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「ダンサー・イン・ザ・ダーク」 ~稀代の冷笑家~
ラース・フォン・トリアー監督

ダンサー・イン・ザ・ダーク」(2000年

監督: ラース・フォン・トリアー
製作: ヴィベク・ウィンドレフ
製作総指揮: ペーター・オールベック・イェンセン
脚本: ラース・フォン・トリアー
撮影: ロビー・ミューラー
振付: ヴィンセント・パターソン
音楽: ビョーク

出演:
ビョーク / セルマ
カトリーヌ・ドヌーヴ / キャシー
デヴィッド・モース / ビル
ピーター・ストーメア / ジェフ
ジャン=マルク・バール / ノーマン
ヴラディカ・コスティック / ジーン
カーラ・セイモア / リンダ
ジョエル・グレイ / オールドリッチ
ヴィンセント・パターソン / サミュエル
ジェリコ・イヴァネク / 地方検事
シオバン・ファロン / ブレンダ
ウド・キア ポーコルニー / 医師
ステラン・スカルスガルド / 医師


【おはなし】

ビョーク演じるセルマは、視力を失いかけていた。工場で働き手術費を貯めていたが、隣家の親父に盗まれてしまう。


【コメントー稀代の冷笑家ー】

ミュージカル映画が苦手だという人の多くは、さっきまで普通に喋っていた者が何故急に歌い踊りだすのか理解できないと言う。
そこに違和感を持ち、受け付けないのだと。
僕は、その違和感こそ面白いなと思う。
歌と踊りは最も根源的な芸能で、見るのもやるのもこんなに楽しいものはない。
ただ、自分はうまく踊れも歌えもしないので、専ら鑑賞する側で済ませたい。
歌と踊り、おまけに物語までつけて語ってしまおうというのだから贅沢だ。
ごった煮の楽しさはミュージカルならではである。
生の喜び、ここにあり。

「ダンサー・イン・ザ・ダーク」を撮ったラース・フォン・トリアーという監督は、その違和感に目をつけた。
映画はリアルな物体が映るものだから、舞台とは虚構性の点で質が違う。
映画で急に男が歌いだせば、それは彼が現実に歌いだしたことになる。
だから歪んで感じとられるのだろう。
では、それを極端な妄想の形として表現したらどうなるだろう。
唐突に歌い踊るのが一人の女性の妄想の産物だったとしたら。

ミュージカル嫌いをも納得させるこの秀逸なアイデアを持ちながら、トリアー監督はその妄想を強烈な悲劇に着地させた。
セルマは善良な人物だが、数々の失策をやらかす。
社会はセルマに厳しい現実をこれでもかと突きつける。
苦境に追い込まれた彼女にとって心の拠り所は、妄想の中で歌い踊ることだった。

見ていて歯噛みするほどにセルマを取り巻く状況は悪化していく。
少しくらいの好転があってもいいではないかと思うほどに、救いがない。
その現実と相対して、妄想のミュージカルは弾けるような夢世界である。
もう何がなんだか、感情があっちへ行ったりこっちへ来たり、落ち付いて鑑賞できる代物ではない。

徹底した悲劇の積み重ねと人々の悪意でラストシーンまでやってくる。
最後はどん底に突き落とされて、エンドロール。
な、な、なんだこの映画は。
「不愉快」という言葉がぴったり。
こんなものを作る奴の気が知れない。
DVDでの鑑賞だったが、観終わってしばしハラワタが煮えくり返っていた。

ところがその後、この監督の過去の作品を続けてビデオレンタルするうちに、どうやら僕はしてやられたのだということに気が付いた。
トリアー監督は、僕に嫌われることを寧ろ喜んでいたに違いないと悟った。
全ては彼の思惑の中だった。
こんなものミュージカルじゃない!と僕が怒鳴ったところで、彼はニヤリとして「じゃあ、どういったのがミュージカルなんだ?」と答えるだろう。
僕は返答に困る。
悲劇のための悲劇は見苦しいぞ!と言っても、「じゃあ、悲劇ってなんだ?ストーリーってどういうことを指しているんだ?」と答えるだろう。
埒が明かない。
僕が彼を嫌ったとて、彼は嫌われて結構という態度だ。

彼はこれまでの作品で「映画」そのものに、様々な問いかけをしてきた。
僕たちが「普通」に見ている映画に、常に懐疑的であった。
カメラワークも、ストーリーも、彼なりの野心に満ちている。
「ダンサー・イン・ザ・ダーク」では、いやらしいまでの悲劇と感動を「ミュージカル」で、敢えて作ったに相違ない。

世に毒舌家というのがいるが、大抵彼らは毒を笑いに昇華している。
誰もが心の中で思っているそのことを、毒舌家はさらりと言ってみせる。
だから、おもしろい。
毒舌家は嫌われ者のようでいて、その実、皆から慕われることが多い。

トリアー監督は違う。
笑いに転化しないように心掛けているようにすら見える。
本当に嫌われ者である。
しかもそれを、うれしそうにしている。
実に厄介な監督である。

セルマの悲劇を目の当たりにし、「こんな負のものを認めては世界が腐る」などと憤慨したものだが、しかしこれほどにちゃんと腹の立つ作品は過去に出会ったことがなかった。
なぜいつまでも自分が立腹しているのか理由が知りたくなった。

僕はこの監督が嫌いだが、悔しいことに新作は多分また見に行ってしまう。


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●2007年07月16日 21:03に投稿された記事です。

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