【コメントー自分で自分は騙せないー】
小学生の頃、運動が得意な男子はよくモテた。
足が速く、球技にセンスを発揮し、美しく泳ぐ彼は、格好いい。
モテる彼は、なぜか勉強もトップクラスだった。
中学高校ともなれば、運動が苦手な連中は勉学に勤しんだ。
身体も大きくなり、彼らは運動面においてもそこそこの表現ができるようになった。
運動と、勉強を見事両立してみせる彼は、よくモテた。
また、顔立ちが整った彼も色気を発揮し、女子の注目を集めた。
一貫して僕は、運動も勉強も苦手だった。
もとより美貌も持ち合わせてはいない。
そうなると残るは「おもしろい奴」のセクションしかない。
ところが、おもしろい奴に立候補する連中のなんと多いことか。
何も取り柄のない有象無象にとって、最後の砦というわけだ。
またそこに集まる者に限ってつまらなかったりする。
勉学班の奴の方が余っぽどおもしろい。
進退窮まった僕は、腕組みして考えた。
格好いい男には、なろうと思ってなれるもんじゃあない。
いや、仮に努力が結実したとして、それでも最初からモテる男には到底敵わないのが世の常。
ああ、非情。
しかし、それでも無駄なあがきをしてしまったのが現実で、人前でコントを披露したり、顔から火が出そうなことばかりが思い返される。
馬鹿みたく自意識過剰だった思春期に、僕が幾ばくかでも分をわきまえることができたのは、ポール・ニューマンのおかげだったかもしれない。
本物の格好良さに、心底憧れた。
特に「スティング」のポール・ニューマンは格別だった。
この映画が作られた瞬間、彼は世界一格好良かったのではなかったろうか。
映画序盤、若き詐欺師フッカー(ロバート・レッドフォード)が、雷名轟く詐欺師ゴンドルフ(ポール・ニューマン)を訪ねる場面。
殺された仲間の無念を晴らすため、ゴンドルフの力を借りにやって来たのだ。
ところが、最初の印象は最悪だった。
彼は二日酔いのヘベレケ。ヨレヨレのグデグデで、まるで名うての詐欺師には見えない。
人まちがいかと思うほどである。
半信半疑のままロバート・レッドフォードはこれまでの経緯を話し協力を要請する。
ニューヨークの大親分ロネガンが敵だと聞き、ポール・ニューマンは仕事を引き受ける。
さて、改めて登場したポール・ニューマン。
詐欺師ゴンドルフに着替えた彼の見違えるような格好良さ。
30年代の衣装がまた似合う。
スーツの着こなし、帽子を被る角度、姿勢から歩き方から、何もかもが完璧。
二人の大仕事が開始される。
この映画は70年代に撮られたものだが、物語の設定のみならず、映画のテイストも「古き良きアメリカ」を彷彿とさせる。
かつて映画は鮮やかだった。
70年代、古きギャング映画の面白さは、まだ人々の記憶にあったのだと思う。
心から楽しめる痛快な娯楽ギャング映画を、誠心誠意作りあげる。
そんな意気込みに満ちた、気持ちの良い傑作である。
溢れる娯楽の香りは、音楽の効用でもあるのだろう。
ここで鼻歌をお聞かせできないのが残念だが、有名なテーマ曲、その名も「エンターテイナー」は誰しも一度は耳にしたことがあるはず。
軽妙な旋律は、聞くだけで笑顔になってしまう。
二人の詐欺師の「だまし」手口は大胆且つ巧妙で、こちらはハラハラさせられっぱなし。
イカサマががっちり映画に仕組まれ、種明かしのときの快感といったらない。
そもそも映画の観客は、騙されるために映画館へ足を運びに行くようなもので、うまく騙してくれよとお金を支払っているのである。
その要望に満点のサービスで応えた映画「スティング」。
ストーリーの面白さと並走して、役者たちの魅力は最大限に発揮される。
ポール・ニューマンを兄貴分に、ロバート・レッドフォードが詐欺師の何たるかを学んで行く過程も見所である。
なんと映画的な二人組みだろう。並んでいるだけでダンディの見本市がたつ。
かっこイイ!
自分はカッコイイのだと幾度となく思い込ませようとしたが、どうも騙し切れなかった。
映画を見ればヒーローが出てくる。
ポール・ニューマンが見れるなら、それでもう充分ではないか。
もし中学生の僕(88年~90年)がこの映画に出会っていなかったら、今頃は「付けてるだけでモテるブレスレット」なんぞに手を出していたかもしれない。