« 前の記事 | メインページ | 次の記事 »

「太陽がいっぱい」~100年経ってもアラン・ドロン~
ルネ・クレマン監督

太陽がいっぱい」(1960年

監督: ルネ・クレマン
製作: ロベール・アキム
原作: パトリシア・ハイスミス
脚本: ポール・ジェゴフ/ルネ・クレマン
撮影: アンリ・ドカエ
音楽: ニーノ・ロータ

出演:
アラン・ドロン
マリー・ラフォレ
モーリス・ロネ
エルヴィーレ・ポペスコ
ロミー・シュナイダー


【おはなし】

トムは大金持ちのフィリップを殺害した。大金を銀行から下ろし、フィリップの恋人まで手に入れた。完全犯罪は成立するだろうか。


【コメントー100年経ってもアラン・ドロンー】

映画の中の時間は永遠に止まったままだ。
若き美貌のアラン・ドロンは「太陽がいっぱい」の中にいる。
うちの母は、団塊の世代47年49年生まれ)より少し上、この映画が公開された当時思春期の真っ只中だった。
僕が映画に興味を持ち始めた中学時代(88年91年)、しきりに「太陽がいっぱい」を薦めるのだった。

ビデオレンタルで鑑賞したが、なるほど、アラン・ドロンは絶世の男前だった。
どの角度から見ても整った顔立ちが揺るぎない存在感を示す。
甘い感じではない。どちらかというと怖い格好よさだ。
冷酷、孤独、寂寥感。

こういったナイーブさを一面に持ったハンサムガイは、今も当時も人気があるが、彼ほど完璧にそれを演じることができた俳優が、その後いるだろうか。
多くの女性が、この映画のアラン・ドロンに恋をしたのは充分に頷ける。
母は、この映画を見る度に、まだ若かった頃の自分を取り戻すに違いない。
アラン・ドロンの偉業は、47年の時を経てなお色褪せない。
現在、十代二十代の女性こそ、今のうちにこの映画を見ておくべきだと思う。
この先50年、ときめきを持てる。

アラン・ドロンはしかし、何も「太陽がいっぱい」だけに出演したわけではない。
その後も、名作に駄作に活躍している。
90年代の前半だったか、「news23」で、来日したアラン・ドロンにインタビューをした筑紫哲也が言っていた。
「日本では、いつ来てもどこに行っても太陽がいっぱいのことを聞かれるのだそうで、本人は他の作品にもたくさん出てるのにと言ってました」
これがアラン・ドロンの本音なのだろうが、この映画がよく出来過ぎていた功罪として彼にはご容赦をいただきたい。
アラン・ドロンが出ているだけではない。
映画史に残るサスペンスの傑作だと思う。

舞台はナポリ
貧乏トム(アラン・ドロン)は金持ちフィリップと、その恋人マルジュと三人でヨットに乗っている。
フィリップの父親から依頼され、ドラ息子を連れ戻すためにトムはナポリまでやって来ていたのだ。
目の前で繰り広げられる放蕩三昧、マルジュとのアツアツ振りに、トムはフィリップに対し静かな嫉妬を抱きはじめる。
露骨な台詞はなくとも、トムがマルジュに抱く恋慕はすぐにわかる。
青い空、青い海、照りつける太陽、他に誰もいない大海のど真ん中で、トムは黙々とフィリップの命令を受け入れていた。
夏の海はどこまでも静かで、強烈な日差しが時間の流れを遅く感じさせる。
大金持ちの気ままな遊びは、貧乏トムにとってはあまりにも酷であったに違いない。

映画前半の倦怠感漂うこのヨットでのシーンが僕は好きだ。
ジリジリとトムのフラストレーションが溜まっていく。
のんびりとした外界の様子とは裏腹に、トムの殺意は心のうちで徐々に発展していく。
素晴らしい緊張感である。
そして、ぷつっと糸が切れたかのように、トムは行動に出る。
二人でトランプに興じていた最中、あっと言う間もなくトムはナイフでフィリップの胸を刺していた。
見ていて思わず身体がこわばった。

映画はここから、トムの完全犯罪への挑戦を追う。
フィリップの筆跡を練習する場面は印象的だ。
ただお金のためだけに犯罪を犯したのではない。
トムはフィリップに嫉妬し、彼に成り済ますことで心の隙間を埋めようとしたのだろう。
筆跡を真似し、フィリップの恋人マルジュを振り向かせることで、自分を満たそうとした。
彼の一世一代の大仕事は、どことなくもの悲しいのだ。

そう、そして、この間もずっとアラン・ドロンはハンサムであることを忘れてはいけない。
海でも陸でも、ずっとハンサム。
表情を崩さないトムが、映画のラストでようやく微笑む。
大金を手にし、全てのゴタゴタを片づけ、恋人も手に入れ、砂浜に腰掛けてナポリの海を満喫している。
思わず胸が締め付けられる見事な終幕は、ただの犯罪映画にはない情感に満ちたものだった。

サスペンス映画の緊張と、青春映画の情動とが巧みに融合した作品。
「太陽がいっぱい」とアラン・ドロンの幸運の出会いを堪能した。

団塊の世代近辺の男性諸氏は損をしている。
アラン・ドロンと比べられてはかなわない。
いや、実際は比較するなんて、女性たちは考えにも及ばなかったかもしれない。
父に「お母さんに薦められて太陽がいっぱい見たよ」と報告したが、この顔、アラン・ドロンとは似ても似つかない。
パンツ一丁でうろついている姿は、せいぜい「太陽がしっぱい」といったところだった。


コメント (2)

L.L.:

アラン・ドロンの「太陽がいっぱい」は傑作ですね。
初めて観た時は怖かったですが。

ブログ筆者よしだ:

L.L. さん

コメントありがとうございます。
この映画は大変印象に残っています。
私も怖さを確かに感じました。
子供ながらにアメリカの映画とは異質なものを感じていたように思います。
簡単に済ませないフランスの映画が今も大好きです。
久し振りに「太陽がいっぱい」見てみたくなりました。
ありがとうございました。

コメントを投稿

About

最近書いたもの

このブログのフィードを取得
[フィードとは]