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「愛しのローズマリー」~上履きの外見~
ファレリー兄弟監督

愛しのローズマリー」(2001年

監督: ボビー・ファレリー/ピーター・ファレリー
製作: ボビー・ファレリー/ピーター・ファレリー/ブラッドリー・トーマス/チャールズ・B・ウェスラー
脚本: ショーン・モイニハン/ピーター・ファレリー/ボビー・ファレリー
撮影: ラッセル・カーペンター
音楽: アイヴィ

出演:
グウィネス・パルトロウ / ローズマリー
ジャック・ブラック / ハル
ジェイソン・アレクサンダー / マウリシオ
ジョー・ヴィテレッリ / スティーブ・シャナハン
レネ・カービー / ウォルト
スーザン・ウォード ジル
アンソニー・ロビンス / アンソニー・ロビンス(本人)
ブルース・マッギル
ナン・マーティン
ダニエル・グリーン
ブルック・バーンズ


【おはなし】

催眠術をかけられたハル(ジャック・ブラック)は、超肥満体の女性が美女に見えるようになった。
実際は100キロを超すデブのローズマリー(グウィネス・パルトロウ)が、モデルのように美しい女性に見える。
この恋の顛末やいかに。


【コメントー上履きの外見ー】

この映画の監督であるファレリー兄弟は、社会的なタブーを物語に織り交ぜたラブ・コメディを幾本も撮っている。
「愛しのローズマリー」では、人の外見に対する偏見をテーマとして扱っている。
ハルはひょんなことから催眠術をかけられ、人の心が外見に反映して見えるようになる。
実際はデブでブスなのだが、心が奇麗なローズマリーは絶世の美女としてハルの目には映る、という案配。

必ずしもデブちゃんの心根が美しいとは限らないし、美人にも美しい心を持った人はいるだろう。
だが、それにしたって、美人かブスかで随分とスタートラインが違ってしまうこの社会は歴然と存在している。(※)
その不合理にファレリー兄弟は敢然と立ち向かう。
好きになったあの人の、一体どこに自分は惹かれたのだろうか。
見た印象だけで、その人を判断してしまっていいものだろうか。

小学三年生(84年)のときだったか。
僕はクラスの友人男子四人と、他に誰もいない放課後の教室に残っていた。
メンバーは先日「好きな人」を発表し合った仲間だ。
普段の教室でも、その内の一人が好意を寄せている女子にわざと話しかけて、そいつを歯噛みさせたり。あるいは歯噛みさせられたり。
このところの我々は幼稚な盛り上がりをみせていた。
もちろん、その中の誰一人としてお目当ての女子に告白などはしていない。

放課後、僕たちが集まったのはちょっとしたいたずらをするためだった。
ジャンケンをして、負けた者が自分の好きな女子のソプラノ笛(たて笛)を五秒間吹くというゲームが始まった。
本当は吹きたいくせに、ジャンケンに負けた者は身をよじってそれを拒絶する。
みんなで笑いながら取り押さえ、半ば強制的に笛を口にねじ込んだ。
小学生の女の子のお子様がいらっしゃる皆様。くれぐれもたて笛は自宅に持ち帰らせるよう、僕からの忠告になり大変恐縮ですが、お気をつけください。

好きな子の椅子に腰掛けるだの、机の中に消しカスを入れるだの、ここまではまだましだった。
おもむろに一人がズボンとパンツを脱いだ。
理由の分からない彼の行動に、他の皆が大騒ぎになった。
彼は自分の担当の女子の机の上に近づき、おしっこを一滴だけ垂らした。
今思えば、狂気の沙汰なのだが、この時はその一粒のおしっこがおかしくて仕方なく、しばし笑い転げていた。

一通りはしゃいだ僕たちは教室を出て下駄箱まで下りてきた。
その小学校の下駄箱には各収納に蓋が無く、靴は丸見えの状態である。
僕はその時に初めて気がついた。
僕の好きだった女子の上履きは、思いのほか汚れていた。
他の生徒の上履きとは一線を画す汚さだった。
まるで醤油で煮しめたような色合い。
僕はとっさに身体で遮り、他の皆に見えないようにした。
あろうことか、今度は女子の上履きにいたずらしようかと言い出す奴が出てきた。
その案を徹底抗戦で否決し、僕は難を逃れた。
僕は、彼女の上履きが汚れていたことにもショックを受けたが、たったそれだけのことで気分が萎んでしまった自分にもショックを受けた。
靴が汚れていただけのこと。
それが一体なんだというのだ。

「愛しのローズマリー」を映画館で一人鑑賞しつつ、僕はその出来事をぼんやりと思い出していた。
人が人を好きになることの根拠には、果たしてどんな本質が隠れているのだろうか。
ハルとローズマリーが、めでたく結ばれて欲しいと望む僕の心には、「愛」とかいうものを照れずに信じてみたい思いがあったかもしれない。
ブスはブスだ。大抵の男は美人が好きだ。
それを承知の上で、きれいごととしてでも信じてみたい。
そんな気にさせられた映画だった。

この難しい題材を、ファレリー兄弟はあくまでコメディの色調で綴る。
ローズマリーがスレンダー美人に見えているのは、ハルただ一人。
彼女がデブチンである事実に変わりはないのだ。
そのギャップに笑いが宿る。
そういう意味では、デブはデブだと、はっきり語っているとも言える。
この映画では、デブのことをデブとして笑い飛ばしてしまいたい。
そんなデブのことを好きになるのがうれしいのだから。

※美人が世の中で得をするかということに関して、「夏物語」の記事で触れています。→こちら(07年7月19日の記事です)


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About

●2007年08月07日 23:50に投稿された記事です。

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●次の投稿は「「ぼくらの七日間戦争」~社会を捨てよう、七日間だけ~菅原比呂志監督」です。

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