滅多にない。
少しの間、浸っていようと思った。

この漫画は一旦読み始めたなら、最後のページまで一息に読みきってしまうのがいいのかもしれない。
ただ、電車や喫茶店など、公共の場では読んではならない。
急な号泣に、周囲の人たちが驚いてしまうので。


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●2007年07月07日 16:00に投稿された記事です。

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