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2007年09月 に書いたもの

2007年09月03日

「裏窓」~自分の部屋の窓の裏から~
アルフレッド・ヒッチコック監督

裏窓」(1954年

監督: アルフレッド・ヒッチコック
製作: アルフレッド・ヒッチコック
原作: コーネル・ウールリッチ
脚本: ジョン・マイケル・ヘイズ
撮影: ロバート・バークス
音楽: フランツ・ワックスマン

出演:
ジェームズ・スチュワート / ジェフ
グレース・ケリー / リザ
レイモンド・バー / ラース
セルマ・リッター / ステラ
ウェンデル・コーリイ / トーマス


【おはなし】
足を負傷して車椅子生活のジェフ(ジェームズ・スチュワート)は、とあるアパートで療養していた。


【コメントー自分の部屋の窓の裏からー】

僕はノゾキをしたことがある。
ノゾキは犯罪であり、実に卑劣で不愉快な、人として恥ずべき行為だという社会通念も承知の上で、中学当時の僕のノゾキについて、ここに告白してみる。

中学三年生になって(90年)、ようやく自分の部屋を与えられた。
姉が大学入学でうちを出て行き、一部屋空いたためだった。
高校受験に向けての準備は万端整った。
あれだけ欲していた「自分の部屋」に入り、しかし僕は向かいのアパートを覗いていた。

部屋の窓から首を出し右を向くと、50mほど先に市営のアパートがあった。
その2階に住む若夫婦(と思われる)の奥さん(と思われる)が、カーテン越しに着替えているのをたまたま見かけてしまったのだ。
着替えをしていたのか、ただ部屋を歩いていただけなのか、若奥さんだったのか、その旦那だったのか、実はほとんど未確認なのだが、僕の視神経は妄想をも実体化する勢いで「若い女性の着替えを見た」ことにしてしまっていた。
以来、夕飯を食べ終わると二階の自分の部屋に入り電気を消したまま、向かいのアパートを眺めていた。

いくら眺めていても、カーテンは閉まったまま。
その部屋の電気が灯ることも、あまりなかった。
それでも日課のように、僕はアパートを眺めていた。

僕の部屋の窓の正面には3階建てのビルが建っていた。
手を伸ばせばビルに触れることができるほどのお隣さん。
ビルの2階の窓があり、窓の上部には分厚いコンクリートのひさしがあった。
厚さ30cm奥行20cm、幅は窓と同じくらいで2mはあっただろうか。

アパートを見ていても何も変化がないものだから、飽きてしまった僕はそのひさしの上に乗ってみた。
自分の部屋から身を乗り出し、腰ほどの高さにあるひさしに上り移った。
見上げると、自分の家とビルの狭間から夜空が見えた。
ひさしに腰掛けて、夜空を見たり、アパートを確認したり、はたまた自分の部屋を覗いたりした。
道路から見上げたら、丸見えの位置だった。
通行人に、僕は狂人に見えたろうが、幸いにも通報めいた事件は起こらなかった。
そもそも夜は人通りがほとんどない地域だった。

映画「裏窓」は、覗き見ることの面白さが、そのまま映画の面白さとなっている。
主人公は、こちらの建物から正面の建物を双眼鏡で覗き、窓によって切り抜かれた人々の悲喜こもごもを鑑賞する。
これは映画の本質に極めて近いような気がする。
映画とは「見る」ものである。
スクリーンのサイズに切りぬかれた登場人物の模様を覗き見する娯楽芸術。
巨匠ヒッチコック監督は、映画が最も得意とする表現法を強調し、自在に操り、見事なサスペンス映画を作ってしまった。

主人公のジェフ(ジェームズ・スチュワート)は、とある一室の夫婦に注目をした。
様子がどうもおかしいことから、夫が妻を殺害したのではないかと推理する。
それを暴くために、あの手この手でその夫に仕掛けをする。
ジェフの恋人リザをグレース・ケリーが超絶美人で演じている。
あれほどの美人がお見舞いに来てくれているのだから、何も事件に首を突っ込まなくたってもよさそうなものなのに。
リザを容疑者の部屋へ送り込んだりするのだ。

