【コメントーハンバーガーに明日を挟んでー】
ハンバーガーは、自宅で作ると大変おいしいものができる。
ハンバーガーチェーン店のお肉は加工冷凍されたものを、鉄板で焼いている。
平たくて手早く調理できる形だ。
自宅で作る際には、まずちゃんとハンバーグを拵えさえすればいい。
アメ色になるまで炒めた玉葱を、ボウルの合い挽き肉と混ぜる。
パン粉と卵。
更に塩コショウ、ナツメグ。
お好みで、ケチャップ、味噌、オイスターソース、中濃ソース、醤油などを垂らしてみてもいい。
充分にこねて楕円に形成し、中央に窪みを作ってフライパンで焼く。
ニンニクを効かせたければ、潰したものを油と一緒に加熱しておく。
程なくして、まずまずのハンバーグが焼き上がる。
ここで取り出すのは、少し奮発して買ったおいしいバンズ。
オーブンレンジで軽く焙ったら、水気をよく切ったレタス、トマト、その上にハンバーグを乗せ、ピクルス(これも瓶詰を是非準備)を並べる。
ソースは、フライパンに残った肉のエキスにウスターソースとケチャップを足し火にかけたもの。
ハンバーグ自体の味を濃いめにしておき、味が足りなければソースを塗って補足するのが無難かと思う。
遠慮して具を挟んでも、普段お店で食べているものの1.5倍の高さになる。
さあそれを大口を広げて、がぶじゅりぃと頬張ってしまう。
特に一口目は遠慮なしに限度一杯に頬張る。
溢れる肉汁の旨味とレタスのシャキシャキとトマトの甘味とピクルスの酸味が渾然一体となって口中に満ち満ちる。
味のメリーゴーランド。
満足の食感。食べごたえ抜群。
幸福とは?と問われ、「ハンバーガーです」と答えてなんの差支えがあるだろう。
オーソドックスなハンバーグで構わない。
食パンで挟んでもいい。
普段お店で食べているハンバーガーが、全く別の料理に思える。
そして二口目の前に炭酸飲料をガブ飲みする。
これがやりたかった。
大学1年生(95年)だった僕が、なぜハンバーガーを作りたくなったのかと言えば、「パルプ・フィクション」を見たからだった。
飯田橋ギンレイホールで、当時話題だったタランティーノ監督の二本立て「レザボア・ドッグズ」と本作。
映画前半、ジョン・トラボルタとサミュエル・L・ジャクソン扮するヤクザが、黒いケースを取り戻すため少年たちのアパートに押し掛ける。
少年たちは取引の途中で黒のケースを奪って逃げていたのだ。
アジトのアパートに乗り込んできたのは本物のヤクザ二人。
少年たちはビビってしまって声も出ない。
落ち着いた様子でサミュエル・L・ジャクソンは少年の一人が食べていたハンバーガーを手に取る。
ゆっくりと大きな口でがぶりとかぶりつく。
続いてスプライトをストローでゴブリゴブリ、ズズーっと飲み干す。
うわ!ア、アメリカだ。
この映画の魅力はアメリカの印象をズバリ描いているところにあると思う。
それも安っぽくて無様で、なんだか格好いいアメリカ像。
アメリカの軽い短編小説や、もっと言うならトムとジェリーのイメージ。
ハンバーガーを食べるサミュエル・L・ジャクソンの顔が大写しになって、包み紙の擦れる音と咀嚼する音とがアメリカ感を強調する。
スプライトの一気飲みでバーガーを流し込む、この厚顔無恥な仕業はとても日本人には描けない。
アメリカらしさを見事に誇張した場面だった。
ハンバーガーがこんなにうまそうに思えたことはなかった。
映画を見終わったら、すぐにもバーガーショップへ駆け込もう。
しかし、日本のハンバーガーはどれも小振りなものばかりだ。
あのアメリカンを味わいたいなら、そうだ、自分で作ればいいんだ。
で、試しに作ってみたところ、存外にうまかった。
この映画のアメリカ調は、ハンバーガーばかりではない。
クエンティン・タランティーノ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマンといった名前の語感が素晴らしい。
クエンティン・タランティーノだなんて、そんな名前があるものかと思った。
口にするだけで気持ちがいい。
サミュエル・L・ジャクソン。サミュエル・L・ジャクスン。カイル・マクラクラン。
カイル・マクラクランは出演していないが、何といってもジョン・トラボルタの登場には驚いた。
往年の形状はまったく維持されていない。はち切れた下っ腹。
ダンサーの面影は、映画中盤でユマ・サーマンと踊るところでほんの少しだけ垣間見える。
堕落という言葉がぴったりの姿に感動すら覚えた。
この映画に、スマートなトラボルタは似合わない。
アメリカのジョークのような、小話の羅列。
おもしろい話があるからまあ聞けよ、といった具合。
突拍子もない話なので、「うそつけー」と言いたくなるが、微に入り細を穿ったディテールに思わずフンフンと聞き入ってしまう。
冒頭の場面の続きがラストにあったり、時間にいたずらを仕掛けた構成も当時目新しかった。
20歳やそこらの僕などは、大喜びでタランティーノの映画遊びを楽しんだ。
いかにも90年代前半の映画。
この映画が公開された94年という年は、不景気絶頂、就職氷河期、湾岸戦争から続く終わりの見えないイラク戦争にいい加減嫌気がさしていた世の空気があった。
どうしてしまったんだ、アメリカ。何をしているんだ、日本。
飽和状態の日米に、タランティーノの与太話は痛快だった。
アメリカは下品で乱暴だ、それを笑わないでどうする、と彼は映画の中で言っているようだった。
僕の僕による僕のためのハンバーガーを食べたことは、良きアメリカに対する僕の希望と御礼だったかもしれない。