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「ダイ・ハード」~アンハッピーマンデー~
ジョン・マクティアナン監督

ダイ・ハード」(1989年公開)

監督: ジョン・マクティアナン
製作: ローレンス・ゴードン/ジョエル・シルヴァー
製作総指揮: チャールズ・ゴードン
原作: ロデリック・ソープ
脚本: ジェブ・スチュアート/スティーヴン・E・デ・スーザ
撮影: ヤン・デ・ボン
特撮: リチャード・エドランド
音楽: マイケル・ケイメン

出演:
ブルース・ウィリス / ジョン・マクレーン
アラン・リックマン / ハンス・グルーバー
ボニー・ベデリア / ホリー・ジェネロ・マクレーン
アレクサンダー・ゴドノフ / カール
レジナルド・ヴェルジョンソン / アル・パウエル巡査
ポール・グリーソン / ドゥエイン・t・ロビンソン
ウィリアム・アザートン / ソーンバーグ
ハート・ボックナー / エリス
ジェームズ繁田 / タカギ
アル・レオン / ユーリ
デヴロー・ホワイト / アーガイル
グランド・l・ブッシュ / リトル・ジョンソン
ロバート・ダヴィ / ビッグ・ジョンソン


【おはなし】

高層ビルに突然なだれ込んで来たテロリスト集団。
ニューヨークからたまたま訪れていた刑事ジョン・マクレーンは、たった一人でこの集団を相手する羽目に!


【コメントーアンハッピーマンデーー】

小学校に入る前だったろうか、僕は同級生の誕生日会に招かれた。
子供の頃の誕生日会と言えば楽しい思い出ばかりなのだが、この回に限っては僕は乗り気でなかった。
誕生日を迎える同級生は、ちょっと威張った奴で、そのリーダー気取りが僕は気に食わなかった。

母親と一緒に歩いていたとき、彼を中心とした子供のグループと出くわしことがあった。
僕たち家族がその街に引越したばかりだったからだろう。
母は母親らしく振る舞うつもりでか、僕の背中を押し「遊んでやってね」と我が子を宣伝した。
僕にしてみれば、ちっとも遊んで「もらう」必要なんかなかった。
自分の友達くらい、自分で作りたいやい。
余計なお世話と思いつつも、その場では愛想笑いを浮かべて、ペコリとお辞儀をしたものだ。
「おお、お前ら。今日からコイツも仲間な」
彼は子分たちに僕の入門許可を発表した。

そいつの誕生日会が、ひと月後にあるのだという。
僕は心の中で欠席を熱望したが、母になんと言えばよいか悩んだ。
あいつは嫌いだ、とズバリ言うのも気が引ける。
母に心配をかけたくない。
ダダをこねてやり過ごすのは、なんだかアイツに負けたような気分になるから避けたいところだ。

正当な理由を持って、正面きって欠席したい。
子供の僕が、無い知恵を絞って出したアイデアは「勉強」だった。
「お母さん。僕これから月曜は勉強の日にする」
と高らかに宣言したのだった。
誕生日会は一ヶ月後の月曜日。
まさか勉強の日に誕生日会が当たってしまうとは!
仕方ない欠席しよう。
これが僕の描いたシナリオだった。

先日、シリーズ一作目の「ダイ・ハード」をDVDで再見した。
随分前にテレビで見たきりの作品だった。
パート4まで続編が製作されるには訳があるだろう。
一作目の出来を確かめてみたくなったのだ。

この映画を「よく出来ている」と評する人は少なくないと思う。
実際、よく出来ている。
何がよく出来ているのか考えてみるに、丁寧な「伏線」の張り方がその要因の一つだと思った。

飛行機でロサンゼルスに降り立ったマクラーレン(ブルース・ウィリス)は、隣の乗客と会話をかわす。
ホテルで落ち着かない時は、裸足になって部屋の絨毯を踏むんだ、との乗客のさりげない助言が、その後、マクラーレンが全編裸足でアクションをするはめとなる伏線になっている。

やっつけた男のポケットから、たばことライターを取り出せば、その後マクラーレンは事あるごとに喫煙し、だんだんと本数が減って行く。
さらに、テロリストのボスとついに対峙した時、ボスと知らずにマクラーレンは彼に煙草を差し出す。
小道具がちゃんとドラマに絡んできている。

一つの建物の中だけで物語は進行する。
ハイテク高層ビルの一体どの位置に彼がいるのか、ともすれば観客は見失ってしまうところだ。
壁に金髪ボインの小さなポスターが貼ってある前を、銃を持ったマクラーレンが通過する。
観客は一瞬映るこのポスターを意外と記憶しているものだ。
その後、ビルの機構に這入り込み、ぐるっと回って違うところから出てきた彼は、また金髪ボインの前に出る。
なるほどあそことここは繋がっていたのか、と観客は安心し、また出会えたポスターにニヤリとする。

何から何まで伏線の始末がつくところが、この映画の快感だと思う。
アクション伏線ムービーと名付けてもいいくらいだ。
物語に一度登場したものは、ちゃんと始末がつかなければ消化不良を起こす。
原因と結果が結び付き、ああ気持ちいい、のだ。
始末をつけることをペイオフ(精算)と呼んだりもする。
前フリがあり、それが映画の中でペイオフされる。
この映画は、そこのところが大変上手に作られている。

あのとき僕は、伏線を張った。
母親にも気付かれず、月曜日は勉強の日となった。
毎週、漢字の書き取りなどをやった。
格好だけのものなので、頭に入るはずもない。
いよいよ来週が誕生日会だというところまで来て、僕は母親に欠席の旨を告げた。
「あら、そうかね。あんた、いいんかね?ほんとに?」
「うん。だってしょうがないもん。決めたことやけ」
それ以上口を開くとバレそうな気がして、僕は台所から逃げた。

誕生日、当日の夜。
母は、電話で欠席を連絡していたらしい。
「向こうのお母さんが、偉いですねーって凄く感心しとったよ」
母は、どことなくうれしそうにもしていたが、僕は顔が真っ赤になり、悪いことをしてしまったと後悔した。

翌日、彼に会ったときに僕は謝罪した。
「昨日ごめんね、行かれんで」
「ああ?おお」
僕を呼んでいたことすら覚えていなかったような様子だった。

一ヶ月に渡る僕の伏線は、こうしてペイオフされた。


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●2007年08月25日 16:28に投稿された記事です。

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●次の投稿は「「裏窓」~自分の部屋の窓の裏から~アルフレッド・ヒッチコック監督」です。

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