随所に挟まれる、コメディの調子。
事件の全容が明らかになるにつれ、高まる緊張。
身動きの取れない主人公ジェフに、最大の危機が訪れるクライマックス。
覗き見のアイデアから発展させ、紛うことなき映画の本道に辿りついた傑作。

中学時代に「裏窓」を見ていた僕は、この映画を免罪符に市営アパートを覗いていたところがあった。
何か事件があるやもしれぬ、という表向きで、着替えシーンを心待ちにしていた。
しかし、若奥さんの着替え姿は、結局それ以降一度も見ることはできなかった。
いつしか僕は、自分の部屋ばかりを覗いていた。
自分の生活空間を外から眺めると、まるで違うもののように感じられた。
敷かれた布団。片付かない机の上。散らばった本やマンガ。
あまりちゃんとした人間ではない様子が伺えた。
客観的に見ることで自分を見つめ直していた、というのは言い過ぎかもしれないが。

季節が秋に差し掛かり、あまりの肌寒さと、自分及び自分の部屋の汚さとに、ひさし観測は中止の運びとなった。


2007年09月04日

「イースター・パレード」~美技、内股~ 
チャールズ・ウォルターズ監督

イースター・パレード」(1948年

監督: チャールズ・ウォルターズ
製作: アーサー・フリード
原作: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット
脚本: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット/シドニー・シェルダン
撮影: ハリー・ストラドリング
音楽: ジョニー・グリーン/アーヴィング・バーリン/ロジャー・イーデンス

出演:
フレッド・アステア
ジュディ・ガーランド
ピーター・ローフォード
アン・ミラー
ジュールス・マンシン


【おはなし】
フレッド・アステア演じるダンスの名手は、新たなパートナーに酒場のしがない踊り子を選ぶ。
素人同然の女の子に磨きをかけているうちに、アステア自身も新たな魅力を獲得していく。
パートナーの関係を超え、二人は愛し合うように、なる?なるのか?


【コメントー美技、内股ー】

僕は中学生の時(88年91年)に、内股をガニ股に矯正した。
と、威張って書くようなことではないのだが。

小学生の頃までは、どちらかと言えば内股だった。
写真に映ると、まるでクワガタのアゴのように特に膝から下が内に向いてしまっていることがあり、当時の僕にしてみればそれなりに悩みの種であった。
中学生になり野球部の先輩と一緒に帰宅しつつ、僕は彼の大胆なガニ股に目を奪われた。
ガニ股の方がやはり格好いいのではないかと、憧れを持った。

その頃から、両足のつま先が外を向くように意識して歩いた。
今思えばである。内股であったことよりO脚(オーきゃく)であったことの方が、僕の脚をクワガタ然とさせていたのではなかったか。
結果、O脚のガニ股が完成するのであった。

かつてアメリカにはフレッド・アステアというミュージカルスターがいた。
彼のダンスは華麗そのもの。
あまりに素晴らしい身のこなしに笑ってしまうほどだ。
ミュージカル映画「イースター・パレード」の冒頭で、アステアがおもちゃ屋の中で舞う場面がある。
めくるめく妙技の数々に、唖然とさせられる。

アステアが買おうとしたウサギのぬいぐるみを、少年が横取りしてしまった。
アステアは大小様々なドラムのおもちゃで遊んで見せ、少年の気を引き、最後はウサギのぬいぐるみを持って去る。
ドラムを鳴らすバチさばきの凄まじさは尋常ではない。
頭や脚やステッキを駆使してドラムと軽やかに戯れるが、もちろん歌いながら、曲に合わせて踊りながらのことである。
正月のかくし芸大会における堺正章と、本気でダンスをしている時の東山紀之を、それぞれ二乗し、足して2で割らないような感じとでも言おうか。
人間の動きを超越している。
この場面のためだけにでも見て損はないと思う。

そして、このアステアのダンスを、僕は「内股系」に系統してみたい。勝手に。
これに対し、当時のもう一人のミュージカルスター、ジーン・ケリーは「ガニ股系」に属する。
「内股系」は華麗、「ガニ股」系はエネルギッシュの傾向を持つ。

