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「エイリアン」~平安の今日、エイリアン~
リドリー・スコット監督

エイリアン」(1979年

監督: リドリー・スコット
製作: ゴードン・キャロル/デヴィッド・ガイラー/ウォルター・ヒル
製作総指揮: ロナルド・シャセット
原案: ダン・オバノン/ロナルド・シャセット
脚本: ダン・オバノン
撮影: デレク・ヴァンリント
特殊効果: カルロ・ランバルディ
編集: テリー・ローリングス/ピーター・ウェザリー
音楽: ジェリー・ゴールドスミス

出演:
シガーニー・ウィーヴァー / リプリー
トム・スケリット / ダラス船長
ジョン・ハート / ケイン
ヤフェット・コットー / パーカー
ハリー・ディーン・スタントン / ブレット
ヴェロニカ・カートライ / ト ランバート
イアン・ホルム / アッシュ
声の出演: ヘレン・ホートン / “マザー”


【おはなし】

宇宙船に侵入してきたエイリアンが、一人また一人と乗務員を襲って行く。


【コメントー平安の今日、エイリアンー】

二年前の衆議院選挙で自民党が圧勝したのは、まだ記憶に新しい。
一転して、この度の参議院選挙では、民主党が大幅に議席を伸ばした。
ありゃまー、と呆れてしまうほどにひっくり返った。
様々な要因がこの結果を招いているのだろうが、果たして有権者にとっての判断の基準というのはどこにあるのだろうか。

政治のことを「まつりごと(政)」と呼ぶのは、言い得て妙である。
お祭りが政治なのかもしれない。
かつて日本では仏閣を建立することで世の人々の不安を取り除こうとした。
また庶民は豊作を祈願し、天変地異を畏怖し、祝祭を行った。
お祈りすることで、気分は随分と変わるはずである。
不安は和らぎ、また明日からも生きて行ける。
大事なのは気分であり、雰囲気である。

国民は、有権者は、日々不安に苛まれている。
なんとなくででも、この現状を打破する雰囲気が欲しい。
ひとつ気の利いた祭り事を頼むぜ、といったところだ。

エイリアン」で、登場人物は一人づつエイリアンの餌食となっていく。
宇宙船内のどこにエイリアンがいるのか、探知機を持ってしても容易に見つけることができない。
動きが俊敏で、また隠れるのがうまい。
自宅に巨大強暴ゴキブリがいるとご想像願いたい。
いるのは分かってるが、姿が見えない。
見つかった瞬間、もう襲われてしまう。
普通のゴキブリでさえ、一旦目にしたら、完全に退治してしまわない限り不安で眠れないものなのに、エイリアンはこちらの生命まで狙ってくるのだ。
こんなに恐ろしいことはない。

乗務員たちは、未知の敵に対してそれぞれの見解を述べ、対立する。
何しろ自分の生命が関わる問題だから、必死である。
この映画の見所の一つは、個々の危機管理能力を観察できるところにある。
命の危険が迫ったとき、どうすれば助かるか。
その決断をするのは大変に難しいことだと思う。
現にこの映画でも、ことごとくが判断を誤り、無残な姿となってしまう。

これが映画で良かった。
先日、僕はお茶の間でこの映画をDVDで久々に見直していた。
もし、この宇宙船の中に自分がいたとして、一体まともな行動ができるだろうか。
この乗務員の中の誰を信用し、その決断に従うだろうか。

逃げている最中、分岐点にさしかかったとする。
艦長が「右だ!」と叫び、リプリーが「左よ!」と僕の腕を引っ張り、アッシュが「そのまま前進だ!」と背中を押す。
ここで僕は、誰かに投票しなくてはならない。
右か、左か、前進か。
安心の雰囲気があるのは艦長かもしれないが、果たしてそれでいいのだろうか。
重要なのは雰囲気や気分ではなく、現前の事象、及び将来的な観測に対し的確な判断があるのかを見極めることだろう。

となると、誰を信用するとかいう次元ではなくなる。
僕の判断で、責任を持って行動しなくてはやってられない。
「後ろだ!」と逆戻りしてみるかもしれない。
エイリアンがどこに出没するかは分らない。
だが、誰かは襲われ、誰かは助かる。
ああ、後ろに振り向いた途端、頭上からエイリアンが飛びついてきたらどうしよう…。

攻防はエイリアンとの間にあるだけではない。
疑心暗鬼に囚われた隊員同士の中でも厳しい闘いが起こる。
どちらも恐ろしい。
リドリー・スコット監督は、濃密な人間同士の駆け引きをこってりと描写している。
単なるSFホラーの味わいだけではない緊張感が映画を盛り上げている。

まだCGの時代に入る前の作品なので、宇宙船やエイリアンの実在感が素晴らしい。
優れたデザインは、美術品とも言えるほどだ。
画面を見るだけでも、得した気分になった。
どちらかと言えばCG肯定派の僕ではあるのだけれど、手作りの美術の迫力を失うことには絶対反対である。
本当にそれがそこにあるのだということを、観る者全てが実感して、ようやく映画世界は成り立つ。

本当にそれがそこにあることを認識するには、作り手だけでなく、観客(多くは有権者)がしっかり想像力を発揮することも不可欠だとも思う。


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●2007年07月30日 19:52に投稿された記事です。

●ひとつ前の投稿は「「シコふんじゃった。」~受験の土俵に乗るのだ~周防正行監督」です。

●次の投稿は「「バタリアン」~ゾンビのごとく~     ダン・オバノン監督」です。

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