【コメントー風化寸前、モラルの壁ー】
横綱朝青龍の処罰を巡って、このところの相撲界は騒然としている。
75年生まれの僕にとって、横綱と聞いてまず頭に浮かぶのは千代の富士(現九重親方)である。
そして、横綱らしい横綱は貴乃花(現貴乃花親方)を最後に登場していないと思っている。
彼らは、驚異的な自己管理能力を持って、自分に厳しく、勝負に強い人間を貫いてくれた。
大相撲と甲子園、これは日本が痩せ我慢をしてでも守るべき、モラルの聖地だと信じてやまない。
時代がいくら移り変わっても、相撲と高校野球には面倒なシキタリをものともせぬ、超人たちが集う場所であって欲しい。
見本となる人物がいてくれるおかげで、我々庶民は襟を正すことができるのだ。
ただ強ければいい、というものでは断じてない。
彼らの存在は日本の、いや世界の、良心と良識を守る最後の砦だと思う。
いや、まったく身勝手にそう思っているだけなのだが。
サッカー日本代表やJリーグに対して、多くの人々が感じているであろうチャラチャラした印象は、良くも悪くも日本プロサッカー発足の際の「モラルは問わない」という風潮を未だにサッカー界が引き摺っているところからくるのだと思う。
勝っても負けても、日本代表の試合に、何かスッキリしないものを感得してしまうのは僕だけなのだろうか。
ワールドカップで日本代表が敗北した際に、プロ野球楽天イーグルスの監督野村克也が「茶髪だから負けたんだ」と言ったのは、あながち間違いでもないような気がしてしまう。
本当は、茶髪に染めようがアルマーニを着てようが試合でのプレーとはまた別の問題なのだろうが、野村監督の言う「茶髪」とは、それだけのことを指しているのではないと思う。
野球と人生の両輪を真剣に捉える野球道があるように、スポーツの道には美学や哲学といったものが必要だということなのではないだろうか。
いや、これはスポーツに限ったことではない。
職場でも学校でも家庭でも、遊びでも、芸能でも、芸術でも、集団における社会生活の中では、「もっと、ちゃんとやろうぜ」という心意気が、僕は必要だと思う。
必要だとは思うが、どうしても怠惰な方に流れて行ってしまう自分がいることも、残念ながら否定できない。
「ケイン号の叛乱」は、とある戦艦の艦長と船員達の確執を描いている。
新任の艦長は規律に厳しく、船員はあまりにも融通の利かない彼に愛想を尽かす。
艦長の一連の行動は精神異常だというところまで発展し、軍事裁判にかけられてしまう。
この映画の前半に描かれる、船員たちの「少しくらい、いいじゃないか」という堕落や油断は、僕にとっても耳の痛い話題で、彼らの気持ちも分からないでもない。
だが、艦長の厳格な態度というのも僕は応援したい。
艦長を演じているのはハンフリー・ボガート。
神経質にガミガミとやるのだが、全く船員たちが言うことを聞かない。
空回りしているリーダーの様子は見事だった。
この映画のよくできているところは、艦長が完璧な人格者というわけではないところだ。
必ずしもできた人物ではないし、リーダーとして的確な判断が下せる力量があるのかも疑問に思えるのだ。
見ているこちらも、艦長に信用がおけるのかグラついてしまう。
だが、それは本当に艦長だけに問題があるのだろうか。
船員たちに堕落が一切なかったとは言い切れはしないはずだ。
この辺りの匙加減が絶妙な構成で描かれる。
不満が噴出し、トラブルになる。
リーダーは、それを鎮めるべく決断をしなくてはならない。
そして決断は新たな不満を招く。
一体、どうすれば人々は満足のいく集団生活を送れるのだろうか。
集団における秩序の乱れは、中学生当時(88年~91年)この映画をNHK衛星放送で観賞した僕にも、身近な問題として感じられた。
体育の時間にサッカーがあった。
2チームに分かれて試合をするのだが、まずチーム分けから難しい。
うまい奴と下手な奴との配分に手を焼くし、いわゆる不良たちの意見が通るものだから、一方で不満を抱える者も出てくる。
次はポジション決めに面倒が起る。
僕と同じ考えの連中がディフェンス(守備陣)に集まり過ぎてしまうのだ。
ジャンケンで負けた者は、渋々オフェンス(攻撃陣)に回り、フォワード(点取り専門)の不良たちと一緒に攻め込まなくてはならない。
不良連中は、絶対に自分のミスを認めない人種なので、パスが通らなかったりシュートが入らなかったりすると八つ当たりをしてくる。
オフェンスに回ったって、どうせ味方の不良から我が身をディフェンスするはめになるのだ。
不良の強引な采配と、嫌々ながらそれについて行く僕やその周辺。
どっちもどっちだ。
こんな集団で気持良くスポーツができるわけがない。
実にニコニコと朝青龍は親善サッカーに興じていたが、動きを見ていてつくづく運動神経の良い人だと思った。
不良はなぜだか運動が得意なケースが多いのだ。
ぜひとも、立派な横綱になって欲しいと心から願うばかりだ。