内股と言うと間抜けだが、これは賛辞である。
いかなるステップを踏むときも、頭の先、指先、つま先まで全身が美しいシルエットとなるよう形作られ、奇跡のバランス感覚で地上を跳ねる。
内股の力学は、パワーを無駄に外に放出しないイメージがある。
「内股系」には、先の東山紀之、あるいはマイケル・ジャクソンなどが分類される。
実際、彼らもアステアを手本にしているところがあるのではないかと思う。

このスタイルは相当に高い技術があってこそ成立するもののようで、昨今映画「Shall we ダンス?96年)」から派生したテレビ番組で多くの芸能人が社交ダンスを披露していたが、内股系に挑戦した方々は随分とお粗末な結果に落ち着いてしまっていたように思う。
まだ「ガニ股系」の方が、無難にごまかせる余地がある。
「ガニ股系」の魅力については、また後日ジーン・ケリーについて書く時に触れることにするが、例えばジェームス・ブラウンがこの系統に入るアーティストであることだけ付け加えておく。

刮目すべきこのアステアの内股ダンスは、「イースター・パレード」でたっぷりと堪能できる。
アステアは人気のあるショーダンサーの設定。
イースターの記念日(復活際)に、ダンスのパートナーと喧嘩別れしたアステアは、街の小さな酒場にいた踊り子を捉まえて「仕込んでやる」と言い放ち、自分のパートナーとして雇う。
前のパートナーに対する当てつけであり、彼自身破れかぶれになっての思いつきだった。
なかなか思うようには踊れない新パートナーの田舎娘だが、ある時ヴォードヴィルについては才能を発揮することが分かる。
深刻で奇麗なダンスではなく、愉快で朗らかな歌とステップ。
徐々に人気を集めて行くアステアと新人田舎娘。
このヴォードヴィルの場面は楽しい。
二人の恋の行方も同時進行で語られ、さて、あれから一年経つイースターパレードを二人はどう迎えるのだろうか。

この頃のミュージカル映画は、今のミュージカル映画とは本質的に異なる。
役者を全身が見える画面のサイズで撮っている。
そして一つのカットで、ある程度の長さの踊りをやって見せる。
つまり、映画の編集でのごまかしを排除しているのだ。
「一つのカット」とは、その画が始まって終わるまで、ひと続きの映像のことを指す。
画面がひと続きであるということは、ひと続きで演じているということになる。
その間は嘘がつけない。
編集の段階でいくらでも手を加えることができるのがミュージカル映画の醍醐味でもあるのだが(※)、ミュージカルそのものの面白さを味わうには、やはりそれなりの役者がちゃんと歌って踊れることが必須のようである。
この映画では、アステアのダンスがスローモーションになる場面がある。
正真正銘、彼のダンスが神業であるところを、じっくりとご覧あれとでも言っているようである。

内股系の美しさにもっと早く気付いていれば僕も矯正する必要なんてなかった、などという無用の後悔をしてみたりして。
とにかく、フレッド・アステア格好いい!

※ミュージカル映画の編集の醍醐味については「シカゴ」の記事で触れています。→こちら(07年7月15日の記事です)


2007年09月09日

「デス・プルーフ in グラインドハウス」~喋り過ぎにご注意を~
クエンティン・タランティーノ監督

デス・プルーフ in グラインドハウス」(2007年

監督: クエンティン・タランティーノ
製作: クエンティン・タランティーノ/ロバート・ロドリゲス/エリザベス・アヴェラン/エリカ・スタインバーグ
製作総指揮: ボブ・ワインスタイン/ハーヴェイ・ワインスタイン
脚本: クエンティン・タランティーノ
撮影: クエンティン・タランティーノ
プロダクションデザイン: スティーヴ・ジョイナー
衣装デザイン: ニナ・プロクター
編集: サリー・メンケ

出演:
カート・ラッセル / スタントマン・マイク
ロザリオ・ドーソン / アバナシー
ローズ・マッゴーワン / パム
シドニー・ターミア・ポワチエ / ジャングル・ジュリア
ゾーイ・ベル / ゾーイ
マイケル・パークス / アール
メアリー・エリザベス・ウィンステッド / リー
ヴァネッサ・フェルリト / アーリーン
ジョーダン・ラッド / シャナ
トレイシー・トムズ / キム
マーリー・シェルトン
ニッキー・カット
イーライ・ロス
クエンティン・タランティーノ / バーテンダー


