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「青春デンデケデケデケ」~いつの時代を生きるにしても~
大林宣彦監督

青春デンデケデケデケ」(1992年

監督: 大林宣彦
製作: 川島國良/大林恭子/笹井英男
プロデューサー: 大林恭子/小出賀津美/福田慶治
原作: 芦原すなお
脚本: 石森史郎
撮影: 萩原憲治/岩松茂
美術監督: 薩谷和夫
編集: 大林宣彦
音楽: 久石譲
音楽プロデューサー: 笹井一臣
助監督: 竹下昌男

出演:
林泰文 / 藤原竹良
柴山智加 / 唐本幸代
岸部一徳 / 寺内先生
ベンガル / 藤原孝行
大森嘉文 / 合田富士男
浅野忠信 / 白井清一
永堀剛敏 / 岡下巧
佐藤真一郎 / 谷口静夫
滝沢涼子 / 引地めぐみ
原田和代 / 内村百合子
梶原阿貴 / 羽島加津子
高橋かおり / 石山恵美子
根岸季衣 / 藤原絹江
日下武史 / 合田浄信
尾藤イサオ / 白井清太郎
入江若葉 / 白井志乃
水島かおり / 白井美貴
河原さぶ / 吉田工場長
天宮良 / 田中和夫
安田伸 / 西村義治
尾美としのり / 藤原杉基
佐野史郎
勝野洋


【おはなし】
時は1960年代。
とある四国の田舎に住む高校生たちが、ベンチャーズに影響を受けロックバンドを結成する。


【コメントーいつの時代を生きるにしてもー】

阿久悠が亡くなった。
40年間の作詞家生活で、実に5000曲にも及ぶ歌詞を手掛けたのだそうだ。
また逢う日まで」「時の過ぎゆくままに」「もしもピアノが弾けたなら」などなど、僕はたまのカラオケでは彼の曲ばかりを唄う。
舟歌」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「ジョニーへの伝言」「宇宙戦艦ヤマト」「津軽海峡・冬景色」「UFO」挙げればきりがないほどに名曲を生み出している。

70年代の歌謡曲を、75年生まれの僕はリアルタイムで享受したわけではないのだが、これらの歌は頻繁にテレビに登場したため、僕の周辺でも阿久悠ブームというのは幾度となく訪れている。
どうやらあの作詞家が全部書いているらしいぜと、中学時代、高校時代、大学時代とその時々に阿久悠の曲は僕の身近に迫った。

80年代の半ばからテレビは過去を振り返り始めた。
歌に関して言えば、60年代70年代の曲が懐メロとして何度も何度も再登場するようになった。
僕は否応なしに、当時の曲を覚えた。
そして、それから20年の月日が経つが、未だに懐メロのメニューに変化はない。
思うに、懐メロという言葉に間違いがあったのではないだろうか。
歌謡曲名曲選の方がしっくりくる。
懐かしさが先行してしまいがちだが、いい曲だから何度でも聴きたくなるというのが正しい道筋だと思う。

80年代までは幸福にもベスト10の中に歌謡曲と演歌とポップスがまだ混在していた。
90年代以降の曲で名曲として挙げられるものが何曲あるだろう。
いつしか軽薄な作りの曲が若者の曲として勝手にマスメディアを支配し売れ筋となってしまった。
一方で誠実に曲作りをした若い人たちの曲もあったはずだが、大人たちの耳に届くことはなかった。
ネットやデータ録音の影響でいよいよCDの売れにくい時代に入った。
苦しい経営の音楽業界に、今こそ日本人のための歌謡曲が必要だと思う。
歌謡曲界の巨星が、今逝ってしまったのは本当に惜しい。
いい曲をたくさん残した、阿久悠。
いい曲は普遍性を持っており、いつの時代にも訴えかける力がある。

「青春デンデケデケデケ」は高校2年の終わりごろ(94年)に見た。
当時演劇部だった僕は、部員の友人からこの映画のチケットを譲ってもらった。
上映後に大林監督の講演もついているイベントだった。
友人と二人で会場へ向かった。

映画の舞台は60年代香川県観音寺市
主人公の高校生ちっくんは、ラジオから雷鳴のごとく響いたベンチャーズの「パイプライン」、デンデケデケデケに衝撃を受ける。
通常ベンチャーズ独特のあのギター奏法は「テケテケ」と呼ばれるが、ここでは「デンデケデケデケ」と表現されている。
ちっくんにとってはそう聞こえたのだ。
ナレーションの多用と早い場面転換。
生き生きとした描写で高校生のバンド結成にまつわる出来事が綴られる。

