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「ぼくらの七日間戦争」~社会を捨てよう、七日間だけ~
菅原比呂志監督

ぼくらの七日間戦争」(1988年

監督: 菅原比呂志
製作: 角川春樹
プロデューサー: 青木勝彦
原作: 宗田理
脚本: 前田順之介/菅原比呂志
撮影: 河崎敏
美術: 小澤秀高
編集: 板垣恵一
音楽: 小室哲哉
音楽プロデューサー: 石川光

出演:
宮沢りえ / 中山ひとみ
五十嵐美穂 / 橋口純子
安孫子里香 / 堀場久美子
工藤正貴 / 相原徹
菊池健一郎 / 菊地英治
鍋島利匡 / 安永宏
田中基 / 柿沼直樹
大沢健 / 中尾和人
金浜政武 / 日比野朗
石川英明 / 天野健二
中野愼 / 宇野秀明
大地康雄
浅茅陽子
室田日出男
倉田保昭
佐野史郎
賀来千香子


【おはなし】

校則の厳しい学校を抜け出し、勉強を強制する家庭を捨て、子供たちは廃工場に籠城する。
大人たちとの攻防の末、子供たちは自由を手にすることができるのだろうか。


【コメントー社会を捨てよう、七日間だけー】

公開は88年
その後のテレビ放映で僕は見た。
映画の主人公たちと同様、僕も中学生だったので、彼らのレジスタンスには諸手を挙げて賛同した。

当時、非行や校則に関する話題は、しばしば世間を賑わせた。

非行などというものはいつの時代にもあるのだろうが、その頃はマスメディアが活発に採り上げていたので、社会問題としての認知があった。
80年代金八先生第2シリーズ積み木くずしスクールウォーズビーバップハイスクール尾崎豊などが人気を博した。
世相を反映したからドラマがヒットしたのか、ドラマがあったから世の非行文化が発達したのか定かではないが、ともかく校内暴力、シンナー、盗んだバイクで走り出すとかいったことは、僕の周辺でも見られた。

子供たちの非行に対抗すべく、大人たちは校則をもって反撃をした。
規律に縛ることで事態を鎮めようとしたのだが、返って子供たちの反発を招いた。
両者の対立に解決の糸口が見えぬまま、90年の校門圧死事件が起こったときには、「とうとうやってしまったか」という嘆息混じりの感慨も、世間にはあった気がする。

そんな中、僕はといえば非行になびくこともなく、校則に縛られることもなく、割りと伸び伸びと過ごしていたかもしれない。
普通に生活していれば校則にひっかかりはしないので、殊更にフリーダムを欲することもなかった。
つまり「ぼくらの七日間戦争」に描かれる子供たちの抵抗は、僕にだって反発心くらいはあるんだぜ、という欲求を満たしてくれたのだと思う。

映画では誇張された世界が描かれる。
理解のない大人の代表として教師たちが登場するものだから、僕も一緒になって「教師なんて最低だ!」と反抗気分を味わうことができたのだ。
そこまで校則に対しての恨みもないのだが、「オン・ザ・眉毛(※)」に憤ってみたりしたのだ。
当時は野球部に所属しており、僕は坊主頭だったのに。

それにしても、子供たちだけで暮らすだなんて、うらやましい。
ましてや。
この映画には宮沢りえが登場する。
本作が映画デビューとなるのだが、それはもう大変な美少女である。
子供たちだけで廃工場に立て籠もって、なおかつ宮沢りえがいる。
極楽浄土だ。

宮沢りえの演技は、この頃が最も上手だったように思える。
教室で他の生徒たちに啖呵を切る場面は立派だ。
途中から籠城に加わる女子の一人に過ぎないのだが、どうしたって映画は彼女を真ん中に持って来てしまう。
男子のリーダー争いなどもあるのだが、まあどっちだっていいじゃないか宮沢りえがいるんだから、と思えてしまうのだ。

教師役では、佐野史郎が光っていた。
冷徹非情な大人の権化として、子供たちを追い詰める。
こんなにムカっぱらの立つ奴はいない。
この役と、北野武監督の89年公開「その男、凶暴につき」での嫌味な署長役は抜群である。
どちらも端役だが、この二本で佐野史郎のことが好きになった。

籠城した子供たちは、大人たちの説得を振り切り断じて帰宅しない。登校もしない。
自炊をして生活する。
その敷地内に一人の浮浪者(室田日出男)がいた。
彼との交流が少し描かれるのだが、今にして思えば、社会の中で本当に自由を手にできるのは浮浪者だけだという皮肉だったのだろうか。
お金も食べ物もなく、保険も保証も身内も住む所もない浮浪者が真の自由人。
残念ながらそれができる度胸を持った者は、僕は勿論のこと、主人公の彼らの中にも一人としていなかっただろう。

子供たちはやがて大人となり、社会へと帰って行くのだ。
非行は青かった日々の思い出として過去に霞んでゆく。
80年代の非行児たちは今、親の立場になっているのかもしれない。
この映画は、今見ると恥ずかしい。
当時の自分の至らなさを痛感するのに絶大な効果を発揮する劇薬である。
楽しくもバカバカしい物語の進行。
偏った社会の描写。
武装して大人たちを排斥する痛快と幼稚。
なんだ、やっぱり子供だったんだなと、苦笑してしまうだろう。

そして僕の場合、はっきりとした切り替えもできないままにここまで来てしまった感が否めない。
子供のままでいることが美徳なのではないかと20代の半ばまでは思っていたほどだ。
反抗も非行もなかった代わりに、未だに反抗も非行もどこかで燻っている。
こういった大人の増加は危険である。
大人は満員電車でイライラしてはいけないのである。
成熟した大人は、冷静にものごとを判断し、行動すべきだ。
自分が特別な者であると信じた時代は、遠の昔に、あの宮沢りえがヌードになった頃に、過ぎ去ってしまっているのだと。
そう思う。

※「オン・ザ・眉毛」は前髪が眉毛にかかってはならないという校則のことです。映画では教師が生徒の前髪をハサミで切る場面がありました。


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●2007年08月09日 11:46に投稿された記事です。

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