【おはなし】

ギャルたちは休日を別荘で過ごすつもりだった。
車で向かう途中バーに入って、男を誘惑し、ハッパを吸って、いつもの通り奔放に振舞っていた。
そこへ、黒い車に乗った一人の中年男が現れる。


【コメントー喋り過ぎにご注意をー】

雑談が好きだ。
雑談は楽しい。
気の置けない友人達と、ただ喋るだけで僕は充分な満足を感じる。
どこかへ旅行へ行ったとして、観光地を巡ることよりも雑談することの方が重要である。
ファミレス(居酒屋)から旅先へ、ただ場所を変えただけのこと。
場所が変われば雰囲気も変わる。
雰囲気が変われば雑談の内容も変わる。
雑談のバリエーションの変化が楽しめる。
雑談のために旅行へ出ると言うのは、言い過ぎかもしれないが。
だが、それほどに、僕にとって雑談は欠かせぬものだ。

しかし、雑談が楽しいのは当人たちだけで、部外者にとってはこれっぽっちも愉快なものではない。
居酒屋でも電車でも、大声で話している連中のことを煙たく思う僕である。
「静かにしろ!」と若者をたしなめる老人が出現したときなどは、内心拍手を送っている。

先日「デス・プルーフ」という映画を観てきた。
この映画の大半は雑談で進行する。
いや、大して進行もしない。
ひたすらに雑談をしている模様が映し出される。

他人の雑談は退屈なものだが、この映画で雑談しているのは美女である。
長い脚と、ぷりっぷりのヒップを見せつけるようにして雑談している。
実にくだらない、聞いても何の得もないような話題(もちろん男の話題)を、とにかく喋り続ける。
いい加減にしたまえ、とイライラさせられもするが、もの凄い脚線美に釘付けになってしまったのも事実。
そしてこのイライラ感は、この映画に意図的に仕組まれたものだったと、後で知ることになる。

いわゆる「セクシー」を売りに生きている若い女性のキャラクターが、幾人も登場する。
黒人も白人も、金髪も黒髪も、一通りのアメリカ美女が全編に及んでスクリーンを満たす。
中でも一際目を引く美女が、ジャングル・ジュリアを演じたシドニー・ターミア・ポワチエ
シドニー・ポワチエと言えば、映画「いつも心に太陽を67年)」などの主演俳優である。
それはもう誠実な役柄に定評があり、アメリカで初めて成功した黒人俳優として映画史にその名を刻む名優である。
その娘さんが、あんなセックシー女だったとは、驚いた。
タランティーノ監督の意図を感じる。
父の硬派を逆手にとって、超軟派娘のキャラクターを作っている。
しかし、それ以前にシドニー・ターミア・ポワチエが魅力的な顔と肉体を持っていることに、疑問の余地はない。
この女優さんは、きっと売れます。もう売れてるのかな。

僕はアメリカに行ったことがないので、本当にアメリカのセクシーギャルがああいった喋り方や、表情をするものなのか知らない。
少々の誇張を忍ばせているであろうことは想像に難くない。
でも、クエンティン・タランティーノ監督の示すアメリカ感(※)には、毎度グッと来るものがある。
いつか見たアメリカの幻影がそこにはある。
今回の「デス・プルーフ」では、アメリカ美女の在り方が、アメリカB級映画のそれであった。
ホラー映画で襲われる美女。それと、アマゾネス的強靭美女。
映画の娯楽性を、タランティーノはカラッとした馬鹿臭さで表現する。
思わず「さいこー!」と叫びたくなるような映画を、彼は今回も作ってくれた。
この映画を「さいこー!」と評するような人物は、ちょっと信用しかねる。
だが僕自身は「さいこー!」だと思った。

タランティーノの映画は与太話
雑談そのものであり、僕はそれに同調したから最高だったのだ。
だが、誰かがこの映画を最高と言うことに関しては、それは他人の雑談の域に入るから僕には煙たい。
この心情、分かっていただけるでしょうか。

映画「デス・プルーフ」は、雑談のモデル級美女と、カート・ラッセルの男臭いおじさん振りが相まみえる、いびつな作品に仕上がっている。
一体どういう接点を持ってこの両者が出会うのか、見どころである。
どうでしょう、この映画で他人を気にせず「さいこー!」と叫んではみてはいかがでしょうか?