観音寺市の風景や、方言。
三年間の高校生活の中で、友人ができ、バンドを結成し、キャンプに行き、好きな女の子ができ、文化祭があり、受験を迎える。
僕は福岡県の突端にある港町に住んでいたが、この映画の雰囲気がやけに自分の生活と重なることに驚いた。
と同時に、彼らの方がずっと行動力があり、高校生活を満喫している様子であることに憧れを感じた。

そもそも60年代の設定である。
映画に登場する歌謡曲や歌手の固有名詞は、直接僕と結びつくものではない。
阿久悠の原理と同様に、この映画は青春映画として普遍的な力を持っているのだと思う。
誰しも経験する高校生活の機微が、実にうまく描かれているのである。
この映画は50年後でも、50年前でも、見た人の胸に青春のワクワクする思いを伝えることだろう。

バンドの仲間が増えていく楽しさは、バンドをやったことのない僕にもちゃんと伝わってきた。
お寺の息子である合田富士男が、特級品の存在感を見せる。
やけに大人びた言動が笑わせる、バンドのリーダー的存在である。
僕と友人は、一発で彼のファンになってしまった。
また、ギターの名手として登場する白井は若き浅野忠信が演じている。
浅野忠信はその後、イカれた役どころを演ずることが多くなったが、この映画では眼鏡をかけた口数の少ない高校生に扮している。
普通の人を演じた時の方が、彼の旨味が出る気がする。
ぼそりと吐く台詞が、実に素直に耳に入ってくる。
バンドメンバーの四人のやり取りは屈託がなく、見ていて気持ちがいい。

概ね理解のある大人たちが周囲を固め、時折怪訝な表情を見せる大人にも、彼らは動じない。いや、気付いていない。
彼らには、ただロックがやりたいんだという活気があり、そこには遠い未来のことなど微塵も心配しない清々しさがある。
楽器を買うお金がないとなれば、手作りでギターを拵えてみたり、バイトをやったり。
バイトの場面は、音楽に合わせて楽しそうに工場作業である。
この映画の魅力は、高校生にとって世界はそれほど怖いものではないという幻想めいた視点が、巧みな映画構成によって実現しているところにある。

夏休みの終わりに、主人公ちっくんが同級生の女子から海に行こうと誘われる場面がある。
急なお誘いで、ちっくんは驚きながらも水着を準備する。
海は空いていて、二人だけで過ごすことになる。
お弁当を広げ、二人で水着に着替えて海に浸かるだけである。
ちっくんは、こんなことで彼女は楽しいのだろうか、と思う。
意に反して、別れ際にその女の子は「ありがとう。楽しかった」と言う。
どちらが告白するわけでもない。
ただ、そういう一日があったという場面である。
な、なんとうらやましい!
自宅に女の子が一人で訪ねて来て、二人っきりで海に行くなんて、夢のまた夢。

この女の子は映画の中で重要な役割を持っているわけではない。
彼らのバンド活動をたまにお手伝いする背景として、ちょこちょこ登場するだけだ。
ちっくんにとっても、まさか彼女が個人的な接触を持ってくるとは思っていなかったし、見ていた僕にしてもこの不意打ちにはドキドキさせられた。
その後どうなるわけでもない展開も含め、この海水浴事件は淡い記憶の一片として僕の脳裏に張り付いた。

この映画は2時間15分の上映時間だが、振り返ってみれば、まったく高校の三年間というのは2時間15分で過ぎ去ってしまったような感触がある。
それからの人生の方が圧倒的に長いのだが、そのことを忘れていられる映画かもしれない。
一緒に見た友人と二人、残りの高校生活をなんとか楽しく過ごそうでなはいかと話し合った。
まだその時には、未来は僕らの手の中にあるつもりだったのだ。

阿久悠の名曲を、今後も僕は聴くだろうし唄うだろう。
そしてこの映画のことも、また見直すだろう。
ふっと日々が退屈に思える瞬間があるが、それは本当だろうか。
5000本の歌詞を書かずして、バンドも結成せずして、退屈とは何様のつもりだろう。
彼らの作品は、いつでも僕を励ましてくれている。


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●2007年08月03日 20:33に投稿された記事です。

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