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「座頭市」 ~白目を剥いて生きる~  
勝新太郎監督

座頭市」(1989

監督: 勝新太郎
製作: 勝新太郎/塚本ジューン・アダムス
製作プロデューサー: 塚本潔/真田正典
原作: 子母沢寛
脚本: 勝新太郎/中村努/市山達巳/中岡京平
撮影: 長沼六男
美術: 梅田千代夫
編集: 谷口登司夫
音楽: 渡辺敬之
照明: 熊谷秀夫
録音: 堀内戦治
助監督: 南野梅雄
 
出演:
勝新太郎 / 市
樋口可南子 / おはん
陣内孝則 / 関八州
内田裕也 / 赤兵衛
奥村雄大 / 五石衛門
緒形拳 / 浪人
草野とよ実 / おうめ
片岡鶴太郎 / 正義の男
安岡力也 / 用心棒
三木のり平
川谷拓三
蟹江敬三
ジョー山中


【おはなし】

流浪の座頭市は、とある宿場町でやくざの抗争に巻き込まれる。一人でみんな斬る。去る。
途中、一人の浪人(緒形拳)と仲良くなり、女親分(樋口可南子)と濡れ場を演じ、少女を助け、全編通じて大活躍する。

【コメントー白目を剥いて生きるー】

ヒーローの条件とは何だろうか。
強く、優しく、正義感に溢れ、私利私欲を度外視し、皆のために振舞う者、だろうか。
よくよく考えてみると、僕にとってのヒーローの必須条件は「モノマネしたくなる者」である気がする。
遠山の金さんのモノマネをしたことはないが、座頭市のモノマネは未だにすることがある。
盲目の按摩。逆手に構える仕込み杖。白目を剥いて辺りの様子を窺うは、不気味の一言につきる。
ついついマネしたくなる。

座頭市はダーティーヒーローである。
きれいに悪者を裁くようなことはできない。何しろ彼自身が悪者でもあるからだ。
世の中の醜い部分が集合した場所に、何の因果か引き寄せられ、人を斬らねばならぬ業を背負ったヒーローである。
勝新太郎の当たり役で、30本近くの映画の他テレビシリーズにもなった。

勝新太郎は最も好きな俳優だ。
姿、顔、声、台詞回し、表情、身のこなし、仕草、どれをとっても一級品。
荒々しい男の役が多いが、剛健と並列して愛嬌が滲み出るところがいい。
そんな彼の魅力が余すところなく発揮されているのが、本人が監督も務めたこの89年版の「座頭市」である。
俳優だけでなく、映画監督としても一級であることが伺える。
本作は勝新の監督としての遺作であり、座頭市最後の作品となった。

大学1年生のとき(95年)、この作品に出会った。
勝新の名前も座頭市も聞いたことはあったが、ちゃんと鑑賞したことがなかった。
ビデオ屋に通っていると、何も借りるものが思いつかずブラブラといたずらに時間だけが過ぎて行くことがある。
その日、なんの気なしに座頭市を手に取った。
パッケージの写真を見る限り期待はできそうになかった。
80年代の時代劇の時代錯誤的な空虚さがぷーんと臭ってきた。

ところが。
ところがどっこいである。
この映画は真っ当に映画であった。
画面の厚みが並の時代劇ではない。
美術、衣装、小道具、ロケ地、エキストラの動き、そういった細部が充実している。
時代劇で一番難しいのは、見た目の作り込みだと思う。
作り込みの浅いものはすぐにバレてしまう。
もはや映画の黄金期は遠の昔に過ぎている。
かつての日本映画は、美術の作り込みに大変なお金と技術を注ぎ込んでいた。
89年は映画界斜陽の真っ只中。
これだけの画面が作れたのは奇跡かもしれない。

そこへ、存在感の塊のような勝新太郎が現れる。
還暦を前にした勝の座頭市は、若い頃の座頭市よりも座頭市らしく思える。
白髪まじりの頭、ぎっとりと脂ぎった不精髭の顔面。
猫背にガニ股。しゃがれた声。
このいぶし銀のような味わい。
文句なしに汚くて、気持ち悪い。

ここで早合点してはいけない。
座頭市というキャラクターは、底抜けに優しい人物であるということを強調しておきたい。
謙虚で礼儀正しい男なのである。横柄なところが一つもない。
初めて見た座頭市に、僕は今まで勝手に抱いていた印象を訂正させられた。
「先に抜いたのは、お前さんの方だぜ」
座頭市の台詞にある通り、彼は自分から先に斬りかかるようなことはしないのである。

そんな彼がひとたび刀を抜くと、べらぼうに強い。
唖然とするほど動きが速い。
独楽のように回転し、敵をなぎ倒す。
座頭市の殺陣はダンスのように美しい。
これを盲目で演じきるとは…。
映画史上、もっとも殺陣のうまい俳優だと断言してもいい。
これが最高峰。
勝新太郎、次いで三船敏郎。
僕の中でこのツートップは3位以下を周回遅れで引き離している。

犯罪者であり障害者であり、乞食でありやくざである座頭市。
世の悪と醜と敗を一点に背負って、スタンスは常に弱者の味方である。
心にやましいものを一つや二つ、誰しも抱えているものだろうが、僕はこの座頭市、いっつぁんには悩みを打ち明けたいのだ。
彼なら、僕の話を聞いてくれるかもしれない。
「へへへ…。そんなこと…、気に病むこたぁござんせんよ…」
いっつぁんならそう言ってくれるのではなかろうか。

89年という年は、ある種の転換期であったようだ。
天皇崩御に始まり、美空ひばり手塚治虫が亡くなった。
ベルリンの壁が崩壊し、バブル景気がこの年を境にに急降下する。
ついでに挙げるなら、消費税が施行されたのも、天安門事件があったのも89年である。

映画界も例外ではない。
観客動員はますます減少し、ほとんど瀕死の状態であった。
不穏な空気は否応なしに人々を取り囲んでいたに違いない。
そんな中、勝新太郎は一人の映画人として本物を目指したのではなかったろうか。
本物の映画を本気で作って、まやかしだらけの世の中を斬ってやりたい。
そういう気迫がこの映画からはビシビシと伝わってくる。

単なる勧善懲悪ものの時代劇ではない。
様々な登場人物が入り乱れ、それぞれの思惑で生きている。
物語は脱線し傍流が本流になり、本流が傍流になり、とりとめがない。
普通のものを期待してはいけない。そこは笑い飛ばしたい。
見るべきは勝新太郎の演技と、力強い演出である。
アクションシーンには日本映画の歴史と勝の経験がギュッと凝縮されている。
アイデア満載、面白さ爆発。支離滅裂、義理人情。

大学生だった僕は、この映画を観終わって少し泣きそうになった。
勝新太郎という人に感動を覚えた。
洗面所に駆け込み、自分の白目を鏡に映してみた。
白目を剥くと、鏡は見えないということに今さら気がついた。



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●2007年06月20日 18:22に投稿された記事です。

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