※タランティーノ監督の描くアメリカ感について「パルプ・フィクション」の記事でも触れています。→こちら(07年7月25日の記事です)


2007年09月14日

「天国と地獄」~閻魔様どうかお許し下さい~
黒澤明監督

天国と地獄」(1963年

監督: 黒澤明
製作: 田中友幸/菊島隆三
原作: エド・マクベインキングの身代金
脚本: 小国英雄/菊島隆三/久板栄二郎/黒澤明
撮影: 中井朝一/斎藤孝雄
美術: 村木与四郎
音楽: 佐藤勝
監督助手: 森谷司郎/松江陽一/出目昌伸/大森健次郎
記録: 野上照代
照明: 森弘充

出演:
三船敏郎 / 権藤金吾
香川京子 / 権藤の妻伶子
江木俊夫 / 権藤の息子純
佐田豊 / 青木(運転手)
仲代達矢 / 戸倉警部
石山健二郎 / 田口部長刑事(ボースン)
木村功 / 荒井刑事
加藤武 / 中尾刑事
三橋達也 / 権藤の秘書河西
伊藤雄之助 / 専務馬場
志村喬 / 捜査本部長
藤田進 / 捜査一課長
三井弘次 / 新聞記者A
千秋実 / 新聞記者B
東野英治郎 / 年配の工員
藤原釜足 / 病院の火夫
沢村いき雄 / 横浜駅の乗務員
山崎努 / 竹内


【おはなし】

権藤(三船敏郎)は、会社を乗っ取る気でいた。自宅を担保に借金し、他の重役を退けるつもりだった。
そんな折、息子が誘拐に遭ってしまう。
いや、犯人は間違えた。権藤の運転手の息子をさらってしまったのだ。
ところが、おかまいなしに身代金の要求をしてくる犯人。
電話の向こうで犯人は笑っている「いや、あんたなら払うね、権藤さん」
権藤は他人の子のために身代金三千万円を払うことになるのだろうか。


【コメントー閻魔様どうかお許しくださいー】

中学のとき(88年91年)、目前の奈良京都修学旅行を控え、僕たちが気になっていたのは鹿でも金閣寺でもなく、誰と一緒の班になるかであった。
現地で解散、自由行動となった際、基本的には班行動となる。
もしか不良グループと同じ班になってしまったら、それは違った意味での思い出深い修学旅行となってしまうだろう。
前もって僕は、仲の良い友人たちと集まって同じ班になろうと結束を誓い合っていた。

担任の先生は野暮なことはしなかった。
ジャンケンやクジではなく、話し合いで班決めせよと、生徒たちに丸投げしてみせた。
クラスの男子は21人。1班7人という計算になる。
おや?と僕は思った。
数えてみると、僕たちの班に8人が集まっている。
クラスの不良は6人、案の定集まっているが、一人足りないのは一目瞭然。
もう一つの班は7人できっちりスクラムを組んでいる。
しまった!と思ったときは、もう遅かった。
つまり、我々の中の誰かが、不良班に移動しなくてはならない状況だったのだ。

僕たちは顔を見合わせた。
お前が行けとも、俺が行くとも言えない。
引きつった表情で、誰も何も言わない。
「どうする?どうする?」と頭の中で混乱の叫びがこだまする。
1分かそこらの沈黙だったと思うが、僕には永劫の時に感じられた。

ついに、意を決した一人が「じゃ、俺あっち入るわ」と笑顔で言い、背中を向けて去った。
不良たちに飲み込まれた彼は、早速使い走りの地位を任命されていた。
こちらの班に残った我々は、彼に申し訳ない気分もそこそこに、どっと安堵のため息を吐いた。
心から「よかったー」と思った。
中学生くらいだとまったく現金なもので、人身御供となった彼のことなどすぐに忘れてしまう。
このメンバーで修学旅行を楽しめるかと思うと、さっきまでの青い顔はどこかへ吹き飛び、すっかり有頂天となってしまっていた。
ああ…、天国か、地獄かの、危ない瀬戸際だった。

