« 前の記事 | メインページ | 次の記事 »

「イースター・パレード」~美技、内股~ 
チャールズ・ウォルターズ監督

イースター・パレード」(1948年

監督: チャールズ・ウォルターズ
製作: アーサー・フリード
原作: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット
脚本: フランセス・グッドリッチ/アルバート・ハケット/シドニー・シェルダン
撮影: ハリー・ストラドリング
音楽: ジョニー・グリーン/アーヴィング・バーリン/ロジャー・イーデンス

出演:
フレッド・アステア
ジュディ・ガーランド
ピーター・ローフォード
アン・ミラー
ジュールス・マンシン


【おはなし】
フレッド・アステア演じるダンスの名手は、新たなパートナーに酒場のしがない踊り子を選ぶ。
素人同然の女の子に磨きをかけているうちに、アステア自身も新たな魅力を獲得していく。
パートナーの関係を超え、二人は愛し合うように、なる?なるのか?


【コメントー美技、内股ー】

僕は中学生の時(88年91年)に、内股をガニ股に矯正した。
と、威張って書くようなことではないのだが。

小学生の頃までは、どちらかと言えば内股だった。
写真に映ると、まるでクワガタのアゴのように特に膝から下が内に向いてしまっていることがあり、当時の僕にしてみればそれなりに悩みの種であった。
中学生になり野球部の先輩と一緒に帰宅しつつ、僕は彼の大胆なガニ股に目を奪われた。
ガニ股の方がやはり格好いいのではないかと、憧れを持った。

その頃から、両足のつま先が外を向くように意識して歩いた。
今思えばである。内股であったことよりO脚(オーきゃく)であったことの方が、僕の脚をクワガタ然とさせていたのではなかったか。
結果、O脚のガニ股が完成するのであった。

かつてアメリカにはフレッド・アステアというミュージカルスターがいた。
彼のダンスは華麗そのもの。
あまりに素晴らしい身のこなしに笑ってしまうほどだ。
ミュージカル映画「イースター・パレード」の冒頭で、アステアがおもちゃ屋の中で舞う場面がある。
めくるめく妙技の数々に、唖然とさせられる。

アステアが買おうとしたウサギのぬいぐるみを、少年が横取りしてしまった。
アステアは大小様々なドラムのおもちゃで遊んで見せ、少年の気を引き、最後はウサギのぬいぐるみを持って去る。
ドラムを鳴らすバチさばきの凄まじさは尋常ではない。
頭や脚やステッキを駆使してドラムと軽やかに戯れるが、もちろん歌いながら、曲に合わせて踊りながらのことである。
正月のかくし芸大会における堺正章と、本気でダンスをしている時の東山紀之を、それぞれ二乗し、足して2で割らないような感じとでも言おうか。
人間の動きを超越している。
この場面のためだけにでも見て損はないと思う。

そして、このアステアのダンスを、僕は「内股系」に系統してみたい。勝手に。
これに対し、当時のもう一人のミュージカルスター、ジーン・ケリーは「ガニ股系」に属する。
「内股系」は華麗、「ガニ股」系はエネルギッシュの傾向を持つ。

内股と言うと間抜けだが、これは賛辞である。
いかなるステップを踏むときも、頭の先、指先、つま先まで全身が美しいシルエットとなるよう形作られ、奇跡のバランス感覚で地上を跳ねる。
内股の力学は、パワーを無駄に外に放出しないイメージがある。
「内股系」には、先の東山紀之、あるいはマイケル・ジャクソンなどが分類される。
実際、彼らもアステアを手本にしているところがあるのではないかと思う。

このスタイルは相当に高い技術があってこそ成立するもののようで、昨今映画「Shall we ダンス?96年)」から派生したテレビ番組で多くの芸能人が社交ダンスを披露していたが、内股系に挑戦した方々は随分とお粗末な結果に落ち着いてしまっていたように思う。
まだ「ガニ股系」の方が、無難にごまかせる余地がある。
「ガニ股系」の魅力については、また後日ジーン・ケリーについて書く時に触れることにするが、例えばジェームス・ブラウンがこの系統に入るアーティストであることだけ付け加えておく。

刮目すべきこのアステアの内股ダンスは、「イースター・パレード」でたっぷりと堪能できる。
アステアは人気のあるショーダンサーの設定。
イースターの記念日(復活際)に、ダンスのパートナーと喧嘩別れしたアステアは、街の小さな酒場にいた踊り子を捉まえて「仕込んでやる」と言い放ち、自分のパートナーとして雇う。
前のパートナーに対する当てつけであり、彼自身破れかぶれになっての思いつきだった。
なかなか思うようには踊れない新パートナーの田舎娘だが、ある時ヴォードヴィルについては才能を発揮することが分かる。
深刻で奇麗なダンスではなく、愉快で朗らかな歌とステップ。
徐々に人気を集めて行くアステアと新人田舎娘。
このヴォードヴィルの場面は楽しい。
二人の恋の行方も同時進行で語られ、さて、あれから一年経つイースターパレードを二人はどう迎えるのだろうか。

この頃のミュージカル映画は、今のミュージカル映画とは本質的に異なる。
役者を全身が見える画面のサイズで撮っている。
そして一つのカットで、ある程度の長さの踊りをやって見せる。
つまり、映画の編集でのごまかしを排除しているのだ。
「一つのカット」とは、その画が始まって終わるまで、ひと続きの映像のことを指す。
画面がひと続きであるということは、ひと続きで演じているということになる。
その間は嘘がつけない。
編集の段階でいくらでも手を加えることができるのがミュージカル映画の醍醐味でもあるのだが(※)、ミュージカルそのものの面白さを味わうには、やはりそれなりの役者がちゃんと歌って踊れることが必須のようである。
この映画では、アステアのダンスがスローモーションになる場面がある。
正真正銘、彼のダンスが神業であるところを、じっくりとご覧あれとでも言っているようである。

内股系の美しさにもっと早く気付いていれば僕も矯正する必要なんてなかった、などという無用の後悔をしてみたりして。
とにかく、フレッド・アステア格好いい!

※ミュージカル映画の編集の醍醐味については「シカゴ」の記事で触れています。→こちら(07年7月15日の記事です)


コメントを投稿

最近書いたもの

このブログのフィードを取得
[フィードとは]