【コメントー日本人の可能性ー】
高校時代(92年~95年)、演劇部に所属していた僕にとって、脚本家三谷幸喜を知ったのは大きな出来事だった。
入部したての頃は演劇そのものにまだ慣れず、大きな身振りの演技や、特有の口調にどうも馴染めずにいた。
先輩に借りて見た舞台のビデオも、どうも暑苦しさが気になった。
特に80年代からの流れを汲む小劇場の舞台は、なんというか、見ていて恥ずかしい。
これは気のせいだろうか。演劇の「笑い」のテイストは、ひと昔前のものであるように感じた。
テレビっ子だった僕には、速度が遅く見えたのだ。
そんな折り、映画「12人の優しい日本人」をレンタルビデオで見た。
東京サンシャインボーイズが舞台で上演し、好評につき映画化された作品である。
「十二人の怒れる男」が大好きだった僕は、三谷幸喜も知らずにこの作品を見た。
見事なパロディだった。
映画は「飲み物の注文」から始まる。
もしか日本に陪審員制度があったなら、重大な責務をよそに先ずは各自の飲み物を何にするかに時間が割かれるかもしれない。
また陪審員のための「ガイドブック」が配布され、審議の前に条文を読み上げる決まりがあるかもしれない。
そして、形式だけの条文の音読は「どうせみんな知ってんだから」との意見により、端折られるかもしれない。
いかにも日本で行われそうな、だらしのない進行が僕はおかしくてしょうがなかった。
しかし、09年から陪審員制度が導入されるのだから、今後この映画を笑ってばかりもいられなくなるかもしれない。
最初の採決。
討論を前に、有罪か無罪か挙手で全員の立場を確認する。
このあたりは「十二人の怒れる男」をきちんと踏襲する。
ところが、12人全員が無罪に挙手してしまう。
この部屋に入って来てから、ものの数分しか経っていないのに決が出てしまった。
ここにアメリカ人、ヘンリー・フォンダはいない。
ことなかれ主義で、なんとなく片は付いた。
あまりのあっけなさに、当人たちもしばし呆然としている。
判決が出たのなら、審議は終了だ。
つまり映画も終わってしまう。
冒頭から畳みかけるように「裏切り」が続く。
「十二人の怒れる男」を前フリに、さも楽しそうにそれを裏切る小さなエピソードが連発される。
僕はこの映画が、これから見せてくれるに違いない様々な展開を期待しワクワクした。
全員が帰り支度を始めたとき、一人のサラリーマン風が手を挙げる。
彼は議論を続けるためにほとんど無理やりに有罪に一票入れる。
そんなばかな。
全員の一致がなければ決は成立しない。
ここから本題に入っていく。
いわゆるギャグとしての台詞や、12人のいかにもなキャラクター造形も面白いのだが、この映画が優れているのは議論そのものの展開だと思う。
誰が主役というわけではないので、どっちに転がるのか見当がつかない。
まさか!という驚きが要所要所に仕掛けてある。
そして、程よく脱線し常に喜劇の体裁は失わない。
12人の思惑と議論の運びがジグソーパズルのように隙間なく複雑に配置され、最終的には一本の結論へと集約される。
奇跡かと思うほどによくできている。
僕はこの映画が本来お芝居であったという事実に歓喜した。
他の演劇とまるで角度が違う。
演劇にはまだまだ魅力が潜んでいるのだろうと希望を持った。
己の勉強不足を恥じた。
日本の演劇でも映画でも、きっと面白いものは作れるのだ。
こんな人がいたのか。
三谷幸喜という脚本家の作品を追わずにはおれなくなった。
うちの母親もこの映画をいたく気に入り、
「本家を超えたねー」
と、軽々しく言い放っていた。
こういうお芝居はできないものか。
高校生ながらに、原稿用紙を広げてもみたのだがまったくマス目は埋まらない。
一行書いてみてつまらないことがすぐ分かる。
「あれがこうなって、そっちがあんなことになって、ここにどーんとあれがきて・・・」
ボンヤリとやりたいことがあるような気がしているのだが、ボンヤリはボンヤリのまま何一つ見えてこない。
やがてボンヤリと眠たくなってきて、ペンを投げ出して布団に入ってしまうのがいつもの僕であった。
※「十二人の怒れる男」についての記事は→こちら(07年7月10日の記事です)