映画「天国と地獄」の序盤の見せ場は、権藤(三船敏郎)が三千万円を他人の息子のために支払うかどうかの葛藤にある。
この三千万円は、会社の実権を握るために拵えた、今最も必要なお金であった。
だが、犯人は冷徹にも権藤を脅してくる。
自分の運転手の息子のために、彼はこの命がけで集めた大金を放り投げることができるのだろうか。

エド・マクベインの原作のこの部分に黒澤監督は着目したのだそうだ。
他人の子供なのに身代金を要求してしまう犯人、という設定。
他の部分は原作から離れ、創作されたものらしい。
姿の見えない犯人との攻防が前半に描かれ、犯人を追い詰める警察の捜索が後半で描かれる。
真冬に真夏のシーンを撮影したとか、新幹線の場面で7台のカメラを同時に回したとか、撮影に邪魔だった二階建ての民家にお願いして二階部分を取り払ってもらったとか、この映画を模した実際の誘拐事件が起こったとか、そういったクロサワ逸話を多く残す映画だが、そんなことよりも作品自体の無類の面白さに、これを見た当時中学生だった僕は夢中になった。

黒澤作品には「用心棒61年)」から入門した僕だったが(※)、時代劇のみならず現代劇でもこれだけの娯楽作があったのだと、うれしくて仕方がなかった。

脚本に黒澤を含む四人の名前がクレジットされているが、黒澤監督は大抵の作品において複数人で脚本を執筆している。
優れたシナリオライターを集め、いいシナリオを書くことが、いい作品への近道であると彼は考えていたに違いない。
ここには、映画作りの頂点に踏ん反り返る暴君黒澤のイメージはない。
広く意見を求め、他人の力を信用し、客観的で冷静な視点を持つ知的な彼の姿が想像できる。
シンプルで力強い設定と構成、警察の捜査の緻密さ、犯人のドス黒い嫉妬心、権藤の苦悩、アクションの迫力、ビジュアルと音響を活かした映画ならではのアイデアの数々。
一本の映画の中に、これでもかというほどに工夫が詰まっている。
黒澤一人では、この脚本は書けなかっただろう。四人がこの脚本を書いたのだ。

権藤が苦悶した自己犠牲のあり方は僕の心を打ったはずだったのに、修学旅行の班決めでは、他の皆のために自分が犠牲になるなどということは、毛の先ほども考えられなかった。
断じて、つっぱり不良班には入りたくなかった。
ここという時に人間性というのは現れる。
僕はそこで得られる信用などをかなぐり捨ててでも、仲良し班に留まりたかった。
映画「天国と地獄」での天国、地獄は、貧富の差や、人生の起伏、考え方、生き方についてを意味していたと思う。
僕は安直に仲良し班を天国だと思い込んでいたが、果たしてそれは正しかったのだろうか…。

あれから時は流れた。
当時のことをゆっくりと思い起こし、その決断に間違いはなかったか落ち着いて考えてみようではないか。
うん、仲良し班に残留したことに、一片の悔いなし!

こんな僕を、どうぞ地獄に落として下さい。


※映画「用心棒」の記事は、このブログで一番最初に書きました。→こちら(07年6月13日の記事です)


2007年09月23日

「生きる」~唯一無二の顔~       
黒澤明監督

生きる」(1952年

監督: 黒澤明
製作: 本木荘二郎
脚本: 黒澤明/橋本忍/小国英雄
撮影: 中井朝一
美術: 松山崇
編集: 岩下広一
音楽: 早坂文雄
演奏: キューバン・ボーイズ/P.C.L.スイングバント/P.C.L.オーケストラ
監督助手: 丸林久信/堀川弘通/広沢栄/田実泰良
記録: 野上照代
照明: 森茂

出演:
志村喬 / 渡辺勘治
日守新一 / 市民課課長・木村
田中春男 / 市民課課長・坂井
千秋実 / 市民課課長・野口
小田切みき / 小田切とよ
左卜全 / 市民課課長・小原
山田巳之助 / 市民課主任・斎藤
藤原釜足 / 市民課係長・大野
小堀誠 / 勘治の兄・渡辺喜一
金子信雄 / 勘治の息子・光男
中村伸郎 / 助役
渡辺篤 / 病院の患者
木村功 / 医師の助手
清水将夫 / 病院の医師
伊藤雄之助 / 小説家
浦辺粂子 / 喜一の妻・たつ
三好栄子 / 陳情のおかみA
本間文子 / 陳情のおかみB
菅井きん / 陳情のおかみC
宮口精二 / ヤクザの親分
加東大介 / ヤクザの子分
小川虎之助 / 公園課長


