【コメントー女性からの贈りものー】
友人に誘われなければ見損ねていた。
そもそも、この映画が上映中であることすら知らなかった。
02年の春。
渋谷の映画館ユーロスペースで僕は思いがけない映画体験をする。
「UNloved」?
監督、万田邦敏?
僕に予備知識がないのも仕方なかった。
この映画は万田監督の長編デビュー作だったのだ。
共同脚本は、監督の奥さん。これは重要な点。
90年代の半ばあたりから、日本映画に登場する女性はフワフワすることが多くなった。
言語は要領を得ず、口調は舌足らず。
首を傾げたような佇まいで、甚だしいケースでは白のワンピースといういでたちをしている。
映画だけでなく、あらゆるマスメディア、無論街中にも、この手合いの地に足のつかない女性たちは繁茂した。
彼女たちのフワフワ不可思議の人物像は本性から来ているものではない、ように僕には感じられる。
あくまで白痴的素振りをしているに過ぎない、のではないかと思うのだがどうだろう。
何故こんな事態に陥ったのかと考えてみると、その主因は男性中心社会にあるように思えてならない。
社会を牛耳る男性の中へ女性が食い込むには、ノータリンの振りで近付いて、先天的ノータリンである男性に「ういやつ!」と言わせる処世術が最も順当な手段なのかもしれない。
現に、男性の多い映画界において、彼らの好む女性像がフワフワパーであることが多く、必然として女性はそれを演じることになったのだろう。
しかし女性の中には、男性が好むからといって、そういう振る舞いをできない人達がいる。
やりたくてもできない人と、鼻っからやりたくもない人とがいる。
「UNloved」の主人公光子は、男性が決め込む枠の中へ入ることを、徹底して拒絶する女性である。
六畳間に一人暮らしする三十歳過ぎの光子は、役所勤めをしている。
上司に呼ばれ、資格を取ったらどうだと勧められるが、断る。
今のままで十分だと光子は言う。
「いえ、そういうことじゃなくて」
光子は度々この台詞を口にする。
周囲の男性は光子をシンプルな女性像におさめようとするが、彼女は自分のペースで生きることを断じて曲げない。
そんな時、男性は一様に「無理するなよ」と光子に言う。光子のそんな態度がとても信じられないのだ。
それに対し、
「いや。そういうことじゃなくて」
と、彼女は淡々と的確に否定するのだ。
内心僕は手をたたいて喜んだ。
映画でまともな女性が、やっと出てきたと思った。
光子が男性たちを一蹴する様は痛快ですらあった。
光子(森口瑤子)はお金持ちの実業家(仲村トオル)からの猛烈なアピールを受けるが、音楽をやっているフリーターの男(松岡俊介)の方に惹かれてしまう。
仲村トオルは納得がいかない。そして松岡俊介は、なぜ自分なのか理解に苦しむ。
三角関係の攻防を、鋭利な角度で突き刺すような台詞の連続で描写する。
特筆すべきは、万田監督の演出。
ほとんど棒読みに近いセリフ回しが、返って言葉の意義を深くさせる。
人物が向き合い、背中合わせになり、微妙な心理の陰影が浮かび上がる。
そして印象的な「手」のクローズアップが効果的に挿入される。
「手」とは人そのもので、人生そのものである。ように感じる。
緊張感の高いシーンが続き、ホラー映画かと見紛うほど。
映画の後半は、いよいよ激しい会話劇へ突入する。
当初、光子にエールを送っていた僕も、もはや彼女の暴走を止められないところまで来てしまった。
そんなにまでドグマを守るとなると、なかなか人には愛されない。
タイトルのUNlovedとは、アンラブド。「愛されざる者」の意。
僕は、登場人物の過剰さに感心しきりだった。
改善の余地が見えない渦に三人は飲み込まれ、あがく。
もはや滑稽にすら見える。
旦那さんや彼氏のいる方は、是非ご一緒にこの映画を観賞されることをお勧めする。
彼らがどういう反応を示すのか、見ものである。
今まで築いてきた女性への偶像が、音をたてて崩れるとき、男性はどんな顔をするだろうか。
そこそこの理解を持っているつもりだった僕も、映画が終わる頃には顔がひんまがってしまった。
※残念なことに、この映画はDVD化されていません。お近くのビデオ屋さんに、あるといいのですが・・・。