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「街の灯」 ~初笑いシンドローム~  
チャールズ・チャップリン監督

街の灯」(1931

監督: チャールズ・チャップリン
製作: チャールズ・チャップリン
脚本: チャールズ・チャップリン
編集: チャールズ・チャップリン
撮影: ロリー・トザロー/ゴードン・ポロック
作曲: チャールズ・チャップリン
音楽: アルフレッド・ニューマン/チャールズ・チャップリン

出演:
チャールズ・チャップリン
ヴァージニア・チェリル
フローレンス・リー
ハリー・マイアーズ
アラン・ガルシア
ハンク・マン
ジョン・ランド
ヘンリー・バーグマン
アルバート・オースチン


【おはなし】

盲目の花売りの娘にお金持ちと勘違いされた浮浪者のチャップリンは、彼女の目の手術費をなんとか捻出する。

【コメントー初笑いシンドロームー】

92年の大晦日。
高校一年生だった僕は友人宅にいた。
小学校高学年の頃から、家族揃っての年越しには参加しなくなっていた。
友人宅で騒ぎつつ新年を迎え、山へ登って初日の出を拝み、山頂で振舞われるぜんざいを食べて帰宅するのが毎年の恒例だった。

高校生になってから、中学までの友人たちとはあまり会わなくなった。
この年の暮れは、高校の同級生のお家にお邪魔し二人でテレビを見ていた。

ちなみにこの年のNHK紅白歌合戦の司会は、紅組石田ひかり、白組堺正章
出場者の懐かしいところで言うと、LINDBERGリンドバーグ)「恋をしようよ Yeah!Yeah!」。小野正利You're the Only」。森高千里私がオバさんになっても」。GAOサヨナラ」。
SMAP雪が降ってきた)と光GENJIリラの咲くころバルセロナへ)と少年隊太陽のあいつ)が揃って出場している。

さて、年越しの瞬間は何をしようか。
ジャンプして空中で12時を越え、「地球上にいなかった」をやろうか。
もうそんな相談も飽きてしまっていた。
ぐだぐだとテレビを眺めていたのだが、まだ年越しには四十分ほど時間があった。

停滞していた空気を切り替えるためか、友人が一本のビデオを取り出した。
「チャップリン見る?ボクシング」
そのビデオは僕が彼に貸していたものだった。
チャップリンの特集がNHKの衛星映画劇場であった際に録画していた「街の灯」。
同じクラスだった彼に、お薦めの一本として貸していたのだ。

特に僕らが気に入っていたのは、この映画のボクシングの場面。
教室でもこの話題に花が咲いた。
ボクシングの場面とラストシーンのチャップリンの表情は、今でもくっきりと脳裏にこびりついている。

チャップリンは少女の手術代をなんとか稼ぐために、ボクシングの試合に出場したのだ。
しかし、経験もない彼に到底勝ち目などない。
相手の攻撃をかいくぐるチャップリン。

サイレント映画のチャップリンは特に素晴らしい。
こういったボクシングの場面は、彼の最も得意とするところだったのではないだろうか。
人間にあんな動きができるものなのだろうか。
チャップリンと対戦相手とレフェリーの三人が、寸分の狂いもなくボクシングコントを展開する。
入れ替わり立ち替わり、あっちへ逃げこっちへ隠れ。ゴングの紐ともつれ合い、殴り殴られ、息つく暇もないほどに笑わせる。

友人がこの作品を気に入ってくれたことが嬉しく、「見よう見よう」と調子に乗った。
冒頭から観賞し始めて、いよいよボクシングの場面が始まった。
どういうことだろう。
この場面がおかしくて仕方がない。
一人で見たときよりも数倍の威力でもってチャップリンの笑いが襲ってくる。
大晦日の深夜、友人宅、二人での鑑賞、そういった状況が歯止めを失わせたのだろうか。
畳に転げて二人で爆笑した。
顔は真っ赤、お腹が痛くなり、呼吸困難になり、もういい加減に勘弁してくれという二人であったが、ボクシングの場面が終わったらすぐに巻き戻し、また同じものを見て大笑いする。
チャップリンの真顔を見るだけで、もう笑ってしまう。レフェリーが大男だというだけで、もう笑っている。

一頻りこれを繰り返し、ようやく次の場面へ向かうことにしたとき、
「あ!」
と、友人が時計を指差した。
既に時刻は12時25分だった。
笑っている間に年は明けてしまった。

あまりのことに、僕らはまた笑ってしまった。
僕はリモコンを引っ掴み、えーいとばかりに今一度ボクシングの場面に巻き戻した。
もう、再生ボタンを押す前から笑ってしまっていた。

※この作品へのオマージュとしてアキ・カウリスマキ監督は「街のあかり」を撮りました。
「街のあかり」についての記事は→こちら(07年7月23日の記事です)


コメント (2)

トラ猫アダム:

お久しぶりです。前回は御丁寧な便りをありがとうございました。
さてC.チャプリンの『街の灯』もボクが好きな作品の1つです。殊に印象に残っているのは一番最後に出てくる花売り娘の台詞“あなただったのですね”の一言です。そう、光を取り戻した娘が落としてしまった花をチャプリンが手渡した時の台詞です。
 目の不自由な方は手触りや音に敏感だと聞いたことがありますが、娘の手に触れたのはチャプリンの手の温もりとそこに込められた人としての一番大切な“思いやり”だったのかな、と感じました。
 ボクは他の方々ほど映画には詳しくありません、又評論家の方々ほどの批評などできませんが、チャプリンの持つすごさは、ふだん見落としがちな小さなことを“想像力”を梃子にして、自ら脚本を書き、音楽を付けて1つの物語を映像化したことだと思います。
 またお話させていただいてもよろしいでしょうか?

ブログ筆者よしだ:

トラ猫アダムさま
コメントありがとうございます。

「街の灯」のラスト、彼女がチャップリンのことに気づくあの場面は、思い起こすだけでも胸にじんときます。

まったく仰る通りで、あの場面の少女の台詞、そしてチャップリンの指先をかじりながらのはにかんだ笑顔は、映画史に残る(少なくとも僕の中の映画史に残る)名場面だったと思います。

このブログでは、恥ずかしさもあって真っ当に映画について語ること(また批評すること)を避けてしまっていますが、本当は、あのラストシーンの感動こそ書いてみたかったのです。

初めて見たのは中学生のときだったと思いますが、こんなに素晴らしい映画をどうして学校や親は無理矢理にでも僕に押し付けてくれなかったのだろうと思いました。

全ての人に味わって欲しい、あのラストシーンですよね。

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●2007年07月08日 14:37に投稿された記事です。

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