【おはなし】
余命幾ばくもないと診断された、とある役人が、死ぬまでに公園を作ろうと思い立つ。


【コメントー唯一無二の顔ー】

高校時代(92年95年)、演劇部に所属していた。
高校野球のように、高校演劇にも地方大会があり全国大会があった。
大会で勝ち残れるよう、日々練習に精を出していた。
演劇と言うからには、演技をしなくてはならない。
演技とはどういうものなのか、考える術すら持たない高校生が突然演じる立場になったとき、よすがとなるのは「学芸会の演技」と「演劇部の先輩の演技」と「テレビドラマの演技」である。
中学時代、黒澤明監督作に傾倒していた僕には、もう一つ「志村喬の演技」というのが頭にあった。

志村喬(しむらたかし)は黒澤作品の常連で、タラコ唇と大きな目が印象的な、魚のような顔をした俳優である。
作品によって全く異なる人物を演じているが、この「生きる」では癌を患った小役人を演じている。
退屈極まりない日々の仕事をこなし、ただただ日常を消化していたこの男は、自分が癌だと分かり絶望する。

志村喬の演技はこの映画で爆発している。
尋常ではない表情だ。
目を大きく見開き、眉毛は糸で引っ張ったように左右上方に押し上げられ、唇の端は左右下方に向って引きつっている。
顔面を凧と例えるなら、その骨組でピンと四方八方に突っ張っているような状態である。

更に、台詞回しも常軌を逸している。
短い単語を区切りつつ、かすれたような声で絞り出す。
そして一語一語は早口なのが特徴である。
「いや…しかし…その…私は…実に…その」
といった調子で、実際シナリオを読んでみると、上記のように書かれてある。
猫背で、まばたきをせず、俯き加減に一点を見つめて台詞を吐く。

90年代からの一時期、日本の俳優の中で「自然体」という種類の演技が流行したことがあった。
まるで、普段話しているかのように振舞う演技のことを指すのだと思うが、僕にとってはその演技の方がよっぽど不自然に見えた。
自然ですよー、という役者の自意識が鼻についてしまいどうも馴染めなかった。
自然を求めるあまりに、普段よりも声は小さくなり、普段よりもきょろきょろし、咳ばらいをしてみたり、鼻をすすったり、行き過ぎの傾向があった。

僕が好きなのは、例えばこの志村喬の演技である。
どこの世界を見ても、こんなふうに喋る者はいないだろう。
だが、この演技をやっている志村喬には余計な自意識が感じられない。
全身全霊を持って、役に成りきっている。
演技が臭い、とかいう次元でないことは確かだ。
この映画のテーマは重く、各シーンには人間の悲痛なあがきが描かれてある。
志村喬は真正面からこの役に挑み、映画「生きる」そのものの存在と同化している。

演劇部に入部早々、僕は6月の文化祭での上演作に出演することになった。
台本はプロの劇団が出版している既成のもの。
戦隊ヒーローものをパロディ化したような作品だった。
僕は悪の一団のリーダー役で、「生きる」の志村喬とはかけ離れた役柄だったのだが、ものは試しで例の演技を披露してみた。
演出担当の女子の先輩は、僕を指差して叱った。

「だめ、全然何言いよるんか分からん。変えて」
「あ、はい。すいません」

思うに、志村喬のこの演技は、他では応用できないものなのではないだろうか。
「生きる」という映画の中で、志村喬という俳優が用いた際にのみ有効な秘技であろう。
現に、他のどの映画を見ても誰もこのようなお芝居はやっていないし、志村本人ですら、生きる以外でここまでのことはやっていない。

この映画は、不朽の名作と言われることがある。
それは、ストーリーや演出もさることながら、世界にたった一つの志村喬の演技が見事に封印されているからだと思う。



2007年09月

●前に書いた記事は2007年08月です。

●次に書いた記事は2007年11月です。

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